2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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<とんだハプニングが待ち構えていました>
 2月24日(日)。帰りは14時15分、蔵王温泉発のバスが出て15分走ったら急に停車しました。「ここで渋滞することはないので、何か事故かもしれません」と運転手が言う。
 待つこと30分余り、救援用のグレーダーがこちらに向かっていると放送があった。やがてグレーダーが故障したバスを牽引して通り過ぎると、やっと再び走り始めた。山形駅には予定時刻よりかなり遅れて、山形新幹線発車時間の3分前に到着。乗客は皆、荷物を引きずり駅へ走る。

 改札までたどり着くと、乗客と思われる人たちが立ちすくんでいる。  
「本日、大雪のため新幹線は運休します」という張り紙が・・・。エーッ?
そしてホームから来た人達が、払い戻しのための列を作っている。我々もその後に続いて並ぶしかなかった。 
 その内放送があって、「仙台方面に行く人は、仙山線が出ますから・・・」
という放送に促されてぞろぞろと移動する。やがて列車が入ったがほぼ満員である。幸いにも座席を確保できた。
 16時35分 快速仙台行きが出発した。しかし先行する列車が山寺駅で停車して、雪を抱きこみ除雪中とのことでそれが動き次第という条件ではあった。山形駅から3つめの停車駅・楯山で先行列車が動くのを待った。
 待つこと40分。やがて車内放送があって、「本日は仙山線は運行中止することになりました。列車はこれより山形へ引き返します」。


<続きは次回>

≪10年振りのスキーに行って来ました≫・・・その1
 ・71歳になって・・今更スキーなんてと思っていました。というよりも自分ではそんな考えもなく、考えたことすらなかったこの10年間でしたが・・・。
 きっかけは、会社の“雪部”の皆さんからの誘いでした。そういえば昨年も話があったのですが、あまり乗り気ではなくまた、足があまり調子がよくなくてお断りしていました。足の調子はその後も一進一退で、整形外科に週1回程度通って、磁気と電気治療をしておりますが、残念ながら気休め程度にしかなりません。
 そんなある日。確か昨年の12月頃のこと。今年も又お誘いがあって・・そのプランの中の一つに、2月の『山形・蔵王』遠征がありました。「蔵王か・・・行ってみたいな-」と心を動かされました。そして、蔵王なら行ってももいいな、と間もなく決心したのです。
 
 ・私が20歳のとき、先輩に連れて行ったもらった本格的なスキー場こそ、
【蔵王】なのです。それ以前・・少年の頃・中学生までは、実家が雪国・横手だった頃、付近のスキー場で見よう見まねで滑っていたものである。
 泊まりがけで本格的なスキー場に行くなんてことは考えもしなかった頃だから、始めてみる本格的なスキー場「蔵王」はあまりにも強烈な印象があった。
本格的なスキー場とはこんな華やかな世界・楽しい世界なのかと驚かされた。・・・それはまるで、物心がついた子供が、始めてみる・体験する驚きの世界に目をキラキラ輝かせる、そんな新鮮さと感動があったような気がします・・。
 
 ・それ以来ほぼ30年。蔵王には毎年通い続けました。最初の頃は、電車・バスで通いましたが、東京に居を構えてからは、スキーバスだったり、自家用車だったり、あまり列車を利用することがなくなりました。ときには、名古屋から車で行ったり、甲府から遠征したりということもありました。そんな蔵王遠征も、50歳頃で終わりました。スキーはその後、数回行きましたが私にとっては、スキーの歴史は蔵王の歴史のようなものであったといえます。
 
 ・遠征参加が決まって・・・不安と期待とがありました。
 その①:左足が大丈夫だろうか? 痛みが更に酷くならないか?
 その②:もう全盛期の滑りができないだろうが、どうか?
 その③:最近のスキー板は“カービング”が主流だが、対応できるだろうか?
 その④:その後ゲレンデはどう変わっているだろうか?
 その⑤:昔お世話になった民宿のおばあちゃんは元気だろうか?
 その⑥:天気は?(強い低気圧が来ているというが・・・どうか?)
 
 ・2月22日(金)18時08分、定刻に東京駅を出発した。特にトラブルもなくほぼ定時に山形駅に到着。後続のTUN氏を待って、22時15分のバスに乗る。蔵王温泉には23時到着。小雪が降り続いていてバス停で20センチ程度降り積もっていたが、間もなくホテルの迎えバスに乗って23時15分ホテル着。さっそく温泉に入って、その後軽くビールを飲みながら談笑して、就寝は午前1時頃。
 
 ・2月23日(土)天候:雪。7時半朝食。8時半に宿を出てレンタルスキー店に案内してもらう。その前がロープウエー乗り場なので、運行状況を聞きに行くと、まだ時間が早いせいか混んでいない。ということでこのままロープウエーで一気に頂上まで行った方がいいという判断で、皆を集めて頂上行きに乗る。この間30分位。最盛期は2~3時間待ちが当たり前のところだが、時間が早くて空いているのか?、それとも昔ほど客がいないのか?・・・結局双方であった。
 中間駅でもほとんど待ちがなく地蔵岳の頂上に到着した。天気が良ければここから名物の“樹氷群”が見渡せるのだが、あいにくの吹雪。気温は、マイナス14度+体感温度は推定5~6度、-20度くらいのザンゲ坂を下る。
 数メートル先しか見えない吹雪の中を下る。スロープ・角度も見えない悪条件であった。残念ながら“樹氷”も見えず、見る余裕もなくなんとか降り切る。こんな天気ではゴーグルが必携品なのだが、YUH氏は持参せずということで、辛かったようだ。仕方なく、彼はパラダイスから大平コースを経て、宿までゴーグルを取りに行くこととしいったん別れる。私達4人は、樹氷原コースから黒姫コースを堪能し、ユートピア・百万人ゲレンデを通り、横倉まで降りるコースを下る。名物の“横倉の壁”は今回全員自重してパス。12時頃ロープウエー乗り場まで降り切って、近くのロッジ・レストランに入る。昼休みの超繁忙時間帯だが、思ったほど混んでなく座席は確保できた。ここでYUH氏と合流。
 午後からは、蔵王中央ロープウエーで上る組(3人)と大森ゲレンデ方面チャレンジ組に分かれて行動。14時30分頃に中央ゲレンデで合流することとしたが、大森組は少し遅れて到着する。
 そこから、ハ―ネンカムコース(元国体滑降コース)を下る予定だったが、雪のツキがあまりよくないのとアイスバーだったのでバイパスして、高鳥コースから下り、ハ―ネンカムCコース、サンライズ、中森コースへと移りながら、本日の滑走を終了。16時頃まで目いっぱいの滑走でした。
 結局天気は、午前中に一瞬だけ太陽が顔を出すことがあったが、ほとんど小雪か曇りだった。ただ、ザンゲ坂を下るときのような強烈な吹雪はないのが幸いだった。
 
 ・夕刻 17時30分からの早い夕食の後、“樹氷のライトアップ”というイベントがあった。女性陣2人がこれにチャレンジした。日中でさえあれほど寒かったので私は最初から参加する意思はなかった。
 彼女らが帰ってきて、写真を見て驚いた。天気もまずまず、写真も良く撮れていて大満足の様子でした。
 
 ・2月24日 天気:雪。4人は元気よくゲレンデに出かけた。
 私は、スキーは止めて、昔お世話になった民宿・ジンギスカン食堂「まつしまや」に出かけることにした。宿から車で蔵王温泉街まで送って頂いた。
 11時前だったので、食堂は開店前で電気がついていなかったが、運転手さんがわざわざ降りて店に交渉してくれる。都会の運転手ならこうはいかない。やはり田舎の人達は人が良い。まもなく戸をあけてくれて店内に入る。
 若旦那の奥さんが応対してくれて、20年前まで毎年お世話になったものですと告げ、おばあちゃんに面会を求める。間もなくおばあちゃん登場!
 「わー○○さんお久しぶり!」と顔をくしゃくしゃにして・・・私も何となく目が潤む思いであった。多分20年振りくらいだと思うが、しっかり顔も覚えてくれていた。
 おばあちゃんとあの頃の話、家族の話、食堂経営(?)等々の話を食堂のテーブルに差し向かい(私は熱燗を飲みながら)で30分位話していたら、昼食時のお客さんがぼちぼちと現れて、そのうち10名くらいの団体さんもどやどやと入ってきて、やがて店は大忙しとなった。すぐさま、おばあちゃんも臨戦態勢に入る。せいぜい20人位のテーブル・椅子席なので、「あなたは、あちらで飲んでいて」と奥の部屋に案内されるがままに席を移る。そこは、昔、民宿時代の宿泊者専用の食堂である。私はお酒をお替りしたり、そばを食べたり昔のことを思い出しながら至福の時間を2時間ばかり過ごした。
 昔から、『ジンギスカン食堂』として温泉街では有名な老舗。
最近は、ホテル・旅館も温泉街の外側に広がって、最近はこの温泉街も昔ほどの賑やかさがなくなってきた由。全盛期には年間150万人ほどの観光客・スキー客が訪れていたが、最近ではその半分位という。
それでも私がいた時間帯では、食堂も大忙しのようで「ああ、良かったな―」と一人つぶやきながら飲む。
 
この人(H 利子さん)、80歳。若い頃、旧NTTで働き旦那と職場結婚。
蔵王の食堂のお嫁さんになって50数年(推定)。その主人も昨年他界。
 今は息子さん夫婦が店を継いで、最近では忙しいときはお孫さんも手伝うのだそうだ。そんなお店「ジンギスカン食堂」の看板を家族経営で守っている。
 おばあちゃんは数年前に軽い脳梗塞を患ったが、ほとんどその気配を感じさせない、元気いっぱい、カッカッカと笑う顔は今も愛くるしいほどだ。顔の艶も良く皺がないのに驚いた。
 昔、お互いに若かった頃(40年位前?)に当時としては珍しい、髪の毛をカラーに染めて、テレビ取材に応じていたことがあったが、そんな話をすると珍しく顔を赤らめて、フッフッフと笑う。近所でも評判の派手なおばさんだった。
 
<おばあちゃんの話は続く>
 今年の2月上旬、蔵王で女子ワールドカップジャンプ蔵王大会があった。強風で延期となり、次の日、1日に2戦し、高梨沙羅ちゃんが連続優勝した。開催期間中、街を挙げてボランティア活動した。当店でも、嫁さんが参加。お茶のサービスを行ったが、お茶のサービス先は、選手や役員にではなく、もっぱら見に来たお客さんへのサービスが徹底された由。『時代が変わったねー』と述懐していた。
 『あなた達はよく滑ってたねー』という。私は40年ほど前から約20年間お世話になった。来るたびに、リフトが動き始める8時半頃にはリフト乗り場に行って、リフトが止まる4時まで目いっぱい滑って、夕食は決まって「ジンギスカン鍋」。それが終わるとまたスキー担いでナイターに出かける。10時頃帰ってきて、風呂に入って、また酒飲んで・・・、滞在中毎日そのペース。
当時の女主人(おばあちゃん)に、「よくやるねー」とあきれ顔で確かに言われたことを記憶している。・・・あの頃は若かった!
 
<おばあちゃんの悩みも聞きました>
 この建物(道路側は食堂だが、後方の部屋は民宿だった)も老朽化して、建て直さないと民宿は出来なくなった。消防法も厳しいから、建て直すにはかなりカネがかかる。借金して息子に引き継がせたくない。結果として出した結論は、民宿は止めて、食堂だけでやっていこうと・・・。
 御主人は、昨年、胃と腸の間に癌ができていて、気がついたときは末期でした・・・。どちらかというと無口な人で、ほとんど店には出ず、裏方に徹していました。店は派手おばあちゃんの独壇場でした。そういえば、いまの息子さんも親父さん似てあまり笑い顔のない・・・のようです。
 「冬は雪もあるし、寒いし、外にはあまり出ません。店の手伝いで動き回っているから何とか健康を維持しています」
 <雪が溶けたら少し外で動き回ろうね・・・と僕>
 娘さんが八王子で所帯を持っていて、その子供(お孫さん)さんが結婚した由。「結婚式も新婚旅行もしないで籍を入れただけです。今はそういう時代なのね」と苦笑いする。
 
笑うと昔の面影が思い出されて、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ姿を見ていると、そして別れ際に、「よく来てくれました」といわれると思わず目頭が熱くなって・・・うんうんとうなずくだけだった。
<おばあちゃんいつまでも元気で頑張ってね>と手を握って別れました。
 
行ってあげて良かった。私とおばあちゃんの2時間のランデブーでした。
良い再会でした。
 
 
≪次回は、とんでもないハプニングと一期一会の道中まで・・を予定≫
 
<ゴルフ準備中・・・あれこれ>
 
◎2月某日連休前の金曜日。行きつけの居酒屋さんでの話。
 ここのママさんは、昨年12月初旬に肺がんの手術をした。話を聞くだけで心が痛むのであるが、本人はいたって元気。最近では、軽いトレーニングしてゴルフに備えているという。彼女は数年前に腎臓がんの摘出手術をしたばかりである。しかし、手術してから数カ月してゴルフにカムバックした。
今回の肺では、背中から胸にかけて25センチほどの傷跡となっているそうだ、が、それにもめげず、またゴルフへの復活を目指してトレーニングをしている。これ位の気丈さがなければ癌は克服できないのでしょうが、いやはや恐れ入った気力である。
 今日は寒いから・暑いからとか、雨が降っているからとか何かの理由を探して練習をしない人達に・・・こんな人もいるよ、と話してあげたいものである。
 
◎2月某日金曜日の夜。
明日はオープン戦という前夜。恒例の木曜日の水泳が出来なかったので1日遅れの水泳トレーニングで仕事帰りにスポーツクラブへ向かう。
スポーツクラブの1回エレベータ前で待っていると、3人ほど降りてきた人がいて、その中に知っている顔がいる。
一瞬、眼が合って、先方から「○○さんこんばんわ。待ってますよ!」と声がかかる。その意味はこうだ。
 私としては、12月からシーズンオフとしてラウンドをしない主義だが、その間は「インドア練習場で鍛えよう」と考えて、同ビルにある、昔、加入していたゴルフスクールに再加入の申込用紙を貰ったままとうとう2カ月が過ぎた。声をかけられた氏はそのスクールの校長先生である。もうかれこれ2カ月余りになるのに、しっかりと覚えていらっしゃる。さすがは商売人。見込客はちゃんとマークしているようだ。
 申込みをしていなかった・練習をしていなかったのは、・・・右手の腱鞘炎がまだ治りきっていないからである。練習場のマットは、人工芝だが結構衝撃がある。このまま練習をするときっとまた痛みがひどくなるだろうと躊躇しているのである。やりたくない気持ちがそうさせているのではなく、過去に痛い経験(その時は肘痛であった)があるから・・・である。
 再加入・練習はもう少し様子を見ようと思う。
 
32日土曜日からラウンドを再開します。
 “啓蟄”の頃からゴルフを再開することにしております
ちなみに、啓は「ひらく」、蟄(ちつ)は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃。
(実際に、動物や虫(種類によって違いますが)が冬眠から目覚めるのは、最低気温が5度を下回らなくなってから、平均気温が10度以上になってからだそうです。)
 ゴルフ仲間にも、「最高気温が10度以上になったらやります」と公言しております。
カレンダーで言う今年の啓蟄は、3月5日。
 ということで、3月2日の土曜会に参加することにしました。同じように冬休み中だった3人に声をかけたら賛同してくれました。
 まだ練習不足ですが、・・・・・・楽しみです。
 
 
 
<日本人のからだ―痛みと疲れの正体>
 (文芸春秋2月特大号 対談記事「甲野善紀・奥谷まゆみ」より抜粋)
 
・古武術の探究を通じて、日本人の身体感覚の変遷を解き明かしてきた武術研究者・甲野善紀氏。OLから転じて整体士となり20年。独自の整体理論が女性の間で強い指示を受けている整体指導師の奥谷まゆみ氏。異色の二人が語る「日本人のからだ」とは何か。
 
・「最近、大都市の街中は勿論、地方の小さな町を歩いていても思うのですが、そこで道路を掃いていたり、何か荷物をもっている人の姿を見ると、本当に体の使い方が下手になったなあと思います。ツーバイフォーの建築現場の横を通ったときも、学園祭の準備みたいで、およそプロとして作業しているという雰囲気じゃなくて驚きました。現代人は一昔前と比べ、本当に体を使うことが稚拙になっていますね。」(甲野)
 
・「現代人のからだの特徴として、重心がずいぶんと高くなっているんですね。重心は、その人がよく使う場所に移動するものですから、昔の人に比べて、頭や目を酷使しているために、重心が上がっているんだと思います」(奥谷)
「武術で言えば、重心が上に上がっているというのは、相手に制せられた状態です。手首を取られたりして、肩を詰まらされて、身動きを抑えられているのと同じですね」(甲野)
 
・「なぜモンゴル勢が(大相撲で)あんなに強いのかといえば、答えは明白で、彼らの育った今のモンゴルは、昭和40年頃までの日本と同じような生活をしているからです。日本でも初代・若乃花や大鵬の頃は、相撲界に入る前、石炭を運んだり、山仕事をしたりして、日々の生活の中で自然と鍛えていましたからね」(甲野)
 
・「腰痛のお客さんは、腰を支える筋肉自体がほとんどないんです。骨盤とか、骨盤の中の内臓とかを支える筋肉がないから、その重さがそのまま腰にドーンと乗るから、腰痛になる。腰回りの筋肉は、日常の生活の中の動き、特に重心の低い動きをすることでしか鍛えられない。ウエートトレーニングではつかない筋肉なんですね」(奥谷)
 
・「今、膝に痛みを抱えている中年以降の人達が多いのですが、我々に言わせれば、あれは使いすぎて軟骨がすり減った訳ではなくて、道が平たんで単純な使い方ばかりとなり、軟骨が『俺たちの出番がないなあ』と感じて衰退していってしまうんです」(甲野)
 
・「不安定さって大事ですよね。バランスボールとかもそうですけど、不安定な状態に置かれると体がちゃんと重心を立てられるように工夫してくれるので、自然と正しい体の使い方が身に着く。平らな何もない道だと、変な歩き方でも歩けてしまうから、気づかないんですね」(奥谷)
 
・「いきなり現代人を昔の生活に戻すことは出来なくても、現代の暮らしをしながら、少しでも体の感性を取り戻す方法はあると思います。家事でもスポーツでもとにかく、くたくたになるまで体を使うことです」(奥谷)
「人間は時々生活をリセットする必要があるでしょう。養老孟司先生が都会と田舎の『参勤交代』を提唱されているのも、そのためでしょう」(甲野)
 
≪なかなか面白い対談でしたが、なるほどと頷かされる面も多々ありました≫
2月の超温暖日でした>
 今シーズンの初戦(土曜会)は、“超温暖”な気温に恵まれて快適なラウンドを楽しみました。この日、最高気温は20.9度と4月下旬から5月初旬並みとか。
 (暖かくなるという)予報はありましたが、2月初めのこと、朝晩は寒いだろうと予想して、下着はヒート・テックの上下、それに上には徳利のセーターに更に丸首のセーター、下にはオーバーズボンを重ね着した完全武装の出で立ちでしたが・・・汗だくとなりました。
 
それでも前半のハーフは曇りがちでしたが、雲の流れが速く、小雨でも降りそうな天気でした。南風と、徐々に晴れ上がってきた結果、気温がぐんぐん上昇してきたようです。ハーフの最後2~3ホールは汗をかきながらのラウンドとなりました。土曜会としては、昨年11月17日以来の参加となりました。暫くぶりのラウンドでしたが、ハーフは44とまずまずでした。ショットは悪くなかったのですが、パットの感覚がイマイチでした。
 
 昼食時、さて今日はお酒(焼酎ですが)の具合をどうしようかと迷いました。気温が思ったより高かったので汗も適当に掻きましたし、『ロック』で行くべきか、『お湯割りで行くべきか』迷った末に、まず冷たい水を飲んで、喉の渇きをうるおし、『お湯割り』にしました。飲まない他の3人は、私の迷い・独り言にニヤニヤするばかりでした。食事&つまみ兼用は、いつもの五目焼きそばが定番です。
 
 この日のメンバーは、77歳のY氏(会では2番目の長老です)、75歳のK氏(会長です)、69歳のO氏(昔の会社の同僚です)。ラウンド中の話題は、国際情勢・日本経済・政治・経済・仕事のこと・家庭のことなどは全く話題とならず、やっぱり年のこと、健康のこと、やりたいこと・特にあと何年ゴルフしたい等々でした。77歳のY氏は、「80歳までは今のレベルでゴルフしたい」、75歳のK氏は、「あと5年、80歳まではやりたい」、一番若手のO氏は、「せめてあと5年は…」といった具合でした。私の希望は、「75歳時点までにエージシュートをやりたい」デス。残された期間はあまりないが、まだまだ進化・精進しなければならない。不可能かもしれないが・・・目標は持つべきかと。
 
 初戦は結局、後半ハーフで崩れてしまい、91でホ-ルアウト。
 今日は汗をいっぱいかいたので、風呂で汗を流しましょうと誘われるがままに久し振りにクラブの風呂に入る。私が湯船に入るところをK氏がまじまじと見ていて、『余計な脂肪が全くついていない、いい体してますね』と褒めあげる。
 あまりクラブの風呂に入ることがない(ゴルフの後は、いつも家に帰ってからスポーツクラブに泳ぎに行くことにしているため)。
 そういえば、今日の風呂場にいた面々は、デブ、チビ、ハゲ、おなかプックンといった人達ばかり。ちょっと異色に映ったらしい。それほどムキムキマンでも、マッチョマンでもないのだが・・・・。ただ何にもしていない人より皮下脂肪が少ない位なのです。
 
 
<メールが通じない!・・・はなし>
 ゴルフから帰ってちょっと時間が早かったので、プールに向かう前にいっとき喫茶店に立ち寄り、しばしのコーヒーブレークを楽しむ。
 飲み友(?)にゴルフの結果報告でもとメールした。ところが、忽ち返信があって、PostmasterからErrorの通知である。アレッと思って、メールアドレスを確認したら間違っていない。前回受信したアドレスに返信したのに、『アドレスが違っているか、受信側サーバーの原因で・・・』と返ってくる。送信場所(外に出て)を変えたり、登録しているアドレスを使用したり、前回返信が届いているアドレスを使ったりと再三トライした。この間約1時間計5回、全てアウト。通信障害かしら? それともアドレスを変更したのかしら?等々考えていたら、偶然にも、先方からメールが・・・。急いで返信したら、またしても「Postmaster」からError通知。エーなんで?
 とうとう直接電話する羽目に・・・なって。
 「迷惑メールが多くて、受信拒否のセットをしていました」だってさ・・・。
 (私のメールも「迷惑メール」の一つだったんだ・・・と一人ブツブツブツ)


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