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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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「冬と夏で温度の感じ方は違う!?・・・DO科学より」

 ◆体温を一定に保つ仕組み

  《暑いとき》・・・皮膚の表面近くの血流を増やす

            をかく 

  《寒いとき》・・・皮膚の表面近くの血流を減らす

            体の脂肪を燃やす

            筋肉を震わせる

 

 QA

 Q)寒い。暖房を強くしようかな。

 (A)室温は冬は20度、夏は28度が目安ね。

 Q)冬は20度で温かいと感じるのに、夏はそれより高い温度で涼しいと感じるのはなぜ?

 (A)暑さ、寒さの感じ方が変わる理由か。今、何を着ている?

 Q)長袖のセーター。

 A)夏も同じ?

 Q)違う、半袖のTシャツ。そうか、着ている服のせいだ。

 A)はい。それから、冬の始まったころと寒さに慣れてきたころと比べてどうかな。暑さ寒さの感じ方は体の状態でずいぶん違う。温度や風の強さなども影響するし、気温だけでは決まらないの。でも、感じ方が変わる詳しい仕組みはよくわかっていないらしい。

 Q)寒さを感じるのはどこ?

 A) 皮膚に温かいとか冷たいとかを検知する温度センサーがあり、脳に信号を送る。信号を受けて脳から、寒いから熱を作りなさいとか、逆に暑いから熱を逃しましょうと指令が出て、体温を一定に保つことができるよ。

 Q)体が熱をつくるって?

 A)体をつくる細胞は普通に働くだけで、熱を生み出している。でもどんどん体温が高くならないのは、たいていの場合は、体温よりまわりの気温が低く、熱を奪われるから。体には、体温を一定に保ついろいろな仕組みが備わっている。

 Q)寒くなるとどうなるの。

 A)細胞の普通の働きだけでは熱が足りなくなってしまうので、積極的に熱をつくる必要がある。活躍するのは体の褐色脂肪と呼ばれる特別な脂肪。これで熱をつくり出す。

 (A)もっと温度が下がると?

 A)からだがブルブルっとなったことない? あれは筋肉が震えて、熱を生み出しているんだって。行動に制限がかかるけど、どうしても熱が必要な場合の最後の手段。

   動物が震えている間に点滴に襲われたら困るでしょう。

Q)ヒトも動物も同じっていうことだね。

A)熱をつくるだけでなく、逃がす仕組みも重要。皮膚の表面近くの血管を、冬は縮めて暖かい血液の流れを低下させて、熱を奪われにくくする。夏は逆に血管を広げて血流を増やし表面温度を少し上げ、熱を逃がしやすくする。

Q)うまくできているね。

A)暑いときに汗をかくと、皮膚の表面が濡れて、水分が蒸発するときに気化熱として体の熱が奪われ、体温を下げる。湿度が低いと水分が蒸発しやすく、同じ気温でも暑さを感じにくくなる。体の熱を奪うと言えば、風もそう。冬に風が吹くと寒く感じるのは、体の表面が温めた空気を風が飛ばし、また冷たい空気にされされるから。空気の流れが大きいほど、熱が奪われることになるよ。

 

<資料:朝日新聞 2024年2月10日 「DO科学」より 同紙取材協力:名古屋大学教授 中村和弘氏>

 

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歴史のダイヤグラム

「線路は狭軌か国際標準軌か」

 日本の鉄道は、明治5年(1872)年に新橋~横浜間が開通したときから、1067ミリの線路幅を採用してきた。世界的には1435ミリが標準だったが、指導した英国は植民地と同じ線路幅でよいと判断し、事情の分からない大隈重信がそれに従ったとされている。1067ミリは狭軌、1435ミリは国際標準軌と呼ばれている。

 現在でも、JRの在来線や小田急、西武など関東私鉄の多くは狭軌である。新幹線や京急、京成、阪急、阪神などの私鉄は国際標準軌を採用しているが、全体的には狭軌の方が上回っている。

 日清戦争や日露戦争で植民地となった台湾や樺太(現・サハリン)でも、狭軌の鉄道が敷設された。一方、併合により植民地となった朝鮮では併合前から国際標準軌の鉄道が敷設された。朝鮮半島は大陸とつながっており、国境を超える列車を走らせるには国際標準軌の方が望ましかったからだ。

 

 日本でも東京~下関間の線路幅を国際標準軌にすべきだという意見が後藤新平らによって出されていたことはよく知られている。しかしその構想は、1975(昭和50年)年に山陽新幹線が全通するまで実現されなかった。

 アジアに限って線路幅を見てみると、中国や朝鮮半島などでは国際標準軌が多いのに対し、台湾や東南アジアでは狭軌や狭軌とほぼ変わらない1メートルの線路幅が多い。インドネシアのように、オランダの植民地時代には国際標準軌もあったのが、太平洋戦争中に日本が占領して狭軌に統一した国まである。

 このため東南アジアでは、日本の車両を走らせる条件に恵まれており、実際に日本の鉄道の中古車両が多く使われている。インドネシアで中古車両に乗った朝日新聞記者の吉岡桂子さんは、こう述べている。

 

 「車内に入ると『日本』を感じる。つり革、座席、扇風機、棚、消化器に残る漢字・・・。私が乗った車両には『神戸 川崎重工 昭和五十二年』と書いてあった。西暦でいえば1977年。40年余り前に造られたものだ。乗り心地は悪くなかった」(『鉄道と愛国』)

 同様の光景は、タイやミャンマー、フィリッピンでも見られる。JR東日本や東急、東京メトロなどの狭軌の車両がほぼそっくりそのまま使われているのだ。

 欧米や中国などと異なり、日本では鉄道開業時から狭軌が主流だったからこそ、東南アジアへの車両の輸出が容易だったわけだ。しかしその光景は、南洋への進出を基本戦略とし、41年に政府に採用されて太平洋戦争勃発の引き金となった「南進論」とどこかでつながっているように見えなくもない。

 <資料:朝日新聞 2024年2月17日 連載。 文:政治学者 原 武史氏>

 

 

 「認知症と生きるには」  

  『居場所を見つけてください』

    (文:精神科医・松本一生氏・・朝日新聞2024年2月10日記事より抜粋)

 

 この人のことを思い出すたび、私は家族と歩んできた人生や、この先に待っているかも知れない運命に思いをはせます。個人情報保護のために事実の一部を変更しています。

 当時89歳の滝本和江さん(仮名)が、診療所を訪れたのは数年前の夏でした。大学病院でアルツハイマー型認知症と診断され、5年間通院していました。付き添ってくれた夫に大腸がんが見つかり、1年もしないうちに亡くなりました。独居になったため、「地域包括ケア」を担当してほしいと依頼されたのです。

 滝本さん夫婦は、私の両親が開設した診療所の患者さんでした。子供が2人いましたが、私と同学年の息子さんは交通事故で亡くなり、娘さんは結婚して札幌に住んでいます。私もご夫婦を覚えていました。

 その時何よりも大切なのは、滝本さんが一人で生活できる体制を組むことでした。介護保険の申請をすると、要介護Ⅰと認定されました。やがて認知症は中等度に進行し、在宅ケアを続けるのが難しくなってきました。

 そのことを伝えると、彼女は心のうちを吐露してくれました。

 「60年住んできた我が家から離れるのはつらいです。息子も亡くなり、娘も北海道、お父さんも旅立ってしまって私一人です。人生は何となくはかなく、あっという間に過ぎてしまうものなんですね」

 こうも言いました。

 「みんなに迷惑かけてしまいそうで怖いんです。私には時間がありません。混乱して何もわからなくなる前に、私の居場所を見つけてください」

 

 ケアマネジャーやホームヘルパー、訪問看護師などと相談し、滝本さんの自宅近くにグループホームを見つけることができました。

 久しぶりに滝本さんを訪ねると、彼女は自室で話し始めました。

 「ここが自分の家だと思えるようになりました。でもね、私は子供を育てた家の柱が今でも目に浮かびます。娘と息子の背が伸びるたびに柱に夫と印をつけたことも覚えています。今朝のことは覚えていないのに、あの日々のことは鮮やかに浮かんでくるのです」

 滝本さんは、懐かしい家を離れてグループホームに移る決心をしました。娘さんの家族や近隣のことを考え、自分の意志で入居を選んだことが、私にははっきりと分かりました。同時に彼女が経験した計り知れないほどの悲しみも感じました。

 「冬の乾燥をあなどるなかれ」

(冬は脱水症にならない、と思っていませんか?)

 冬は乾燥の季節。

 空気の乾きに加え、暖房器具の使用で

 さらに湿度が下がります。

 乾燥は健康にも美容にも

 大きく影響します。

 今回は、冬の乾燥から身を守る

 脱水の予防法と冬の正しい

 美容セルフケアをご紹介します。

『冬の隠れ脱水を見逃さないで!』

  「脱水が起こるのは夏だけではなく、冬にも注意が必要です。

 では、なぜ冬に脱水が起こるのでしょうか。冬の空気はとても乾いています。

 さらに、機密性の高い部屋で暖房器具を長時間使用することで、体内の水分が奪われてしまいます。また冬は、夏のように汗を多量にかかなくなるため、水分補給がおろそかになりがちです。そのため、摂取する水分量と排泄する水分量(下図参照)のバランスが崩れ、脱水症に陥りやすくなるのです。

 

  体内の水分量が減ると、次第に粘膜が乾き、痰が出にくくなります。そうした環境では、体のバリア機能が低下してインフルエンザなどの感染症にかかりやすくなります。また、血液中の水分が減ると血液の粘調度が高くなり、

 不整脈や心筋梗塞、脳梗塞などを引き起こす原因にもなります。

 

  「かくれ脱水」は、脱水症になる一歩手前の状態を言います。症状が顕著に現れにくいため、見逃されがちですが、早めに手を打つことで、脱水に関連して起こる様々な病気を防ぐことができます。いつもと違う変化に気づいたら、軽視せずに、早めに水分補給などの対策を取りましょう。

 

体液は毎日入れ替わっている・・体重の1~2%の水分を失っただけで体に変化が現れる

  OUT:排泄量            IN:摂取量            

      汗、尿、便、不感蒸泄       食べ物、飲料水、代謝水

       (自覚されずに気道粘膜などから      (体内で食物が代謝される際

        発散される水分)             にできる水分)

かくれ脱水のサイン

 

◎ 口の中がネバつく

◎ 髪がパサつく

◎ 肌がかさかさする

◎ トイレの回数が減る

 

 <資料:「美感遊創」・健康術より、監修:帝京大学教授 三宅 康史氏>

 

 

 「今年の正月三が日」

 (年末の思いつき)

 スケジュールを決めたのは、年末1週間前の頃だが、正月の天候は、極めて温暖と言う予報である。年始の好天気予報は、4年ぶりのことだ。コロナ禍明けもあって、各地の人出予想は、国内各地の観光地や帰省等も含めて、大渋滞(?)が予想されている。

 

 老人夫婦には特段の計画もないが、比較的行動派と自認している自分にも、遊びや慰安の計画も、全く予定してないのは、家内が、春先から体調を崩して治療が長引いてきたこと、また、私自身も今年の後半戦(?)に入って、(8月中旬過ぎた頃からだが・・・)右手の肘に時折痛みを感じてきたのが、長引いて続き、それが秋から冬にかけてまで続いてきたことが気になっていた。

 

 自分の体の不調は、約20年も前に、同じような記憶があったが、その時は、箱根で1週間位の湯治により、病院治療いらずの回復を得たことがあった。

 「湯治に行ってみたい!」 そういう思いが高まったのは、やはり、肘の痛みが長く続いていたからかもしれない。

 そして、もう一つの願望は、もしできたら、正月三が日ならば、箱根駅伝も見れたら最高!・・・、そんな欲張った希望がむらむらと起こった。

 

 両方の願望・スケジュールは、宿泊の可否で決まる。もう年末も近い(1週間もない)。善は急げ! そう考えた時はもう携帯電話を握っていた。まず、昔、お世話になった会社の総務に問い合わせをしてみた。(会社が年末年始休業に入ってないか?・・・一番心配だった)幸運にも、「1月1日から3日迄の2泊3日は空いています」と″女神〝が囁いてくれた。

同時に、家族の了解を得た。

 

(1月1日)

 1月1日昼食抜きで自宅を出発。

小田急町田駅に到着したら、ちょうど箱根湯本行きの特急が横付される。特急券を購入する時間もなく、飛び乗った。確か5号車に乗ったのだが、入り口近くの4席が開いており、ともかく着席し、車掌の来るまで乗っていくことにした(運よく終点まで、指定席は空いていた。清算済です)。

 

 箱根湯本で乗り換えて、強羅に向かう。元日の午後2時過ぎだが、私鉄電車はそれほど混まずに、14時頃強羅に到着し駅前で食事的なものを探したが、元日でもあり、観光客はそこそこいるが、店はそれほど混むほどではなく、閑散としていた。おなかの足しになるものを探したが、お饅頭程度で、弁当や、食堂的な営業は無かった。仕方なく、宿屋に向かう道すがら、途中で食料品店があったが、ちょっとした弁当やインスタントもの、酒、飲料などが並べてあったが、時期的に新鮮さは欠けていた。その中から、おにぎりパックの残り物と、インスタントラーメン、ビールを購入してきた。

 

 15時半頃、強羅の箱根寮に到着し、食料等の事前準備が少なかったので、近くの食料品及び隣のレストラン等のお店に立ち寄ったが、案の定、元旦は休業で、また、寮の浴室前にあった自動販売機が撤去されていたので、酒、ジュース類もないことが分かった。かといって、買い出しに行くのも、車のない独り者なので、はて?食料をどこで調達しようか? と管理人に聞いたところ、「向かいの新宿区保養所の中に売店があるようですので、尋ねてみたらどうですか?」

と教えられた。

 

 その新宿区の保養所を尋ねて見た。

「すみません。私は、向かいのマンション(ヴィラ)の宿泊者ですが、マンションの自販機が撤去され、また、隣の食品店(酒屋さん)も本日は元旦でお休みのようです。恐れ入りますが、こちら様の自販機を利用させていただけませんでしょうか?」と願い出る。そして、保養所の広い店内にはいると、店内には、お土産品や飲み物などが掲示されていた。

「よろしいですよ。買っていただくのは、こちらも歓迎ですから、どうぞご覧ください」、と好意的だった。生鮮食料品等はなかったが、お酒やジュース類やインスタントものもあり、一夜の腹ごしらえには充分であった。

 

 宿に帰って、ひと風呂浴びてから、昼/夕兼ねた一人食事をしながら、テレビを見たら、・・・なんと!? 驚くべきニュース<能登地震>が飛び込んできた。

震度7.4!! 胸が張り裂けるような震災事故に、一晩、眠ることができなかった。

 

(1月2日・・雨の箱根駅伝)

 1月2日 朝から雨が降っている。雨模様に、運の悪さを感じつつ、箱根寮の正面玄関口で、自分の雨天準備の悪さにいらいらしながら、玄関口の外側で、恨めしく雨空を眺めていたところに、同じマンションの裏口から出てきたらしい紳士が、

玄関口で、しきりに部屋の玄関ダイヤルを回すも応答なし。続いて、携帯で呼んでるらしいが、これも反応なし。かれこれ3,4回同じ動作を繰り返すも反応がないらしい。その様子を見て、私が一声かける。「あのう、こちらにお住まいの方ですか? よろしかったら、玄関開けましょうか?」と話しかけたところ、「はい、お願いします」とすぐさま返事をした。そして、「001号室のものです」と言うので、すかさず、「私は、隣の002号室を利用している者です。雨が降ってきたので、傘を借りたいと思い、管理人を探しているところです」そんな会話の後、その方は、中に入っていった。数分して、その方は、また、裏口から玄関に来て、小さな傘を私に差し出して、「ハイ、これをお使いください。返却は不要ですから」と私に手渡して、(今度は子供さんと一緒に)さっさと出かけて行った。

私は、「えっ、そうですか、どうもすみません。ありがとうございました」と見送った。お二人は、坂下の方にさっさと歩いて行った。

 ちょっとほんの親切(?)が、即、跳ね返ってきたみたいで、なんとなくいい気分で、(チョッと小さいが、ご親切をお借りして)その傘を差しながら、小涌園まで歩いて、駅伝見物に直行!、大変気分良い2時間余りを過ごすことができた。外は寒い1月2日だったが、気分は、暖かい駅伝見物だった。

 

<この記念すべき傘は、使い古しだけれど、勝手ながら、記念にこの寮に置いてゆくことにした(玄関の下駄箱に保管しました)・・・今後も縁があったら、隣の方にお礼を言いたいと思う>

 

駅伝見物が終わって、寮に帰って(14時頃)、近くの食料品店がオープンしていた。オープンと言っても正月2日のこと、あまり新鮮な食料もなく、取り敢えずありあわせの簡単な食料(インスタントものや飲み物など)を調達しながら店のご婦人に聞いたら、本日は、15時半ころから、20時ころまで、隣のレストランが営業するとの情報を教えてくれた。

そのお店は、私の記憶では、かなり前から経営者は異なるが、和食、洋食等の経営者が時々変わっていて営業していたようである

 現在は洋食のメニューで営業しているとの由。可能なら18時頃来てみますと約束した。

 

 

(レストラン 「かざみどり」での夕食)

 

 18時30分頃、「かざみどり・・確か、ドアには、<かざみどり>とかいてあった。毎週:火、水が休業。営業時間:15時30分~20時と言う。

(確認はしなかったが、通常、1月2日(火)、3日(水)は休業日だろうが、正月の特別営業ですか?)

 店内には、3組ほど来客(ほとんど外人さん)があり、賑やかに食事を楽しんでいた。

 メニューはほとんど洋食系で、日本食、中華系統はなかった。

  豚ロール生姜焼きセット・・・・・1,500円

  ~黒毛和牛ステーキセット・・・・2,900円 等、8種類程度

  飲み物:ビール、ワイン~各種ジュース等 300円~900円程度   

 

 この日、19時過ぎには、3組とも退店し、20時近くまで残ったのは、私だけだった。特に、飲み過ぎや、食べすぎ等で、だらだら?した訳ではない。ほんの1時間程度の食事なのだが、食事の提供時間が遅すぎた感じがした、

 店のスタッフは、カウンターに主人、奥の料理等に奥さん?、その他1名程度だったので、料理時間等に時間がかかり過ぎていると感じた。

 

 20時頃になって、客は全員退店し、私が1人残った。カウンター(マスター?)に、メニュー表を頂きたい旨お願いしたところ、事務所に引っ込んで、コピーしてきましたと、10分ほど待たされた。メニュー表の予備が無くて、印刷してきましたとのこと。申し訳なく思い、「実は、私は、(ヴィラ)マンションの会員・所有会社の元役員ですが、社員や家族たちが、(ヴィラに)宿泊した時に、このレストランを、利用できるように、紹介したいので、部屋にメニューを置いてあげたい趣旨です」、と申し上げたら、マスターが大変喜んで、精算カウンターの引き出しから、自分の名刺を取り出して、「お世話になります」といいながら、私に差し出してお辞儀をする。残念ながら、私は、現在無職なので名刺はありません、とお詫びしながら、名前と電話番号をメモして渡した。引き続き、私に質問があり、「お若いですね、何歳ですか?」「現在82才、で、昨年現役を引退して現在無職ですが、チョッピリ、ボランティアで社会貢献しています」。「えっ?、昭和16年生まれですな。私も16年生まれです。」続いて質問が、「16年何月生まれ?」「ハイ9月です」「私も9月生まれです」。「9月の何日?」「27日です。と私」「残念、8日です。と先方」

これは、偶然の同期の桜ですね!! と二人は、「何かの縁ですね!?」と、がっちり握手を交わしながら、「また来たときは、お寄りします。寄ってください」

そう言って、二人は別れた。

 

大変気分のいい幕切れでした。

 

 

 

 



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