2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
<その1> 自宅近くまで帰ってきたところで、歩道をすれ違う直前になって前方から歩いてきた紳士と目が合って、やがてどちらからともなく一瞬立ち止まって・・ 「やあ、○○です。お久しぶりです」と声を掛け合った。 その彼と会ったのは、昨年の夏ごろだったと思う。たった一回のラウンドだったが、ご夫妻との楽しい雰囲気のラウンドだった。TAMご夫妻とはその一回しかラウンドしていないが、品の良いご夫妻であったという印象が残っていた。 あれから凡そ1年位経ったかもしれないが、この日、全く偶然にも、町田駅近くの遊歩道で、出会ったのである。はて? 彼はこの辺にお住まいだったかしらと思い、「この近くに勤務していますか?」と尋ねたところ、「いや、近くまで車で送ってもらって、これから横浜線で帰るところです」 そんな会話を交わしたものの、そのまま、お別れするには、あまりにも偶然の出会い? に思えたので、思い切って、「ちょっと時間ありませんか? 30分でもお茶でもいかがですか?」と声をかけたところ、彼は快く応じてくれて、「いいですよ」と二人は、直ぐ近くの「赤ちょうちん」に入った。 それから約1時間余り、我々は酒を酌み交わしながら、あらためて自己紹介や身の上話やらを語り合いながら、偶然の再会を喜び合った。何よりも、彼は、私の腰痛を知っていたのと、私も、彼が最近、一時、体調を崩されたことを聞いていた話など、お互いに心を通じ合ったこともあって、短い時間であったが、ゴルフを通じて知り合った友人との、美味しいお酒であった。 PR
昨年の11月半ばから、腰痛(正確には、脊柱管狭窄症と腰椎分離症)が悪化し、朝寝床から起き上がるときに何かにつかまらないと起き上がれない、起き上がってもしばらく背中を伸ばせない、上半身を前にも後ろにも曲げられない、歩くのに30分ほどしないとできない、水泳もできない、ゴルフなんてとんでもない、とうとうこれで人生も終わり・・・?そんな思いが毎日続いて暗い毎日であった。
それでも何とか、痛み止めの薬を飲みながら会社にだけは通勤を続けた。 11月25日のゴルフコンペは、何とか現地まで行ってみたが、立っているだけがやっとの状態ではとてもプレーどころではない。泣く泣くキャンセルしてゴルフ場を後にする。 プール通いだけは何とか続けていたが、十分泳ぎはできないので、サウナとマッサージプールが ほとんどの日々が続いた。 そんなある日、プールサイドに屯(たむろ)している? ご婦人たちとダベっていたら、腰痛の話題になった。 あるご婦人曰く。「私が通っている整形外科では、整形外科のほかに脳神経外科も専門で、レントゲンやMRIで診断・治療してくれるのです」という話に興味を持った。 早速、場所を教えてもらって、行ってみようかな? と決断するまで約1か月もかかった。 2月のある日。意を決して病院へ向かう。まるで、溺れる者は藁をもつかむ心境であった。 自宅から約10分位に位置している病院は、比較的新しい個人病院にチョット毛が生えた程度の大きさだが、小さい待合室は満員で、せっかく予約して行ったのに、これでは相当待ちになるな? と思いきや、15分位で呼び出され、レントゲンが始まる。その後、15分もしないで、再び診察室に案内された。レントゲン結果の説明を受けながら、「第2、第3腰椎が狭窄(くっついている)、第5腰椎は、分離(腰椎分離症)している」という結果に、「やっぱり」と仕方なく納得した。 さてどうするか? Dr.の診断・指導方法を待った。 Dr.曰く。「原因はともかくとして、腰椎2か所が変形しているため、何かのきっかけで、神経が過敏になり、炎症を起こしているのでしょう」そのために、「まず、炎症を和らげることが必要です。対策は、第1に、痛み止めの飲み薬(ロキソニン系)を1日3回服用、第2に、腰部に塗り薬(最初は貼り薬だったが、その後軟膏にしてもらう)を1日2~3回塗る、第3に、腰痛ベルトを着用すること」いう指示があった。約1か月間、そのような治療で行こう。その結果で考えようとのことであった。ちなみに、水泳禁止の指示はなかったのと、3月16日(土曜日)にゴルフをやってみたい、という私の申し出に禁止はなかった。 2月23日の診断・治療開始から、2週間経過したあたりから、徐々に痛みの軽減が感じられた。 水泳は、週2回・500メートル程度が可能となり、ゴルフスイングはクラブを持たない軽い捻りが可能となった。ただ、実際は、水泳でも、スイングでもやった次の日は、若干の痛みが感じられ、あまり無理はできなかった。何よりもこの時期、あろうことに歯痛と下痢症状が1週間以上も交互に発症し、食事もままならず、なんという弱り目に祟り目だろうと悩まされた。 4か月ぶりのゴルフ再開?を控え、その前日になってようやく食事ができる程度で、まさに、満身創痍ではあったが、MAさんやNKさんのお気遣いにより、今年の打ち初め・待望のゴルフを満喫できた。 その後、本年の第2ラウンドは、4月7日に。まだまだ、フルスイングには心配があるが、やっと 皆さんに余りご迷惑かけずに回れそうな段階に近づいた気がする。痛みはまだ残っているが、それは、「あまり無理をしないでやるように」という神様のお告げかもと理解して・・・。 「あっ! スポーツセンターに忍者がいる?」 約20年間通っていた、「T-スポーツクラブ」が、大幅な施設改修工事により、3か月余り施設利用不可となった。その際の顧客対応に不満で、とうとう20年通っていたクラブを退会し、勤務地(渋谷区)にある区立のスポーツセンターに通い始めて1か月になる。このスポーツセンターは渋谷区立だが、運営は民間企業に委託している。奇しくも、委託を受けて運営している民間企業は、私がこれまで20年間通い続けた「T-スポーツクラブ」と同一の企業体である。 3月下旬のある金曜日のこと。会社を終えて、渋谷スポーツセンターの施設近くまで来て、ふと、何気なくある光景を見た。 それは、スポーツセンターの敷地と外の道路を仕切っている(鉄)格子塀に自転車を横付けし、そのサドルを踏み台にして2メートルくらいの塀を乗り越えようとしているではないか。しかも、その背中には、刀ならぬテニスラケットを背負って、まるで、(ラケット)忍者が塀を乗り越えようとしている様である。 私は、ちょっとゆっくり足で、その様子を横目で見ながら通り過ぎ、さらに20メートルほど過ぎて振り返ると、男(忍者?)は、塀を乗り越えて施設内の庇(屋根か?)らしき部分の屋根側を歩いて、下のグラウンド(高さ約2メートル位の段差がある)に降りようとしていた。 なんとなく気にかかっていたが、1時間半ほどのスイミングが終わって、プール会場から帰り際に、受付窓口にロッカーキイを返却しながら、「つかぬ話ですが…」と、先ほど見た光景をお話しした。そして、なぜあそこでなければならなかったのかの可能性・意見を尋ねた。私にとっては、あの場所をなぜ選んだのかが気にかかっていたのだ。「あの人が、あの場所(敷地のかなり端にある)を乗り越える理由は何でしょうか? あの近くに何があるのですか?」 受付の彼女がいわく、「そうですね。あの先(一番奥)には、テニスの壁打ち装置(スペース)があります。ただ、その場所は有料で、利用者は、センターから渡されるユニフォームの着用が必要です。事務所からは良く見えませんし…」 私には、男が、ユニフォームを着用しているとは見えなかったし、だいいち外から入ってきたわけだから…。あそこから降りる訳は、もう一つあって、外から入るためには、外側の格子の高さが2メートルプラス内側との段差2メートル計4メートルを降りるために、あの場所ならば、あの内側にある庇(屋根か?)を足場にできる可能性があるかもしれない・・・だからあの場所を選んだ! 私は、「人を疑うのは良くないが、どう見ても不自然な状況(自転車の止め方…鍵をかけてまで?)、あの場所でなければならない理由、あの格子塀を乗り越えなければならない理由は何か?、服装は半そで・短パン・ザック⁺テニスラケット…準備万端、ちょっと暗くなってから・・・)等々、考えると考えるほど、不自然に思えました」 彼女は、「わかりました。係りの者に報告しておきます。必要に応じて、検証してみます」という。 ◎ 面白い方法(施設)があった! 寒い1月下旬の昼下がり。いつものように行きつけの「追分そば」で、暖かい鍋焼きうどん(この店では「香味味噌うどん」となずけていて好評だ)を食べ、少し寒かったが、昼食後の散歩に出た。20号線と並行している初台緑道を幡ヶ谷方面に向かい、いつもなら幡ヶ谷駅近くで緑道を引き返すのだが、 その直前の左側小路の電柱に、「渋谷スポーツセンター方面」という看板が目につき、吸い寄せられるように、小路に入る。以前にもその看板を見たことがあるが、現実には行ったことがなかった。 お互いにすっかり溶け込んで?いろいろと話が弾んで、しばし歓談した。 話は、そもそもスポーツセンターの概要、自分たちがここの運営を任された(契約した)会社であること、何よりもそれが偶然であったのは、私が、現在、町田で会員になっている店舗と同じ会社であることだった。そして、私が、通っている店舗が2月から3か月ほど休業となるため、代わりの施設を探して、たまたまここを探し当てたのであることを申し上げたら、大変喜んで、welcomeであることなど、話が弾み、約20分も話し込んでしまった。 かくして、私は、このスポーツセンターのシニア会員(渋谷区に勤務する 65歳以上の会員)資格で、すべての施設が無料で使用できることになった。 思えば、町田の店舗改修に伴うしわ寄せを、ここで少しは救われた思いがして、やっと気分が治まった昨今である。 〝 社会復帰おめでとう ″と激励を受けて、ほぼ120日ぶりのGOLFだが、 天気予報が悪い! 数日前からの天気予報は、悉く3月16日だけが、なぜか雨マーク(☂☁)が半分表示されている。チェッ!俺が4か月ぶりに行こうと決めていたGOLFが、その日に限って雨とは・・・、ツイていないと一人でぼやく。 その日の朝、友人が待ってくれている淵野辺へ向かう。比較的スタート時間がゆっくり目(9時15分愛川)だが、待たせてはならぬ!・・・、と早めの電車で到着。そのせいかどうか分からぬが、気になっていた天気まで早めに好転したようだ。これはラッキー! 約120日振りの再会で、やっぱりご挨拶は、″明けましておめでとうございます〝 となった。いつものことながら、ありがたいピックアップに御礼を申し上げて、いざ現地へ出発、8時半近くに到着。 ちょっと早めについたので、めったにしない練習場に向かう。クラブを4本持って歩き始めると、いきなり場内で、スタート時間が繰り上がった 旨の放送だ。大抵なら、スタート時間の繰り上げは、welcome なのだが、今日は、しばらくのブランクで、特に、ドライバーやFWを全く振っていないこともあって、少し多めの時間が欲しかったのに、冷たい?放送に聞こえた。そういえば、この手のスタート時間変更が、何の承諾もなしに行うのは如何なものかと、ちょっぴり不満!であった。(繰り上げもいいけど、繰り下げだってほしい時があるのだ・・・ブツブツブツ) さて120日振りのティショット。友人たち(Mさん&Cさん)の粋な計らい?で、オナーを任された。(本日はもうオナーの機会はないだろうから、との皮肉もあるかも・・・) 1打目はなんとかシニアラインを超えたもののギリギリ左隅のフェアウエイ。 2打目が問題。得意?のFWでナイスチョットの30ヤード余りで、早速の恥さらしだ。3打目、4打目はまずまず前進で、辛うじて4オン。ここ4か月間そして今朝もパターの練習を全くしなかったのに、グリーン上5~6メートルを無造作に打ったパットが、ピンを差し込んだままのホールにガシャリと沈んでナイスパー。まぐれもまぐれ、いきなり4オン1パットのパースタートだ。 2番のティグランドでゴルフがそんなに甘くないことが分かる。しばらく使ってないユーテリティクラブ(ゴルフお休み中のクラブセットはゴルフ場の保管庫に預け放なしだからすべてのクラブが久しぶりの使用だが)をいきなりティショットに使うことの難しさを痛く知らされた。痛恨の池ポチャである。 せっかくの1番パープレイが台無しである。 4番の池越えは破れかぶれの大振り。 (なにしろ、この4か月間は、脊柱管狭窄症からの腰痛、3週間前から歯槽膿漏による歯痛&抜歯、ここ1週間前から急性腸炎で1週間の断食・・・と病魔に苛まれて、体重が3K余り減少し、50Kgギリギリとなってしまった。だから距離的には不安があった) 愛川の4番ティショットはこれまで、池の上からフックボールで左フェアウエイへ落とす、というのが私の定石だ。ストレートで池越えは距離(キャリー)が心配。事実これまで何発池ポチャしたか分からない。この日は、腰痛の再発となる心配もあったからあまり大振りできない。やっぱり、右から左へフックボールのつもりだがちょっと力を入れた。(かなりのマン振りだったようだ) ボールは少し高く上がり、池の右側(カート道路寄り)をまっすぐに飛んで行った。残念ながらフックはかからず、ストレートボールで池を超え、カート道路の左側に落下。池の先端より30~35ヤード先に落ちた。思ったより飛んだので驚いた。 その後もまずまずのスコアで、ハーフ47(後半49)と、病み上がりには十分だった。一番の苦労は、ショートアプローチの距離感だった。 何よりも、同伴のMさんとCさんが気を使ってくれたのが有難かった。ゴルフ仲間との久しぶりの昼食と、牡蠣のから揚げ(サクサクとして美味だった)を食しながらのハイボールは、何にも代えがたい満足感があった。 そして天気がまた幸いした。あれほど、雨です、雨ですとテレビ放送していた各社の天気予報をあざ笑うかのごとく、朝からプレーが終わるまで、すっきりとした天気で、相模野は私を迎えてくれた(勝手にそう思っている)気がした。 因みに、今日の来客(組数)は?と尋ねたら、 ″予約は79組あったが、キャンセルがあり65組です ″ そう、あの天気予報で、2割くらいの客がキャンセルしたんだ、と同情したり、ほくそ笑んだり・・・。 やっとゴルフに復活できた、満足した1日でした。気を使ってくれた、いろんな人に感謝したい。ありがとう! |
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