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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 パリ2日目。今日はパリ市内見物。朝の出発は9時。 ところがが、迎えのバスがなかなか来ない!???? 30分後の主催者側発表。「バスが間違って別のホテルに行ってしまった」とのこと。<お粗末!>・・・どこまでもツイテいない旅だ。  仕方なく、ガイドの案内で18人はぞろぞろと地下鉄駅へ移動。ところがこれが幸いしたのが後でわかった。 「ルーブル美術館」迄は電車で約30分。美術館周辺の道路は大渋滞。バスだときっともっと遅れただろうとガイドの話。<結果オーライか>  世界を代表する美術館の館内は、全長20KMにおよび、その展示品は2万6千点、とても2時間では見れるものではない。全てをじっくり見るには数カ月を要するという。
  1982年に当時のミッテラン大統領による「大ルーブル整備」政策により、ガラス張りのピラミッド(写真上)が生まれた。
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    「ミロのヴィーナス」










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  「モナ・リザ」






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 「オルリアンの少女」








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 「ナポレオンの戴冠式」



 見学が終わるころには、バスが到着していたので一安心。
 

パリで見る建築物で期待していたのが「凱旋門」。
 
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ここは予定では通過するだけであった(駐停車禁止地域)が、運転手が「遅れたお詫び」に違反覚悟で一時停車してあげるという「粋な違反」計らいで写真チャンスがあった。パリ野郎のサービス精神に「メルシー」。

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「コンコルド広場」(写真左)や「ノートルダム寺院」は車内から眺めるだけであった。
(中央に見える塔は、ナポレオンがエジプト遠征時に持ち帰った神殿の塔の片割れである。私がエジプトに行った時にもう片方を見てきた記憶がある)



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 昼の「エッフェル塔」は、昨夜の景色ほどの感動はなかった。
 「オペラ座」の近くで解散。午後は自由行動となった。その直後、三越パリ店の隣にある日本人経営の「ラーメン屋」に
入る。日本で食べたら旨くもない味だが、久しぶりなので何とか腹の中に流し込んだ。








 <次回・・パリの午後>


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 「ヴェルサイユ宮殿」の見学を終え、パリへ向かう車中で、今夜「エッフェル塔」に行こうという話が持ち上がった。最初は4人だった。だが、夕食後ホテルの前には12人の同行の士が集った。
 教えられた地下鉄を乗り継いで「シャイヨー宮」に出た。
 そこからの「エッフェル塔」の夜景はオレンジ色のライトアップが鮮やかで、天にも昇る威容であった。
 我々は時間の過ぎるのを忘れ、思い思いに写真やビデオ撮りに熱中した。いつの間にか時間が経過し、「エッフェル塔」の見学時間があまりないことに気づいて、急いでチケット売り場に並んだが遅かりし!  10時を過ぎて3階の展望台行きは締め切り。仕方なく2階の展望台までで諦める羽目になった。
 それでも2階展望台から望むパリの夜景は、下を流れるセーヌ川の水面に街の明かりが映え、心が洗われるような素晴らしい夜景であった。
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左の写真は昼の「エッフェル塔」
















<次回はパリ市内観光へ…いよいよ最終コース>
・・・・ 「ルーアンからヴェルサイユ宮殿へ」・・・・
フランスの旅も6日目。 
モン・サン・ミシェルを早朝(7時30分)に出発。この時刻だとまだ朝日が昇っていない。
残念ながらモン・サン・ミシェルの朝の写真はとれずじまい。
パリに向かって東に走ること3時間余り。
10世紀にはノルマンディ公国の首都として繁栄した「ルーアン」に到着。
中心部には1250年建造の「ノートルダム大聖堂」がその威容を誇る。
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 1431年5月30日。ルーアンの旧市場広場で19歳のジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑を受けた。今は「救国の聖女」ヒロインとして処刑の場所には1979年完成のジャンヌ・ダルク教会が建っている。
(写真下)
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 この町には中世から近世に建造された建物がしっかり保存されている。(写真右下)
 上階に増築される毎に建物がオーバーハングしているのが面白い。地震国日本ではとても考えられない発想である。
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 この町の名物「黄金の大時計」・・12時間の表示が360度に描かれている。(上下がない)・・写真左下
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  ルーアンから1時間走って、世界遺産「ヴェルサイユ宮殿」に入る。
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 「1661年 ルイ14世がパリから宮廷を移すため、バロック様式でヴェルサイユ宮殿の工事に着手した。当時は木も水もない村でいわば荒涼の地。セーヌ川から水を引く工事が難航して、21年後には未完成の状態で宮廷が移転し、1687年に「鏡の間」(写真下)が完成。長さ73メートル、高さ10メートルの中に華麗なシャンデリアと578枚の鏡が埋め込まれて豪華絢爛。
 王朝内部の行事や外国から来る特使の謁見に使われた。
宮殿全体は1710年に完成。当時宮殿に住む貴族は約1000人。仕えた従業員は1万人と言われる。(現在の居住人口は10万人)
 貴族の贅沢な暮らしがフランス革命の引き金となったが、1789年の革命時までフランスの政治の中心地」という。(サポートガイドより)

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 煌びやかさ!
 豪華さ!
 贅沢さ!
 そして敷地のスケールの大きさ!
何を取っても「ヴェルサイユ アズ ナンバーワン」 と思った。
 宮殿内外・・あ・ら・かると写真
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 夕刻、パリ・ホテル着。
 夕食は久しぶりの東洋料理「中華料理」であった。
 それでも……フランスで飲むワインは何にでも合う…と思った。

 <次回はパリの夜の散歩&パリあれこれなど>
≪モン・サン・ミシェル≫・・・何と響きの良い名前だろうと思う
 
 「708年、ノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げを受け、『この島の頂上に礼拝堂を作るべし』に従って作られた修道院。その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年かけて増改築。14世紀には英国との百年戦争で城砦となって15世紀後半に現在の形になった。1870年に島をつなぐ道路ができて、満潮時にも往来できるに至った。
 フランスで最も美しい修道院とされ、毎年250万人の巡礼者や観光客が訪れる」とガイドブックにある。


c6d5b6c1.JPG 旅も5日目。トウールを出発し、フランス西部の田園風景を車窓に眺めながら走ること約4時間。遠くモン・サン・ミシェルが現われてきた(左写真)。

その近くの町のレストランで名物の「オムレツ料理」(写真下)で昼食。
<オムレツ料理にもワインは良く似合う!>
昼食もそそくさと済ませ、いよいよ「モン・サン・ミシェル」に近づく。
 遠景のポーズは最高!
 「西洋の驚異」と言われる海上に浮かぶ幻想的な姿は、見る人を圧倒し、感動させる。
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 P9210086n8.JPG   バスを降りて、修道院まではかなり急な坂道を歩く。グランドリュ(参道)は人で溢れかえっている。
(写真左)
 我々の本日の宿泊場所はモン・サン・ミシェル内のホテル。
 ひととうり専門ガイドさんの案内があったのち、あとは夕食まで各自思い思いの自由行動である。
           <モン・サン・ミシェルの主な見どころ>

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夕食後、外に出る。
夕焼けに映えるモン・サン・ミシェルもまた格別。この時期のフランスはまだ「サマータイム」である。
夜8時すぎてもまだ明るい。(写真左下)
9時からライトアップが始まる。(写真右下)
 そうこうしているうちに、本日はたまたま満潮のある日とか。ひたひたと潮が満ちてきて、いつの間にか城の周りは海水で囲まれる。昔はそのために、モン・サン・ミシェルは完全に海上に浮かぶ島と化す。幻想的な雰囲気となる。残念ながらその情景は写真に撮ることはできなかった。
 島内に宿泊した利点は、夕景・夜景や満潮との出会いであったが、ホテルそのものは泊まるだけで、部屋からの景観は望めなかった。かくて感動の1日は静かに暮れて行った。。

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<旅は続く・・・次回は
      ヴェルサイユ宮殿へ>
 
  前日 ニース、モナコ見学から始まったフランスの旅の宿泊地は「リヨン」
  本来ならば、次の日はエクス・アン・プロバンス、アビニヨン、ポン・ジュ・ガールそしてリヨン観光が予定されていたのであるが、残念ながらこの1日はCUTされ、旅程は4日目から続く。
 
  この日は、美しい自然の中に優雅な古城が点在する「ロワール地方」へバスで移動する。
  途中、「ブールジェ」にて昼食。
名物エスカルゴ(写真4)にはワインが良く似合う。

  リヨンを出て北上すること6時間。  その間、やまらしき山が無く、殆どが平野。牧草地やトウモロコシ畑、ブドウ畑と放牧されている、牛、馬、ヤギや農家の家々。フランスはヨーロッパでも有数の酪農国である。四季折々の花々やハーブ等が香る「フランスの庭」と呼ばれる「ロワール」に到着。P9200021f2.JPG
  
  ロワール川流域には12世紀にアンジュ一家ガ領土を守る城砦として築いた80を超える城の数々が点在する。
  14世紀にヴァロア家が受け継いで、次第にルネッサンス文化の影響を受けて行ったという。













P9200023f3.JPG 「シャンボール城」:城壁だけで周囲30キロメートルの規模を誇る。(お屋敷全体で東京23区がすっぽり入る広さという)ロワール最大級の城。
 狩猟館だった建物を16世紀にフランソワ1世が改修を命じて、完成したのは約140年後。フランス・ルネッサンス様式の最高傑作と言われる。周囲は森に囲まれており、〝殿様″はここに、年2・3回狩猟を楽しむために何日か滞在するだけだったと語られている。残念ながら我々が立ち寄った日は、城の前にステージが仮設されており、景観がちょっと損なわれていた。(城の左側にちょっとステージが見える)






P9210037g.JPG 「シュノンソー城」:1513年に着工して21年に完成した城で、16世紀から歴代女性が城主だった。アンリ2世の愛人だったディアーヌ・ド・ポワチエと正妻のカトリーヌ・ド・メディシスとの熾烈な確執が繰り広げられた城として有名。比較的規模の小さい城で、地下1階から地上3階までの主な部屋を見学。外観に比べ中は暗い感じがした。
 ただし、外回りの風景はまるで「おとぎの国」のお城という感じで見学者を和ませる。
特に、城を取り巻く庭と池と森のコントラストは最高!
 
 城の見学の前に、この地方のワイン試飲があり、「赤のスパークリングワイン」が珍しくまた美味しかった。




P9210042i.JPG 「アンポワーズ城」:古代ローマ時代の砦をもとに、15世紀の末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスの城を完成させた。
 1516年、城に「モナ・リザ」を抱えたままのレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘したという。彼は様々な設備を設計して国王(フランソワ1世)のためにアンポワーズで晩年を過ごし、1519年にこの地で没したという。
 外観を眺めるだけの立寄りであったが、城の前を流れるロワール川の対岸から見た景色は「城砦」という感じであった。

 「城めぐり」は必ずその前に「トイレ」を澄ますこと、これが常識。少ないのです。





 かくして4日目は「ロワールお城めぐり」で終わった。
 この日の宿泊地は「トウール」。夕食はポークメニュウであった。

 <旅は続く・・・・次回は、モン・サン・ミッシェルである>


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