2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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3月も終わりに近づいた水曜日の午後、しばらく音沙汰のなかったTM氏から会社に電話があった。取り次いでくれた女性社員が、「確かTMさんとか、あまりよく聞き取れなかったのですが…」と言って取り次いでくれた。
「ほうーっ」と急いで受話器を取る。
『久しぶりです。お元気ですか?』と出たものの、受話器越しの本人の声がよく聞き取れない。何かモグモグと言っているのだが、言葉が体をなさなようだ。
やっとお互いに相手を確かめられる状況になって、会話が少し進む。
一生懸命しゃべろうとするようだが、言葉が思うように出てこないようだ。ようやくその状況が分かったので、こちらから少しづつ聞いては相手の反応を確かめるように…。
それによると、彼は、1月15日の突然病魔に襲われて、それ以来入院していた。そして本日(3月26日)にいったん退院し、「会社に行き退任のあいさつをしてきました」と言う。明日からは、自宅の近くに転院し、治療・リハビリを行うという。体が思うように動かない。どうやら足が思うようにならない。言語も苦しそうで、思った言葉が出てこないようだ。とすると・・・、脳梗塞関連か? 病名は聞かなかった(聞けなかった)。自分の気持ちを一生懸命話そうとしているみたいだが、思うに任せず可哀そうだった。あまり時間をとらせてもと思い、頃合いを見計らって、電話してくれたことに感謝しながら、『これからリハビリをしっかり頑張ってください。また電話がかけられるときは、連絡下さい』と告げて電話を終えた。不自由な体調の中で、必死に伝えようとする電話の向こうでの彼の様子を思い浮かべて、しばらく自席でボーっとしていた。
彼との出会いは、今から2年半前(2011年11月)のことだ。仕事の関係で、業界団体の実務部会と称する月1回の会合の席上である。「実務部会」とは、幹事役数名が中心になって、毎回のテーマ・担当者を決め、事例発表や持論等を発表する。いわゆる勉強の場だ。そして、終わってから情報交換と称して軽い懇親会を任意参加で行う。
ある日、めったに参加しない彼と懇親会で隣り合わせたことがあった。生真面目な彼は、会合では控えめで、決して積極的に人前で意見を言い、また議論する人ではなかった。静かで、温厚な紳士であった。何となく気ごころがあったのは、お互いにアルコールが好きだったせいもあるかもしれない。隣り合わせが縁で私たちはすっかり溶け込んで語り合う仲になった。
それから度々、彼は私の会社に来ることがあって、二人で議論したり、情報交換したり、資料交換したり、時には一献交わしたりという良き友人関係が続いていた。
2年前に、私がある専門誌を私的な勉強用にパワーポイント化(アレンジ化)をしていたことがある。ところが専門誌にある法令条文等に古いものが多く見られ、その後の改定条文となっていない個所が散見されていたので、これをアップデートしながら作成するということで、結構な時間を要していた。(結果としては、索引に出てくる法令条文を1件1件チェックしながらの作業だったので、約半年かかってしまった)
彼が以前に出版の校正関係の仕事をしていたことがあると聞いていたので、私がこんなことをしていると話したところ、『添削』して上げますと快く引き受けてくれた。それから数カ月の間、私が原稿を作った都度、彼にデータを流して添削してもらうという原稿のキャッチボールが続いた。ようやく本体が出来上がって、目次がダサイ! ということで彼がアレンジしてくれたものを付け加えて完成した。
内容は、監査役に関連した事項を「question & answer」方式で解説した全278項目、339ページに亘るパワーポイントの資料である。オリジナル専門書の著者や出版社には許可を受けていないので、あくまで個人的な学習資料とするに止めるものだが・・・、出来栄えとしては、満足している。これも彼が指導してくれたお蔭なのだが・・・。
彼とは、その後も時々コミュニケーションが続いていて、特に彼の会社がIPOを目指していた頃は、諸問題や、個人的悩みや実務の情報交換等を頻繁に行った。
彼の活躍は、(話を聞いて想像するに)一監査役にとどまらず、それはCFOの役割ではないか?と思われるような案件まで背負っていたような気がする。それは、彼の経験からくる指導力と人の良さ、人格のなせる技かもしれないが・・・。
2013年12月13日彼の活躍で、めでたく東証マザーズに上場を果たした。
その直後に行われた監査役協会「実務部会」の席上で、そのことが紹介され、彼は、ちょっとはにかみながらご挨拶し、拍手喝さいを浴びた。
それから1週間後、もうすぐ年末だったが、彼と二人でささやかな祝杯を菊名の居酒屋で挙げた。相変わらず控え目な彼の顔にも「やり遂げた」という安ど感がうかがえた。
それ以来、3か月会えなかった。そして・・・、電話があった。
彼の早期回復を祈っている。
がんばれTMさん!
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