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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 このところ3日に2日は運動している。といっても種目はいろいろ。

 朝晩通勤時に30分程度(往復1時間)歩く、プールで1000メータ

ー泳ぐか、歩く、マシーントレーニング(1時間半くらいかけて14種目

やる)、ゴルフの打ちっ放し等、時には1日にこれ等をダブってやること

もある。

 なぜ?そんなに・・・。

 目的は複数ある。

 第1は健康のため。歩くことは(速歩だが)、消化器・気管支を丈夫に

するだけでなく、気分転換、血圧の降下、ゴルフのための足腰鍛練等々

メリット一杯である。また数年前、主治医にアドバイスされたことに、歩

いたり泳いだり、筋肉トレーニングすることでインシュリンが分泌される

から、糖尿病の人または血糖値の高めの人に最適なのだそうだ。メタボの

人は、たいてい糖尿または予備軍だからまず歩くことが最良の治療とい

う。私はメタボにはほど遠いが、その他の効用で歩いたり、泳いだり、筋

肉を鍛えたりしている。

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 今シーズン久しぶりにスキーに行こうと予定していたが、同行メンバー

少なく残念ながら中止となった。ほぼ10年振りとなる筈だったが・・。

 <もう年だから止めといたら?>  という神様のお告げかも?

 

 というわけでスキーは諦めて、週末はゴルフシーズンの幕開けとなる。


  <健康管理はまず歩く・・再認識の日2/19記>



 
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 健康な身体の基礎になるのは、骨と筋肉。

 この2つが弱かったらスポーツも出来ず、明るくアクテブな生活を送れ

なくなってしまうのだが、

 「特に発育期の子供にとって重要なのは、骨づくりです。後からでも多

少やり直しのきく筋肉と違って、骨格は子供のうちにできてしまうからで

す」と筑波大教授(運動・栄養生化学)の鈴木正成さん。

 「昔の横綱北の湖(元理事長)は小学校6年生の頃、ホッケ、ニシン、

イワシなどをおかずに、毎食5合のご飯に温かい牛乳をかけて食べたそう

です。魚は骨までストーブで焼いて食べ、その後で昼寝をしました。これ

が理想です」

 北海道で育った北の湖は、6年生のころ、すでに相撲取りになる決心を

していたが、牛乳と魚の骨のカルシュウムが、将来の名横綱にふさわしい

骨格を作った。

 「見落としてならないのは、昼寝をした、ということです。骨づくりを

促進させる成長ホルモンは、脳が休んでいる時、睡眠中によく分泌される

からです」さらに、「カルシュウムを夜摂らせるようにすることです。夕

食に魚の骨を食べさせ、風呂の後に牛乳を飲ませる。それでぐっすり眠れ

ば、自然に骨格ができていくのです」

 睡眠と並んでもう一つ重要なのが運動することだ。

 「というのは、運動によってもホルモンの分泌が高まり、骨の代謝活動

が盛んになるからです」

 俗にいう新人類の長脚、旧人類の短脚の理由はこうだ。

 いま中年以上の日本人は子供のころ、学校から帰ると弟や妹を子守し、

荷運びを手伝わされた。登山やウエートリフテングしたのと同じだ。

重力負担型だった。これでは太ももばかり発達して、脛は伸びず、いやで

もずんぐりむっくりの短脚になる。

 そこへ行くと昨今の新人類は、兄弟が少ないから、子守も、家事手伝い

もなく、プール完備の学校で水泳をしてのびのび育った。勢い太ももは貧

弱だが、脛がよく伸び、電車の座席からうんと前へはみ出すほど長脚にな

った。

 太ももを鍛えさせるか、脛を伸ばしてやるか、親の考え方一つでどちら

にでも子は育つのだが、鈴木先生は忠告する。

 「ともかく、外でよく運動させてください。ファミコン遊びに塾通いば

かりでは、腕や脚の骨ができず、指だけ伸びたカニ見たいな子になってし

まいますよ」


 旧人類には、過ぎ去った少年時代が淡く思い出させられて、わが短脚に

納得したり、諦めたり・・・・・。

 <親から譲り受けた短脚に思う・・2/10記>


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 過日の出勤時の感傷です。

 エレベータに急いで乗ってきた小学生らしき兄弟二人。わざわざエレベ

ータのドアを開けて待ってあげていたのに、「おはよう」と声をかけると

「・・・・」追っかけて母親が乗ってきた。当然のように「おはようござ

います」 だが、母親も「・・・・」。急いでいたように見えたが、

 この親子は何なんだ! 同じマンションの住人ではないか!

 いまどきは「知らない人に声をかけられても知らんぷりしているのよ」

とでも躾けているのだろうか。こんな母親が育てた子供はどんな大人にな

るのだろうか。

 たしかに、大人でも挨拶をしない、挨拶のできない大人が多い。いつも

会う人でも挨拶しても声を出さない。会釈もしない。そんな大人が多い。

 同じマンションの子でも明るく挨拶してくる子もいるし、わざわざエレ

ベータの行く先階を訪ねてボタンを押してくれる子もいる。そんな子をみ

ると親の躾の良さがうかがえる。挨拶は明るく交わしたいものです。



 メールの交信も実は挨拶の一つと考えられる。

 発信者の気持ちになれば、返信のないのは挨拶しても無視されているの

と同じ。忙しいから後でとか、迷惑メールだから無視とか、検討中だから

とか、返信不要の案件だからとか受信側にはいろいろ事由はあるが、知ら

ない人からならまだしも、知人からのメールはできるだけ早く返信するの

がベター。

顔の見えない、声の聞こえない挨拶(メール)は早く返すことが大切。

性格もあるが、一般的に返信の早い人は仕事も手際よく、いろんな面への

気配りもあるようだ。

 たかが挨拶されど挨拶。

 たかがメールされどメール。

 その人の品格が見えるようで・・・大事にしていきたいと思う。

 <挨拶に思う・・2/3記>
 



 
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 去年の今頃(2月)通っていた学校でお世話になった先生の話。

 氷雪の研究で日本の第一人者(世界でも)の先生(理学博士)。

 氏は南極でも北極でも氷雪の研究をされ、多大の功績を残された。

 特に南極には3回も観測隊に参加され、越冬隊長及び観測隊長も歴任さ

れた。

 南極の氷を調べると、地球の歴史が分かるという。南極の氷の下300

0メートルより氷を取り出して、数億年前(~数十億年前)の地球の状況

を知る。壮大な研究の成果である。

 氷点下80度の世界は、我々には想像できない。観測地点まで到達する

ための危険と困難さ、そして氷の掘索の技術的難易度など、素人には想像

できないほどの事業だという。詳しい話は南極観測に関する書籍に譲る。

 
 氏はお酒が好きで(強い)、たばこもスパスパ(ヘビースモーカー)の

豪快な人である。今でも毎年スキーに出かけるという程、雪氷に親しんで

いる。

 昨年たまたま山スキーに誘われてその気になったことがあるが、スケジ

ュールが合わず不成立になった。が、翌週になって、「先週行ってきたよ

(一人で)」との話。確か私よりも3歳ほど先輩だから、70歳を回って

いる筈である。この元気さ、タフさがないと極地にはいけないのだと、改

めて脱帽。

 氏の研究室に南極観測隊の記念写真と色紙が掲げられている。

 「南極観測隊は、辛く孤独で厳しい環境の中で、給料も安いが、地球環

境の保持のため観測・研究を行うことが使命である」のような趣旨が書か

れていた。・・・・・地球人の一員として応援していきたい。


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 宇宙開発も一流国になりました。

 先月打ち上げられた日の丸衛生に、一度に8個も人工衛星が積まれたと

いう。しかも衛星には民間団体のものも含まれていることで話題になっ

た。

 日本の宇宙開発は、相模原市に本部がある宇宙航空研究開発機構(JA

XA)が受け持っている。

 ここの前の所長(工学博士)だった先生に宴席でお話を聞いたことがあ

る。氏もお酒が好きである。

 ロケットと人工衛星の開発に尽力された。
 
 宴席が終わって、帰りの道すがら(小田急線)もずっとお話を聞くこと

ができた。近日中に月へ打ち上げることになっていた「かぐやはどうです

か?」との問いに、「たぶん大丈夫でしょう」と自信たっぷりに話してい

た。

 
 翌々週「かぐや」から素晴らしいハイビジョンの月面写真が送られてき

た。
 
 「先生やりましたね!」

私は心の中で拍手しました。



 
 山の上の学校は、今が一番寒い時期。

 三浦半島の北側にある葉山の小高い丘。

 研究所や研修施設が散在する。近くには高級住宅街もある。

 夏はいい風が吹いて気持ちのいい日がある。

 西に富士山と湘南海岸が見渡せる。

 しかし冬は寒風吹きすさび、雪も時々降るときがある。一度降ると

 なかなか溶けないほど朝晩は冷える。

 そんな環境でも黙々と仕事をする人たちがいる。

 みんないい人たちだった。

   「風邪引かないでがんばって下さい」

 と陰ながら応援している。


 <2月の寒い日を思い出して・・2/2記>




     
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・・・■■■ヘルツの実験・・・

 マルコーニを知っていますか?。 無線通信を発明した科学者で、ノー

ベル物理学賞を受けている。現代の文明の利器<携帯電話>の生みの親、

元祖無線通信である。

 マルコーニが生まれたのは1874年。当時電気を使用する通信の発明に明

け暮れていた人々は1876年、ベルの電話機(有線)の発明によってひとつ

の頂点に達していた。結果いたるところに電線が張り巡らされた。

 こうして有線による通信は一般化されたものの、無線通信の分野は研究

の緒に就いたばかりだった。

 電話機発明の12年後、画期的な実験が行われた。ドイツの物理学者ハイ

ンリッヒ=ヘルツ(彼の功績をたたえ、その名「ヘルツ」は周波数の単位

となっている)が独自の電波発生装置から受信機へ電波を飛ばして見せた

のである。わずかな距離だったとはいえ、電波が空中を飛ぶという事実は

研究者に衝撃を与えた。


・・・■■■無線通信にかけた夢・・・

 1894年、20歳のマルコーニは学校に入ったことはなかったが、裕福な家

庭で科学好きの青年に育っていた。その年の夏、父親の持つ別荘に避暑に

行く。退屈しのぎに1冊の科学雑誌をとり、何げなくページを開いた。開

いたページは、その歳37歳の若さで亡くなったヘルツの実験に関する

記事。読み進むうち、頭の中に稲妻が走った。一つの着想が浮かび、とめ

どなく膨らんでいく。「ヘルツの電波を利用したら、無線通信が可能なの

ではないだろうか?」

 避暑から帰った少年は、早速電波を飛ばす実験を始める。本格的な電波

発信装置や検波器を備え、建物の3階から地下室へ電波を飛ばす実験を繰

り返した。これ以上の研究には費用もかかる。そこで両親にその成果を見

せた。自宅の3階で電波を発生させ、1階にあるベルを鳴らして見せたので

ある。こうして首尾よく資産家の父親から融資を引き出した。

 1895年には装置の改良もすすみ、1700m離れた丘の上から無線通信

を行うことに成功した。


・・・■■■大西洋を渡る電波・・・

 6年後の1901年12月、マルコーニはアメリカニュウファンドラン

ドのセント・ジョンズという港町にいた。大西洋を隔てて3200キロメ

ーター離れたイギリスと北アメリカを、電波で結ぶ試みに挑戦するためで

ある。12日正午。マルコーニは当時の電話用受話器を耳に押し当てた。

 マルコーニは空いた片手で送信側の波長を必死に探っていた。だが、風

の音が酷く、なかなか確認できない。

「だめか・・」

 一度、受話器を外し、スコッチを垂らした熱いココアで一服すると、再

び受話器をとり、全神経を耳に集中した。

「ト」

 かすかに受話器から音が聞こえた。息を殺して耳を澄ます。

「ト・ト・ト」

 3度続いた。信号だ。モールス符号の3連短点に対応する音が繰り返し

聞こえる。

 翌日、この模様は全世界に伝えられた。

「稲妻をあやつる男、マルコーニ、大西洋横断通信に成功!新紀元を開

く!」 時に1901年12月12日12時30分。

 ヘルツの実験からわずか13年。無線通信時代の扉を開いたのは、夢を

追いつづけた27歳の青年実業家だった。



 「情報が瞬時に地球の隅々まで届く”情報化時代”の幕を開けたのがマ

ルコーニ」だった。

 学歴はなかった。しかし、資金パイプを持ち、専門情報の集め方を知っ

ており、何より独創的な発想ができた。

 何やら、現代のベンチャービジネスを志す人(会社)に、そのままあて

はまりそうな気もするのだが。

 <上前淳一郎著「読むくすり」より抜粋・・1/26記>




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