2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
<ザルツブルク>・・世界遺産:歴史地区
古代ローマ時代から岩塩が採れ、ザルツブルク(塩の城)と名付けられた。 700年頃に創設された司教区は9世紀に大司教区となり、11世紀にはホーエンザルツブルク城(写真下・・遠景)が大司教の砦として建設され、以来大司教の街として発展し、大司教が領主も兼ねることとなった。 16世紀末の大司教、ヴォルク・ディートリヒ・フォン・ ライテナウの時代には街は美しく生まれ変わり、 ミラベル宮殿(写真下はその庭園)が建てられた。 現在はオーストリアでウイーンに次ぐ人気の観光都市として知られる。 モーツアルトが生まれた(写真下が生家)街、「ザルツブルク音楽祭」が開催される音楽の街としても名高い。 ゲトライデガッセ(写真右上)は、旧市街の賑やかな通り。 細長い通りには5,6階建ての古い館がぎっしり並び、 ほとんどが商店になっている。 通りの頭上を埋め尽くしているのが鉄細工の突き出し 看板だ。文字の読めない人にも何を扱う店か分かっても らうために、店ごとにアイディアいっぱい詰め込んだ芸 術品のような看板が出来上がっている。その通りの中 ほどにあるモーツアルトの生家(前記)。モーツアルトは 1756年1月27日にここで誕生した。現在は博物館と して公開されている。 <5月20日1日中雨模様でした。ザルツブルク泊> <ハルシュタット>・・世界遺産 ザルツブルクの東一帯に広がる山岳地帯は、ザルツカマーグート(塩の領地)と呼ばれる景勝地。山と湖が点在するこの地には岩塩鉱脈があり、かって塩産業によって栄えたところという。 その一角にあるハルシュタット(写真右)は世界遺産に登録されている美しい静かな町。狭まった岸壁にへばりつくように開け、紀元前3000年頃から岩塩が採掘されるようになり、現在も採掘されているという。 残念ながらこの日(5月21日)も雨。気温も低く(12,3度か?)、ヤッケを着込んでも寒かった。前々日には峠は雪が降ったとのこと。 昼食は、ザンクト・ギルゲンにて鱒の料理(唐揚げ風?)を賞味した。白ワインが合っているように思えた。 <メルク修道院>・・世界遺産 ハルシュタットを後にし、ドナウ川を東に向かう。ドナウ川で最も美しいといわれているのが世界遺産に登録されているヴァッハウ渓谷と言われている。 その上流側の出発地にあるメルク修道院(写真下)。 修道院は11世紀末の創建だが、現在残っているのは18世紀に再建されたもの。現在も一部補修工事が行われていた。建物の中には入らなかったが、内部には10万冊の蔵書と2000点の写本を有する図書室がある。 <デュルンシュタイン> ドナウ川は全長2826キロメートル。全体の8分の1に当たる約360キロメートルがオーストリアを流れている。このドナウで最も美しいのはヴァッハウ渓谷で、前記メルクからクレムスまで約36キロメートルの行程。 そのほぼ終わりに近い場所に、デユルンシュタインの小さな町がある。 イギリスのリチャード獅子王にまつわる伝説の町。 十字軍の第3回遠征のとき、リチャード王はオーストリア公の名誉を傷つけたと捕えられ、1192年にデユルンシュタイン城に幽閉された。主人の行方を捜し歩いていた吟遊詩人のブロンデルが城の下を通りかかった。リチャード王は好きな曲が聞こえてきたのでブロンデルに気づき、忠実な家臣は王を救ったという。 城は廃墟だが、街の中には16世紀の古い町並みが残っている。ホイリゲも何軒かある。 この街を見学している最中に雨が強くなった。急いでバスまでの20分位を歩いた。チョイ見とのことで傘を持参していない人が多く、私は傘を持参していたが、合い傘するも雨脚の強まりで結局全員ずぶぬれ状態。 バスにたどり着いて、ヒーターを点けてもらい暖を取る。 ホテルについて気がついたことだが、雨に打たれて、ザックの中に入れてあったビデオカメラが結露して動作不能となっていることが判明した。以後の日程で動画の撮影が出来ず残念な結果となった。 ≪反省≫ 旅先ではいつも雨具を持参すること。カメラ類(CD、SD、カセット、電池等) は、カバー又はビニール袋等(雨の通さない袋)に入れること。 <後日の修理代:15000円+消費税でした> 現地行動3日目(5月21日)が終わった。毎日雨模様が続く。寒い! 中欧には太陽がないのか!と誰に言う訳ではないが・・・・・。本日の宿泊地「ウイーン」に到着したのは20時45分だった。 <次回はオーストリアからハンガリー、スロバキアと国境を越えていく。・・・・・7月1日記> PR |
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(11/09)
(11/04)
(09/26)
(08/19)
(05/13)
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
|