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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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≪10年振りのスキーに行って来ました≫・・・その1
 ・71歳になって・・今更スキーなんてと思っていました。というよりも自分ではそんな考えもなく、考えたことすらなかったこの10年間でしたが・・・。
 きっかけは、会社の“雪部”の皆さんからの誘いでした。そういえば昨年も話があったのですが、あまり乗り気ではなくまた、足があまり調子がよくなくてお断りしていました。足の調子はその後も一進一退で、整形外科に週1回程度通って、磁気と電気治療をしておりますが、残念ながら気休め程度にしかなりません。
 そんなある日。確か昨年の12月頃のこと。今年も又お誘いがあって・・そのプランの中の一つに、2月の『山形・蔵王』遠征がありました。「蔵王か・・・行ってみたいな-」と心を動かされました。そして、蔵王なら行ってももいいな、と間もなく決心したのです。
 
 ・私が20歳のとき、先輩に連れて行ったもらった本格的なスキー場こそ、
【蔵王】なのです。それ以前・・少年の頃・中学生までは、実家が雪国・横手だった頃、付近のスキー場で見よう見まねで滑っていたものである。
 泊まりがけで本格的なスキー場に行くなんてことは考えもしなかった頃だから、始めてみる本格的なスキー場「蔵王」はあまりにも強烈な印象があった。
本格的なスキー場とはこんな華やかな世界・楽しい世界なのかと驚かされた。・・・それはまるで、物心がついた子供が、始めてみる・体験する驚きの世界に目をキラキラ輝かせる、そんな新鮮さと感動があったような気がします・・。
 
 ・それ以来ほぼ30年。蔵王には毎年通い続けました。最初の頃は、電車・バスで通いましたが、東京に居を構えてからは、スキーバスだったり、自家用車だったり、あまり列車を利用することがなくなりました。ときには、名古屋から車で行ったり、甲府から遠征したりということもありました。そんな蔵王遠征も、50歳頃で終わりました。スキーはその後、数回行きましたが私にとっては、スキーの歴史は蔵王の歴史のようなものであったといえます。
 
 ・遠征参加が決まって・・・不安と期待とがありました。
 その①:左足が大丈夫だろうか? 痛みが更に酷くならないか?
 その②:もう全盛期の滑りができないだろうが、どうか?
 その③:最近のスキー板は“カービング”が主流だが、対応できるだろうか?
 その④:その後ゲレンデはどう変わっているだろうか?
 その⑤:昔お世話になった民宿のおばあちゃんは元気だろうか?
 その⑥:天気は?(強い低気圧が来ているというが・・・どうか?)
 
 ・2月22日(金)18時08分、定刻に東京駅を出発した。特にトラブルもなくほぼ定時に山形駅に到着。後続のTUN氏を待って、22時15分のバスに乗る。蔵王温泉には23時到着。小雪が降り続いていてバス停で20センチ程度降り積もっていたが、間もなくホテルの迎えバスに乗って23時15分ホテル着。さっそく温泉に入って、その後軽くビールを飲みながら談笑して、就寝は午前1時頃。
 
 ・2月23日(土)天候:雪。7時半朝食。8時半に宿を出てレンタルスキー店に案内してもらう。その前がロープウエー乗り場なので、運行状況を聞きに行くと、まだ時間が早いせいか混んでいない。ということでこのままロープウエーで一気に頂上まで行った方がいいという判断で、皆を集めて頂上行きに乗る。この間30分位。最盛期は2~3時間待ちが当たり前のところだが、時間が早くて空いているのか?、それとも昔ほど客がいないのか?・・・結局双方であった。
 中間駅でもほとんど待ちがなく地蔵岳の頂上に到着した。天気が良ければここから名物の“樹氷群”が見渡せるのだが、あいにくの吹雪。気温は、マイナス14度+体感温度は推定5~6度、-20度くらいのザンゲ坂を下る。
 数メートル先しか見えない吹雪の中を下る。スロープ・角度も見えない悪条件であった。残念ながら“樹氷”も見えず、見る余裕もなくなんとか降り切る。こんな天気ではゴーグルが必携品なのだが、YUH氏は持参せずということで、辛かったようだ。仕方なく、彼はパラダイスから大平コースを経て、宿までゴーグルを取りに行くこととしいったん別れる。私達4人は、樹氷原コースから黒姫コースを堪能し、ユートピア・百万人ゲレンデを通り、横倉まで降りるコースを下る。名物の“横倉の壁”は今回全員自重してパス。12時頃ロープウエー乗り場まで降り切って、近くのロッジ・レストランに入る。昼休みの超繁忙時間帯だが、思ったほど混んでなく座席は確保できた。ここでYUH氏と合流。
 午後からは、蔵王中央ロープウエーで上る組(3人)と大森ゲレンデ方面チャレンジ組に分かれて行動。14時30分頃に中央ゲレンデで合流することとしたが、大森組は少し遅れて到着する。
 そこから、ハ―ネンカムコース(元国体滑降コース)を下る予定だったが、雪のツキがあまりよくないのとアイスバーだったのでバイパスして、高鳥コースから下り、ハ―ネンカムCコース、サンライズ、中森コースへと移りながら、本日の滑走を終了。16時頃まで目いっぱいの滑走でした。
 結局天気は、午前中に一瞬だけ太陽が顔を出すことがあったが、ほとんど小雪か曇りだった。ただ、ザンゲ坂を下るときのような強烈な吹雪はないのが幸いだった。
 
 ・夕刻 17時30分からの早い夕食の後、“樹氷のライトアップ”というイベントがあった。女性陣2人がこれにチャレンジした。日中でさえあれほど寒かったので私は最初から参加する意思はなかった。
 彼女らが帰ってきて、写真を見て驚いた。天気もまずまず、写真も良く撮れていて大満足の様子でした。
 
 ・2月24日 天気:雪。4人は元気よくゲレンデに出かけた。
 私は、スキーは止めて、昔お世話になった民宿・ジンギスカン食堂「まつしまや」に出かけることにした。宿から車で蔵王温泉街まで送って頂いた。
 11時前だったので、食堂は開店前で電気がついていなかったが、運転手さんがわざわざ降りて店に交渉してくれる。都会の運転手ならこうはいかない。やはり田舎の人達は人が良い。まもなく戸をあけてくれて店内に入る。
 若旦那の奥さんが応対してくれて、20年前まで毎年お世話になったものですと告げ、おばあちゃんに面会を求める。間もなくおばあちゃん登場!
 「わー○○さんお久しぶり!」と顔をくしゃくしゃにして・・・私も何となく目が潤む思いであった。多分20年振りくらいだと思うが、しっかり顔も覚えてくれていた。
 おばあちゃんとあの頃の話、家族の話、食堂経営(?)等々の話を食堂のテーブルに差し向かい(私は熱燗を飲みながら)で30分位話していたら、昼食時のお客さんがぼちぼちと現れて、そのうち10名くらいの団体さんもどやどやと入ってきて、やがて店は大忙しとなった。すぐさま、おばあちゃんも臨戦態勢に入る。せいぜい20人位のテーブル・椅子席なので、「あなたは、あちらで飲んでいて」と奥の部屋に案内されるがままに席を移る。そこは、昔、民宿時代の宿泊者専用の食堂である。私はお酒をお替りしたり、そばを食べたり昔のことを思い出しながら至福の時間を2時間ばかり過ごした。
 昔から、『ジンギスカン食堂』として温泉街では有名な老舗。
最近は、ホテル・旅館も温泉街の外側に広がって、最近はこの温泉街も昔ほどの賑やかさがなくなってきた由。全盛期には年間150万人ほどの観光客・スキー客が訪れていたが、最近ではその半分位という。
それでも私がいた時間帯では、食堂も大忙しのようで「ああ、良かったな―」と一人つぶやきながら飲む。
 
この人(H 利子さん)、80歳。若い頃、旧NTTで働き旦那と職場結婚。
蔵王の食堂のお嫁さんになって50数年(推定)。その主人も昨年他界。
 今は息子さん夫婦が店を継いで、最近では忙しいときはお孫さんも手伝うのだそうだ。そんなお店「ジンギスカン食堂」の看板を家族経営で守っている。
 おばあちゃんは数年前に軽い脳梗塞を患ったが、ほとんどその気配を感じさせない、元気いっぱい、カッカッカと笑う顔は今も愛くるしいほどだ。顔の艶も良く皺がないのに驚いた。
 昔、お互いに若かった頃(40年位前?)に当時としては珍しい、髪の毛をカラーに染めて、テレビ取材に応じていたことがあったが、そんな話をすると珍しく顔を赤らめて、フッフッフと笑う。近所でも評判の派手なおばさんだった。
 
<おばあちゃんの話は続く>
 今年の2月上旬、蔵王で女子ワールドカップジャンプ蔵王大会があった。強風で延期となり、次の日、1日に2戦し、高梨沙羅ちゃんが連続優勝した。開催期間中、街を挙げてボランティア活動した。当店でも、嫁さんが参加。お茶のサービスを行ったが、お茶のサービス先は、選手や役員にではなく、もっぱら見に来たお客さんへのサービスが徹底された由。『時代が変わったねー』と述懐していた。
 『あなた達はよく滑ってたねー』という。私は40年ほど前から約20年間お世話になった。来るたびに、リフトが動き始める8時半頃にはリフト乗り場に行って、リフトが止まる4時まで目いっぱい滑って、夕食は決まって「ジンギスカン鍋」。それが終わるとまたスキー担いでナイターに出かける。10時頃帰ってきて、風呂に入って、また酒飲んで・・・、滞在中毎日そのペース。
当時の女主人(おばあちゃん)に、「よくやるねー」とあきれ顔で確かに言われたことを記憶している。・・・あの頃は若かった!
 
<おばあちゃんの悩みも聞きました>
 この建物(道路側は食堂だが、後方の部屋は民宿だった)も老朽化して、建て直さないと民宿は出来なくなった。消防法も厳しいから、建て直すにはかなりカネがかかる。借金して息子に引き継がせたくない。結果として出した結論は、民宿は止めて、食堂だけでやっていこうと・・・。
 御主人は、昨年、胃と腸の間に癌ができていて、気がついたときは末期でした・・・。どちらかというと無口な人で、ほとんど店には出ず、裏方に徹していました。店は派手おばあちゃんの独壇場でした。そういえば、いまの息子さんも親父さん似てあまり笑い顔のない・・・のようです。
 「冬は雪もあるし、寒いし、外にはあまり出ません。店の手伝いで動き回っているから何とか健康を維持しています」
 <雪が溶けたら少し外で動き回ろうね・・・と僕>
 娘さんが八王子で所帯を持っていて、その子供(お孫さん)さんが結婚した由。「結婚式も新婚旅行もしないで籍を入れただけです。今はそういう時代なのね」と苦笑いする。
 
笑うと昔の面影が思い出されて、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ姿を見ていると、そして別れ際に、「よく来てくれました」といわれると思わず目頭が熱くなって・・・うんうんとうなずくだけだった。
<おばあちゃんいつまでも元気で頑張ってね>と手を握って別れました。
 
行ってあげて良かった。私とおばあちゃんの2時間のランデブーでした。
良い再会でした。
 
 
≪次回は、とんでもないハプニングと一期一会の道中まで・・を予定≫
 
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