2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 元々、寝つきの良くない私は、自慢じゃないが、いつも寝不足(睡眠債務)を背負って生きてきた。そして、とうとう人生最後のご奉公(?)と思った仕事も、睡眠債務によって自己破産(!)という羽目になった(先にブログったばかりだが)。幸いにも拾う神があって、その後も社会参加が続いているが・・・。

 そんなある日、某役員の横を通り過ぎようとして、ふと目についた本があった。その本のタイトルは、「4時間半熟睡法」という。ちょっと立ち止まって、本を寸借(無断拝借?)し、パラパラと捲ってみると、活字はそれほど大きくないが、行間が離れていて読みやすそうだったので、(ちゃんとお許しを得て)お借りした。
作者は、医学博士・スリープクリニック調布・銀座 遠藤拓郎氏とある。

 主なテーマはこうだ。
「睡眠時間はどこまで削れるか」
「できるだけ短い時間で、深く眠るにはどうしたらいいか」
「仕事、勉強などで最高のパフォーマンスが発揮できる短眠熟睡法は」
である。そしてその結論は、
 
 「睡眠時間を削れるぎりぎりのラインは、『1日4時間半熟睡法』である」という。

『人生は短く、自由に使える時間は限られている。はっきり言って、間違った「寝すぎ」はよくありません。寝すぎは「体」に負担をかけるだけでなく「脳力」をフル活用することもできなくなります。世の中でベストセラーになっている自己啓発書などに「睡眠時間は1日3時間で十分」「3時間以上は惰眠以外の何物でもない」という記述が見受けられます。
 かの有名なナポレオンの逸話にも「1日2,3時間しか寝なかった」というようなエピソードがあるため、1日3時間睡眠が王道であるようなイメージが定着しているように感じます。が、はっきりいって、「NO」だと言わざるを得ません。なぜなら、最先端の研究において「3時間睡眠を続けることはよくない」と、はっきり結論付けられているからです』

 むやみに睡眠時間を削ると「不眠症」になる恐れがあるし、体をこわすことにもなりかねないという。そして、「4時間半熟睡法」を提唱しているのだ。この方法が、睡眠の専門医として、睡眠時間を削れるぎりぎりのラインであると言っている。以下はこの理論に到達した根拠をまとめてみた。

〇人間の適正な睡眠時間は、6時間半から7時間半
 アメリカのクリプケという学者の研究によると、人間の適正な睡眠時間は6時間半から7時間半が最も体に負担がかからない睡眠時間である(その傾向は高齢者になればなるほど顕著である)。
 
〇睡眠にはサイクルがある。
 一つは夢を見ている「レム睡眠」、もう一つはほとんど夢を見ない「ノンレム睡眠」である。
 夢を見るレム睡眠の役割は、「心のメンテナンス」で、昼間経験し勉強したことを記憶の戸棚にしまい込み、うつ病などの「心の病」を予防します。一方、夢をほとんど見ないノンレム睡眠の主な役割は、体や脳の休憩、体の成長などである。ノンレムの特徴は、寝てから3時間の間に多く出る。
この睡眠がセットになり、約90分周期で4回~6回繰り返される。つまり、90分の倍数で寝るとすっきり目覚めることができる。

〇「一日3時間睡眠」は視覚関連の仕事に支障が出るから、やってはいけない!
 1965年、フロリダ大のウエップ教授が実験した結果(論文)で、「3時間以下の睡眠を続けていくと、「多少のノンレム睡眠(深い睡眠)の不足」と「明らかなレム睡眠(浅い睡眠)の不足」が出てきてしまうことが分かった。さらに重要なことに、視覚関連の仕事でミスがかなり増えてしまうことが明らかになった。視覚関連の仕事には、運転やパソコンの作業等が含まれる。<スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故など、最近の産業事故の多くは「睡眠不足」から起きているという報告がアメリカでされている>


☆「4時間半熟睡法」とは?
 1973年、ジョンソンらの研究で明らかになったもので、「作業能率を低下させないまま、無理なく睡眠を短縮できるのは6時間である」が、これに対し、遠藤Dr.は、次のように、「毎日の睡眠時間に変化をつけて、トータルの睡眠時間を減らしていく方法」を提唱している。すなわち、
 ウイークデー(月~金)の5日間は「4時間半」の睡眠で乗り切る。90分の睡眠サイクルを考慮すると、すっきり起きて、朝からバリバリ活動するためのは、「4時間半」がベスト。そして土曜、もしくは日曜日の睡眠時間を「7時間半」とする・・・90分サイクルを考えて。これが、彼の提唱する、「体に負担をかけず、しかも仕事に支障が出ない「短眠」の限界であるという。これが睡眠の専門医として、自信を持ってお勧めできる方法なので、ぜひ実践してみてください」という。

 <以下、次回>
 
 


トロフィーを掲げる“ヤングなでしこ”DF南萌華主将ら(Getty Images)

[8.24 U-20女子W杯決勝 U-20スペイン 1-3 U-20日本]

 U-20女子ワールドカップは24日、フランス・バンヌで決勝戦を行い、ともに初優勝を狙うU-20日本代表とU-20スペイン代表が対戦した。劣勢だった前半に先制点を奪った日本は後半にも2点を奪取。3-1での快勝でフィニッシュを飾り、世界で初めての女子W杯全世代制覇を果たした。

 2011年にはフル年代のW杯を制し、14年にU-17年代が世界の頂点に立った日本代表にとって、U-20年代で優勝すれば3世代でのW杯制覇。これまでその偉業を成し遂げた国はなく、壮大な夢に挑戦する“ヤングなでしこ”がこの日、準決勝で開催国フランスを破ったスペインとの決戦に臨んだ。

 フォーメーションは4-4-2GKスタンボー華(INAC神戸)が最後尾に構え、最終ラインには左からDF北村菜々美(C大阪堺L)、主将のDF南萌華(浦和L)DF高橋はな(浦和L)DF宮川麻都(日テレ)が並んだ。
 ボランチは背番号10MF長野風花(仁川現代)MF林穂之香(C大阪堺L)がコンビを組み、左右のサイドはそれぞれMF遠藤純(JFAアカデミー福島)MF宮澤ひなた(日テレ)2トップはFW植木理子(日テレ)FW宝田沙織(C大阪堺L)が務めた。

 序盤はやや日本が押し込む展開。最終ラインとボランチを中心としたビルドアップで相手のプレスをかわし、着実にボールを前に進める。対するスペインはフィジカルでは日本を上回る陣容。スペースへの長いボールを有効に使い、セットプレーを駆使しながら日本ゴールに襲いかかる。前半23分にはMFマイテ・オロスのミドルシュートをスタンボーが見事な横っ飛びで防いだ。

 前半35分には相手の縦に速い攻撃から左サイドを崩され、フリーでPA内に駆け込んだMFダマリス・エグローラが強烈なシュート。だが、ここは高橋がしっかり立ちはだかった。すると同38分、日本に起死回生の一発が決まる。宮澤がPA外で相手守備陣をかわすと、迷わず右足を一閃。GKの頭上を越えたボールがネットに突き刺さり、貴重な先制点が入った。

 前半43分には植木のラストパスがフリーの遠藤に通ると、GK11の場面で左足のシュートを放つ。だが、これはGKコール・ルークのビッグセーブに阻まれ、追加点は入らない。そこで得た左CKを起点に今度は宝田が狙ったが、これも相手守護神に落ち着いてキャッチされ、前半は1-0で終了した。

 後半は拮抗した展開が続いたが、12分、日本が大きな追加点を奪った。左サイドで前を向いた宝田が斜めのパスで相手のライン間にボールを送り、植木が見事なポストプレーでおさめる。ワンツー気味に抜け出した宝田に通すと、GK11から右足シュートで流し込み、リードが2点に広がった。

 さらに後半21分、日本は宝田が右サイドでキープし、フェイントをまじえながらPA内に走り込んだ長野にパス。若くして海外でプレーしている背番号10がダイレクトで叩き込み、ついに3-0となった。同26分には、オーバーラップしてきたDFカンデラ・アンデュアにフリーで流し込まれ、1点を返された。

 その後はスペインが猛攻をしかけ、決定的なシュートがクロスバーに直撃する場面も。だが、175cmの守護神スタンボーがゴールに立ちはだかり、相手の追加点を許さない。終盤には日本が何度かチャンスもつくると、FW村岡真実(オルカ鴨川)を投入しながら時計を進め、いよいよ歓喜の時。男子選手が初めて世界の扉を開いた1998年以降に生まれた“ヤングなでしこ”が、20年前と同じフランスの地で世界の頂点に立った。

<女子サッカーは、7年前に世界チャンピオンになって以来、しばらくパッとしない時期があったが、これで全世代、U17世代、U20世代と、すべての世代でのチャンピオンになった国は日本女子が初めてという快挙・達成だという。最近の日本女子は、サッカーに限らずいろんな場面で世界一ということが多い。やっぱり、まじめで、素直で、我慢強くて、頑張り屋で、そんなところが優れているのでしょう。それにしても男子は、いろんなところで世界では弱い!・・・・・・。   頑張れ日本男児!!>

 


 ナンだカンだといろいろあった2か月だった。

 6月の終わり・・株主総会の多いこの時期は、仕事仲間・遊び仲間・友人達が退任・引退が多い。
おりしも自社の総会にも近い大事な先生たちとの報告会も重なって、繁忙の始まりとなった。

 そんな折、週が明けて7月3日(火)は、かねて予約済みの、運転免許証書換のための”認知症検査”に出向く。高齢者の運転免許証書換手続きは、予約取りが大変である。2か月前にやっと予約が取れた!という競争の世界だ。そのために、約5か月も前から更新の手続きの案内が来る。若い人たちなら1回で済む更新手続きを、3回に分けて受けなければならない。まずは認知症検査、その次が実技講習、最後に書換手続きがある。こんな3つの過程をそれぞれ予約をして受けるのだ。なんで1回でやってくれないのか不満!! 年寄りは時間がたっぷりあるだろうから・・・、かもしれないが、そうでない例外(?)もいる。こちとらはフルタイム常勤だ!なんとかしてほしい。その都度、休暇を取ってということになる。ムダとは言わないが、効率よくやってほしいものだ。

 認知症検査が終わって、その足で人形町まで駆け込んで、その日が第1回という「そばうち会」(水天会という)に合流。翌々日には、大事な決算の締めごとがあって、午後からは、株主総会の準備・下見など。木曜日はめいっぱい動き回ってその日を終えた。
 よく金曜日は休暇をもらって、伊豆へ友人たちとゴルフ旅行と贅沢させていただいた。天気が心配されたが、奇跡的に2日間とも雨天を免れて、M氏の楽しい卒業記念ゴルフ旅行となった。雨男と自他ともに鳴り響いているM氏が、自分の“卒業記念大会”はしっかり雨を退治した大会は見事(?)というほかなかった。

 開けて、翌週も水曜日に免許証の講習に通う。この日は、実技講習だ。最近、高齢者の運転事故が多発しており、この講習の時の各自の運転状況を、ドライブレコーダーに記録しておくという規則になったという。何か(事故等)あったときは、この講習時の運転状況をレコーダーで見るとか…、やれやれ、意地悪&嫌がらせにしか見えないが。この日も半日かけて教習所での講習を受ける。
 翌日は、「若洲ゴルフリンクス」で仕事仲間のコンペに参加。最近では、スコアも順位もあまり興味がなくなってしまった。そろそろゴルフも引き時?ですかね。それでも翌月曜日(祭日)は、誘われるがままに、メンバーコースに向かう。

 3連休の最終日(7月16日)=海の日・というのにでゴルフというのは、この祭日設定に完全に逆さからって?いる。別に逆らったつもりではないが、趣味の相違と理解してほしいものである。この日のメンバーは、ひさしぶりにSID氏とその仲間(?)であるが、ほぼ1年ぶりの対面。
 氏は、最近、勤務先の社長が急逝し、やむなく社長を引き継いで、超忙しい毎日という。ともかく再会できて一安心。この週(4日間だが)も、取締役会、セミナー、実務部会、業務引継ぎ等、連日予定が詰まっており、とうとう、前職のOB会は欠席のやむなきに至った。

 7月最終週(この週が前職の勤務最終週)。月曜日は、思い切って休暇を取得し、メンバーコースでのラウンドを楽しむ。誰かの都合で予定されていた木曜日が中止になったためやむなく変更したもの。
 火曜日は、20年来お付き合いのある、A監査法人の代表社員KOS氏が主宰するセミナーに駆けつける。この日は他に2つの会議、セミナーもあったが、やむなく欠席。
 水曜日は、1日中業務引継ぎの後、夕刻に元取締役KAJ氏のご招待で、渋谷・宮益坂某所で会食。
 木曜日は、翌日の株主総会に備え、諸準備等のため、協会・理事会はやむなく欠席。
 金曜日は、L社勤務の最終日・株主総会が、日本橋の「東京証券会館」で行われ、同社における最終義務(報告)を果たした。終わって、AKS弁護士と懇談ののち、同社を離れた。2年5か月間の勤務であった。

 7月30日(月)は、六本木「新橋魚金」にて歓送迎会が行われた。この日、非常勤監査役2名のご出席をいただいた。特にKIT弁護士様は、私が在任中で初めて(最初で最後?)宴席にご出席いただいたことに感謝申し上げた。
 翌日、渋谷の某社(先日上場を果たした)に勤務している友人・KOD氏のご招待により、昼食会に招かれた。やっとこの度、マザーズに上場を果たし満足気であった。私とは、約10年の仕事上のお付き合い仲間である。8月に入り、1日は、ガバナンスのセミナーに出席、2日は、仕事仲間の勉強会・IPO研究会で「東陽町」の某社で半日会議・シンポジュームに参加。夜は会食。3日は、夕刻の会議を途中で退出し、横浜にて、送別会(MAT氏)に参加。「平沼・田中屋」という蕎麦屋さんだが、横浜駅東口から15分位の位置にある。つまみの料理よりも、最後にいただいたそばがおいしい。やっぱり蕎麦屋だ!。

 8月6日からの週では、新任の会社(初台にある)で、ルール、基準、計画等の作成に勤しむ。約2週間のパソコン作業は意外と手間取る。
 ほぼ新任地での業務立ち上げを終わり、18日~19日には、監査役業務の友人・WAT氏、HAS氏と連れ立って、箱根に1泊2日のゴルフ見学となった。「CAT Ladies GOLF トーナメント」を2日間見物した。(この件は、別途にブログ・アップした)
 22日(火)に、監査役仲間の「永世監査役会」なる初会合に参加した(於:メルパルク東京 18時)。70歳以上かつ10年以上の監査役経験者を参加条件とする件に関し、私は異議を唱えた。
70歳以上は賛成だが、かつ10年以上監査役勤続には反対。その理由は、監査役10年以上というのはそんなに多くはないだろう。世の中でそれほど価値があると認められるかどうかも疑問。それよりも、役員(取締役も含めて)経験通算10年以上なら・・・、というならわかる、というのが持論。それに、
取締役になれなかった人が監査役なら・・・、というケースも結構多いから、そういう見方をする人達からは、あまり賛同いただけないのでは? 等々、長いことが必ずしも尊い・立派であるとは限らないのでは?というのが私の意見。 私は、この会には不参加としたい。


 いろいろと忙しく、暑くて、嬉しかったり、辛かったり、カッカきたりと近来にない変化に富んだ夏であった。





 



父と二人三脚でつかんだツアー初優勝 孝行娘が叶えた父親の“夢 ”とは?

CAT Ladies 最終日◇19日◇大箱根カントリークラブ(6,704ヤード・パー73)>

トータル10アンダーで、ツアー初優勝を飾った大里桃子。プロテストに合格し、日本女子プロゴルフ協会入会からわずか23日でのツアー初優勝は、キャディを務める父の充(みつる)さんとともにつかんだ優勝だった。そして、ここに至るまでには、数々のエピソードがあった。



「こんなに早く優勝できるとは思わなかった。これからも一段一段、階段をのぼって行って欲しい」

大里のラウンドを一番近くで見続けた父は、娘の初優勝について、こう喜びを口にした。大里がツアー本格参戦を果たした今年、全試合でバッグを担いだ。ともにパットのラインを読み、時に叱咤激励をするのが役目だ。大里は「いつもケンカしています」と笑うが、父はこれを「意味のあるかけ合い」と表現。「尻に火をつけるために言っています」というのが意図のようだ。

父と母がともに体育教師という家庭に育った大里は、ゴルフ好きの父の影響で競技を始め、めきめきと実力をつけた。そしてプロになった娘をサポートするため、父は当時勤めていた専門学校を退職。キャディとして帯同することを決心した。

そんな父の教えは、こんな場面にもあらわれた。優勝を決めた瞬間、大里の顔は笑みで包まれた。その後も涙を流さなかったのだが、これは「ゴルフ場では涙を流すな」という父の教えがそうさせた。「たとえ負けたとしても、絶対に泣かず、悔しさを持ち帰って、練習場にいけ」。それが笑顔にあふれた優勝シーンを生み出した。

だが、そんな大里が一度だけ、ゴルフ場で涙を流したことがある。それが昨年のプロテストだ。最終テストで1打及ばず不合格となった大里は、父との約束を破り、その場で号泣した。「その日が母の誕生日で、『プロテスト合格をプレゼントにする』って約束していたみたい。その時は許しました」。充さんは当時をこう懐かしんだ。

実はこの優勝、父の“夢を叶えた ” 勝利でもあった。「CAT Ladies」の優勝者には副賞として重機が与えられる。父は、大里が小学生のころから「娘がこの大会で重機をもらったら、地元の農道を『俺の娘がもらったんだぞ』って言いながら運転したい」と言っていたのだとか。近いうち、地元・熊本の農道を重機で走る充さんの姿が見られるかもしれない(?)。

この日、娘は「ケンカもいっぱいするけど、これからもキャディをしてもらうので、仲良くしようね(笑)」と父に言葉を贈り、それを聞いた充さんは「いつも『クビにする』って言われてますけど」と笑った。“ケンカするほど、なんとやら”。これからも、父娘二人三脚のラウンドが続いていく。(文・間宮輝憲)

ALBA.Netのゴルフニュース(2018-8-19より)


「今年もまたCAT Ladiesトーナメントを観戦した。これで22回連続となる。スポンサー・CATの社員だったから仕方がないのかもしれないが、自分ながらよくぞ続いたものだと思う。
考えると、
あの第1回は、静岡にあるグランフィールズCCで行われたが、隣りの県(山梨県)に勤務していたから、半強制的に観戦に行った、いわばサクラ(?)のようなものだった。確か、ギャラリーは3,500人(3日間で)位のものだった。優勝者は、坂東貴代選手で当時22歳。残念ながら、彼女はその後勝ち星はない。その時の2位が、あの有名な、不動裕理選手だ。彼女は、第7回大会の優勝者だが、それよりも何よりも、数年後には賞金女王を連続6回も獲るという押しも押されもしない大選手になった。

 その不動選手は熊本県出身だが、大里選手も熊本の出身である。
今回は、親父さんと2人3脚の家内工業的ゴルフであった。聞くところによると、いつも毎試合、親父さんのキャデイーを頼んでいるとのことだが、いずれは、独立すべきだろう。アメリカで、畑岡奈佐選手がやはり母親のキャデーから独立して、立派にLPGAで優勝を果たしたように、大里選手もいずれ親離れをすべきだろう。その時に本当の実力が試される。頑張ってほしいものである。
 今回は久しぶりに、優勝者がホールアウトする場面まで見ることができた。それは、雨もなく、
涼しい程よい天気と、駐車場が近くだったので帰りの心配がなかったこともあったようだ。
 来年も盛況であってほしいものである。(ギャラリーは3日間で約12,000人とのこと)」





 人形町の交差点近くに“きしめん”とだけ書いた看板の店がある。ある日、懐かしいな、と思いながら入ってみる。店内は、右側に仕込み場があって、従業員が4名。受付兼供給をお一人でこなすお姉さん(娘さん?)。その後ろに主人らしき人が、きしめんを一人でゆでている。その横に、盛り付けを担当している奥さんらしき人。右隅の窓口には、洗い場と最後に大声で、“あざっす”と大声で客に礼の挨拶をするお兄さんがいる(息子?かも)。ひょっとして家内経営かしら?と想像させられる。私は勝手に、「きしめんカルテット」となずけている。

 向かい側は、5人掛けのカウンターと、7~8人の立ち食いカウンターのみ。右側が作業場、左側が客席という、いたってシンプルな立て付けである。テーブルはない。
 メニューは、暖かいのと冷たいきしめんONLYである。そのきしめんに、トッピングとして、タヌキ、キツネ、月見、かき揚げ、海老天、まいたけ、野菜天、玉ねぎ天などが温・冷それぞれにあって、ほかに付属として、おにぎり、いなりなどをオプションで置いてある。これだけあれば、1週間に、毎日トッピング替えたら、きしめんの好きな人なら飽きないだろう。

 ある日、私は、まじめくさって窓口の女性に特別注文を出したことがある。“とろろ”はありませんか? と申し出たのである。窓口の彼女は返答に困ったのか、奥の主人に話をつないだ。主人は恭しく挨拶をしながら、こう答えた。「すみません。あいにく”とろろ”は用意しておりません。あれ(とろろ)は、材料を洗って、皮をむいて、摺って~というように手間がかかるのと、保存が難しいのでやっていません。どうぞお許しください」と説明があった。私はすかさず、「とろろは、血圧の高い人には、降圧効果があって、健康食品ですがね」と申し上げ、それ以上は失礼だから申し上げなかった。

 「名古屋きしめん」は、今から約30年前に愛知県安城市にある、東海地区の拠点勤務時代によく食べた。この地区には、もう一つ「釜揚げうどん」という名物があって、寒い時期には釜揚げうどんをよく食べた懐かしい愛好品である。
 人形町で出会った「きしめん」屋さんは、文字通り主商品・材料はきしめんのみ。ちょっとしっかり目の硬さとたれが抜群にうまい。これを温めたり冷たくしたり、そしてそれにトッピングに客が好みそうな種類を用意しただけの商売だ。やりようによって、単一商品にバリエーションを考えた商売だけで、立派に経営をしている典型的な経営モデルを見た。
 その後、勤務先が変わって、「きしめん」屋さんが遠くなってしまったのが残念である。



(下の写真は人形町の「きしめん」屋さんの客カウンター席側壁面に掛けられている写真) 

 


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