2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 11月から12月にかけて、不順な天気が続いている。
 世界の情勢もいろいろ勝手な主義・主張の強い、自称世界のリーダー?が、世界を不穏なムードにしている。声のでかい(体も態度もでかいが)、自己中心的な男が、自分たち(自国)のことのみを考えた行動・政治のみに走っている。あれが、アメリカの総意だとしたら悲しいことだ。

 地球が温暖化していることで、地球のあちこちで悲惨な自然災害が出ている。それを阻止しようという世界各国の合意から抜け出してまで、自分たちだけの幸せを横取りしようとするような政策を平気で行う大統領を選んだアメリカの人民に、世界のリーダーを任せるわけにはいかない。

 もっとも、世界には他にも悪者(ワル)がアチコチにいる。アメリカのやっていることにことごとく対抗したと思ったら、一帯一路と称して、半強制的に開発してあげたようにしながら、返済不能となった開発途上国を“そこのけそこのけ”と自国の領土にしたり、どう見ても周りの国に近い海上に、埋め立てして基地を作るなどの暴挙は、どう見ても昔の海賊・泥棒行為だ。

 かと思うと、隣のある国では、もうとっくに仲直り・償いを受けたはずなのに、「いやこれは違う」と蒸し返して、日本のみならず世界の顰蹙を買っている国もある。

 そんな、こんなに一人で憤っているうちに、秋風が冷たく吹く頃になって、積年の疲れが出たのか? 
朝の起き掛けにやたらと腰が痛む。
 遊びすぎ? 運動のし過ぎ? それとも仕事のやりすぎ? ひょっとして寿命? どれも自己否定してきたが、もう2か月ほど経過しても、一向に改善する兆しが見えない。それでも9月に3ラウンド、10月3ラウンド、11月に入って2ラウンドを消化してきた。 だが、11月下旬になって、朝、起きるのに、這いつくばって、やっと起き上がる。とても人には見せられない。
 
 やむなく、11月下旬から、年内のゴルフ予約(1月3日を含み6ラウンド)はすべてキャンセルと相成った。友人たちには申し訳なく、ただただお詫びするだけである。
 今は、来シーズン?に向けて回復することを祈りながら、ウオーキングに精を出している昨今である。

 

 あまり食道楽ではないが・・・、楽しみは、やっぱり秋の味覚である。
秋の味覚の楽しみは、ブドウである。ブドウ王国(?)は山梨県で、その山梨で約10年間生活し、ともかく山梨産のブドウは、ほとんどすべて食べてきたと自慢できる。
 ブドウは(日本では)大体8月頃から始まる。
 デラウエア、藤稔、ピオーネ、巨峰、高雄、スチューベン、マスカット、シャインマスカット、ナイアガラ、ベリーA、甲斐路、甲州・・・などなど

 どれもおいしいが、特に、最近は新品種(品種改良して)が出回り、種無しとか、皮ごと食べられる種類が増えた。
 ブドウの最盛期は9月中と言われている。この期間がいろいろな品種が出揃うようだ。私は大体9月上旬に親戚・知人等に送付している。人によっては、待ってました!と喜んでくれる。送付先は、北は秋田から関西は広島まで、毎年ちょっと気持ちだけ送っている。
 送る品種は、ピオーネをメインに、スチューベン、シャインマスカット、甲斐路などの中から皮ごと食べられて、種無しのものを送付してあげると喜ばれる。(甲斐路はおいしいが、種があるのでちょっと歓迎されないようだ)

 ブドウの送付は、私が山梨に赴任したころから続いているので、もうかれこれ30年ほど続いていることになる。山梨産は全体に甘い・ポリフェノールがいっぱいで、喜ばれるている。
 そんな秋の味覚の交流(?)で、広島の友人からは、「牡蠣」が送られてくる。また、秋田の実家からは「リンゴ」がどっさりと送られる。そして、コメの収穫が終わった時期には、義妹から「秋田のお米・あきたこまちの新米」が到着する。それらよりちょっと前になるが、湘南にお住いの親せきからは、自宅の庭にたわわに実った「夏みかん」が送られる。こうした秋の味覚の交換・交流は、楽しい季節の便りでもある。お互いに戴くたびに、楽しい会話が交わされて、秋の風物詩となっている。

 果物でいうと、季節的には、
   9月・・・・・ブドウ
   10月・・・・・ 柿
   11月・・・・・ 栗 
   12月・・・・・りんご
 ではないかと思う。
 今年は、柿をよく食べたと思う。
産地でいうと、和歌山産、岐阜県産(富有柿)、福岡県産、新潟県産、山形県産(庄内柿)、山梨県産(あんぽ柿)などである。柿も、出来たら種無しが良い、と思うのは私だけではないだろう。
 柿も糖度が高いので、あまり食べすぎないように気を付けたい。とはいえ、今年の私はといえば、10月~11月は、果物といえば柿のみであった。甘いものはともかく我慢して、柿・柿・柿の毎日であった。ちょっと血糖値が心配だが、・・・本当においしいのです。
 祖母が健在だったころ、田舎の庭の柿を送ってくれたのを思い出しながら、やっぱり柿が一番!
です。もう少し食べ続けます。




 <NーCAFEさんお世話様でした>
 もう20年も通っていた、自宅近くのコーヒーショップ、N-CAFE さんが、先日、突然閉店した。その1週間ほど前の日曜日にいつものように立ち寄った時、注文カウンターの上に、「閉店のお知らせ」が置いてあるのに驚いて、「エッ、閉店するんですか?」と、顔見知りの女子店員さんに思わず聞いた。「はい、急に決まったそうですが・・・」と寂しそうに答える。
 
 私にとっては、休日の憩いの場所であった。ちょっと値段が高いのだが、その分、学生の勉強コーナー(?)にもならず、おばさんたちのおしゃべり室(失礼!)にもならず、わずかに、家族や友達同士(恋人同士?も)の軽食・喫茶や、語らいの場として、あまり大声もなく、そして何よりも、2階まで吹き抜けの解放感と、円く天井までガラス張り180度の明るい窓と、その円形に沿ってガラスで仕切られたテーブル席が8室あって、すべての席から外の景色(180度の街並み)が見渡せて、コーヒーを飲みながらゆったりと過ごせるというぜいたくな店内、見た目も華やかで、その他の席も変化に富んだテーブル席やカウンター席のミックス・変化が素敵で、BGMがちょっとしたなごみの雰囲気を醸し出す、素敵なコーヒーショップで、昔、行ったことのある、シアトルの上品なコーヒーショップに似た、落ち着きのある上品な店という感じだった。私にとっては、気に入ったコーヒーショップで、少なくとも、このコーヒーショップは、この町で一番!  と自慢できる店だったのに大変残念である。お客さんもそこそこ入っていたから、採算の問題でもなかろう。
 この店を追い出して、どんな店ができるのだ! と多少の憤りと虚しさがつのる今日この頃である。
 

32年ぶりの再会】

 過日、静岡(浜松)に出張の機会があった。12日の業務を終えて、その日の夕刻に、名古屋まで足を延ばして、愛知県に居住している昔の会社同僚・友人2人及び同じ時期に業務上でお世話になった弁護士U氏と再会を果たした。

 (私を含めて)4人は、仕事上もさることながら、仕事を離れて、時々食事や旅行、またU氏を除く2人(A氏とK氏)は時折GOLF遠征なども楽しむ仲間・お付き合いがあった。

 

 会社の同僚のA氏、K氏とは、飲み会も結構頻繁(?)にあったし、勤務場所が変わっても、時々、集まっては、宿泊込みでGOLF+宴会を楽しんだ仲である。そんな我々に、時折、弁護士U氏も合流することがあった。氏はGOLFには興味がなく、専ら一緒に旅行(温泉+宴会)を楽しむのが中心だった。

 

 そんなU氏が登山を趣味としていることを知ったのは仕事上でお会いして間もなくの頃だった。当時、私も少しは登山を続けていたので、お会いすると自然に山の話になった。その頃45歳。氏は確か345歳だったと思う。

 この時期、私は、勤務地の名古屋から(他の登山仲間と)北アルプスの唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺が岳の縦走に参加したり、冬は、岐阜方面のスキー場や山形・蔵王へ車でスキー旅行するなど、まだ体力があり元気があった。

 

33年前の剣岳縦走】

 

そんなある日、U氏から北アルプス剣岳縦走のお誘いがあった。名古屋からの剣岳遠征は、なにしろアプローチが長く、少なくとも45日は必要と思われたが、氏からの提案は、名古屋・小牧空港から富山空港行きの、夏季シーズンだけ運航するコミュッター航空を利用するものだった。航空機利用で1日は短縮できる勘定だった。そして私にとっては生まれて初めて(?)の航空機利用の贅沢な登山計画であった。

 

 こうして二人は、夏山・剣岳縦走を決行することとなった。出発の日、名古屋市の某所(確か、栄通りの裏通り周辺だったと思う)で待ち合わせをして、U氏の奥さんの運転する車で、小牧空港へ向かった。彼は、空港でちょっと心配そうに見送る奥さん(確か結婚間もなかったと思うが…)と、しばしのお別れをして機上の人となった。

 小牧空港からの飛行機は8人乗りで、結構揺れがあった。それでも北アルプス上空を通過するときは、懐かしい飛騨山脈(穂高連峰など)を眺めて、1時間半で富山空港に無事到着した。

 

 それからは富山空港からバスで立山・弥陀ヶ原を経て剣の山へ入る。その後の3日余りは、岩壁の登り下り、そして有名なカニのタテバイやカニのヨコバイ等を必死の思いで通過し、とうとう剣岳の頂上に立つ。その瞬間に彼は思わず万歳三唱したのを思い出す。頂上を極めてからも引き続き難行は続く。それから数時間して、やっと岩から解放されたのもつかの間、その後は、延々と続く剣沢の雪渓を下る。雨混じりの天気に雪渓下りにも難渋させられる。時折、雪渓道が不規則に切断されて、道がよく分らない等に悩まされながら、やっと3時間半の雪渓下りから解放されて、夕刻、露天風呂にたどり着く。長い長い1日が終わり、山小屋(阿曽原小屋)で疲労困憊して眠りこけた。

 

しかしここで安心はできない。明日はこの先にさらに、昔、黒部ダムを建設したときに工事関係者が通った道幅6070センチほどの狭い、危険な山道<水平歩道>という道が延々と10数キロも続く。水平とは言うものの、高さ78百メートルの岸壁の真ん中を削っただけの狭い道だ。上下には数百メートルの断崖絶壁が続く。下を見ると、200300メートル下を黒部川が流れ、上を見るとやはり数百メートルの断崖絶壁が続く。およそ13キロ余りの水平歩道を、慎重に下る。ともかく、「落ちたら死ぬ!」そんな思いを8時間余り考えながら慎重のうえにも慎重に歩く。そのうちU氏が足の痛みを訴える。3日間の岩登りと雪渓下りと断崖歩行とでとうとう足の疲労による急性関節炎に悩まされている。

 

私も昔、北アルプス槍・穂高連峰縦走で経験したことがあるが、片方の足に急性関節炎が出ると、いずれもう片方にも炎症が起きる。こんな狭い断崖道では、手も足も貸せない。多少荷物を手伝ってあげるも、ともかく一人で歩いて頑張ってもらうしかない。それにしてもともかく足を踏み外してはならぬ。歩くスピードは遅くなってもとにかく一歩一歩確実に歩くしかない。励ましながら、慎重に歩いて、とうとう水平歩道を抜けた。あとは、欅平(けやき平)まで、山道を下るだけだ。彼は、歯を食いしばって下山した。そしてやっと欅平に到着。二人は固い握手を交わした。彼の眼には涙が光っていた。

 

秋の夜長、私達4人は久しぶりに名古屋で再会し、盃を交わしながら、そんな30数年前の思い出を語り合った。

誰かが言った。「朋あり 遠方より来る また楽しからずや」

<有朋自遠方来、不亦楽乎?> 孔子


下半身をダイナミックに使う畑岡(C)日刊ゲンダイ

スポーツの秋たけなわの11月4日(日曜日)。世界の各地でいろいろなスポーツが行われていて、テレビやNETニュースの観戦で忙しい1日であった。その中で嬉しかったニュース(私の偏見だが・・・)が二つある。その一つが、日本で開催されたアメリカ女子プロゴルフ(TOTOジャパンクラシック)のトーナメントで、日本から参戦している畑岡奈佐選手が優勝したことだ。
 そしてあと一つは、スエーデンで行われた、卓球のITTFワールドツアー・スウエーデンオープンで、伊藤美誠(ミワさん)選手が、世界ランク1・2位の中国選手を倒し、女子シングルスで優勝したことだ。テレビを見ながら、二人の活躍にひとりで歓喜した。以下は、NETニュースからCOPYさせていただいた。


【TOTOジャパンクラシック】

 日本で唯一開催される米女子ツアーの今大会は、4打差3位発進の畑岡奈紗(19)が67で回り、逆転で今季2勝目を挙げた。

「今年は米国で初優勝して、その後も優勝争いをしたけど、なかなか勝てなかった。この試合で勝ちたいという気持ちもあり、結果を出せたのはうれしい。成長した姿を見てもらいたいというのがあった」(畑岡)

 この日は10番までに5バーディーを奪い、通算14アンダーに伸ばして単独首位に立っていた。

 ところが11番、12番と連続ボギーを叩き、C・シガンダに並ばれ嫌な流れになりかけた。しかも、続く13番でもティーショットを左ラフに曲げた。つま先下がりのライから164ヤードを7番アイアンで打ったがグリーンに届かず、28ヤードのアプローチが残った。そこで畑岡はPWを手にしてピン上1メートルにつけ、パーで切り抜けた。

 そして直後の14番バーディーにつなげて再び息を吹き返したのだ。

「3連続ボギーになると立て直すのはすこし難しかった。13番はグリーンが受けているので、58度や54度のウエッジではピンに寄らない。PWで転がす方がライン出しができるしイメージしやすい。米ツアーに行ってから、やらなければいけないと覚えた」(畑岡)

 タフな設定の米ツアーで戦うには、飛ばすだけでなくアプローチでも多彩な技が要求されるのだ。

■「下半身の使い方がまったく違う」

 本大会7年ぶりの日本人優勝だが、畑岡は日本ツアーの女子プロとはスイングも違う。

「下半身の使い方がまったく違う」と田原紘プロがこう解説する。

「だれが見てもわかるように、小柄な畑岡(158センチ)はインパクトで左足が勢いよくジャンピングしています。トップからクラブと腕は下へ動き、左足は上へという相対運動によって、パワーを効率よく最大限に引き出している。それを可能にしているのは下半身を大きくねじり、つられるように上半身が動いているからです。上半身より下半身のほうが大きく動いている。だから上半身に余分な力みがなく、ヘッドを走らせることができる。ところが、多くの日本人プロは逆。下半身をなるべく動かさずに、テークバックは左肩を右足のほうへと上半身が大きく動いている。するとトップから手が遠回りして、インパクトに合わせにいってしまう。それでは飛距離、方向性とも畑岡にはかなわない」

 畑岡が米ツアーに本格参戦したのは、昨年からだ。2016年日本女子オープン(栃木・烏山城CC)で初優勝する前に、米ファーストQTを通過している。

 その時、すでに2020年東京五輪出場を目標に掲げていた。世界ランクが五輪出場資格を左右するだけに、ポイントが高い米ツアーで稼ぐしかないと厳しいフィールドに乗り込んでいったのだ。

 勝ちたい試合でしっかり結果を出すメンタル面の強さも、多くの日本人女子プロとは違うことがよくわかる。・・・以下省略

 卓球】またも化けた伊藤美誠。中国の研究を振り切る進化のスピード

   (11/5(月) 配信 スポーツ報知より)

 

コピー選手は育成不能。中国を3大会連続で破ったことの価値

 スウェーデンオープンというひとつの大会を戦う中で、別人のようなプレーを披露した伊藤。もちろん、それは継続的な強化の賜(たまもの)だが、ひとつの大会の中で苦戦を乗り切り、無心に戦ううちに「ゾーン」に近い集中状態に入り、恐ろしいスピードで進化していく凄みが伊藤にはある。
 朱雨玲との決勝後、ITTFのインタビューに対し、「目の前の1ポイントにものすごく集中していて、気づいたら試合に勝っていた。信じられないです」と語っている。ワールドツアーで史上最年少優勝(当時)を果たした、2015年のドイツオープンでのプレーも圧巻だったが、今大会で再び「化けた」のだ。

 この伊藤の優勝が、中国に与えた衝撃は計り知れない。中国のメディアはこぞって伊藤の優勝を取り上げ、中国の大手ポータルサイトのスポーツページである『新浪体育』は、「狼がやって来た! 伊藤の前になすすべなく敗れた中国チーム、朱雨玲の惨敗には失望した」と見出しをつけた。中国チームに長年帯同しているCCTV(中国中央電視台)の李武軍氏は、自らの微博(マイクロブログ)でこんなコメントを発し、警鐘を鳴らしている。

 「伊藤美誠の打法はより先進的で、より速く、より威力にあふれていた。そして最も恐ろしいことは、今のところ国家チームは伊藤美誠に対抗する方法を見つけられていないということだ」

 これまで、海外のライバル選手に対して日々研究を重ねながら、ナショナルチームの若手選手にその打法を模倣(コピー)させ、対策に余念がなかった中国。実は今回のスウェーデンオープンにも、伊藤の「コピー選手」である張瑞という同じプレースタイルの選手が出場していたが、技術のレベルと幅の広さは伊藤の足下にも及ばないというのが現実だ。

 卓球大国・中国が最も嫌うのは、同じ海外選手に二度続けて敗れること。17年アジア選手権で平野美宇が中国選手を連破して優勝を飾った後、中国は平野のプレーを徹底的に研究し、その後は中国のトップ選手は平野に敗れてはいない。一方、伊藤は5月の世界選手権団体決勝、6月のジャパンオープン、そして今回のスウェーデンオープンと、3大会続けて中国を破った。大会のグレードで言えば、伊藤のスウェーデンオープン優勝よりも平野のアジア選手権優勝のほうが価値は大きいが、中国に与えた衝撃は同等か、それ以上と言える。

 中国でさえコピー選手を作れない伊藤美誠の独創性と、中国の包囲網を突き破る進化のスピード。11月7日から開催されるITTFワールドツアー・オーストリアオープンに、中国は再びフルメンバーで臨み、全力で伊藤を攻略しようとするだろう。石川佳純、平野美宇、早田ひなといったライバルたちも黙ってはいない。古都リンツで開催される「強き女たちの戦い」が、今から楽しみだ。

 ・・・以上、スポーツの秋の金メダル女子二人です!

 

 



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