2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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―食べ方から見直すー体内時計の整え方

寝つきが悪くて疲れが取れない、最近太りやすくなってきた・・・。

こうした不調が起こるのは、体内時計が乱れていることが一因かも!?

体内時計をリセットするためには「食事の取り方」がとても重要。

特に朝食と夕食の取り方を中心に見直して、健康維持に役立てましょう。

     資料 : 【素敵なあしたへ】 協和発酵バイオ株式会社 20208月号

          「特集 食べ方から見直す体内時計の整え方」より

          (監修 早稲田大学理工学術院・教授 柴田重信氏)  

 

1.   基礎知識

地球の1日は24時間。しかし私たちの体に備わっている体内時計は1日約24.5時間の周期で動いています。

 そのため放っておくと少しずつズレが生じ、「夜になっても眠くならない」「朝が来てもなかなか起きられない」といった不調を感じやすくなる場合があります。

 こうした体内時計の乱れをリセットするのに欠かせないのが「朝の光」と「朝食」です。

 脳の視交叉上核(しこうさじょうかく)にある親時計は、朝の光を浴びることで遅れた時計を進め、24.5時間の周期を24時間に調整しています。朝起きたらまずはカーテンを開け、太陽の光を浴びる習慣をつけましょう。

 逆に夜にスマートフォンやテレビの液晶画面などの光を浴びると睡眠を促すホルモンであるメラトニンの分泌が低下し、時計を遅れさせることも。不眠の原因にもなるので要注意です。

 一方、全身の臓器などにある子時計は朝食をとることで調整されています。

 朝は食欲がない、食べる時間がないなどの理由から朝食を抜いてしまうと、体内時計が乱れやすくなり、肥満や病気の一因になることも。

 毎朝決まった時間に起きてしっかり朝食をとることは、体内時計を整え、健康を維持する基本です。

 どのような食事の取り方をすればより良いのか、さらに詳しく見ていきましょう。

 

2.   体内時計のリセット術(朝はこれ!)

<炭水化物とタンパク質をしっかりとりましょう>

体内時計をリセットするうえで欠かせないのが朝食。決まった時間に朝の光を浴びながら食べるのが理想的ですが、さらに重要なのは「何を食べるか」ということ。炭水化物とタンパク質を中心としたバランスの良い食事をとることで体内時計が整います。

食べ方ポイント(1) 

ご飯やパンと、魚などのたんぱく質を組み合わせるのが・・◎

<ごはん派なら魚料理をおかずに>

  ●ごはんみそ汁に焼き魚、さらに納豆などの副菜をプラスした

和朝食は理想的

     <パン派ならツナサンドなどを>

       ●朝食でパンをとる場合はツナサンドなどにするとリセット効

果がアップ。牛乳もプラスして

  食べ方ポイント(2)

体内時計のリセットには、ごはんやパンなどの炭水化物が最適

  ●米や小麦の澱粉は体内時計を動かす力が大きい

  ●牛乳や納豆は、朝だけでなく夜食べるメリットも!

 <以下:次回>

 8月に入り、コロナ禍は第2ラウンド??に入ってますます暴れているようだ。
加えて、今年の夏は、暑い!!
 あれよ、あれよという間に全国あちこちで最高気温40度超え!
 とうとう静岡県・浜松市では17日に41.1度の日本新記録更新!

 そんな中、暑さもなんのその、10連休のお盆休みに、ゴルフ8ラウンドをこなす強者もいる。やっぱり年間128ラウンドもこなす人にはかなわない。
その彼と、7ラウンド目に一緒にプレーした。この日も暑かった! さすがの彼も最終ホールを終わってしばしグッタリ。これで本日は、遊び納めかと思いきや、30分後には、車を運転して1時間先の町田駅前のデパートでゴルフクラブの買い出しに精を出す。
これで76歳・後期高齢者という。

 8月に入って、奇跡のような便りが三度届いた!!!
「コロナがもたらした50年ぶりの青春」の提唱者とでもいうべき人・稲ちゃんから、素敵な(楽しい)メッセージが届いたのです。実に50年ぶりの心の通った便りです。
曰く、「(稲)です。私はあれから50年!・・・、スリムな少女は、3C(シM、シW、シRG)で、かわいい二重は、重力で✖重に!、胸は・・り!、腹は✖✖を抱え!・・Xキロ増の幸せ太り!!・・、とてもお会いできません」
 微笑ましくも楽しいメッセージでした。

 50年ぶりに懐かしい会話(メール)を交わした4人ですが、元気でいることが一番!そんな世界がまた一つ増えた思いである。


 

  【第一人者に聞く免疫の新常識】
       (語り手:大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授 宮坂昌之氏)
                     ー
2020年7月18日 朝日新聞掲載より抜粋ー

 <集団免疫は困難>

――「一定割合以上の人が感染すれば、それ以上感染が拡大しない「集団免疫」については?

 一度獲得した免疫が長期間にわたって続くことが集団免疫の前提です。すぐに免疫が消えたら、多くの人が免疫を持っている期間がなくなってしまうから。でも、新型コロナの免疫が続く期間はとても短く、私は半年程度ではないかと考えています。免疫が半年しか続かなければ、集団免疫はいつまでたっても獲得できません」

 「武漢医科大で8週間後に抗体量を再測定したら、軽症者で4割近く、重症者も2割で抗体が検出不可能なほど減りました。こんなに早く抗体量が減るのは、他のウイルスではあまり考えられません」

 「破傷風やポリオなど、ワクチンを一度打てば免疫が数十年にも続く病気もあれば、インフルエンザウイルスのように3か月程度しか続ないものもあります。私は新型コロナはワクチンができても、インフルエンザと同じように有効期間は極めて短いものになるのではないかと考えています。

 

 <体内時計が大切>

――免疫を強くする為には?

 「強くするといういい方は不適切です。強すぎると健全な細胞を攻撃します。強くするのではなく、自分が持つ免疫をフル活用できる状態に保持することが大切。それにはまずストレスの少ない生活をする。リンパ球は血液の流れに乗って全身をパトロールしているので、有酸素運動をしたり、毎晩お風呂に入って体温を上げたりして、血流をよくする。免疫は体内時計が司り、昼は免疫が強くなり、夜は弱くなります。体内時計を毎朝きちんとリセットする。朝日を浴び、軽い体操や散歩をして、体内時計が狂わないようにするのは大きな意味があります

――食事はどうですか?

 これ一つ食べれば免疫を強くする、なんていう食品はありません。バランスの良い食事を心がけましょう」

免疫は加齢が非常に大きな要素です。50台を過ぎると免疫力は半分になると言われます。新型コロナの重症者の95%が60代以上というのはうなずける数字です。高齢者は免疫の経験値は高いがそれぞれの免疫が弱体化する。いわば免疫も老兵化し、数も減ります。元には戻せません

 

----新型コロナは変異が速い?

「変異の速さはRNA(リボ核酸)ウイルスの特徴です。でも他のRNAウイルスに比べ変異の幅は大きくない。遺伝子をコピーするときに起きるエラーを修復するメカニズムを持っているのです。同じRNAウイルスであるインフルエンザウイルスは変異幅が大きく、動物からヒト、ヒトから動物へ感染する、とんでもない変異を起こす。でも新型コロナで明らかに病原性が高まった変異は今のところありません

 

<接触8割減、不要>

――私たちの取るべき対策は?

「全日本剣道連盟に頼まれ、実験しました。

  多くの飛沫は2メートル以内で地面に落ち、1.5メートル離れれば飛沫を浴びる可能性は極めて小さい

  マスクをつければ9割の飛沫は防げる

  微小飛沫は残るが換気すれば飛散すること

が確認できました。つまり、他人と1.5メートルの距離を保つ、マスクをつける、空気感染を防ぐために換気する、手洗いするなどの緩やかな接触制限と行動変容で対応できます。一時期言われた、人々の全体の接触率を8割減らすといったマスの対策は必要ないと思います」

「ワクチンが出来れば、新型コロナはインフルエンザと同程度の病原体となりますが、安くて良いワクチンが出来るのには2年以上かかるでしょう。

 重症化を止める薬が出来れば普通の感染症になりますが、まだ時間が必要です。しばらくの間、人類は、新型コロナウイルスと共生していかなくてはなりません

 以上

 

 

 

【第一人者に聞く免疫の新常識】

「抗体だけが免疫ではない。自然免疫だけでウイルスを排除できる人もいる」。免疫学の第一人者、大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授の宮坂昌之さんに「免疫学の新しい常識」を聞いた。(20207.18 朝日新聞より)

 

ーー「抗体だけが免疫ではない「」とは、どういう意味ですか?

 「免疫イコール抗体という考えは20年前までの古い常識。新型コロナウイルスでは抗体は免疫の中であまり大きな役割を担っていないでしょう。回復した人の3分の1は抗体をほとんど持っていないとの研究結果もあります」

 「人間の免疫はもっと重層的です。人体の免疫機構は、自然免疫と獲得免疫の2段構え。 自然免疫は生まれたときから備わっていて、まず皮膚や粘膜の物理的、化学的バリアーが病原体の侵入を防ぎます。そこが突破されても、白血球の一種である食細胞が病原体を食べてくれます。ここまでが自然免疫です。食細胞は全身に分布し、異物が侵入すると数分から数時間で発動します。城のいたるところを足軽が見回り、敵をその場で撃退してくれるようなもの。

 だから、自然免疫が強ければ、それだけで新型コロナを撃退できる人もいます。私は、我々全体の1割程度は自然免疫だけで新型コロナを排除できるのではないかと推測しています」 

 

 「自然免疫で排除できなければ、獲得免疫の出番です。獲得免疫は発動までに数日かかります。最初に刺激されるのはヘルパーTリンパ球で、獲得免疫の司令塔です。

これがBリンパ球に指令を出すと、Bリンパ球は抗体を作ってウイルスを殺し

、ヘルパーTリンパ球がキラーTリンパ球に指示すれば、キラーTリンパ球はウイルスに感染した細胞を殺します。獲得免疫はいわば本丸を守る役目の高級将校で、キラーTリンパ球は抗体と同様に重要です」

 「つまり、抗体が無くても、自然免疫が強いか、キラーTリンパ球が活躍すれば回復できます。だから、抗体の保持率イコールすでに感染して治った割合、ではありません

 

<抗体には悪玉も・・・>

ーーそれでも、抗体が重要なことに変わりはないのでは?

 「抗体の振舞いにも大きな誤解があります。全ての抗体がウイルスを撃退すると考えられがちですが、違います。3種の抗体があり、一つはウイルスを攻撃し排除する『善玉抗体』です。逆にウイルスを活性化させる『悪玉抗体』と、攻撃もしないし活性化もさせない『役なし抗体』もあります」

 

 「武漢医科大で感染者の血液を調べたところ、無症状感染者は抗体量が少なく、重症者は無症状、軽症者より常に抗体が多い傾向がはっきりと示されました。善玉抗体がたくさんできてウイルスを撃退すれば軽症で済むはず。重症者に抗体が多い新型コロナは悪玉抗体を多く生み出し、抗体がウイルスの増殖を助けていると考えられます」

<以下は、次回>

 

 「50年振りの青春」を振り返ってみると、あの頃の山歩きが忘れられない。

<蔵王山縦走>
 長女が2歳頃。夏に、宮城蔵王(刈田岳)から、山形蔵王(蔵王温泉)まで家族(当時)3人で縦走、娘を背中に背負ってザンゲ坂を下ったのを思い出す。あまり山が得意でない家内だが、まだ若かったから、四の五の言わせず完歩。家内とは、結婚前に蔵王にスキーできたことがあるが、ザンゲ坂は傾斜がきついので、下りもロープウエイで帰らせたことがある。もちろん、私はスキーで降りたが…。(通算すると、蔵王のスキー遠征は、前後20年程度通っている)

<磐梯山トレッキング>
 次女が生まれたその夏に、家族4人で磐梯吾妻スカイライン(現在こんな名称になっているかは分からない?)に2泊旅行した。真夏だったので、4歳の娘が途中で夏バテ?でグズり始めた。仕方なく、私は、後ろに次女を背負い、前には両手で長女を抱きかかえながら山道を歩く。大きなリュックを家内が背負うという勇ましい家族旅行だ。
 その夜、長女が熱を出してしまった。あらかじめ用意してきた熱冷し薬で、何とか落ち着いたところを見て、翌日は、早朝に単独で磐梯山に登山する。何とか頂上を極めてホテルにたどり着くと、娘も熱が下がっていて元気にしている・・・ホッとする。

<北アルプス・槍ヶ岳~穂高連峰縦走>
 山登りは、昭和40年に会社の先輩から、北アルプス・後立山連峰(白馬岳~唐松岳等)に連れて行ってもらったのが病みつきになった。その後、仙台在勤中に近くの山歩きを継続(吾妻連峰、磐梯山、宮城蔵王・不忘山、大東岳、泉ケ岳等)していたが、北アルプスの山々の遠征は私にとっては、羨望の的であった。
 昭和43年の夏、少ない夏休み(3日間+土日)を何とか確保して、単独行で槍ヶ岳~穂高連峰縦走にチャレンジした。まだ、新幹線のない時代だったので、仙台からの遠征は、東京からに比べて片道で半日は多くかかる。
 槍ヶ岳~北穂高岳までは、天気も安定していたが、北穂~奥穂~前穂と天気は下り坂となり、縦走3日目辺りからは、強い雨が断続的に降り、梓川は急激に増水した。それでも4日間の縦走は無事終えて、大雨の中で小梨平キャンプ場で最後の夜を過ごした。翌日になって、上高地からのバスが運休になったことを知らされた。
 仕方なく、近くの旅館に仮泊する。翌日になっても雨は止まず、バスの運休が続く。やむなく2日目も旅館泊となった。恥ずかしながら、手持ち現金が残り少ないので2日間とも食事抜きの素泊まりとした。もう食べるものはザックに残っていなかった。同室の登山客2名は横浜まで帰る人達だったが、話しながら、そっとビスケットらしきものを分けてくれたのを思い出す。そんな中で、バスは運休しているが、道路は歩けるらしいとの情報があって、明日も運休だったら、思い切って歩いて、タクシーが呼べる、沢渡の駐車場(上高地から山道で約10キロくらいあるらしいが)まで一緒に歩いて下山しませんか、との提案があった。
 かくして、翌日(運休が続いていた)3人は、車も人も通らない山道を、梓川の濁流を右に見ながら歩き始めた。その日になって雨は小降りになったが、何しろ梓川の濁流は凄かった(怖かった)。途中のトンネル(隧道)も、所々で上から水が垂れてきて、崩れてくるかと思うと冷や冷や・不気味だった。
 3時間ほどしてやっと、タクシーが呼べる沢渡駐車場に到着した。やれやれだぜ~と3人は固い握手を交わした。
 もう一つ厄介なことに、松本から東京までは何とか辿り着いたものの、上野から仙台までの特急・指定券は期限切れとなってしまった。もう買い替える金は残ってない。正直に車掌に話をした(山で遭難しかかって戻れなかった旨)ところ、出発するまで通路で待っていて、ベルが鳴ったら、車両に乗り込んで、この座席に座りなさいとの便法(多分、車掌の権限で確保している座席らしかった)を指示され、無事に仙台まで到着した。

 この山行の詳しいことは家族にはあまり詳しく話していない。あれから50年、
もう話してもいいかなと思う。・・・・・時効です!?





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