2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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49年ぶりに再会した旧友>

 521日(木)1336分頃の話。

 突然携帯が鳴って、「YAMです。お久しぶりです!」と名乗った人は、忘れもしない小学校の頃の友人・隣人である。予期しない突然の彼の声に、お久しぶりですと言ったものの次の言葉が出てこない。

 彼とは、60年以上前にふるさと秋田・横手で小学校(私は低学年の頃)時代の何年かを一緒に遊んだ中である。私より2年先輩だが、お互いに家族で秋田に疎開していた頃の友人である。彼ら家族は、彼が小学5年の時に再び東京に戻っているが、私の家族は、その後も東京に戻ることはなく、秋田・横手で生活が続いた。だから私のふるさと・生育地は横手なのである。(私は、その後、就職・転職等があって東京に居を移したが・・・)

 

 彼と離れてからは、毎年1回の年賀状のやり取りが続いていた(かれこれ50年以上か?)が、最近56年はその年賀状も途絶えていたが・・・、昨年正月に又年賀状が復活したのである(この件に関しては、昨年1月にこのブログに「久し振りに頂いた年賀状」としてアップしたが・・・)。彼に言わせると、私のおふくろが他界してから、何となく出しそびれてしまったと言う。その年賀状の返信に、私は、現在の心境と勤務先・電話番号などを書き込んでおいたのがきっかけで、本日の電話・再会になったものだと言う。

 

 彼は都内の金融機関に約40年くらい勤務、私も一時期・10年ほど秋田の金融機関に勤務したことがあり、この間(10年間)で、地域は違うが、お互いに金融マン同士という認識があった。そんな折、昭和41年には秋田の私の住まいに旅行で立ち寄り、宿泊したことがあると彼は言うのだが・・・、私にはあまり記憶に残っていない。何しろ49年前のこと、半分認知症の気があるのか、私の記憶にないのである。

 このての話はもう一つ。彼と49年ぶりの再会をした渋谷・道玄坂で彼は、「やあ、昔とちっとも変わらないね」と言うが(お世辞でもないだろうが)、私から見て、彼の顔は全く覚えていなかった。

 

 それでも、田舎当時の話をするとお互いに記憶がピタリと一致する。

 やっぱり60年以上前という年月は、気の遠くなるような昔ではあるが、

戦後の、物資の乏しい中で必死に生きてきた時代を何年か共に過ごした旧友とは気脈の通じる何かがあると感じられた。

 

 「また会おうね」。固い握手を交わし、再会を約した。


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