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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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7月29日、都内の病院で、白内障手術(左目)を受けました。
 
 ここ数年、年を重ねるたびに、視力が低下し、眼を開けると白っぽくぼんやり感があって、
世の中が、曇りガラスを見ているようになり、GOLFでは、打ったボールの行方が見えなくなり、
同行者にボールの行方を見てもらう有様でした。

 今から思うと、突然のことではなく、考えると、17年ほど前から、健康診断では、眼の検査結果で、再検(精密検査の要)の判定が続いていました。その結果では、眼圧の上昇・・・緑内障のリスクがあり、視野検査等で、黄斑変性症の進行等を毎年チェックしてもらいました。

 とうとう本年に至り、白内障については、そろそろ限界(?)との診断により、ともかく視力が大幅に低下した左眼の手術を実施しましょう、との結論となり、Dr.の推薦で、都内の病院にて4日間の入院により、白内障の手術実施となった。

<以下、次回へ>

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「認知症と生きるには」

・・・募るイライラ 「わしを止めて」・・・

 認知症になると、何もわからなくなると思われがちですが、混乱する自分と、周囲への思いが混在する人はいます。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。<精神科医 松本 一生氏>

 

 田辺正吉さんは当時87歳。建設会社を35年間経営してきた大工さんでした。80歳を超えた頃から怒りっぽくなりました。

 地域の大学病院を受診した結果、アルツハイマー型認知症と診断されました。2年ほど通いましたが、通院が難しくなり私のクリニックに転院してきました。

 私が初診でお会いした時、田辺さんには昼夜逆転と、激しい行動面での興奮と混乱がありました。連日のように怒りが出て夜中には混乱が続きました。ある時から妻と娘に手を挙げるようになりました。二人は献身的に介護しましたが、それも限界でした。

 認知症の人の症状の中には、病気で脳が変化した結果、出てくるものもあります。田辺さんの場合も、脳の変化からくる症状でした。少量の薬による治療をするために、私は入院治療を提案し、二人も理解してくれました。

 大学病院に入院する前夜のこと。妻と娘は隣の部屋から聞こえてくる田辺さんの声に気がつきました。意を決した二人が部屋のふすまを少し開けたとき、目に入ってきたのは思いがけない姿でした。

・・・混乱の中、家族のため 入院を選択・・・

 田辺さんはベッドの上に正座して、横にある仏壇に向かって話していました。

「お父ちゃん、お母ちゃん、わしは明日、入院するらしい。自分でもよく覚えていないけど、イライラすると妻と娘に手を挙げるらしい。自分を押さえられなくなるんや。そんなわしを止めてほしいんや」

 

 精神・行動面で混乱するのは、病気で何もわからなくなっているから、病気の症状だから薬で押さえろ、という意見も聞きます。どちらも間違いです。ケアが良くても、脳の変化によって症状が出る時には、入院が必要なことがあります。田辺さんは私に言いました。

 「先生、私の暴走を止めてほしいのです。妻と娘にはいつも感謝しているのに、二人を傷つけている私がいるのなら、ぜひ治してほしい」

 

 入院2週間ほどで混乱はおさまり、自宅に戻った後にも大きな混乱はなく、田辺さんはその後の3年を過ごして旅立ちました。

 認知症になってもしっかりと残る、その人の心を大切にしたいと思います。

  <資料:朝日新聞・2024511 精神科医 松本 一生氏>

 
 <この記事を読みながら、何となく田辺さんに近い年代と、環境に似た自分に照らして、思わず自分もこれに近いかもと考えさせられた。それほどではない‥と考えてはいるが、最近、(仕事柄)この種の講話に立合うことが度々あり、専門家のお話をしっかり聞いておこうという思いが強い昨今である。・・・HARE>

 「街のB級言葉図鑑」

 〖 地震に強い水道管 〗・・・・分かりやすくする工夫

 

商業地の看板に <地震に強い水道管に取り換える工事を予定しています>とありました。地震による断水の深刻さを思い浮かべると同時に、分かりやすい文面に感心しました。

  失礼ながら、工事の看板には分かりにくい用語が多いのです。たとえば、「被覆修景工事」(堤防などの表面を覆って見栄えをよくする工事)とか。つい考え込んでしまいます。

 水道管を取り換える工事も、難しい言い方があります。実例として<耐震管布設替え工事を行っています>という看板がありました。冒頭の看板と同じ工事内容を説明していますが、パット見て分かりません。

 

近年、日本語を母語としない人などにも情報を届けるための「優しい日本語」が議論されています。災害時のニュースの字幕ではフリガナを多用し、<すぐに逃げて!>と簡単にわかる言葉を使います。

 冒頭の看板も「優しい日本語」を目指したと考えられます。フリガナ名をつけ、専門用語を避けて、誰にでも分かりやすいように工夫されています。

 看板と言うのは、みんなに理解されて初めて役に立ちます。この例のように優しい言葉で説明すれば、住民の理解も得られやすいでしょう。

      

 <朝日新聞 2024年 4月27日(土) 国語辞典編集者 飯間浩明氏>

 

 「今季、スキー場に行きましたか?」・・・答えは、はい5%

 はい・5%  

いいえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95%

 

 日本生産性本部「レジャー白書」によると、スキー人口は1993年の1860万人をピークに、現在はスノーボードも含めて4分の1ほどに減っている。今期スキー場に行ってスキーやスノボなどを楽しんだかどうか、聞いたところ、何と95%の人がNO。スキー経験者の多くがやめてしまった現状もかいま見えました。

<はいの人が答えました>

その理由は?

 滑るときの爽快感・・・・・・70人

 毎年行く習慣がある・・・・・74

 雪景色、広大なパノラマ・・・70

 高齢になっても楽しめる・・・59

     ・

     ・

<いいえの人が答えました>

その理由は?

 そもそも興味がない・・・・1036人

 体力に不安・・・・・・・・・807

 往復の移動が大変・・・・・・800

 ケガや事故が怖い・・・・・・682

 寒さが苦手・・・・・・・・・636

 

 

あの頃が懐かしい

 「興味がない」が、「いいえ」の理由の1位だ。「小さい頃からウインタースポーツには縁がなく、寒いのも苦手」(福岡、66歳女性)

 ただ、「いいえ」と答えた人のうち6割強が経験者。「スキー板をかついで夜行列車に乗り、網棚にスキー板、通路に新聞紙を敷いて寝る、と言うのが私たち団塊の世代が若かった頃のスキースタイル。列車、スキー場とも超満員だった」(東京、74歳男性)

 神奈川の女性(55)は「大学時代、放送研究会に所属していたのでスキーのみならず、ゲレンデDJをした。流す曲はお決まりのユーミン、杏里、ドリカム、広瀬香美・・・。夜はパーテイとバブルの青春時代だった」。

 行かない理由の2位は「体力に不安がある」。「20代はほぼ毎週土曜日の仕事終わりにそのまま友人と車でスキー場へ。駐車場で夜明かしし、リフトが動き出す頃から夕方まで滑り通したのち、帰宅。あの頃が懐かしい。今は膝が痛いし、もう体力、気力なし。スキー用具は自宅の物置に眠っている」(神奈川、57歳女性)

 ケガや事故への懸念も。「スキー場の雰囲気が好きで楽しかったが、何十年も滑っていないので、この年ではどこかを故障するに決まっている。やらないほうが良いとの結論」(宮城、75歳女性)・・・中略。

 

 一方、はいの理由の1位は「滑るときの爽快感」。「かってはスキー板を肩にかついで出かけていたが、今や宅急便のお世話になっている。ゲレンデはこぶこぶの斜面を選んだが、

今は新雪やこぶこぶのない斜面を選んで滑っている。何もかも変わってしまった。それでもスキー滑走の爽快感は変わらず。最近は、温泉を楽しみにしてスキー旅行を楽しんでいる」(滋賀、75歳男性)

 18歳でスキーを始めた三重の男性(61)は「年々、体力は落ちていくが、毎年少しずつうまくなるのがスキー、そして年を取っても楽しめるスポーツがスキー。夫婦で『あと何年滑れるかな。元気でおらなあかんね』と毎年言いながら楽しんでいる」。

 今シーズンは13回通ったというのは富山の女性(63)。「若いときはスキーを楽しんだが、子供が6歳の時に一緒にスノボを始めた。少しずつ上達するのを実感できるのでやめられない。退職後は、平日に通っている。リフト待ちはほぼゼロだが、レストハウスがどんどん閉店して、スキー場の存続が心配」

 スキー歴60年以上という東京の男性(84)は、コロナ禍と病のため、ここ数年はスキーを断念。「今シーズンも日帰りなら大丈夫かと準備したものの、大事を取って取りやめた。来シーズンの再開を目指し、今日も散歩に出かける私である。スキー万歳!」

<資料:朝日新聞 2024年3月23日(土曜版)より抜粋>

『スキーは、通算で70年以上の経験がある。75歳頃に蔵王温泉に行ったのが最終だが、ここだけでも30年は通ったと思う。遠征先は、秋田県内から、山形県、岩手県、宮城県、福島県、新潟県、群馬県、栃木県、長野県、岐阜県、滋賀県、神奈川県、静岡県等々の代表的なスキー場を滑りまくった。ケガもせず、事故もなく幸運であった。HARENOV』

 

 

「中計やめた 打つ手機敏に」・・藤江太郎 味の素社長談

 昨年、中期経営計画(中計)をやめると発表しました。十数年前から考えていたことです。3年先の社会や経済状況がどうなっているかなんてわからないのに、精緻に計画を作りこむことに疑問を抱きました。

 中計作くりに費やすエネルギーはかなりのもので、「出来たときには疲れ果てて実行する余力がない」という冗談みたいなことが起きていました。目標をクリアするために最終年度につじつま合わせができてしまうことにも違和感がありました。当時は、役員会などで「中計やめた方がいいですよ」と言うと、「何言ってるんだ」とよく怒られたものですが、一方で、現場の多くの社員は「また中計の季節が来ちゃったか」と否定的な感覚を持っていました。それでも「中計は作らなければならない」という認識でした。あるのが当たり前だったんです。

 

 短期的な経営計画は、数字を「敵」にしてしまいます。細かな目標が示され、部門ごとの目標達成率がボーナスなどに影響しました。そうなると、「いかに達成しやすい目標を設定するか」という悪循環が起きてしまう。あらゆる理由をつけて無理のない目標にできるのが「いいマネージャー」でした。挑戦しづらくしているこの仕組みもやめました。

 だからと言って、無計画なわけではもちろんありません。今、2030年の「ありたい姿」を示し、そこに向かうためのロードマップを作っています。挑戦的で野心的な目標を設定し、機敏に打つ手を変えていく。そのための実行力を磨く経営にシフトしようとしています。

 すべての原動力になるのは「人財」です。売り上げなどの「分子」を、コストなどの「分母」で割り、その数字が大きくなるようにするのは理解できますが、日本企業の多くは分母を削ることに集中し過ぎているように感じます。本来、分子を増やすのが経営です。そのためには挑戦が不可欠であり、従業員一人ひとりのパフォーマンスが重要です。人に投資し、志に基づく仕事ができれば、エンゲージメント(愛着)や挑戦へのモチベーションが高まるはずです。

 

 中計をやめたことで注目されていますが、プレッシャーは感じていません。状況が変わり、別のリーダーが適任と判断されれば、その人に良い形でたすきをつなぐのが私の経営責任の取り方です。後継者の育成計画はすでに作っています。

 <資料:朝日新聞・202431日・「オピニオン」より抜粋>

 



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