2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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<毎月1回・木曜会>
 うっとうしい毎日が続いて、カレンダー上は梅雨も本番!と思うようなこの1週間。
 ところが先週のゴルフ・2ラウンドは、雨がないゴルフ日和であった。
 木曜日のゴルフ・・・、旧Mグループの先輩たちとのツキイチゴルフ・木曜会である。最年長者・I氏は81歳。相変わらず元気もさることながら、口も達者。ホンネ半分、嫌味半分で後輩を叱咤激励する。18ホールをカートにも乗らず、すたすたと歩いてプレーする。聞くと、毎日朝は散歩1時間、1万歩以上。その合間に、ラジオ体操を第1と第2を必ず行う。そのせいか、足も速いし、動作もきびきび、そしてパットが良く入る。目標は、90歳までゴルフをやりたいという。だいたいスコアは、100ちょっと。私の当面の目標の人だ。

<第3回ファミリーゴルフ会>
 木曜会の翌日は、娘のダンナ3人と第3回のファミリーゴルフが、梅雨の合間の天気に恵まれながら、和気藹々の中で行われた。半年前から体力回復に努め、この日のために、3週間前から練習を再開した長女のダンナさん。練習場で見た感じでは、かなりの苦戦が予想されたものの、本番は何のその。随所に、好ショットを見せてみんなを驚かせること度々。とはいえ、本番経験不足があって、90台&70台(各ハーフです)でホールアウト。
 次女、三女のダンナはまだ現役バリバリの働き盛り。前回より大幅な進歩をしたのは、練習熱心な三女のダンナさん。毎週2日は練習! の成果が着実に表れている。もう私を追い越すのも時間の問題だろう。次女のダンナさんは多忙のせいか、多趣味・多芸?(ウインドサーフィン、陶芸、マラソン)のせいかゴルフまでは時間不足?・・・伸び悩んでいるようでした。
 何はともあれ、ファミリーでラウンドできることは嬉しいことです。毎年1~2回は続けたいものですが、あまり私がしゃしゃり出るとパワハラ? のように聞こえてしまうことが心配です。自然の盛り上がりに期待しています。


<ゴルフ好きの練習会>
 7月第1週に予定している山梨遠征は、仕事仲間のコンペである。一行12名であるが、そのうち3名(私を含めて)が、特に熱心のようだ。約2か月前からの企画は、早めに参加メンバーが決まり、皆さん楽しみにしているようだ。
 と云う訳で、超スキ者3名が、「その前に練習ラウンドを・・・」、と、割引サービス月間を行っている相模野CCでプレーすることになった。雨の少なかった今年の梅雨も、この日は朝から小雨模様。そんな小雨をものともせずに、この3名は、バキバキ打ち合う。スコア関係なし。ともかく練習ラウンドと割り切って、思い思いに・・・。そんな練習ラウンドに、千葉・流山から参加したSAK氏。初台から新車を飛ばしてきたWAT氏。地域の先輩・SUY氏は初顔合わせながら、この組にすぐ溶け込んでくれた人生の先輩(82歳)の配慮はさすがだ。そんな即席組合せに天気も思い直して、後半は雨上がりの好コンデッションとなった。


 1週間で通算3ラウンド・「梅雨時のゴルフ三昧」は、なぜかウイークデイだけの3ラウンド。その間に、土曜日に仕事をするという変則の1週間であった。






(2017-6-17 9:30am 高尾山599.15m 長女と登る)
 
 6月17日。長女からせがまれて高尾山に登る。
 昨年の秋に登る予定だったが、その日はあいにくの雨で中止。今回の再チャレンジとなる。
梅雨の真っ盛りの筈のその日(6月17日)は幸いにも晴天。早めに出発したので、道中も楽な旅だ。思いがけずにケーブルカーも出発2分前に乗車。頂上へ着いたのは9時30分ころ。ちょっと早かったが、娘が持参したおにぎりと、私が買い出したおしんことサラダセットが好評。

 娘が語る。今日オヤジと高尾山に登るという話を、勤務先の上司(65歳くらい?)に云ったところ、
「75歳のオヤジさんを連れていくのは大変だねー」という。
娘は、「とんでもない。あまり運動していない私を連れていく親父のほうが大変・・・、オヤジは75歳でも現役バリバリ、それに水泳や筋トレもやっていてわたくしよりもずっと元気です」
そんな会話もあったらしい。

 51歳の長女と75歳のオヤジが高尾に登る!
そんなに沢山ある話ではないと思う。親父には女房(母親)がいるし、娘にはダンナもいるのだが、なぜかこんな道中となった。(今回は娘の発案だ)
 
 12時過ぎには下山して、いつものように蕎麦屋に立ち寄る。JR高尾駅前にある古い店だ。
娘はビール。わたくしは日本酒を注文。ここの日本酒に「氏照」という銘柄がある。そう、あの【北条氏照】にちなんだ八王子の酒だ。この蕎麦屋さんは、閑な時はお燗してくれるが、ちょうど忙しい昼時なのでお燗はお断りされてしまった。常温で3本いただいて、最後はとろろそばで仕上げだ。程よく酔って帰宅は15時過ぎとなった。オヤジにとっても、娘にとっても、それぞれ思いやりながらのいい一日であった。


<今日は何の日?・・・>
 6月某日。親父からメールを流す。滅多にない娘3人へのメールだ。

「今日は何の日?・・・ハイ、お陰様で私たち夫婦は51年が過ぎました」

すかさず、返信が来た。「51年ですか? 52年じゃない?」と疑問符がついて、さらに、
「だとしたら、私は、できちゃった婚の子供なの?」
とかなりショッキングな返信である。
それもそのはず、本人は長女として生年月日(昨年満51歳)を承知しているのに、計算上、1年合わないからだ。6月に結婚したのに自分は9月の誕生日だから確かに早すぎる。

 もう半世紀も前の話である。日付は覚えているが年号までは不確かとなってしまった。まさに認知症のせいかも知れぬ。
 当時は、田舎の金融マンの端くれ。毎日、残業残業で、終わると上司に誘われるがままに赤提灯・のれんをくぐる毎日。若くして結婚した(24歳)のはいいが、安サラリーマンでかなり
苦労した時代だ。結婚して1年半、やっと第1子を授かった次第だ。とてもとても、出来ちゃったから・・・等という時代ではなかった。真面目に、一生懸命頑張っていた時代と自分では胸を張って言えるのだが・・・。
 
あの年は、東京オリンピック(1964年)の翌年でした。今年で52年になります。 
とんだ計算違いでした。

 

  

 

日本では青木功、尾崎将司とともにAONと呼ばれ、一時代を築いた名選手、中嶋常幸(62)も大きなスランプを経験している。1980年代から90年代にかけては日本男子ツアーのメジャー大会を11度も制したが、1996年から2001年までの6年間は優勝争いどころか、上位進出もなかなかできない不振に陥った。結果がついてこないことで考え込み、スイングの改造などを試みては失敗。それでますます自信を失うという悪循環。プロゴルファーの世界では、こうしたスランプは誰もが経験するという。

 

 プロゴルフは他のプロスポーツとは異なる特性がある。たとえばプロ野球やプロサッカー。最近では長く現役を続ける選手もいるものの、20代、30代の選手で占められる。技と勢いを併せ持つ選手同士が戦うわけだ。そして年齢的限界がくると現役を去る。が、プロゴルフは40代以上でも老練の技で勝負できるから現役を続けるし、勢いのある若手も入ってくる。ライバルが大勢いるわけだ。

 

 その厳しい勝負で生き残るには、強みとなる武器を磨き、高いモチベーションで試合に挑み続けるメンタルの強さが必要になる。だが、これまで述べたように、ちょっとした感覚の狂いで本来の実力が出せなくなることも多い。プロゴルファーは一打一打を決しておろそかにせず、着実にスコアメイクする考え方が身についており、一度スランプに陥ると深く考え込んでしまう。そのため出口の見えない不振が続く。厳しい世界なのだ。

 

 宮里はこの4年間、不振を乗り越えるため、必死で練習し、モチベーションを高めようとしたに違いない。しかし、理想に近いゴルフを手にしたことがある分、ギャップを埋めるのは難しく、モチベーションが湧きあがってこなかったのかもしれない。

 

 会見では、今季限りという期限を切ることによってモチベーションを取り戻したいというニュアンスのコメントがあった。気持ちがついてくれば技術はあるのだから、残された試合で有終の美を飾る可能性は高いのではないだろうか。

    (以上、スポーツライター 相沢光一氏の記事より)

 

2009年7月に、

藍ちゃんが初優勝した時に喜んでアップしたブログがある。以下は原文のまま

 

藍ちゃん私も泣けた!!

■■■■■■

 宮里 藍ちゃんがとうとう優勝しました。

 皆に期待されながらそれが果たせず、ずいぶん苦労したことでしょう。

 この3年余り、いろいろ試行錯誤したり、悩んだり、苦労の末にやっと

つかんだ栄冠。優勝が決まった瞬間の万感の思いに涙した藍ちゃんを見

て、私も泣けました。

 まじめに、一生懸命チャレンジしてそれでも何度も打ちのめされなが

ら、ひたすら努力を重ねた結果つかんだ優勝は、藍ちゃんだけのものとし

てあげたい。

 藍ちゃんほんとうにおめでとう!


 そんな藍ちゃんのおめでたい日に、私の7月ただ1回のラウンドがありま

した。

 結果は、42、45でした。最近はこんなスコアが精いっぱいのようで

す。

 <藍ちゃんに泣かされた日・・7/25>

 

(このころ、老人の受験勉強で、は数か月間プレーを返上していました)

宮里藍引退、トップゴルファーのモチベーション維持が難しい理由

 

「資料:ダイヤモンド・オンライン  2017-5-29」

 

日本の女子プロゴルフを牽引してきた宮里藍(31)が今季限りでの引退を表明した。

 

 9日午後に行われた会見によれば、引退を決意した理由は「モチベーションの維持が難しくなったこと」だそうだ。

 

 それを感じたのは2012年の米国LPGAツアーのメジャー大会が終わった頃だという。宮里が米国ツアー挑戦をスタートさせたのは2006年。米国LPGAのメジャー大会は、当時のクラフト・ナビスコ選手権(現ANAインスピレーション)、PGA選手権、全米女子オープン、全英女子オープンの4大会だったが、この年、宮里はいきなりPGA選手権で3位タイの好成績を残している。

 

 その後、日本とは異なるグリーンやコース形態などに戸惑い、結果が出ない時期があったが、粘り強く順応し、挑戦3年目の全英女子では5位になった。これをきっかけにしたかのように2009年は調子を上げ、米ツアー初優勝を達成。全米は6位タイ、全英は3位タイという好成績を収めた。そして2010年には米ツアーの5戦を制して世界ランク1位にもなっている。この頃の日本では、宮里が日本選手初のメジャー制覇を成し遂げることを多くの人が期待していたし、その瞬間はすぐにでも来ると思っていた。

 

 ところが、2011年はトップクラスの成績は維持していたが、メジャー4大会は全米で6位タイに入ったものの不本意な成績に終わる。そして問題の2012年。開幕直後のクラフト・ナビスコは56位タイ、PGAは6位タイとやや持ち直したものの、全米は28位タイ、全英は26位タイに終わった。

 

 宮里が最大の目標としていたのは米女子ツアーのメジャー大会制覇。本人も世界ランク1位になった2010年頃は、その目標に手が届く実感があったようだ。モチベーションも高く、万全の準備をして臨んだはずだ。しかし、思った結果は出なかった。同様のモチベーションで練習もしっかり積んできたのに、2010年にはできたことができなくなっている自分に愕然としたのではないだろうか。

 

わずかな変調が成績を左右するゴルフという競技の難しさ

 

 この辺がゴルフの難しいところだ。とくに最高のプレーをしなければ勝負にならないプロは、ほんの少しのフィーリングやリズムの狂いが結果に表れてしまう。宮里もその変調の正体がわからず混乱したはずだ。そこに気が行くと、モチベーションだって維持できない。そしてますます迷路に入り込んでしまう。

 

 会見では「自分の武器だったものが、武器でなくなってしまった」と語り、「得意だったパターもイップスになってしまって」と吐露した。パワーではハンディがある宮里は正確なショットと巧みなショートゲームで、それを補っていた。そのひとつの武器がパッティングだったが、それさえも打つことすら怖い精神状態になってしまったようだ。

 

 米女子ツアーでの宮里の成長と苦悩の軌跡は各年の年間賞金獲得ランキングに表れている。

 

 2006年=22位 2007年=17位 2008年=46位 2009年=3位 2010年=6位 2011年=8位  2012年=5位 2013年=27位 2014年=86位 2015年=77位 2016年=67位 20075月末現在=93

 

 挑戦当初は慣れない環境に戸惑いながらも、そこそこの成績を収め、ランクアップを目指した。4年目にはその努力が報われ、ランキングトップ10入りする。その位置を2012年まで維持したが、会見で明かしたようにモチベーションが保てなくなり、そこに自身のプレーの変調が加わり成績は下降。そして2014年からは翌年のツアー出場がかかるシード権(80位まで)を獲れるかどうかのところまで落ち込んでしまった。

 

 このようなケースは、プロゴルフ界ではよくあることだ。技術だけでなく、メンタルが重要なスポーツだからだろう。

 

タイガーも中嶋常幸も大スランプに幅広い年代と戦う厳しい世界

 

 見違えるほど落ち込んでしまった代表例はタイガー・ウッズだ。1997年から2013年までの17年間で10度、米男子ツアーの賞金王に輝いている伝説的名選手。生涯獲得賞金が1億ドルを超えている。とくに2000年から2002年までの3年間は手がつけられないほど強く、メジャーを含めてすべての大会を勝つほどの勢いがあった。しかし、2009年に起きた不倫スキャンダルと、それに伴う交通事故をきっかけに低迷。一度復活し、2013年には再び賞金王になったが、2014年以降は100位以下が続いており、かつての栄光が嘘のような不振に喘いでいる。

 

 現在、ウッズは41歳で年齢的限界説もあるが、40代で優勝争いする選手もたくさんおり、ウッズが本来の実力を出せば活躍はできるはずだ。米ゴルフ専門誌の取材によれば、ウッズは完全に自信を喪失しているという。技術の問題ではなく、精神的に戦える状態ではないのだ。

 

 <以下、次回>


 

 

インディ500優勝の快挙。佐藤琢磨「みんなに感謝。本当に、本当に嬉しい」

motorsport.com 日本版 5/29() 9:24配信

 

佐藤琢磨(アンドレッティ・オートスポート)は第101回インディ500で優勝。日本人初の歴史的快挙を成し遂げた。しかし彼のレースは簡単なものではなかった。レース中盤、ピットストップの際にホイールナットを落としてしまうというミスがあり、一時隊列の中団に下がってしまったのだ。 


しかしその後の佐藤は、予選で発揮したペースをいかんなく披露し順位を回復。終盤には難敵だったマックス・チルトン(チップ・ガナッシ)を抜き、エリオ・カストロネベス(ペンスキー)との激闘を制して、見事トップチェッカーを受けた。

 

 「まずマイケル・アンドレッティと、アンドレッティ・オートスポートのチームみんなに感謝したいです。彼らのサポートがなければ、僕は今日ここにいることなんてできませんでした」

  そう佐藤はレース後に語った。

 「ある時、僕は勢いを失い、10番手くらいまで落ちてしまいました。僕はただ自分の仕事に集中し、クルマとピットストップを信じました」

 

 「その時が来たら、僕は100%やり切る必要がありましたが、それができると確信していました。でも、その時を待っていた。ラスト数周、それがその時だったんです」



 

 「エリオがいつもチャージをかけてくることは知っています。しかし彼は紳士的だし、フェアプレイヤーです。僕は彼を信じ、サイド・バイ・サイドでターン1に入って行きました。それで、僕は成し遂げたんです」

 「最後の数周、クルマは素晴らしく動いてくれました。僕は支えてくれたみんなに、感謝してもしきれません」

 

  インディ500の勝利が、佐藤にとってどんな意味を持つのだろうか? それについて尋ねると、佐藤は次のように語った。

 「ものすごく大きい事です。どうなっていくのかは、想像することすらできません」



 

 「日本のもてぎでのレースは、とても良いレースだと思っていました。ファンの皆さんには、本当にありがたく思っています。僕にとっては、ホームレースはいつも特別なものです」



 

 「しかし最近では、多くの日本人のファンがインディカーをフォローしてくれています。特にインディ500のために。今日も彼らが日本からやってきてくれていることを知っています。本当に多くの人が来てくれました。だから、僕らが成し遂げたことを、誇りに思っています、そしてチームは本当に素晴らしいチャンスを与えてくれました」



 

 「今日は最終的に素晴らしい結果を出すことができたので、僕は本当に、本当に嬉しいんです」

<佐藤琢磨選手がとうとうインディ500を制した。期待されながら、なかなか勝てなかった。もう40歳になって全盛期も過ぎたかな?(失礼)と思っていたが、とうとうやってくれた。執念の勝利・レジェンド佐藤琢磨・・・おめでとう!!>



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