2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
<「老進気鋭」で年金返上!?>
・作家森村誠一氏が年金制度についてこんな提起をしている。(文藝春秋2012.1月号) 以下はその抜粋である。 「50数年前、ようやく就職した大阪のホテルの初任給は8,000円であった」 という。・・・・(私も、52年前に就職した秋田の銀行の初任給は8,250円でした) 「その薄給の中から厚生年金や、各種積立金などを天引きされると、手取りは、7,000円以下になってしまう。・・家賃5,000円を差し引かれると、残りは2,000円になってしまう。・・中略・・給料日が近くなると無一文となり、親しくなったボーイから500円借りてしのいだ。そんな酷給(?)でも、厚生年金は支払い続けた」・・・・昭和35年当時同じくらいの給料で私の厚生年金保険料は、月当たり300円程度でした。 「平均寿命 男79歳、女86歳を突破した。平均的に60歳でリタイアしたとしても、あと20年ある。・・一口に余生といっても、60代は年少組、70代は年中組、そして80以上のスーパーオールドがシニアの年長組となる。」 「60代年少組は、まだ『おじいさん(おばあさん)』には早すぎる。年金をあてにする前に働くことを考えるべきであろう。定年は会社の仕事のライン上、便宜的に付けた区分に過ぎない。・・まだ十分に使える能力の社会的活用を考えるべきであろう。」・・・・という。考え方は理解できるが、現実にはなかなか希望どおり「能力の社会的活用」の場が無いようだ。 「高齢化社会に移行すればするほど、現役、それも若者の負担が重くなる・・ 。保険料不払いを決め込む若者も増えている。事実、20代の若者に70歳の年金支給など、現実味がない。たとえその年代まで生きたとしても・・将来の保証もないのに、何で自分が縁もゆかりもないじいさんや婆さんの年金を負担しなければならないのかと、率直に思うであろう」・・・・若者の言い分もある程度理解できる。 「だいたい保険や年金は相互扶助の精神を踏まえている。これまでせっせと身を削るようにして働いてきた老人が働けなくなった時、次の世代がこれを支えるのは、時の流れに乗って生き、そしてこの世を去っていく人間の歴史が編み出した輪番制である。若者は老人が作った社会をリレーランナーのバトンのように引き継いだ事を忘れてはならない。」 「人間は先達から時代を引き継いだ時、過去の石器時代からやり直す必要はない。先達から引き継いだ時点から走り出せばよいのである。・・自から次の世代に引き渡すとき、先達から引き継いだ時代に、わが時代の付加価値を積み重ねていかなければ人類は衰亡する。このように考えるとき、保険料は老人(先達)の生活を支える義務ではなく、人類歴代の輪番である。」・・・・というが、老人の言い分のように思えてならない。が、次のように提起もしている。 「年金の受け取り側の老人も、認識を改める必要がある。」 「老いに甘える人と、老いを拒む人との違いは、人生第3期を文字通り余った生(余生)にするか、誉れある生(誉生)にするかの分岐点となる。ならば、どうすれば人生の総決算期でもある第3期を誉生にすることができるか。現役を退いても、人生の先達として、社会や家庭において求められ、尊敬されるためにどうすればよいか。 1.健康であること・・日頃の心がけによって健康は保てる。 2.多少の経済力があること・・定年までに多少の蓄えを残しておくこと 3.配偶者の存在・・・特に男にとっては大きい 4.生産性・・・・・・どんなことでもいいが、社会的な活動に参加して、 社会に貢献する 5.趣味を持つ・・・・仲間ができ、社会的な活動にもつながっていく 6.お洒落をする・・・身だしなみを忘れたものは速やかに老化していく 新進気鋭という言葉があるが、【老進気鋭】もありうる。」・・・・この意見には全面的に賛成。一部を除きほぼ実践・該当と自負している。 「年金制度は自力で泳げなく(働けなく)なった高齢者を支える浮き袋であり、社会保障の重要な機能である。この制度の崩壊は、文化の崩壊につながる。 若者は未知の未来に戸惑うことなく、無限の可能性に挑み、自力で働けるシニアは働けなくなるまで年金をあてにしない」・・・・と結論付けている。 因みに、昨年満70歳まで保険料を払い続け、70歳を過ぎて今なお年金受給を返上(停止)して働いている私のような老人(自称「老進気鋭」)もいることを、「保険料不払いを決め込む若者や老いに甘えた横町のご隠居さん達」に知ってもらいたいものである。 PR |
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