2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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≪第2木曜会の楽しみ≫
 今年の5月から、毎月第2木曜日にゴルフを楽しむ会が出来た。私は毎回とはいかないが参加することにしている。10月で3回目だ。
 4人とも70歳台で私が最年少だ。発起人は前前職場の先輩TAJ氏。他のメンバーは、元三菱GP会社のISM氏、元郵政省官僚のKWN氏。それぞれ一対の知人がつながった仲間だ。即ち、STTIIK・・そんなつながりだ。
 不思議なもので、何度か会ううちに慣れ親しみがわいてくる。前回、9月度のプレー後の帰り道、『そのうち一杯飲みましょう』ということになって話はトントンと。『では次回、プレーが終わってから町田で・・』と決まる。
 
10月はある人の都合で第1週目になって、プレー終了後、4時に町田駅近辺に集合とした。この日は、スタートが8時だったので、プレー後に一汗流してクラブを出たのが2時半頃。予定の4時を繰り上げて3時30分から、『プレーオフ会(飲み会の別称)』が始まる。
 プレーオフはせいぜい3時間位と思って、私は次の予定(夜)を入れていたのだが、最近の御年寄(先輩達)は元気がいい。プレーオフも延々と続き勝負付かず(?)。しからばとカラオケで勝負しようということになってホール(?)を移動することとなった。時刻は夕刻6時前。私の行きつけのスナックはまだ開店前だ。マスターに願いこんで、「6時半過ぎなら開けます」という快諾を得てプレーオフ第2ラウンドへ。
 
 もうすっかり出来上がっているのだが、少し飲みながらやがてカラオケ合戦が始まる。お店は貸し切り状態だから次々と回しマイクとなる。それぞれ始めて腕前ならぬ喉(のど)前を披露する。因みに、ISM氏は演歌調だがかなり歌い慣れている。KWN氏は民謡を習っているとかで本格的な民謡調で、声量もあり、沖縄民謡を始め素人はだしだ。そして、TAJ氏は昔からよく知っているが、ハワイアンとカントリーミュージックの名手だ。私は、あまり得意なジャンルがないので、昔、TAJさんとよくハモっていた曲を3曲ばかり披露して・・。
 皆盛り上がって、それぞれ褒め合って・・・でもカラオケはやっぱり自己満足の世界みたいだ。歌っている本人が満足するのでなければ楽しくない!。最近あまりカラオケに情熱が湧かなくなってきた私は、・・・・・・なんとなく、元気な年金族にプレーオフで負けたような気分・・でした。
 

 長時間のプレーオフもやがて一人帰り、二人帰りして・・・やっぱり午前様でした。
<時間の使い方は、命の使い方>
「一人前の修道女になるためには、数年の準備期間があり、30歳近くで入会した。・・・20代の若いアメリカ人・百数十名と、ボストン郊外の広大な修練院で修行していた1年間のある日のこと」。
 
「その日は夏の暑い午後だった。私の割り当てられた配膳の仕事を食堂で果たしていた。百数十の皿、コップ等を長机の上、パイプ椅子の前に一つひとつ並べてゆく仕事を、沈黙のうちに手早く行っていた時だった」。
 
「突然、『あなたは、何を考えながら仕事をしているのですか』と厳しい顔をした修練長の姿があった」
「『別に何も』と答えた私は、『あなたは時間を無駄にしている!』と叱責された。命ぜられたことを、命ぜられたようにしていたから戸惑いを隠せなかった」。
 
「修練長は、そんな私に今度は優しく諭すのだった。『時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。同じ仕事をするなら、やがて夕食の席に着く一人ひとりのシスターのために祈りながら並べてゆきなさい』。何も考えないで皿を並べるなら、ロボットの仕事と同じだ。『つまらない』と考えて過ごす時間は、つまらない人生しか残してゆかない。同じ時間を費やすなら、一つ一つの皿を並べる時に、『お幸せに』と、私にしかこめられない愛と祈りを込めて並べて、始めて私は愛と祈りの人生を送れるのだということを、その日、その時、教えられたのだった」。
 
「時間の使い方は、命の使い方、この世に“雑用”という用はない。用を雑用にした時に、雑用が生まれるのだということを、心に叩き込まれた修練院の一こまであった」。
 
「仕事を“する”doingも大切だが、どういう自分かというbeingを忘れてはいけないのだ」
   【文芸春秋10月号 「雑用はない」(筆者 渡辺和子氏 ノートルダム清心学園理事長)より抜粋】
 
毎日のように、法令・定款、責任・義務だとか、監視・検証等々の活字に囲まれている私には、とてもホッとし、心休まる話でした>

  平成24年9月26日 土曜会・宿泊コンペ一同(於 塩山CC)

≪土曜会の集まり≫

 もうかれこれ7年余りとなるゴルフメンバーコース“相○野CC”に、「土曜会」なる同好会がある。私が入会したのは約3年前だが、発足したのは約30年も前の話だという。
 一人で(これをフリーという)ゴルフを楽しみに来る人たちがいて、そのうちそんな人達が相寄って、同好会を作ったのだという。その中には、『シングルを目指す会』なる集団もいたのだそうだ。発足当初はみんな若いサラリーマンが中心だったが、今やその人達もほとんど現役引退・年金生活者がほとんどだ。
 毎週日曜日の10時から、3週先の土曜日の予約取りをするのが会員の義務。
予約を取ったら、事務局(会長K氏)に連絡する。K氏より予約取得状況が会員に連絡され、出場希望者がK氏宛に申し出る。やがて組み合わせが皆に連絡される。それを受けて、予約者が、あらためてメンバー登録をし直す。
 毎週土曜日の参加者は、3組~7組程度ある。毎週参加の人も何人かいる。その他の曜日にもプレーし、年間100ラウンドを越えてクラブから表彰を受けたメンバーもいる。
2回は土曜会のコンペが行われる。そういう時は予約取りが10組位となる。
 今会員は約50名。コンペの時は30から40人の参加となる。メンバーの顔合わせにはいい機会である。私も積極的に参加することにしている。
 
 今年の夏のこと、『たまには泊りがけの土曜会やりませんか?』という提案があって、一も二もなく賛成!・・・という人達が3組集まった。
 日時は、9月下旬のウイークディ。場所は、当クラブの姉妹コースで山梨にある“塩△カントリー”、宿泊はこの地で有名な石和温泉と決定。
「次の日はどうする?」という意味ありげな提案に、勿論ラウンドです。
やりたい人だけは2日目もラウンドする2組と翌日帰宅の1組になった。
 
 山梨遠征の当日朝7時に相○野CCに集合。2台に分乗して出発。ほかに現地直行した人達もいた。このうち1台は高速道路の降り口を通り過ぎて引き返すというハプニングもあったが、無事予定通りの試合開始となった。
 11人でミニコンペ方式でのラウンド。狭いフェアウエイとアップダウンの激しい山岳コース。それに超高速グリーンに悩まされた人が多い中で、元このコースのメンバーであるTKK氏が見事優勝。私はというと、42・46、ハンデ12で真ん中くらい。
 プレー後は、みんな着のみ着のままで石和温泉に直行(約30分)。温泉で汗を流して宴会は630分開始。始めての宿泊土曜会だが、いやが上にも盛り上がり、中にはお銚子10本をお替りする豪のものも・・・。(私もその一人だが)
 宴会が終わると三々五々と思いきや、カラオケ組と飲み直し組に分かれて第2ラウンドとなる。約2時間後に再び部屋に合流し、第3ラウンドが始まる。こういう場面は、会社関係ではない、利害関係のないいわば趣味の仲間なのでまったく気兼ねなしで話が弾む。やがて、夜も更けて解散となる。その後自分達の部屋に戻ってひと風呂浴びて、のどが渇いたと4人でビールを飲みながら歓談する。ほぼ12時過ぎの就寝となる。
 年寄りの朝は早い。5時過ぎには朝風呂に集合。朝食を元気に食べる人もいるが、食べない(食べれない?)人もいる。ともかく730分にいったん全員集合し、帰路の人(3人)と2日目のラウンドに向かう人(8人)とに分かれて解散する。
 
 2日目のラウンドは、近くの“春日ICC”で815分スタート。天気晴れ。
トリッキーなコースながら前日のコースよりややフェアウエーが広い。ただしグリーンは前日よりもかなり遅いためショートする人が多い。それと皆さんそれぞれ前日の疲れ・前夜の酔いとが影響してか(?)、思い思いのスコア。中にはグリーン周りで思わず“ゲッ!ゲッ!”・・・苦しそうでした。
 私も疲れ・寝不足が祟り、44・46がやっとのあり様。
 
 平均的に、遠慮会釈なく、年甲斐(参加者の平均年齢約68歳)もなく騒ぎ・はしゃぎ合った2日間でした。
 元気な老人達! また来年やりましょう!


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上:「M社伊豆高原荘」自慢の料理「大漁・舟盛り」を前にご満悦のF
ご夫妻。

 

右: 敬老の秋・伊豆高原にてゴルフ三昧!  幸せ一杯の、Fご夫妻と・・・・・・・。










「“敬老”の秋の元気情報」です
 敬老の日を過ぎて、ようやく秋らしくなって、今日(9/23)の最高気温は、東京で20°ちょっとという。先週までは確かに30度以上が続いていたので、夏には強い、と自慢する私も(涼しさ)まだかなーと思っていたら、いきなり20度である。この土・日は祝日含みの連休で、ゴルフの予定もなく久し振りにゆっくり読書の休日である。
 
<郷里の大先輩の話>
 毎月読んでいる文芸春秋10月号に、私の母校(秋田県立横手高校)の大先輩M氏が執筆した記事が掲載されていた。題して、『人生を変えた伝説の名授業』とある。
M氏は、旧制中学(現横手高校)3年生の時、(のちの作家)石坂洋次郎先生が国語教師として昭和4年に赴任した時、卒業までの3年間、教えを受けたのだという。以下は氏の思い出話の一部である。
 
「石坂先生は、体が細く、声もまた夜飛ぶ蚊の羽根音のような小さい声だったから、あだ名は「夜蚊」(ヨガ)。
「当時の席は成績順となっていて、一番後ろが優秀者。壁に近いから連中は、『壁アタマ』と呼ばれていた。成績の悪い生徒は先生の近く、前の席に座らされている。彼らは(先生の質問に)当てられないように、居心地悪そうに下を向いているのが常なのですが、石坂先生の授業の時だけは、顔を上げるようになり、直に『当ててくれ』と言わんばかりの明るい表情になって行きました」。
「先生が作り出した威圧感の無い、開放ムードだったと思う」
 
 「当時、週末になると、5年生が下級生を体育館に集め、風紀指導という名のもとに、態のいい『下級生いじめ』をやっておりました。ある時、下級生を糾弾している最中に、監視役として現れた石坂先生。「ヨガの出る幕じゃねー」という罵声。先生は、怒りを全身で表わしながら2歩、3歩と風紀委員に近づいて行きました。理(ことわり)を入れなかった。けれどその無言の迫力で睨みつけ、ついに悪童らを黙らせてしまったのです」。
 
 「先生の指定した題で書いた作文には、(自分の手元に残っているものには)すべてに先生の評価と感想が書き添えられています。・・・生徒たちが、皆はりきって頑張るように、実は石坂先生、どの生徒の作文にも、高い評点を与えて褒めていたのではないか・・・そうにらんでおります」
 
 「石坂先生が86歳で亡くなってからもう四半世紀。この教え子(M氏)は、今年97歳になりました」
 
石坂洋二郎先生が母校を去って、・・20年後に私は同校に入学しました。
先輩や教師から、時々石坂先生の話を聞きました。「夜蚊」(ヨガ)のあだ名のこと、そして痩せているので、「ハッタギ」(イナゴの方言です)とも言われたと聞いています。・・・晩年は少し太られていたと聞きますが。
 先生のベストセラー小説、『若い人』、『青い山脈』、『山と川のある街』などは、あの頃の横手地方をモデルにしたとも言われ、青春小説として私も愛読しました。
 大先輩M氏は、私の実家から100メートル位の場所に住まわれており、私が小学校4年生から現在まで(およそ60年)、この地方で週刊新聞《たいまつ》を発行し続けているジャーナリストとして活躍中である≫
 
 
<前々職場の先輩からの便り>
 突然携帯に、長―――いメールが到着した。経理部時代の先輩である。
 あれは確か今年の春頃、30年振りに再会した。その折には、仕事(自営業)の合間に、釣りと畑(園芸)をやっていて忙しく立ち回っているとの話であった。そういう動きまわっている人は健康そうで生命力を感じさせる。
 
 メールによると、「今日は、久し振りに朝から雨なので屋外仕事(最近は、園芸のほか、土木や木工も趣味でやっているとか)はお休みして、近況報告をします」という。
 「今、温室小屋を制作中です。市販のものは少し小さいので、自作でもう少し大きめのものをと考え、扉をどうするか、壁はどうしようか、通風は、温度コントロールはどうするか・・・・・・等々思案中である」と長々と苦心談を紹介。
ともかく研究熱心、行動派、元気溌剌に動きまわっている様子がうかがえる。
 
 こういう家庭回り、農作業、土木作業等が全く苦手な私には、・・・よくやるよ―――と脱帽するしかない。
 間もなく75歳の後期高齢予備軍の先輩だが、仕事+趣味を見事に調和して、
溌剌の人生を送っている。・・・・ウーン参った―である。
 
 
<敬老の日連休はゴルフ三昧>
 久し振りに連チャンでゴルフしました。
 1日目(土)は、いつものメンバーコースで会員さん達とのラウンド。朝から曇りがちの天気であったが、後半の5ホール目でついに雷と突然の豪雨に見舞われて、しばしカートの中で傘をさしながら待つこと15分。やっと小降りになりプレー再開。谷越えのショートホールのグリーンには大きな水たまりが・・・。
それでも構わずショット。これが見事にフックして哀れ、ボールは林の中に消えた。他のメンバーでワンオンした人もいたが、パット不能。もう私は戦意喪失状態。その後、雨も上がったので残りホールをプレーしたが、スコアはドロー。
 この日、同組でラウンドしたご婦人で、80歳のお姉さん(Kさん)がいた。
 最初のホールこそダブルパーを叩いていたが、その後は安定してほとんどダボペースで廻る。80歳、しかも2カ月ぶりのラウンドというが、なんの何の、落ち着いてショット、フェアウエイウッドも正確である。何と言っても、お年に似合わず(失礼)キビキビした動きとリズムが大変によろしいのです。
 圧巻は、160ヤードのショートをドライバーでナイスオンのパー。その後も正確なショットが続く。確かハーフ50そこそこで上がったようだ。
 失礼だが、80歳の女性であれだけ安定したゴルフをする人に出会ったことがない!・・・『Kさん、元気をもらいました』です。
 
 ドローに終わってロスタイムが多かったので、風呂に入る間もなく(汗臭いままで失礼!)、メンバーコースを後にして、伊豆に向かう。
 本日の宿泊地「伊豆高原」には19時までに到着目標として、小田原厚木道路から箱根ターンパイク経由、伊豆スカイラインを走る。高速に入ってからはあまり渋滞もなく順調。予定より約30分前に到着。(所要時間約3時間の行程だった)
 
 翌日、伊東カントリークラブでプレー。半年前にもプレーしたが、このときはパットが入らず、ボロボロのスコアだったと記憶している。
 この日もスタートホールではダボ。やっぱりこのコースは俺には向かない!
と思っていたが、3ホール目のロングでバーディが来た。そして5ホール目も長いパットが入ってバーディ。あれあれと思いながらもパーとボギーで凌ぐ。
 9番ホールに来て、第2打が砲台グリーンからこぼれて谷底から40ヤードの打ち上げがピン2メートルに3オン。これを入れるとパーで、ひょっとして30台かなと思いながらパットするも惜しくも入らずボギー。あーア40かと思っていたら、同行のF氏から、「39でない?」という。改めてホール毎に確認すると間違いない。単なる足し算違いだった。・・・年です。
 後半もあまり大きなミスもなく43でホールアウト。苦手と思っていたコースでの“82”は、まずまずと満足。このところ敬老の日を挟んで先輩諸氏から頂いた“元気”の御利益に預かったかも‥・・・勝手な納得です。
 帰路は、伊豆の山々の方角が曇っていたので、海岸線を走ることにした。連休の真ん中の日曜日だから、ひょっとしてそんなに混まないかも・・・という淡い期待は見事はずれ、やっぱり各所で渋滞です。特に酷い所は、網代、真鶴道路の前後、小田原の高速入口手前と東名厚木ICから町田ICまで。東名厚木からは圏央道で海老名ICで降り、行幸道路&裏道街道で町田着19時30分過ぎ、伊豆高原から4時間であった。<休日の帰り道は、伊豆スカイライン経由のほうが確実に早いと思われる>
 
何となく、“元気”をもらった1週間でした。



 
 



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