2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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ゴルフのスケジュールが入っていない土曜日は、掃除をしたのち(私の担当エリアだけだが)、午前中は図書館で本探し(本荒らし?)か、行きつけの喫茶店(だいたいは、NewYorker's-Cafe か CAFE de CRIEであるが)で、諸々の資料整理やパンフを見たりして過ごす。
この日、前日(金)の日帰り出張(JAXAつくば研究所)とその後の会食疲れ?もあって、ちょっと寝不足気味だったので、図書館行きはパスし、近場のCAFE de CRIEで読書と資料・パンフなどの確認で過ごした。約2時間余りを過ごしたのちコーヒー店を出て、家に向かう。
自宅マンションのエントランスまで来たところで、カギを出すまでもなく、タイミングよく内側からマンション扉が開いてご婦人が出てくるところに遭遇、そのご婦人は、私を見て扉を開いたまま「どうぞ」と招いてくれたお蔭で、私は、カギを使うまでもなく中に入りながら、「ありがとうございます」と、少し声高にお礼を言いながらマンションに入った。
我が家の玄関口まで来て、今日は天気も良く爽やかな風も入ることから、我が家の玄関扉も半開きになったままだった。ここまで、外出先から、我が家まで、全く鍵を使わずには入れた偶然は、私に家の鍵を持ってないことを忘れさせていた。鍵がないことに気が付いたのは、それから3時間後、その日の午後のランニング&ウオーキングに出かけるときである。
「あれ?鍵がない・・・、どうしたことだ」。午前中出かけた時に持って行った、ミドルバッグ、のあちこちのポケットやら、服装のポケットも探すが見当たらない。終いには女房にも尋ねる。「おかしいな、おーい、家の中に鍵が落ちてなかった?」と訪ねてみるも返ってきた返事は、
「しょうがないね、歳だからどこへ置いてきたの? どこか落としてきたんじゃないの?」
そんな答えのみ。仕方なく諦めて、合鍵で外出となった。
翌日(日曜日)も見当たらないまま、午前中の図書館通いも、午後のランニングも、夕刻のスポーツクラブにも合鍵同伴で行く。
トレーニングが終わった帰りに、いつもの駅前隣の(前日立ち寄った)CAFEの前を通った時、ふと立ち止まった。
ひょっとしたら、(昨日)カギを落としてないだろうか? 聞いてみよう、と立ち寄ってみる。「あのう・・・、昨日、ここの窓際で午前中コーヒーを飲んで、2時間ほどお邪魔しましたが、若しや、あの辺り(窓側を指して)に鍵が落ちていなかったでしょうか?」。受け付けてくれた店員は、すぐさま、後方で作業していた、上司らしき女性に耳打ちして、その女性がさっと私に近づいてきた。訳を話すと、すぐ頷いて「ちょっと待ちください」とカウンター後方の部屋に入っていき、ほんの数秒で帰ってきて私の前につかつかと歩み寄り、すぐさま私の前に鍵を差し出してきた。「これでしょうか?」私は思わず、「あっ、これです!。家の鍵です。助かりました!」と思わず叫んだ。「何か受領書とか名前を書きましょうか?」という私の申し出に、彼女は「結構ですよ。よかったですね」と優しく微笑みながら言ってくれた。その姿は、まるで天使のように見えた。
考えてみたが、あの時の夏ズボンは、つるつるした化学繊維で、ポケットも滑りやすいものだった。2時間余りの椅子で、何回となく姿勢を変えたりしていた結果、ポケットから滑り落ちたものと考えられる。決して認知症の仕業ではないと思うが・・・。
ポケットから落ちたのは認知症が原因では決してないと思うが、その可能性を思いつかなかった(思いつくのが遅かった?)のは、やはり認知症ですかね・・・?
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