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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
・1900~1914年にかけて建設。元は眼下にバルセロナ市内が広がる小高い丘に、イギリス風庭園住宅を造る計画だった。結局、宅地は2戸しか売れず、計画は失敗に終わるが、市に寄贈されてからは公園となる。 園内はガウディ作品の特徴でもある破砕タイルの装飾が多用され、広場や散歩道などはおとぎの国のような雰囲気。 ≪その他の見学場所は≫ 「カタルーニヤ音楽堂」 ・モデルニスモ建築の中で、最も美しいと賞されるドメニクの最高傑作。 この音楽堂にはモザイク画や彫刻など華麗な装飾が多用されている。特に内部のコンサートホールは天井と壁に色鮮やかなステンドグラスが施され、舞台はパイプオルガンを包み込むように華麗な彫刻で満たされている。(と聞いていたが、残念ながら外観だけの見学でした) 「ピカソ美術館」 ・ピカソの幼少時代から10代後半までと、晩年の作品を中心に展示。油絵、デッサン、版画、陶器など様々な作品が展示されており、ピカソの幅広い創作活動の一端を垣間見ることができる。ピカソ=キュビズム(立体派)というイメージが強いが、若い頃の油絵などにも素晴らしいものがあり、また、ベラスケスの傑作を題材にした「ラス・メニ-ナス」の連作は、ピカソが晩年に描いたキュビズムの作品として知られている。 1852年、カタルーニヤ南部のレウス郊外の銅板器具職人の家庭に生まれた。16歳のとき、建築家を目指してバルセロナに移り住むが、生活費を稼ぐためにアルバイトの日々を過ごす。苦学の末、建築家になったガウディは、パリ万博に展示された皮手袋のショーケースのデザインを後にスポンサー、グエルに認められる。以降、グエルをはじめ、当時のブルジョアから建設の依頼が増える。1883年にサグラダ・ファミリアの2代目建築家に選ばれ、1914年にサグラダ・ファミリアの建設にのみ専念することを宣言。1926年に路面電車に轢かれてなくなるまで、この大聖堂の建築に生涯を捧げた。 ・世界で唯一、入場料を支払う工事現場 サグラダ・ファミリアは未完の大聖堂。完成予定は未定のまま。建設途中の工事現場だが、完成している部分だけでも見ごたえ充分。建物の一部になる彫像が置かれていたり、職人の作業現場を見学できたりと、工事中であることを実感。 ・スペインゆかりの有名人 外尾悦郎氏(1953年~)。サグラダ・ファミリアの建設に彫刻家として参加する唯一の日本人。「誕生の門」の6体の楽器を奏でる天使たちの像は外尾氏の作品。 ・設計図はガウディの頭の中に この壮大な建造物には着工当初、正確な設計図や模型はなく、完成形はガウディの頭の中にあった。資金不足や戦争もあり、工事は大幅に遅れた為、サグラダ・ファミリア建設委員会は60歳を過ぎたガウディに、彼の死後も建設できるよう正確な模型製作を依頼した。 ≪バルセロナの歴史≫ ・カルタゴの支配下から独立国家体制へ(紀元前200年) バルセロナの起源は紀元前200年にまで遡る。当時、街はカルタゴの支配下でバルキノと呼ばれていた。その後、第2次ポエニ戦争を機にローマ帝国の支配下に入るが、ローマ帝国が崩壊していく5世紀ごろ、西ゴートの侵入を受け、バルキノナと名前を変える。713年にはイスラム教勢力に征服されるが、9世紀初頭、イスラム勢力を撃退したフランク王国の支配下に入り、キリスト教勢力の前線の砦となる。しかし、9世紀末にはバルセロナ伯国として独立国家体制を整えていく。 ・アラゴンとの統一成立と黄金時代のスタート(1137年~) 1137年、バルセロナは西隣りのアラゴンと合併してカタルーニヤ=アラゴン連合王国となり、バルセロナ伯爵はアラゴン王位を兼務することになる。この時期、バルセロナは地中海進出の拠点として繁栄し、約4世紀に亘る黄金時代を迎える。ラテン語からカタルーニヤ語が派生し、独自の言語による文学が盛んになり、カタルーニヤ・ゴシック様式のカテドラルの建造が始まるなど、文化面も成熟して行った。 ・カトリック両王時代からカスティーリャとの対立(1469年~) 14世紀に入るとカタルーニヤは徐々に衰退していく。15世紀末からのアラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベル夫妻の支配時代を経て、18世紀初頭、スペイン王位継承戦争でカスティーリャ王国に敗れ、政治・法制などの画一化が図られた。 ・スペイン王位継承戦争後に花開いたモデルニスモ(1714年~) スペイン王位継承戦争の敗北で衰退したものの、復興への努力が実り、19世紀前半にはスペインで唯一産業革命を成功させ、目覚ましい経済発展を見せた。19世紀末にはカタルーニヤ主義が誕生。このような自治を求めるうねりの中で、バルセロナではモデルニスモと呼ばれる華麗で自由な発想の建築様式が生まれる。 ・オリンピック開催を機に活気あふれる海港都市へ(1930年代~) 1930年代の共和国時代には自治制度が認められたが、スペイン内戦後、フランコ政権時代にカタルーニヤ主義は厳しく抑圧された。しかし激しい抵抗を見せ、フランコの没後、自治制度が再び機能し始めた。 バルセロナがその名を知られるようになったのは1992年にオリンピック開催。地中海に拓けた都市には世界中から観光客が訪れるようになった。 ≪セビーリャの歴史≫ ・“アンダルシアの華”と呼ばれるセビーリャの歴史はローマ時代以前に遡り、タルテシアン人によって建設されたと伝えられている。その後、ローマ人や西ゴートの支配を受け、711~1248年までイスラム支配時代を過ごした。セビーリャの転機となったのは、1492年コロンブスの新大陸発見。スペインと新大陸を結ぶ重要な拠点となると同時に、この街に富が流れ込んできた。 17世紀には芸術が開花し、1992年の万博開催で世界にその名を知られるようになった。 <カテドラル(大聖堂)> ・イスラム時代に建てられたモスクを基礎に、1402年から約1世紀もの歳月をかけて建造。 奥行116m、幅76m、ゴシックとルネッサンスの混合様式。規模はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール寺院に次いで世界第3位。内部は93枚のステンドグラスが飾られ、堂内に美しい色の光が射し込んでいる。カテドラル内にコロンブスの墓がある。 ・「ヒエルダの塔」は、高さ98m,イスラム支配時代はミナレットだったが、16世紀にカテドラルの鐘楼塔の改築。スロープと会談で約70mまで昇れる。セビーリャを征服したフェルナンドが馬で駆け上がったことでも知られている。 ・スペインギフトショップ(免税店)に立ち寄り、1時間ほど自由時間を取ったのち、市内のレストランで、「ガスパッチョ」の昼食をとる。 その後、セビリアの空港へ向かう。バルセロナ行きの国内航空に乗って、1時間30分ほど。空港からは、旅行会社社員(ベテランのオジサンでした)の軽妙なご案内を聞きながら約1時間後、19時頃バルセロナのホテルに到着。 連日、暑いアンダルシア地域に比べ、バルセロナは(夕方という事もあるが)涼しい感じがした。朝晩は20度前後とのこと。久し振りに今夜は涼しく過ごせそうだ。 ・夕食(20:15~)はホテルで魚料理。このツアーの特徴(ウリでもある)の一つは全食事付という事がある。たいして食通でもなく、またスペイン語に疎い私には、食事の心配がないのが助かる。(ガイドさんは大変だろうが、旅行会社としては付加価値を高められるはずだし・・・) 夕食後、涼しさに誘われて散歩に出た。振り返ってホテルの方を見ると、10階辺りの屋上にカラフルな明かりが見えて、人影も見える。ホテルに戻り早速探索。やはりあった。屋上プールとバル[BAR]であった。これはいいもの見つけたと、S氏を誘いビアガーデンへ。1時間ほどビールを飲みながら、バルセロナの夜景を楽しむ。 ・グラナダから南下し、やがて地中海に出る。海岸沿いをしばらく西下し、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の街。少し内陸に入った小高い町にミハスがある。白壁の家が続く美しい街並みに魅せられた外国からの観光客で賑わっている。 海抜420mの斜面の街からは地中海と、すそ野に広がる街を一望できる。天気の条件が良ければ、ジブラルタル海峡から北アフリカの半島が望めるかも!という場所。・・・・残念ながら、遠くが霞んで見えなかった。 (写真はミハスの「白い家」) <ミハスからセビリアに向かう> ・ミハスから海岸線に出ていったん東へ戻り、マラガから北西へ、セルビアに向かう。 「年間を通して温暖で、降水量の少ないアンダルシアでは様々な風景を目にする。特に内陸の地域に多い、「ひまわり畑」や「オリーブ畑」が大地を包み込む景色は壮観!」・・・とガイドブックや旅行計画書にもあった。その時期は6月とも書いていた。6月を選んだ理由の一つでもある。 ところが、行けども行けども褐色の大地とオリーブ畑のみ。 「ひまわり畑はどこにあるの?」 <ひまわりの話> ・ひまわり畑は観賞用ではなく農産物として生産されている。その為、必ずしも同じ場所に咲いているとは限らない。農家の人が毎年どこに種をまくか決めているのだ。それは主としてひまわりが連作が難しいからだとのこと。 今年は作付しない年のようでした。所々にチラッとあるだけ。それもまだ小さくて時期が(6月上旬では)早いようでした。・・・・事前調査・研究不足でした。残念! <フラメンコデナーショウ> ・18時頃セビリヤに到着。19時30分予約の夕食は、タブラオでの「フラメンコデナーショー」であった。 着席して食事がすぐに出され、間もなくショーが始まった。 フラメンコギターの演奏と歌と踊りが軽快に始まると、食べる間もなく、ビデオ撮りに忙しい。それも休みなく続くから、ほとんどカメラを構えっ放しだ。観客はおよそ200人位か、かなり日本人が多いようだ。 1時間半ほど休みなくショーが続けられて、とうとうろくに食べる時間がなかった。 久し振りに心躍る時間が過ごせた。 主演と思しき立派な体格(失礼!)の踊り手さんが、声を張り上げながら体をゆすって踊り狂う(?)のには度肝を抜かされた。いやはやフラメンコ・・オーレイ!でした。 |
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