2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
今から約20年前。その男は、神奈川県にある建設機械メーカーで管理職定年(55歳)を迎え、会社の紹介による別会社へ転籍することとなった。転籍先は、同じ市内にある電子部品製造装置を生産する中小企業であった。 ポジションは管理部長。財務・経理、総務・人事等いわゆる事務・管理部門を統括する部署であるが、加えて、数年先にIPOを目指すという大目標・準備委員長も受け持つことになった。 就任直後から連日、早朝から深夜まで、ほとんど休日もない日が続いた。今なら、“ブラック企業”並みの日々であった。このままだと体力的に持たない! と思った男は、職住近接を図るためやむなく家族連れ(当時は4人家族)での転居を決意した。 それから3年後、やっと上場を果たした男は、常務取締役として引続き7年間、CFOとして職責を全うし役員定年を迎えた。65歳であった。この時は、疲労困憊、体はボロボロとなり、もう会社勤めはこれまでという思いがあった。 退任が真近かに迫った6月上旬に、それまで10年間お世話になった会計監査人A氏(代表社員)から、こんな話があった。 「退任後はどうされるのですか? もし、決まっていないなら、ある国立大学(大学院)で内部監査役を探していますが、よろしければ推薦しますので、やりませんか?」。 男は、非常勤(週1回程度の出勤)ならばということで、二つ返事で引き受けることにした。 公務員の世界は、初めての経験で、それなりに新鮮な気分で仕事に集中できた。 それから1年余りが経った頃、前職の時代に非監査業務等でお世話になったことがある公認会計士B氏から、突然、他社の常勤監査役の就任話が舞い込んだ。 「もう常勤はしませんか? 実は、渋谷のインターネット会社でIPOをめざし常勤監査役を探しています。どうでしょうか?」 男は考えた。もう現役はやめたのだし、だいいち体力が持つだろうか? そし て考えあぐねた末に、主治医に相談したのであった。 曰く、「常勤は、(過重とならない範囲であれば)週5日でも規則正しい勤務あれば、精神的、肉体的に良い刺激にもなり、かえって体にはよいと思う。それに今は健康状態も良好ですから、あと10年は大丈夫ですよ」と太鼓判を押されて、決断した。 かくして常勤生活に再び戻って約7年余が過ぎた。男はこの間、仕事の合間を 見ては老骨にムチ打って受験勉強(?)に励み、69歳の時にIPO実務検定試験をクリアし、その時を待ったが、とうとう実現することはなかった。 主治医に言われた「あと10年は大丈夫」の終盤に近くなった頃、会社分割が あって、小さな新会社の監査役としてラストランを始めた。 そんな折、以前に前職の監査役会で4年間、一緒のメンバーだった元非常勤監 査役C氏(公認会計士)から、新たに他社の常勤監査役就任のはなしが持ち掛けられた。紹介された会社の概要、事情等を聴くうちに、男のこれまでの経験がすべて生かせる最後の機会かもしれないと考えた。もともと、「招きを受ければ喜んで他国に赴く」主義であったが、何よりも、この企業の理念、目指す事業・社会貢献が気に入ったのである。 何という不思議な縁であろうか。一度は現役を引退した人間が、まるで“犬も 歩けば棒に当たる”ように話が舞い込んで、それも悉く(3回とも)公認会計士からの話である。 今や、監査役は会計監査人を選・解任する立場である。 この男は、その会計士諸氏から、“監査役に逆指名(?)されたようなもの(は なし)である。 これを運と言うべきか、宝くじを買っても当ったためしのない人間だ。が、会 計士諸氏との出会いは、ハズレではなかったと思うべきだろう。 男は思う。これはきっと男が信条とする“生涯現役・社会貢献”に対する神様 からの思し召しと思うしかない。そして、三たび、監査役の道を歩み始めたのである。 男はこの秋、75歳を迎えた。 PR |
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(11/09)
(11/04)
(09/26)
(08/19)
(05/13)
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
|