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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 無念のモスクワから4年 世界の山下、苦難を克服す〘柔道男子


 1980年のモスクワ大会を日本はボイコット。金メダルが確実視されていた柔道の山下泰裕は、記者会見の席で泣いた。
 それからの山下は世界で無敵を誇った。81年の世界選手権では95kg超級と無差別級の2階級制覇。83年の世界選手権でも95kgで優勝、「世界の山下」は史上最強の柔道家とも称えられた。山下に残されたもの、それは五輪の金メダル獲得だけだった。

 そして迎えた84年のロスアンゼルス大会。モスクワ大会の柔道代表だった選手で、代表として生き残ったのは山下ただ一人だった。しかし、ロスアンゼルスで山下は柔道家として最大の危機を迎える。
 2回戦のシュナーベル(西ドイツ・当時)との対戦で、山下は軸足の右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまう。この試合は送り襟締めで勝利をおさめこそしたが、試合が終わってけがを悟られまいと平然と歩いたつもりが、脚を引きずっているように見えた。

 準決勝で不安は的中する。フランスのデル・コロンボは開始30秒、大外刈りで山下から効果を奪う。絶体絶命の大ピンチ。しかし山下はここから不屈の闘志を見せる。逃げに入った相手に対して技を繰り出し、大外刈りからの横四方固めの合わせ技で逆転、金メダルまであと1勝と迫った。

 迎えた決勝の相手はラシュワン(エジプト)。試合開始早々からラシュワンは積極的な攻めに出るが、冷静な山下は落ち着いて対応、相手がバランスを崩した瞬間を逃さず、抑え込みへとなだれ込む。1本勝ちまでの30秒間は、金メダルへのカウントダウン。1本が宣告され、山下は顔をくしゃくしゃにした。ボイコットの悪夢を乗り越え、山下は念願の金メダルを手にした。

 世界の山下は85年、引退。現在は日本オリンピック委員会(JOC)の会長として活躍中である。(資料:「AGORA November 2019」文:生島 淳氏)

<あの時の記憶>
 モスクワオリンピックをボイコット(アメリカに同調した結果だが)したとき、主な代表選手は皆涙を流して悔しがっていた。山下選手、レスリングの高田裕司選手、陸上・マラソンの瀬古、宗兄弟選手等々、出たら金メダル確実と期待されていた選手達だ。オリンピックフアンの私も、選手の心情に涙した一人である。

 

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