2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
【第6日目】(6月6日)
≪バルセロナの歴史≫ ・カルタゴの支配下から独立国家体制へ(紀元前200年) バルセロナの起源は紀元前200年にまで遡る。当時、街はカルタゴの支配下でバルキノと呼ばれていた。その後、第2次ポエニ戦争を機にローマ帝国の支配下に入るが、ローマ帝国が崩壊していく5世紀ごろ、西ゴートの侵入を受け、バルキノナと名前を変える。713年にはイスラム教勢力に征服されるが、9世紀初頭、イスラム勢力を撃退したフランク王国の支配下に入り、キリスト教勢力の前線の砦となる。しかし、9世紀末にはバルセロナ伯国として独立国家体制を整えていく。 ・アラゴンとの統一成立と黄金時代のスタート(1137年~) 1137年、バルセロナは西隣りのアラゴンと合併してカタルーニヤ=アラゴン連合王国となり、バルセロナ伯爵はアラゴン王位を兼務することになる。この時期、バルセロナは地中海進出の拠点として繁栄し、約4世紀に亘る黄金時代を迎える。ラテン語からカタルーニヤ語が派生し、独自の言語による文学が盛んになり、カタルーニヤ・ゴシック様式のカテドラルの建造が始まるなど、文化面も成熟して行った。 ・カトリック両王時代からカスティーリャとの対立(1469年~) 14世紀に入るとカタルーニヤは徐々に衰退していく。15世紀末からのアラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベル夫妻の支配時代を経て、18世紀初頭、スペイン王位継承戦争でカスティーリャ王国に敗れ、政治・法制などの画一化が図られた。 ・スペイン王位継承戦争後に花開いたモデルニスモ(1714年~) スペイン王位継承戦争の敗北で衰退したものの、復興への努力が実り、19世紀前半にはスペインで唯一産業革命を成功させ、目覚ましい経済発展を見せた。19世紀末にはカタルーニヤ主義が誕生。このような自治を求めるうねりの中で、バルセロナではモデルニスモと呼ばれる華麗で自由な発想の建築様式が生まれる。 ・オリンピック開催を機に活気あふれる海港都市へ(1930年代~) 1930年代の共和国時代には自治制度が認められたが、スペイン内戦後、フランコ政権時代にカタルーニヤ主義は厳しく抑圧された。しかし激しい抵抗を見せ、フランコの没後、自治制度が再び機能し始めた。 バルセロナがその名を知られるようになったのは1992年にオリンピック開催。地中海に拓けた都市には世界中から観光客が訪れるようになった。 PR |
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