2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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<大腸内視鏡健診の思いで>
 2年振りに大腸内視鏡健診を受けてきました。約1カ月前から検査のお勧めを受けて・・・気が重かったが。大腸がんで早世した友人のことを思い出し、「仕方ない受けるか・・・」とした。
 
元々最初に健診を受けたのは約20年前のこと。この時は大変ショッキングな症状があった。
山梨で単身赴任をしていたある日のこと。会社のトイレで(和式であった)用を済まして何気なく便器を見ると、そこに真っ赤な鮮血が・・・。
「これは何だろう?・・・・」
急いで近くの会社契約病院に駆け込んだ。当然のことながら医師はすぐさま診断は下さない。
「大腸カメラ(内視鏡)検診を受けたことがありますか?」とか聞かれたと思うが、勿論経験はなかった。早速予約を取らされた。
 
検査の為に検査前日からこれも初めての検査食を食べ、検査当日は朝から病院で水(薬品が入っていたかも)をがぶがぶ飲んで、トイレに何度も駆け込んで、そして最後は浣腸までかけられて・・・。「これでおなかは空っぽできれいになりましたよ」とかなんとか言われて、いざ検査室へと案内された。
検査室で順番を待っていると、衝立をはさんで隣の部屋では先客(?)の検査をしている様子が聞こえてくる。それはナマナマしい女の人の声だ。
「先生、痛い!痛い!・・・もう許して!」と泣き叫び、そして哀願にも似た声が・・・。
始めての私には、異様な情景(と言っても見えないが)が想像され、そんなに痛いものなのかとますます不安を感じながら待った。
 
「ハイ次の方どうぞ」と促されて検査室に入る。
もうマナ板のコイだ。覚悟を決めてベッドに横たわる。先端にカメラのついた細い長いロープ上の検査器具は見た目にもあまりいい気持ちではない。当時麻酔注射があったかどうかは記憶が定かでない。「ハイ、力を抜いて」とかなんとか言われながら・・・、異物挿入となる。
前の人のように断末魔を上げるほどの痛みではない。特に痛みがあるのは、カメラ&その管が大腸のくびれ(コーナー)を通過する時である。検査員がその都度、「少し痛くなりますよ」と予告してくれる。その時だけ『ウーム』と唸っただけ。検査時間は約15分~20分だったと思う。ある程度痛さ加減が分かるとモニター画面を見ている余裕もあった。
「何だ、先程のおばさんヒ―ヒ―言って・・・。大したことないじゃん」という感じでした。確かに、未体験ゾーンに対する不安・恐怖は痛みが増幅されるようで、それにカメラを移動して行く時は、同時に腸を膨らませるためにガス(空気?)を入れるため膨満感があることも不安を感じさせるのかもしれない。先の患者さんはそういう恐怖感もあったものと思われた。私にとっては、以前に経験した「腎臓結石の苦痛」よりは軽度なものと感じられた。
 
その時の診断結果は、「異状なし」だった。ただ、検査員曰く、「大腸検査には関係ありませんが、あなたは“Ji”があることを知っていますか?」
「えっ?」・・私にとっては初耳だった。
後日医師曰く。「下血には色々な原因が考えられますが、主として多いのは(考えられるのは)、大腸ポリープ(又は癌)、胃潰瘍、Ji(痔)です」
その時の判断では、大腸ポリープなし、胃潰瘍はたいてい血便が多いという。
鮮血であればJiの可能性が・・・という結論となった。
以来、1年~2年毎に大腸健診を継続している。
 
 
<今年の検査より>
 今回の検査では、当日の下剤使用は家庭で行うことであった。朝から、スポーツドリンクみたいな味の水溶液1.8リットルを1時間半から2時間かけてひたすら飲む。・・・その間トイレに駆け込むこと78回。駆け込むほどに、徐々に排出物は水っぽくなり、最後はほとんど色のない水と同じになる。・・・準備OKである。
 
 病院に着くと間もなく血圧測定。検査を前に多少緊張・興奮したか、138-80とやや高い。問診で、便の様子、検査着の確認(専用パンツ、紙のシーツを持参する)を受け、着替えをしていざ検査室へ。
 
 ベッドに横たわり、左手人差し指に血圧計を挟み、右腕の血管に麻酔注射を・・・ほんの10秒もしないうちに意識がなくなって・・。
 
「。。。さん終わりましたよ!」という声に目が覚めて。
 痛みも全く感じることもなく拍子抜け。別室に案内されて約1時間麻酔の覚めるのを待つ。
 「ポリープを取ったので、1週間くらいは刺激の強いもの、お酒、激しい運動、ゴルフは禁止です」との注意を受けて、「ハイ、お疲れ様です」
 ポリープの検査結果は2週間後ということで検査は終わった。
 
最近の内視鏡(カメラ)検診は、胃カメラも大腸カメラも無痛検査となった。
IPS細胞」の発見でノーベル賞となった人もいるが、内視鏡無痛検査にもノーベル賞挙げたい!・・・医学の進歩は素晴らしいと思う。
 
<2012-10-26 大腸内視鏡検査にて>

≪私であることの証明?≫
 毎日(ほとんど)昼休みに近くのコーヒーショップに行くことにしている。
 わずか30分足らずの時間だが、コーヒーブレークしながらのこの時間は1日のハーフターンとして気分転換することにしている。もう4年近く通っているコーヒーショップでオーダーするのは、夏でも冬でもアメリカンである。そして“ダイエット・シュガー”を添えてもらうのであるが、何回となく通っていると、時々「ダイエットシュガーですね?」といってくれる店員さんがこれまで何人かいた。(この話は以前にもブログったが・・・)
 数か月前までいた店員さん(多分店長らしき人だったが)がいつの間にかいなくなって、また新しいメンバーとなった。
 昨日の昼休みのこと、なんの気なしにいつもの注文をしたのだが、“ダイエット・シュガーでよろしかったですか?”と言ってくれた人がいて、「ありがとう覚えてくれたんですね?」(私がどこの誰かは知らないはずだが)・・・何となくいい気分の30分でした。
 
 同じ日。退社時間になって、エレベーターで一緒になった会社のKOB君と久し振りに神泉駅までゴルフの話となった。・・・・数ヶ月前のラウンドの時の話。今週末に先輩と出かける話。先輩は体育会系で、飛ばし屋であるが時々大たたきする話。そもそもゴルフのマナーの話。都内ではなかなか練習場がないので苦労する話等々・・・。
井の頭線下北沢までの約10分足らずのゴルフ談議となった。会社では仕事の話をすることはまずない私とはゴルフのみで繋がっているような、でもゴルフの話をするとなぜか尽きないようだ。好青年である。
 
 夜。今日は水泳の日だ。7時半過ぎにスポーツクラブに入る。
 受け付けが終わってロッカ―ルームに向かうと、その途中(女子ロッカー入口)に何やら手を振る人がいて、「間違っちゃいけないと思いましたが・・」と彼女がにこっと微笑んでいる。・・・「やーーこんばんわ!」と私。
 休日に整形外科でお世話になっている受付・事務員さん。スポーツクラブでは人が変わったようにダンス(エアロビ、バイラバイラ、ヒップ・ホップなど)をしまくっているお嬢さん。どれくらいか分からないが(3時間はいるようだ)プログラムが終わってもまだ好きな人達と躍っているタフなレディである。
 
そんな一日に出会った人達。名前はどうでもそれが私であることの証明ですか。
<最も短い手紙?>

 「?」・・・・「!」
 
これは、かって『ギネスブック』日本版にも『最も短い手紙』として載ったことがあるという。
 フランスの作家ヴィクトル・ユゴー(18021885)が1862年『レ・ミゼラブル』を出版した時、売れ行きが気になって出版社に問い合わせた手紙には、ただ・・・「?」
 その意味を理解した出版社の返事がまた記号1つ・・・「!」
 感嘆符『!』のことを日本の出版界では、いわば業界用語として“びっくりマーク”と呼ぶ。
 『レ・ミゼラブル』は世界的なベストセラーになり、いまだに読まれ続けている。
 
<日本一短い会話?>
 
 「け」・・・・「く」
 
 これは、青森県や秋田県でよく使われている会話(方言)である。
『け』は、「食え」が短くなったもので、「食べなさい」「召し上がってください」
 これを受けた、
『く』は、「食う」が縮まった形で、「食べます」「いただきます」
おそらく日本一短いやり取りであろう。
 
<なお秋田県のある地方では、「け」は「来い」という意味にも使われることがある>
 
<その他の短い会話>
 『どさ』・・・「どちらに行きますか?」
 『えさ』・・・「家に帰ります」
 などもある。
 よくある話では、「めし」、「ふろ」、「ねる」などは馴染みの深い会話。
   
<「読むクスリ」上前淳一郎著(文芸春秋)より一部抜粋です>
≪第2木曜会の楽しみ≫
 今年の5月から、毎月第2木曜日にゴルフを楽しむ会が出来た。私は毎回とはいかないが参加することにしている。10月で3回目だ。
 4人とも70歳台で私が最年少だ。発起人は前前職場の先輩TAJ氏。他のメンバーは、元三菱GP会社のISM氏、元郵政省官僚のKWN氏。それぞれ一対の知人がつながった仲間だ。即ち、STTIIK・・そんなつながりだ。
 不思議なもので、何度か会ううちに慣れ親しみがわいてくる。前回、9月度のプレー後の帰り道、『そのうち一杯飲みましょう』ということになって話はトントンと。『では次回、プレーが終わってから町田で・・』と決まる。
 
10月はある人の都合で第1週目になって、プレー終了後、4時に町田駅近辺に集合とした。この日は、スタートが8時だったので、プレー後に一汗流してクラブを出たのが2時半頃。予定の4時を繰り上げて3時30分から、『プレーオフ会(飲み会の別称)』が始まる。
 プレーオフはせいぜい3時間位と思って、私は次の予定(夜)を入れていたのだが、最近の御年寄(先輩達)は元気がいい。プレーオフも延々と続き勝負付かず(?)。しからばとカラオケで勝負しようということになってホール(?)を移動することとなった。時刻は夕刻6時前。私の行きつけのスナックはまだ開店前だ。マスターに願いこんで、「6時半過ぎなら開けます」という快諾を得てプレーオフ第2ラウンドへ。
 
 もうすっかり出来上がっているのだが、少し飲みながらやがてカラオケ合戦が始まる。お店は貸し切り状態だから次々と回しマイクとなる。それぞれ始めて腕前ならぬ喉(のど)前を披露する。因みに、ISM氏は演歌調だがかなり歌い慣れている。KWN氏は民謡を習っているとかで本格的な民謡調で、声量もあり、沖縄民謡を始め素人はだしだ。そして、TAJ氏は昔からよく知っているが、ハワイアンとカントリーミュージックの名手だ。私は、あまり得意なジャンルがないので、昔、TAJさんとよくハモっていた曲を3曲ばかり披露して・・。
 皆盛り上がって、それぞれ褒め合って・・・でもカラオケはやっぱり自己満足の世界みたいだ。歌っている本人が満足するのでなければ楽しくない!。最近あまりカラオケに情熱が湧かなくなってきた私は、・・・・・・なんとなく、元気な年金族にプレーオフで負けたような気分・・でした。
 

 長時間のプレーオフもやがて一人帰り、二人帰りして・・・やっぱり午前様でした。
<時間の使い方は、命の使い方>
「一人前の修道女になるためには、数年の準備期間があり、30歳近くで入会した。・・・20代の若いアメリカ人・百数十名と、ボストン郊外の広大な修練院で修行していた1年間のある日のこと」。
 
「その日は夏の暑い午後だった。私の割り当てられた配膳の仕事を食堂で果たしていた。百数十の皿、コップ等を長机の上、パイプ椅子の前に一つひとつ並べてゆく仕事を、沈黙のうちに手早く行っていた時だった」。
 
「突然、『あなたは、何を考えながら仕事をしているのですか』と厳しい顔をした修練長の姿があった」
「『別に何も』と答えた私は、『あなたは時間を無駄にしている!』と叱責された。命ぜられたことを、命ぜられたようにしていたから戸惑いを隠せなかった」。
 
「修練長は、そんな私に今度は優しく諭すのだった。『時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。同じ仕事をするなら、やがて夕食の席に着く一人ひとりのシスターのために祈りながら並べてゆきなさい』。何も考えないで皿を並べるなら、ロボットの仕事と同じだ。『つまらない』と考えて過ごす時間は、つまらない人生しか残してゆかない。同じ時間を費やすなら、一つ一つの皿を並べる時に、『お幸せに』と、私にしかこめられない愛と祈りを込めて並べて、始めて私は愛と祈りの人生を送れるのだということを、その日、その時、教えられたのだった」。
 
「時間の使い方は、命の使い方、この世に“雑用”という用はない。用を雑用にした時に、雑用が生まれるのだということを、心に叩き込まれた修練院の一こまであった」。
 
「仕事を“する”doingも大切だが、どういう自分かというbeingを忘れてはいけないのだ」
   【文芸春秋10月号 「雑用はない」(筆者 渡辺和子氏 ノートルダム清心学園理事長)より抜粋】
 
毎日のように、法令・定款、責任・義務だとか、監視・検証等々の活字に囲まれている私には、とてもホッとし、心休まる話でした>


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