2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
[116] [117] [118] [119] [120] [121] [122] [123] [124] [125] [126]
【第4日目】(6月4日)
・朝1番でアルハンブラ宮殿に向かう。宮殿の周辺には木々が多く植えられていて、早々から打ち水をしている。そういえばこの辺は極端に降水量の少ないところである。宮殿前を歩きながら打ち水の霧状の粒が顔にあたって気持ちがいい。(朝から30度以上の天気でした)

≪アルハンブラ宮殿≫
・紀元前5世紀頃、ローマ帝国支配下の都市として歴史上に初めて姿を現したグラナダは、イスラムの支配下に入った8世紀以降も発展を続け、やがて13世紀、ナスル朝グラナダ王国によってその繁栄は絶頂期を迎える。アルハンブラの建築が始められたのもこの頃だ。
 その後、15世紀末までの250年間、グラナダ王国は経済・文化・芸術など多くの分野で隆盛を極めた。1492年、キリスト教徒の手に落ちるが、781年に亘ったイスラム支配の影響が色濃く残されている。(写真は、アラヤネスの中庭)


<へネラリーフェ>
・14世紀初期に整備されたグラナダ王の夏の離宮。王宮の東、徒歩10分の場所にある。水をふんだんに利用した庭園「アセキアの中庭」(アセキアとは水路のこと)は、全長50m程の縦長の庭の中央に細長い水路が設けられ、左右に並ぶたくさんの噴水から水が絶え間なく降り注いでいる。


・アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェの庭園を見学して、グラナダを後にしミハスに向けて出発した。
 昼食は、途中のサービスエリアにあるレストランで、“イカの炭焼き”であった。

≪コルドバ≫
・コルドバは、紀元前のローマ植民地時代からアンダルシアの中心だった。8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、後ウマイヤ朝が成立すると、コルドバは、ヨーロッパ・北アフリカのイスラム教国の中心として大きく発展した。929年ラフマーン3世の時代にコルドバは最盛期を迎え、当時の人口は100万、モスクの数は300を数えたという。文化的にもイスラム、キリスト、ユダヤの3つの文化が共存し、世界の中心と言えるほどの隆盛を迎えた。
 イスラム圏からは貴重な文献が持ち込まれ、アリストテレスの名はこの街の資料によって、ヨーロッパ世界に知られるようになったと言われている。

<メスキータ>(スペイン語で「モスク」の意味)
・メスキータはイスラム教徒が建てた(780年)建物で、メスキータを背にして、その前がユダヤ人街。小路が入り組み、その両側に白壁の家が並び、「花の小路」と言われている。
 重量を分散して、天井をより高くするために2槽式にしたアーチの赤白の模様(写真上)は、白色の石と、赤色のレンガを交互に組み合わせて作られている。

・コルドバでは現地ガイドが案内してくれた。
 最盛期には約1000本余りあったと言われる、アーチ状の柱には、所々に建築に携わった職人のサインが彫られている。約800年前の跡には驚かされた。ともかくイスラム建築の偉大さには脱帽です。
 メスキータ見学の後、旧市街の“花の小路“と言われる狭い通りを歩く。長い歴史の中で、イスラムとキリストとユダヤとの共存していた街並みには、歴史の重みが感じられる通りでもあった。

・コルドバから約200K余り走って、本日の宿泊地グラナダに到着したのは、夜の8時半過ぎであった。
 9時より夕食。間もなく飛び入りがあって、地元のグラナダ大学の学生バンド5人が登場。「1曲いかがですか?」と・・・YESともNOともいわぬうちに早速歌い始める。どこかで聞いたような曲を立て続けに3曲歌いまくる。演奏が終わったところで、マネージャーらしき学生が、自分たちの曲が入ったDVDを売りつける。聞いてしまった手前買って上げるしかない。ハイ10ユーロでーす。でも、とっても明るくて若々しくて気持ちのいい学生達でした。
 

 
【第3日目】(6月3日)
・トレドからコルドバに向かう。コルドバから更にグラナダまで約550キロの長丁場である。
 トレドから約65キロ(1時間半)、どこまでも続く褐色の大地の中に、小さな丘にあるコンスエグラという街に着く。「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方の街だ。丘の上までバスが行ける。周りは地平線まで褐色の大地だが、この丘だけは盛り上がるように、そしてその頂上に白い風車群がまるで作られた観光地のように立っていた。この地域の主要農産物は“サフラン”という。

・そのあと、約1時間ほど走って、とある町でオリーブ工場を見学する。今日は日曜日だったので、工場はお休み・・・でしたが、それでも開けてもらう日本の観光団?
やがて女性の社員(家族かも?)が来て、工場の中で、ビデオで簡単な説明をしてくれる。ついでに、売店に連れて行き、お土産のオリーブ油などを販売する。
 その足でレストランへご案内・・・・行ってみると同じ経営者(家族経営?)です。
日曜日だけど、工場の簡単な説明して~お土産販売して~併営のレストランで食事・・・とシッカリしている。食事は、出来たてのオリーブを贅沢に使った、肉と野菜のミックス(名前は不明)であった。

・<パラドール>とはスペインの国営ホテルの総称。全国に91か所ある。
トレドのパラドールは、なんといっても古都トレドの町全体を見渡せる大パノラマにある。(予約の難しい理由がよくわかる)
 夕食前の2時間はフリータイム。シャワーは夕食後とすることにして、まだ明るい日差しの残るテラスで、ビールを飲みながら景色をゆっくりと堪能した。
 夕食(21時から)もまだ明るさの残るレストラン・テラスで、“イカの蒸し焼き”を。とても美味であった。このレストランが、宿泊者のみならず、一般の旅行者がわざわざ立寄るという訳が頷けた。ライトアップした夜景も素晴らしい。

<トレドへ向かう>
・この日の昼食は、マドリード市内やや裏通りにある、とあるレストランで「ガリシア風ブタ肉炒め」。地元(のはず)のガイドさんが、何を勘違いしたか、地下入口を間違えて隣の店にどやどやと入る・・・あわてて全員引き返すというハプニング付の昼食であった。


・昼食後、トレドへ向かう。約2時間余り、その間の景色は行けども行けどもオリーブ畑一色。この国にはオリーブ以外の農産物はないの?・・・単調な景色であった。
やがて、トレドに近づくにつれて多少起伏のある地形と、遠くに古都トレドが見え隠れしてきた。

≪世界遺産トレド≫
・ローマ時代には一城塞都市だったトレドは、6世紀に西ゴート王国の首都となって大きな発展の道を歩み始める。711年にはイスラム教徒によって征服され、さらにレコンキスタ(国土回復運動)の流れの中で、1085年、アルフォンソ6世によって再征服される。この間、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒それぞれの文化を融合させることで形作られ、特に建築物に与えたイスラム文化の影響の大きさは計り知れないものがあるという。

<トレドを歩く>
・バスは街の麓までしか行けない。下車して、長ーいエスカレーターで街の入口へ着く。トレドの町は、坂道が多く足の弱い人にはなかなかの難行となる。(約3キロ余りの坂の上り下りとなる)
 トレドのカテドラル(大聖堂)は、スペインの主席大司教座がある大教会。カトリック教会の総本山のような存在であり、1226年着工、完成は1493年という年代物。その後、増改築を繰り返し今に至っている。見どころは、エル・グレコの「聖衣剥奪」などの絵画が展示された聖器室や、イザベル女王の王冠が見られる宝物室など。主祭壇裏にあるレリーフ「トラスバンテ」の大理石の浮き彫りが見事でした。
 サント・トメ教会は、エル・グレコ作「オルガス伯爵の埋葬」がある教会。
 約2時間余りの市内見学の後、18時頃、パラドールに到着しこの日の行動は終了した。











 



カレンダー
05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新CM
[06/27 平和の灯]
[07/09 NONAME]
[04/09 エリ]
[04/08 harenov]
[04/08 エリ]
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析