2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
≪ブタペストの街のあらまし≫
10世紀末の建国。ハンガリーの首都はエステルゴム(ブタペストの北西60Kmにある)だったが、13世紀のモンゴル軍襲来後、ブダの丘に首都が移された。16世紀になるとオスマン・トルコ軍がハンガリーに襲来し、ブダを含む中央部と南ハンガリーがトルコの支配下に置かれる。この戦争でハンガリー王家の血が絶えて義理の兄のハプスブルク家に王位継承が移り、西北ハンガリーがハプスブルク家のものとなった。
1699年にハプスブルク家はトルコを追い出し、ハンガリー全土を支配する。1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が発足した。
第1次世界大戦の敗北はハンガリーを独立させたが多くの領土を失う。
第2次大戦後、ハンガリーは人民共和国となったが、1956年の「ハンガリー動乱」でソ連への批判が強まり独自の経済改革を進めていった。
1989年10月23日、ハンガリー共和国が誕生した。
13世紀半ばに建てられたロマネスク様式の教会が14世紀にゴシック様式となり、15世紀のマーチャーシュ王の時代に80mの高い塔が建設されてほぼ今日の姿になる。1867年、オーストリア=ハンガリー二重帝国の発足の折、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのハンガリー国王としての戴冠式がここで行われた。
マーチャーシュ教会の東、ドナウ川に面して築かれた白亜の砦。1902年の完成。かってここに漁師組合があって王宮の丘の市場を守っていたことに由来。ここから眺めるドナウ川とペストの街は美しく、ブタペスト観光のメッカとなっている。
1000年にハンガリーを建国して国王となった聖イシュトヴァーンが祀られている。(写真:大聖堂正面をバックに)。
≪伝説の鳥トゥルル≫ ・・右上写真 王宮の北側の入り口付近の柵上に立つ怪鳥。トゥルルと呼ばれる伝説の鳥。
ハンガリー建国の父、アールバードを生んだといわれている
≪ハンガリーのお土産と食べ物≫ ハンガリーのお土産品は、ハンガリー刺繍のハンカチ、トカイワイン、ハンガリーチョコ、フォアグラ等、マーチャーシュ教会裏手の日本人経営のお土産店でGET。食べ物では、パブリカパウダーを使った牛肉を煮込んだ野菜スープ=グヤーシュが名物。ちょっと辛かったが・・・・。
ブタペストを後にしスロバキアの首都ブラチスラバに向かう。スロバキア国境に近付くにつれ道路事情があまり良くないようだ。幹線道路だが舗装状況が悪くバスがガタガタ泣いている。EU加盟国でも道路事情には若干差があるようだ。
<ブラチスラバ> ドナウ川に面しているスロバキアの首都。
街の歴史は古く、1世紀からローマ帝国の駐屯地として開かれた。7世紀に現在のチェコのモラヴィア地方からスロバキアにかけての地域にスラヴ人による最初の国家が成立。
その後マジャール人の侵攻により、約1000年もの間、ハンガリー帝国の支配下に置かれた。
1918年にチェコスロバキア共和国が誕生。1993年にチェコから分離独立し、スロバキア共和国となった。
現在は商工業で栄えて近代化も進んでいるが、ブラチスラバ城(写真左)とその城下に広がる旧市街は中世の面影を残し、街そのものが見どころとなっている。(城内から見るドナウと街並み:写真右下) 現地5日目(5月23日)も晴天に恵まれ、快適な旅を続けることができた。ハンガリーもスロバキアもそれぞれ国情が違うが、共通していることは日本のようなアスファルト舗装が少なく、セメント舗装が傷んでいるのと、元々昔からの市街地は石畳が多いのでハイヒール、革靴の類はあまり相応しくないようである。 夕食は、ドナウ河畔のレストラン。日曜日はだいたい休みの所が多く、このレストランも本来は休みのところを頼み込んで開いてもらったものらしい。 感謝感謝である。 3日目からビデオカメラを諦めて、デジカメの動画を動かしてきたがとうとうバッテリーがなくなってしまった。そんな話をしていたら、ツアーで一緒のご夫婦から、”ちょっと古いタイプだが使いませんか?”と、懐かしいフィルムカメラを貸してくれた。天の助け。・・・旅は道ずれ、世は情けとはこのことか・・・。 ありがたく貸して頂いた。 <次回はチェコに向かいます・・・・・7月8日記> PR |
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