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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
我々4人組(前夜のエッフェル提案組)は、「凱旋門の屋上に上る」を最終目標に、「オペラ座」から「コンコルド広場」~「シャンゼリゼ通り」(右写真)をゆっくりと散策した。 16世紀にアンリ4世の王妃が散歩道に使い、18世紀、マリーアントワネットの代まで受け継がれてきた「シャンゼリゼ通り」。全長2キロ弱、道幅70メートルあり、両側にはマロニエやプラタナスの樹が並び、劇場、カフェ、画廊、レストラン、ホテルやダンスホールが軒を連ね、パリッ子や世界中の観光客で一日中賑わう。 「凱旋門」でした。 300段の石段を登り屋上へ。 ナポレオン1世がフランス軍の栄光を賞賛するために、1806年に工事着工。 1836年に完成した。 高さ50メートル、幅45メートルの門。屋上からの眺めは最高。凱旋門から放射状に街づくりをしていることがすばらしい景観となっている。何よりも、中世からの都市をそのまま残していることが、素晴らしく、・・・あちこち勝手に建設し、街づくり・都市づくりができていない『日本の無秩序さ』と比較するとき・・・、パリ・フランスの伝統や文化を大切に保存している姿に敬意を表する。 凱旋門からエッフェル塔方面を望む 我が「フランスの旅」は、凱旋門で終わった。あたかも勝利して凱旋した将軍の気分で! この旅行を微笑んで(多分)送ってくれた家族、長い休暇を理解して頂いた会社の人々、「一期一会」の旅の仲間たちに感謝したい。 皆さんありがとう!! <「フランスの旅」は終わりました。 2009年9月17日から9月25日 9日間の旅でした> パリ2日目。今日はパリ市内見物。朝の出発は9時。 ところがが、迎えのバスがなかなか来ない!???? 30分後の主催者側発表。「バスが間違って別のホテルに行ってしまった」とのこと。<お粗末!>・・・どこまでもツイテいない旅だ。 仕方なく、ガイドの案内で18人はぞろぞろと地下鉄駅へ移動。ところがこれが幸いしたのが後でわかった。 「ルーブル美術館」迄は電車で約30分。美術館周辺の道路は大渋滞。バスだときっともっと遅れただろうとガイドの話。<結果オーライか> 世界を代表する美術館の館内は、全長20KMにおよび、その展示品は2万6千点、とても2時間では見れるものではない。全てをじっくり見るには数カ月を要するという。 1982年に当時のミッテラン大統領による「大ルーブル整備」政策により、ガラス張りのピラミッド(写真上)が生まれた。 「ミロのヴィーナス」 「モナ・リザ」 「オルリアンの少女」 「ナポレオンの戴冠式」 見学が終わるころには、バスが到着していたので一安心。 パリで見る建築物で期待していたのが「凱旋門」。 ここは予定では通過するだけであった(駐停車禁止地域)が、運転手が「遅れたお詫び」に違反覚悟で一時停車してあげるという「粋な違反」計らいで写真チャンスがあった。パリ野郎のサービス精神に「メルシー」。 「コンコルド広場」(写真左)や「ノートルダム寺院」は車内から眺めるだけであった。 (中央に見える塔は、ナポレオンがエジプト遠征時に持ち帰った神殿の塔の片割れである。私がエジプトに行った時にもう片方を見てきた記憶がある) 昼の「エッフェル塔」は、昨夜の景色ほどの感動はなかった。 「オペラ座」の近くで解散。午後は自由行動となった。その直後、三越パリ店の隣にある日本人経営の「ラーメン屋」に 入る。日本で食べたら旨くもない味だが、久しぶりなので何とか腹の中に流し込んだ。 <次回・・パリの午後> 「ヴェルサイユ宮殿」の見学を終え、パリへ向かう車中で、今夜「エッフェル塔」に行こうという話が持ち上がった。最初は4人だった。だが、夕食後ホテルの前には12人の同行の士が集った。 教えられた地下鉄を乗り継いで「シャイヨー宮」に出た。 そこからの「エッフェル塔」の夜景はオレンジ色のライトアップが鮮やかで、天にも昇る威容であった。 我々は時間の過ぎるのを忘れ、思い思いに写真やビデオ撮りに熱中した。いつの間にか時間が経過し、「エッフェル塔」の見学時間があまりないことに気づいて、急いでチケット売り場に並んだが遅かりし! 10時を過ぎて3階の展望台行きは締め切り。仕方なく2階の展望台までで諦める羽目になった。 それでも2階展望台から望むパリの夜景は、下を流れるセーヌ川の水面に街の明かりが映え、心が洗われるような素晴らしい夜景であった。 <次回はパリ市内観光へ…いよいよ最終コース>
・・・・ 「ルーアンからヴェルサイユ宮殿へ」・・・・
フランスの旅も6日目。 モン・サン・ミシェルを早朝(7時30分)に出発。この時刻だとまだ朝日が昇っていない。 残念ながらモン・サン・ミシェルの朝の写真はとれずじまい。 パリに向かって東に走ること3時間余り。 10世紀にはノルマンディ公国の首都として繁栄した「ルーアン」に到着。 中心部には1250年建造の「ノートルダム大聖堂」がその威容を誇る。 1431年5月30日。ルーアンの旧市場広場で19歳のジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑を受けた。今は「救国の聖女」ヒロインとして処刑の場所には1979年完成のジャンヌ・ダルク教会が建っている。 (写真下) この町には中世から近世に建造された建物がしっかり保存されている。(写真右下) 上階に増築される毎に建物がオーバーハングしているのが面白い。地震国日本ではとても考えられない発想である。 この町の名物「黄金の大時計」・・12時間の表示が360度に描かれている。(上下がない)・・写真左下 ルーアンから1時間走って、世界遺産「ヴェルサイユ宮殿」に入る。 「1661年 ルイ14世がパリから宮廷を移すため、バロック様式でヴェルサイユ宮殿の工事に着手した。当時は木も水もない村でいわば荒涼の地。セーヌ川から水を引く工事が難航して、21年後には未完成の状態で宮廷が移転し、1687年に「鏡の間」(写真下)が完成。長さ73メートル、高さ10メートルの中に華麗なシャンデリアと578枚の鏡が埋め込まれて豪華絢爛。 王朝内部の行事や外国から来る特使の謁見に使われた。 宮殿全体は1710年に完成。当時宮殿に住む貴族は約1000人。仕えた従業員は1万人と言われる。(現在の居住人口は10万人) 貴族の贅沢な暮らしがフランス革命の引き金となったが、1789年の革命時までフランスの政治の中心地」という。(サポートガイドより) 煌びやかさ! 豪華さ! 贅沢さ! そして敷地のスケールの大きさ! 何を取っても「ヴェルサイユ アズ ナンバーワン」 と思った。 宮殿内外・・あ・ら・かると写真 夕刻、パリ・ホテル着。 夕食は久しぶりの東洋料理「中華料理」であった。 それでも……フランスで飲むワインは何にでも合う…と思った。 <次回はパリの夜の散歩&パリあれこれなど> |
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