<大正製薬(株)から頂いた最新の健康情報より抜粋>
・・・私は、20年前から、「加齢黄斑変性症」で苦しんでいます
2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
8月~9月にかけて、山梨のゴルフ場へ、宿泊2ラウンドを連チャンで実行した。
8月の時は、1日目の午後にゲリラ豪雨に見舞われて、近くの茶店に缶詰めとなって15分の緊急避難となった。(この話は、8月22日付のブログに書いたが)あれだけの豪雨でも、雷や停電はなかった。 今回は9月6日。我々15人/ 4組の仲間たちは、やっぱり甲府にある某カントリークラブで、快晴・炎天の中、後半のインコースを通過していた。5ホール目のテイショットが終わって、2打目地点に向かって、やや登り坂をカートに乗車して、1打目をやや打ち損じた私が、2打目を打って、カートに戻ってきたところ、カートのエンジンが力なくストップした。あれっ? と繰り返しスイッチを入れるが始動しない。そして、エンストの表示の赤ランプがついたままとなった。時間をおいて何度かエンジンをかけるとちょっと進んで、また止まって赤ランプ。どうしてもかからない。 エンスト? 故障? どうしたことかカーとがストライキ? 起こしたようだ。 やむなく、カートに備え付けの通信マイクで、キャディマスター室を呼ぶも、なかなか繫がらない。何回かかけなおしして待つこと10分くらい。ようやく、先方から返信があったが、全車両が止まっているのでしばらく待ってくれとのことだった。 停電です!という。 我々の乗ったカートが最初に止まった場所が、フェアウエイの真ん中辺で太陽がカンカンに照っている場所だ。暑くてカートに座ったままではたまらん、と、何とか車を動かしたかった。時々エンジンの赤ランプが消えて、エンジンがかかるのを幸いに、そろりそろりと何回かに分けて車を動かし、やっと日陰まで移動した。 ゴルフ場の他のコースでも皆足止め食って動いていない。はて、いつまで待っているの? だんだん不安になってきた。まだ日が暮れるには早いが、いつどうなるのかが分からないのが問題だ。 それから30分ほどして、やっと様子が分かりかけてきた。なんでも、ゴルフ場のみならず、近隣の市町村が停電になっているのだという。東京電力はどうしたの? 30分ほど待ってようやく、ゴルフ場では緊急対策として、従業員、キャデイ達が手分けして各ホールにいる客のカートに行って、スペアkeyで、カートを動かし、キャディなしの我々4組に、それぞれキャディが付き添って(運転をして)残りのホールを付き合ってくれるという、めずらしい光景となった。 これは、停電になって、それまでレールの上を走行していた電動カートが動かなくなったので、カートに積んであるバーッテリーに切り替えて運行することにしたものらしい。そうなると、カートは、線路上でなくとも運行可能になるが、そうすると、フェアウエイが痛むので、できるだけカート道路上を運行して芝を傷めないようにという配慮らしかった。それを客に行わせるのはちょっと申し訳ないから、事務所にいる従業員総出で、各ホールに出稼ぎ?でキャディ代行したものらしい。 なんだかんだで約1時間余り、足止めされたが、結果的には、被害なし。というのも、我々は、本日このゴルフ場泊りなので、時間の問題がなかった。ただ、あとで聞いた話だが、ふろに入っていた人は、お湯が出ない、厨房では料理が作れない、受付カウンターでは、清算の機械が動かない、冷蔵庫のものが心配等々、コース上でボケーっとしていた我々以上に、事務所、レストラン、ふろ場等々の対応が大変だったのを聞いて、停電による大変さ加減がいろいろ差があったことが分かった。 というわけで、前回(8月の「ゲリラ豪雨」)を上回るアクシデントに遭遇したゴルフ遠征であったが、皆さんけがもなく、無事、ホールアウトできたことが幸いだった。
目のかすみは、目や体の病気の初期段階に現れやすいといわれています。
Q1目が疲れるとなぜかすむの?
Aピント調節が鈍ってしまうためです 目から入った光は、角膜と水晶体で屈折して網膜上にピントが合います(結像)。光の量を加減する絞りにあたるのが虹彩です。写し出された像は視神経を通じて脳に運ばれ、脳の中で映像として認識されます。さらに距離に応じて、目の中にある毛様体筋という筋肉が縮んだり緩んだりして水晶体の厚さを変え、ピントを合わせているのです。 パソコンやテレビの画面、書類など近くの物をじっと見ている時は、レンズとなる水晶体を厚くするために毛様体筋は緊張しています。脚や腕の筋肉が長く緊張していると疲れるのと同様、毛様体筋も緊張が続くと疲れてしまいます。これが”目の疲れ”を引き起こすメカニズムです。 この状態で視点を違う所に移すと、緊張状態がうまく解除できないためにピントが合いにくく、物がかすんで見えるのです。 Q2かすみ目が現れる目の病気とは?
A失明につながる危険な場合もあります 目の病気は老化に伴うものが多く、その症状として、目のかすみが現れる場合があります。 ●白内障……水晶体が濁る病気。主に加齢を原因に酸化現象が起き、水晶体のタンパク質が変性し、濁りが生じると考えられている。加齢性の白内障は年齢と共に誰にでも起こり得る。紫外線や放射線も病気の進行にかかわる。 ●緑内障……40代以降の20人に1人がかかっているとされる病気。何らかの異常により眼球の内圧(=眼圧)が高まり、視神経が障害される(眼圧が正常値でも起こり得る)。初期症状がほとんどなく、視神経への障害がかなり進んでから視野 の異常に気づくことが多い。一度障害を受けた視神経は再生しないため、失明の危険を伴う。 ●加齢黄斑変性症……網膜の中心部分の「黄斑」が変性することで、物がゆがんで見えたりする。原因は加齢による老廃物 の蓄積、体の酸化(フリーラジカル)との関連が指摘されている。 ●糖尿病性網膜症……糖尿病の合併症。目の網膜は微小な血管が非常に多く、高血糖状態が続くとそれらの血管が詰まった り破れたりし、その部位の神経の機能が損なわれる。初期症状はなく、ある日突然目の中に大出血を起こしたりする。 Q3目の病気は予防できるの?
A紫外線から目を守り40歳以降は目の検査を 日常生活では、極力目への紫外線を防ぎましょう。紫外線は白内障や加齢黄斑変性症の発症や進行にかかわります。また、日頃から栄養バランスのとれた食生活、適度な運動といったエイジングケアを行うことも大切です。 一方、早い段階で病気を発見することも重要。体の検査だけでなく、40歳以降は、眼科でも定期的に検査を受けるとよいでしょう。 目の病気は検査して初めて見つかるケースが多く、また、目から体の病気が分かることもあります。目のかすみなどの異変が現れた時は、目や体の中で何かが起こっている可能性も。早めに眼科を受診しましょう。 目の健康に有効な注目の栄養素大正製薬(株)より、最新健康情報が送付されてきたので紹介します。
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男性 | 女性 | |||
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年齢 | 普段の速さで 歩いた時(秒) | できるだけ速く 歩いた時(秒) | 普段の速さで 歩いた時(秒) | できるだけ速く 歩いた時(秒) |
65〜69歳 | 3.2〜5.0 | 1.5〜3.1 | 3.5〜5.5 | 1.8〜3.7 |
70〜74歳 | 3.5〜5.6 | 1.8〜3.6 | 4.0〜6.8 | 2.2〜4.4 |
75〜79歳 | 3.8〜6.2 | 2.1〜4.1 | 4.5〜8.1 | 2.6〜5.1 |
80〜84歳 | 4.1〜7.4 | 2.4〜4.6 | 5.0〜9.4 | 3.0〜5.8 |
85〜89歳 | 4.4〜7.4 | 2.7〜5.1 | 5.5〜10.7 | 3.4〜6.5 |
出典:青栁幸利『病気にならずに100歳まで歩こう』(扶桑社)
病気を予防する歩き方“奇跡の研究”中之条研究とは?
歩数だけでなく中強度の活動時間が大切
「中之条研究」とは、青栁先生の生まれ故郷である群馬県中之条町の住民5000人を対象に、約20年にわたり行った身体活動と病気の関係についての調査・研究です。
人間の活動は、水泳の選手など特殊な事例を除き、歩数とその中に含まれる中強度の活動時間という2つの要素で説明できます。このことから、住民の方々に歩数と運動強度を計測できる身体活動計を24時間(入浴中以外)、365日つけてもらい、歩数と活動状況をモニタリングしました。これにより、病気の予防には個人の体力に応じた中強度の活動が欠かせないこと、そして、どの程度活動すればどんな病気を予防できるのかも分かったのです。
研究室での実験やアンケート調査ではなく、実際の生活の中から健康づくりのヒントを得ようという思いで始めたこの研究は、世界から“奇跡の研究”と称賛され、様々な企業や地域で取り入れられています。
中強度とは会話ができる程度の早歩き
中強度の活動とは、簡単に言えば「鼻歌は歌えないが、何とか会話が続けられる程度の早歩き」です。速度を早めるためのポイントは、歩幅を意識すること。人は老化と共に歩幅が狭くなり、それによって歩くスピードが遅くなります。また、普段何気なく歩いている時、人は自分にとって一番エネルギー効率がよい歩幅で歩いています。歩幅が広くなれば自然と歩行速度も上がり、無理なく中強度の活動ができるようになるのです。
病気と歩数&中強度の活動時間の関係
下の図は、中之条研究から導き出した1日あたりの歩数と中強度の活動時間に対する病気との関係図です。例えば高血圧症を防ぐには1日8000歩、その内中強度の活動が20分必要ということになります。
ここで大切になるのが歩数と中強度の活動時間のバランスです。中央のラインに近いほど病気予防の効果があり、ラインから遠ざかるほど歩数または中強度の活動時間のどちらかが足りていないことになります。病気の予防には歩数と活動強度のバランスがカギとなるのです。
▶ 次回は「肥満・メタボを防ぐ歩き方」についてご紹介します。
技術開発が呼び込んだ金メダルと世界新[競泳男子100m平泳ぎ]
1968年、17歳の田口信教は、メキシコシティー五輪で失意を味わう。
男子100M平泳ぎ準決勝で1分7秒1の世界新記録をマークし、一度は歓喜に浸ったが、「田口キック」と呼ばれた足の動きが、バタフライのドルフィンキックと判定され、失格となってしまったのだ。
本当なら、自分が金メダリストだったのにーー。
そんな思いが田口を強くする。キックに改良を加え、21歳で迎えたミュンヘン五輪。田口の狙いは100mでの金メダル獲得と、世界記録の更新だった。
8月29日に行われた100m平泳ぎ準決勝で、田口は1分5秒1の世界新記録をマークする。メキシコシティー大会以降、田口は1分6秒の壁をなかなか突破できないでいたが、一気に記録を伸ばしてきた。
そして翌日行われた決勝。なんと世界記録保持者は出遅れる。50mの折り返しでは7番手。これは厳しいかもしれないー。関係者は不安に思ったというが、田口はそこから驚異的な追い上げを見せる。先行する選手を一気に抜き去り、ブルース、ヘンケンといったアメリカ勢を抑え、先頭でゴールにタッチした。タイムは1分4秒9.世界記録の更新だ。
この金メダルは、日本の競泳界にとって、1956年のメルボルン大会の200m平泳ぎで古川勝が獲得して以来のものとなった。「水泳ニッポン」の歴史が,甦ったのだ。田口は200m平泳ぎでも銅メダルを獲得し、ミュンヘン大会の日本の「顔」となった。
田口の金メダル獲得は、「技術」の勝利だった。田口キックの開発、改良は、日本の高度経済成長期を支えた技術力の発展と重なるものがある。勝つためのアイディア、工夫、そして技術を習得するためのたゆまぬ鍛錬。創意工夫が世界の頂点へとつながっていたのである。
《今から47年前の1972年夏(昭和47年)、田口の快勝に日本中が沸いたのを思い出す。特に、折り返してからの50mの追い上げは、実況を見ながら日本中が皆んなで声を限りに応援した気がする・・・私も、眠い目をこすりながら東京で応援したのを思い出す》
<資料:AGORA Augast & September 2019 文=生島 淳 >
先週のCAT‐Ladiesゴルフトーナメントは、盛会だった。特に土曜日は、約5,000人近くのギャラリーが、練習場から、スターテングホール(1番、10番)、9番グリーンの周辺まで、こんなに多くのギャラリ-を見たことがないほど、の盛況であった。第1回から第23回まで全大会を見学して
、これほどのギャラリーを見たことはない。(因みに、第1回のトーナメントのギャラリーは3日間で3,000人、第23回の大会は、3日間で、11,000人とのこと)
この大会も、前年(大里桃子選手)と同じように、今を時めく?「黄金世代」の一人、淺井咲希が優勝した。
そしてもう一つ、LPGAのタイ記録で、1ラウンド11バーディ(うち7連続バーディ)という驚くべき記録を出したのが、蛭田みな実選手である。
以下二人の記事を紹介する。
《1万時間の凝縮 淺井咲希、黄金の2メートル》
LPGAツアー25戦『CAT Ladies 2019』(賞金総額6,000万円、優勝賞金1,080万円)大会最終日が8月25日、神奈川県箱根町・大箱根カントリークラブ(6,704ヤード/パー73)で行われ、淺井咲希がLPGAツアー初優勝。通算10アンダーで第1日から首位を守る、完全Vで飾った。黄金世代の初優勝は今季5人目。通算9人目となった。2位に通算9アンダーの穴井詩が入り、通算8アンダー、3位はイボミ。(天候:晴れのち曇り 気温:23.7℃ 風速:1.9m/s)
勝負はドラマの連続。黄金世代は既成の枠には収まらないパワーを秘めている。淺井咲希のLPGAツアー初優勝は、漫画のような決着だった。何しろ、50センチを外して、2メートルをカップインさせてしまうのだから。
18番、誰もが決まり-と思った50センチのパーパットは、カップを2メートルもオーバーしてしまった。信じられないシーンに、どよめきが起こる。「もう、負けたなぁと思いました。私の感覚でいうと、このままホールアウトできるのかなぁ。緊張してストロークの瞬間、パンチが入り、かなり強かった」と話した。
続く、ボギーパット。それでも、まだアドバンテージを握っていた。天を少し見上げると、さまざまなシーンが脳裏に浮かぶ。「朝から、まったく緊張しなかった。自分で大丈夫なのだろうか、と感じたぐらいです。プレー中もいろいろなことが、うまくいった。ただ、そう簡単に優勝はできないだろうと、18番では思っていたのです。だから、バーディーパットを寄せて、安全にというか…」。なまなましい葛藤を明かす。
そして、ちょっとの間をおいて、「あれ(パーパット)を外した瞬間、もう負けたと思ったから、今まで悩んでやってきたことを、ボギーパットに込めてストロークしたから、その勢いで泣いちゃった」。見事なウイニングパットは、おそらく視界が曇り、はっきりと自身の目には映らなかったに違いない。
困難な状況からはい上がる。これまた、漫画のような体験を話した。昭和のスポ根物語が、淺井家では行われていたのだ。「1万時間やればプロになれる」。父・靖宏さんの教えだ。「ずっと言われた。小さい時からです。形ができるまで、がむしゃらに練習しろという考え。自分でいうのもおかしいけど、1万時間は、余裕で越えている。練習だけではない。1カ月ごとの課題シートを渡され、シートに毎日書かされました」という。
もちろん、メキメキと上達し、高校2年までは順風満帆。しかし、予期せぬカベにぶち当たる。「団体戦で1メートルのパッティングが、カップで1回転して、私の足に当たりそうになった。それからです。パッティングのスランプで、試合の予選を通らなくなったのは。中学から高校2年まで、予選落ちはない。もうダメだ。ゴルフはやめようと思ったのは」。
当然のように、卒業後のプロテストは断念するつもりでいたものの、「父が1回は(テスト)受験してほしいといわれました。だから、プロテストは最初で最後のチャレンジ。とにかく、悔いを残さない。どうせなら精いっぱい、練習をして受験しようと頑張った」ことが、一発合格をもたらす。
人生はわからない。だから、おもしろいのだ。黄金世代9人目のLPGAツアー優勝を飾る。この日のスタート前、渋野日向子から、「最終日、頑張れよ」の激励があったそうだ。
「シブコもQTで苦戦して、ツアー出場を勝ち取った。あのすごさは異次元だから、同じようには感じていないけど、私も流れと勢いで上がっていこう」。記憶に残る初優勝は、ここ一番を切り抜けてきた、強い精神力がもたらした。
《蛭田みな美 渋野直伝の圧巻7連続バーディー》
一変とは、このことだろう。蛭田みな美が12番から7連続バーディーを決め、18位タイから、通算7アンダーで4位タイへ猛チャージを披露。「試合では3連続バーディーが多かった。というか、今まではそれが限界…」という。では、何が違ったのだろう。そこで、意外な名前が飛び出す。
「(渋野)日向子ちゃん」とは、聞き捨てならない。凱旋試合の北海道meijiカップ第2日、同組でプレーした。その時、たまたまパッティングの話題が-。「カップへ入れにくいイメージの時は、カップインするイメージだけでストロークすればいい。そんな話を聞いて実際にそうだなぁと思った。私は、パッティングの際、いいイメージをあまりつくっていない」と振り返る。
プラスの想像力が好感触を得たのは前週から。「パッティングの調子が上向いた。きょうの結果をみると、やっぱり上向きですね」と確信に変わる。とりわけ、最終18番は2メートルとはいうものの、「カップインさせるよりも、タッチを合わせに行った」そうだ。この日はLPGAツアー1ラウンド最多タイの、11バーディーを奪取したが、2ボギー、1ダブルボギーの内容。「まだまだ、これからです。後半戦、これからもっと頑張らないといけません」と、改めて自身のスコアを見直した。
04 | 2024/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
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1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |