2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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・・・・ 「ルーアンからヴェルサイユ宮殿へ」・・・・
フランスの旅も6日目。 
モン・サン・ミシェルを早朝(7時30分)に出発。この時刻だとまだ朝日が昇っていない。
残念ながらモン・サン・ミシェルの朝の写真はとれずじまい。
パリに向かって東に走ること3時間余り。
10世紀にはノルマンディ公国の首都として繁栄した「ルーアン」に到着。
中心部には1250年建造の「ノートルダム大聖堂」がその威容を誇る。
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 1431年5月30日。ルーアンの旧市場広場で19歳のジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑を受けた。今は「救国の聖女」ヒロインとして処刑の場所には1979年完成のジャンヌ・ダルク教会が建っている。
(写真下)
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 この町には中世から近世に建造された建物がしっかり保存されている。(写真右下)
 上階に増築される毎に建物がオーバーハングしているのが面白い。地震国日本ではとても考えられない発想である。
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 この町の名物「黄金の大時計」・・12時間の表示が360度に描かれている。(上下がない)・・写真左下
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  ルーアンから1時間走って、世界遺産「ヴェルサイユ宮殿」に入る。
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 「1661年 ルイ14世がパリから宮廷を移すため、バロック様式でヴェルサイユ宮殿の工事に着手した。当時は木も水もない村でいわば荒涼の地。セーヌ川から水を引く工事が難航して、21年後には未完成の状態で宮廷が移転し、1687年に「鏡の間」(写真下)が完成。長さ73メートル、高さ10メートルの中に華麗なシャンデリアと578枚の鏡が埋め込まれて豪華絢爛。
 王朝内部の行事や外国から来る特使の謁見に使われた。
宮殿全体は1710年に完成。当時宮殿に住む貴族は約1000人。仕えた従業員は1万人と言われる。(現在の居住人口は10万人)
 貴族の贅沢な暮らしがフランス革命の引き金となったが、1789年の革命時までフランスの政治の中心地」という。(サポートガイドより)

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 煌びやかさ!
 豪華さ!
 贅沢さ!
 そして敷地のスケールの大きさ!
何を取っても「ヴェルサイユ アズ ナンバーワン」 と思った。
 宮殿内外・・あ・ら・かると写真
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                            P9220172q7.JPG

















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 夕刻、パリ・ホテル着。
 夕食は久しぶりの東洋料理「中華料理」であった。
 それでも……フランスで飲むワインは何にでも合う…と思った。

 <次回はパリの夜の散歩&パリあれこれなど>

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