2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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  前日 ニース、モナコ見学から始まったフランスの旅の宿泊地は「リヨン」
  本来ならば、次の日はエクス・アン・プロバンス、アビニヨン、ポン・ジュ・ガールそしてリヨン観光が予定されていたのであるが、残念ながらこの1日はCUTされ、旅程は4日目から続く。
 
  この日は、美しい自然の中に優雅な古城が点在する「ロワール地方」へバスで移動する。
  途中、「ブールジェ」にて昼食。
名物エスカルゴ(写真4)にはワインが良く似合う。

  リヨンを出て北上すること6時間。  その間、やまらしき山が無く、殆どが平野。牧草地やトウモロコシ畑、ブドウ畑と放牧されている、牛、馬、ヤギや農家の家々。フランスはヨーロッパでも有数の酪農国である。四季折々の花々やハーブ等が香る「フランスの庭」と呼ばれる「ロワール」に到着。P9200021f2.JPG
  
  ロワール川流域には12世紀にアンジュ一家ガ領土を守る城砦として築いた80を超える城の数々が点在する。
  14世紀にヴァロア家が受け継いで、次第にルネッサンス文化の影響を受けて行ったという。













P9200023f3.JPG 「シャンボール城」:城壁だけで周囲30キロメートルの規模を誇る。(お屋敷全体で東京23区がすっぽり入る広さという)ロワール最大級の城。
 狩猟館だった建物を16世紀にフランソワ1世が改修を命じて、完成したのは約140年後。フランス・ルネッサンス様式の最高傑作と言われる。周囲は森に囲まれており、〝殿様″はここに、年2・3回狩猟を楽しむために何日か滞在するだけだったと語られている。残念ながら我々が立ち寄った日は、城の前にステージが仮設されており、景観がちょっと損なわれていた。(城の左側にちょっとステージが見える)






P9210037g.JPG 「シュノンソー城」:1513年に着工して21年に完成した城で、16世紀から歴代女性が城主だった。アンリ2世の愛人だったディアーヌ・ド・ポワチエと正妻のカトリーヌ・ド・メディシスとの熾烈な確執が繰り広げられた城として有名。比較的規模の小さい城で、地下1階から地上3階までの主な部屋を見学。外観に比べ中は暗い感じがした。
 ただし、外回りの風景はまるで「おとぎの国」のお城という感じで見学者を和ませる。
特に、城を取り巻く庭と池と森のコントラストは最高!
 
 城の見学の前に、この地方のワイン試飲があり、「赤のスパークリングワイン」が珍しくまた美味しかった。




P9210042i.JPG 「アンポワーズ城」:古代ローマ時代の砦をもとに、15世紀の末にシャルル8世がイタリア・ルネッサンスの城を完成させた。
 1516年、城に「モナ・リザ」を抱えたままのレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘したという。彼は様々な設備を設計して国王(フランソワ1世)のためにアンポワーズで晩年を過ごし、1519年にこの地で没したという。
 外観を眺めるだけの立寄りであったが、城の前を流れるロワール川の対岸から見た景色は「城砦」という感じであった。

 「城めぐり」は必ずその前に「トイレ」を澄ますこと、これが常識。少ないのです。





 かくして4日目は「ロワールお城めぐり」で終わった。
 この日の宿泊地は「トウール」。夕食はポークメニュウであった。

 <旅は続く・・・・次回は、モン・サン・ミッシェルである>
写真NO1「ニース海岸通り」

写真NO2「モナコ公国の衛兵交代」
 写真NO3「エズの鷲の巣村」

■■■  やっと実現したフランスの旅。「シルバーウイーク」というカレンダー を企画してくれた

のは、ありがたいことだがそのために旅行代金が跳ね上 がるのはありがたくないことでは

あるが、連休がきっかけで(又はチャン ス)決行した人は私だけではないだろう。  

  『魅惑のヨーロッパ・・フランスの旅9日間』というツアーに参加した のは9月17日から

25日。成田発、エア・フランスのパリ直行便が一つの売 り物でもあった。  

    そのAF機がこともあろうに欠航・出発延期になろうとは・・・・。 「バードストライク」:海鳥

が飛行機にぶつかるまたはエンジンに吸い込ま れる事故・・だそうです。

 このための機体修理が遅れ、本日は欠航とい う。2時間ほど空港で待たされたうえ、

本日は成田周辺のホテルで待機。  

  旅行会社のコメント・・。「明日夕刻に出発予定。今後のスケジュール は現在調整中

だが、最初の日の見学はカットとなる予定。二日目のスケジ ュールから開始される

見込み。最終日は変更なし。キャンセルしたい方は 全額払い戻しで受け付けします」

・・・・やれやれどうするか。  翌日までに取り止めた人・・8名。それでも行きます・・18名。

 
   9月18日午後6時過ぎ、やっと成田出発。飛行機は本当に大丈夫なのかと多 少不安

を感じながら・・・・・。

  (故障した部分の部品を、フランスから 取り寄せて修理したとは後で聞いた話である)
 

  現地時間午後11時過ぎパリ・ドゴール空港着。深夜に手配されたバスに 乗って、

オルリー空港近くのホテルに仮泊。寝たのは2時過ぎだった。
 
 翌朝は5時起床。オルリー空港からニース空港に向かう。
 
 ニース空港に到着しやっと旅行らしき雰囲気を味わいながらバスを待 つ。・・・・・・・

が、バスが来ない!のです。  

 結局バスがさらに遅れることがわかったので、現地ガイドに引き連れら れて、市営バス

で移動。どこまでもついてない旅の出発進行となった。
 
 
 旅の最初の写真(NO1)は、金持ちの多い避暑地「ニース海岸」であ る。
 
 その後、モナコグランプリレース(モンテカルロラリー)コースやカジ ノ、モナコ公国

での衛兵交代(写真(NO2)などを見学、鷲の巣村と称さ れるエズの海岸絶壁に立て

られている村(写真(NO3)などの見学があり、 そのままリヨンに向かい、第1日目は

終わりとなった。 (アクシデントはつづく・・・・次回)
■■■■■■

 久し振りにやり遂げ感を味わったと思ってブログったのですが、

あちこちからそれなりに反響があって驚いている。

 2,3ご紹介したい。

 

 「IPO…検定試験の合格おめでとうございます。色々な経験と知識と

人脈を活用して関連の仕事に活躍されることをお祈り申し上げます」(元

勤務先上場会社社長)

 「おめでとうございます。努力の賜物ですね。ひょっとして最年長合格

者ではないでしょうか。私はもう一生試験は無理そうです」(公認会計士

・・10数年来の知人)

 「晴れさんは今どき勉強、偉い。若い。頭が下がり

ます。今度ゆっくりお話聞かせてください。」(元会社の先輩・40年のお

付き合い)

 「勉強は何をされていたのですか。勉強なしの遊びだけの小生は、落ち

込みます」(元Mグループ課長・・ゴルフ仲間)

 「晴れさんほんとにおめでとうございました。次は何かナーなんて勝手

に思ってたりしてます」(元上場会社同僚)

 「おめでとう。さすがだね。これで心置きなくフラ

ンスだね」(次女・・<ご褒美はフランス旅行>を知っている)



 と色々ありまして、合格発表の翌日(9月11日)は、やすさん、ちーさ

んと町田でささやかな合格発表会を行いました。

 
 ここまで来たら熱の冷めないうちに次(上級)に挑戦してみるか・・。

と考えている。


 一段落の区切りで明日からフランス旅行を楽しんできまーす!


 <68歳の手習い・・挑戦は続く・・9月16日記>
■■■■■■

 正確には、67歳11ヵ月10日である。

 その日、9月10日は何十年振りに受験生と
なってある検定試験に臨んだ。

 社外の試験というのは、21年ぶり。あの時は
ある種の資格試験。会社の仕事上取得を強制
されたものであったが、普通資格を取ったら、その上
がまだ2つあるという。そこまでの取得義務は
なかったが、ついでだからやってみようとそれから
半年かけて、上級、特級とやり遂げた。
一緒にやろうという仲間兼ライバルがいた。
単身赴任中であったので時間はあった。
晩酌は欠かさず飲んで、ひと眠りして明け方
から勉強という日もあった。仕事も忙しかったが
そういう時は時間を有効に使用する。
 忙しいからとか時間がないなどと言い訳しない。
やる気があればできると確信したものである。

 そんな日々から21年が過ぎ、間もなく68歳。
受験勉強等ともう縁がないと思っていた。
 6月2日。仕事の関連で高田馬場にある、ある
印刷会社主催のセミナーに参加した時のことで
ある。会場のテーブルに展示されていた一冊の
本が目についた。
 「IPO実務検定試験公式テキスト」とある。
ふーんと手に取ってみた。
 500ページに近いその本は、活字も細かく分厚
くて重い、まるで辞書のような本である。
何となく興味を持って、書籍名、出版社を控えて
その日は帰社。次の日、紀伊国屋書店で問い合わ
せしたところ、新宿本店に在庫があることが分かった。
もうその時はやってみようと決意していた。

 「IPO実務」とは、
 財務、経理、税務、総務、人事、経営管理、
経営計画、会社法、金融商品取引法、資本政策、IR、
上場関連業務などの知識と応用を求められる業務である。
 幸い自分は47年間のサラリーマン生活で濃淡はあるが、
一通りこれらを経験をしてきた。そして上場も経験し、
その後の運営にも携わっても来た。その意味では、
私の人生そのものではないかとも言える。
 ただし、その後の法律改正だとかルール改正、社会の
変化などへの対応については勉強し直さなければならない。
 それはそれで頭に刺激を与え、ボケ防止にもなるだろう。
何よりも自分は本当に衰えてしまったのだろうか、過去の人
になってしまったのだろうか、それを確認したいという気持
ちが強かった。

 6月4日から受験を前提に学習開始。
 毎日の通勤時間に片道30分以上の学習をすることにした。
新聞雑誌はとりあえず中止とした。面白いことに受験すると
思うと眠くならない。最寄駅下北沢からは会社まで40分歩く
ことも継続した。だが、朝の小田急線は混む。立ちんぼでの
学習は、テキストも重く辛い。というわけで多少遠周りになる
が長津田から始発電車を利用した方が座って学習できるこ
とがわかったので路線変更した。電車代も余計にかかるが
勉強には金がかかると割り切った。土・日は半日図書館で
の学習と決めた。

 かれこれ1ヵ月を過ぎて試験日を決めた。9月10日(火)
と目標は定まった。それまではゴルフも自粛。生活のうち
会社勤務時間を除いては受験中心に集中することにした。
家族にも宣言した。
 分厚いテキストはⅠ回読み終えるのに1週間はかかる。
そのうち要点をノートに纏めそれを持ち歩くことにした。
こうすることにより2日に1回通読したような効果があった
ような気がする。また書くことによって少しは頭に残ると
信じた。
 年齢とともに理解力も記憶力も衰えていることを実感
しながら、しかし諦めることはなかった。8月の中旬過ぎて
疲れがたまってきたので、箱根で温泉三昧の2日を過ごし
たが、集中学習を兼ねたものであった。
 8月は熱く燃えた1ヵ月であった。

 9月に入り、学習の効果が少し出てきたように感じられた。
あと1週間の辛抱と自分に鞭打ってやるしかなかった。
 試験の前日は、大事をとって都内のホテル(健保組合の)
に前泊した。もちろん仕事はきちんと終えてからである。

 試験場所は都内のあるコンサルタント会社の会議室。
 30分前に到着。諸注意事項を聞いたのち定刻より早めの開始。
といっても制限時間60分は変わらない。試験官は付き添わず、
監視カメラでの管理体制。
 CBT方式の試験(いわゆるパソコン上でのテスト)である。
 パソコン世代に育っていない我々年配者には、これも一種
のハンデである。60分で約240問位の問題に回答する。
一問15秒平均で問題を読んで回答する。読み返していると時間
が足りなくなる。画面左側には回答した分だけ問題番号にチェック
マークが入る。右画面には残り時間が刻々と刻まれる。焦りたく
ないけど急かされているようだ。
 開始10分位経過した時点でパソコンの電源がぷつりと落ちる
アクシデントもあって、ますますプレッシャーはかかるのみ。

 やっと恐怖と緊張の連続が終わってテスト終了。
 「テスト終了」、「結果印刷」をキイインすると、2分後には検査官
が来室。
 「お疲れ様です。ハイ結果です」

 『81点 合格』の文字が・・・・・。(70点以上が合格です)

 68歳の手習い・ボケ防止を兼ねて・・・と始めたことであったが、
自分の社会人生活の経験・実績がどれだけ役に立つか、どれ
だけ経験・知識が頭の中に残っているか、その後の法律改正
やルール改正をどれだけ勉強することにより吸収できているか、
そんなことがある程度確認できたような気がする。

 3ヵ月間の受験勉強。それは私の社会人生活の集大成を
確かめたような気がする。
 残り少ない人生にこの知識・経験を少しでも社会に還元して
いきたいと考えているのだが・・・。

 <68歳の手習い第1ラウンドが終わった・・・9月14日記>
 



 
■■■■■■

 <グリーン上での語らい>

 台風一過の残暑厳しい日でしたが、神奈川にある某社の昔の仲間たち 

とグリーン上での語らいがありました。
 
 場所は名門「相模原ゴルフクラブ」。2年前まで在籍していた当時と同

じように、まだ“ゴルフ同好会”として継続しているようだ。積立も当時

と同じで、月5千円給料天引き。ここ1年以上開催していなかったらし

く、積立額が一人当たり6万円ほど貯まって、今回返礼ありとか。突然の

返戻金で皆、まるで突然もらったような気分とか、何となく理解できる気

がする。あてにしてないものだから。それにだいたい皆、奥さんに内緒の

会計ではないか?。(ニヤッ・・・・)。

 さて当日。5組19名で開催となった。社長以下現役が14名、役員等

OB5名の参加であった。

 気温32度、南西の風5~6メートル。快晴。

 いまどき数少ない乗用カートなしの歩きのラウンドだから、汗が滴り落

ちる真夏そのもの。こういう時は、普段よく歩いている人が何かと有利?

と思われたが、結果としてはそうなった感じがする。

 新ぺリア方式のゲームだから最後まで順位がわからないのが面白い。

 このコースでは、12年前に、某保険会社主催のコンペ(100人以上

参加だった記憶)で優勝した(グロス84だった)ことがあったり、地域

企業の懇親コンペで優勝したり、以外と成績はいい。

 さて今回の結果。

 45,46のグロス91(東コース 全長6700ヤード パー74)

 あの頃に比べ距離がまた更に長ーーーく感じた。年のせいで飛ばなくな

ったこともあるが・・・・・。特に大きな失敗もなく、ダボ2ホール、ボギ

ー13ホール、パー3ホール、パット数36、OB、ワンぺナなしであり、

今の私にはこの程度が精一杯。

 それでもベスグロ賞。新ぺりハンデキャップトップの13で、順位は5

位でした。 
 
 昔の仲間たちとの楽しい1日でした。



 <名古屋からカラオケ便り>

 喫茶店を経営しているAOK君から久しぶりの電話。

 バックが何やら騒々しいのはカラオケの演奏音。

 「オーイ ハレさん元気かね~ん」と懐かしい声。続いて「ハレさーん

久し振り~~ん」とこれも相当酩酊している声。忘れもしないKAM君だ。

 ほぼ25年・4半世紀の付き合いの二人。名古屋時代の3年間に始まっ

た付き合いは、その後の転勤もあったが、それでも細々と続いている飲み

仲間・カラオケ仲間である。

「いやーKAMと飲んでいると、ここにハレさんがいるといいな~といつも

話しているんだよ」とAOK。

「それにSAKがいればなお良しだよなー」という。SAK君は昨年正月明けに

他界した。4人でよく「青春とは何だ!」「仕事はどうだ」「俺はこう思

う」「ああするべきだ」「こうするべきだ」と酒を囲んで議論しながらよ

く飲んだ仲間である。そしてその後はカラオケが定番。

 自慢じゃないがみんな上手かった(自称)。

 AOKは得意がポップス演歌。KAMはポップス&フォーク系。SAKはニュー

ミュージック系。私はフォーク系ニューミュージック。

 時々ハモッタリ、コラボしたりして周りから拍手されたり、で結構盛り

上ったりしたものだ。

 今日はSAKがよく歌っていた「秋止符」を歌っているという。

 「この曲を歌うと・・SAKを思い出して泣けてくるんだ」とAOKがいう。

 「俺もわかるよ・・その気持ち。俺は奴とそれをハモルと、よく周りの

客から拍手受けたよなー」と私。しんみりとしたところ一瞬だけ。

 そのうち会おう!  となって年内に東京か名古屋で再会を約す。

 友達はいいもの。これだから生きる張り合いが出てくる。3人とも60

歳を過ぎてまだ現役続行中である。

 持つべきは人生の友達。大切にしようと思う。

 <久々の人達との語らいがあって・・・9/2記>




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