<プラハ・・世界遺産:プラハ歴史地区>
プラハは〝百の塔の街″とも呼ばれている、ヨーロッパ千年の美都である。
プラハ城は城塞都市の名残である。ヴルタヴァ川とカレル橋を前景に、丘の上全体にプラハ城が広がっている。(写真)
城が最初に建てられたのは12世紀。現在の形になったのはカール4世時代の14世紀である。

≪天文時計≫
1410年制作された旧市庁舎の天文時計(写真)。真ん中が時刻を示し、下は暦板。そして上の窓は12人の使徒が顔を出す仕掛時計。毎日9時から21時まで1時間毎に動く。もう600年も時を刻み続けている。毎正時間前に広場は見学者でいっぱいになる。

≪聖ビート教会≫
10世紀に建てた簡素な教会を基に、14世紀、カール4世によってほぼ今日の姿になる。ステンドグラスが素晴らしい。(写真右)

≪カレル橋≫
カール4世が神聖ローマ帝国として君臨した14世紀後半、ヴルタヴァ川に石橋をかけ、中欧初の大学を設立、教会や修道院の建設、そして街の区画整備も行った。(写真右:カレル橋からプラハ城を望む)

(写真左:プラハ城から旧市街を望む)

(写真右:旧市庁舎前広場からティ-ン教会)
ヒトラーがボヘミアを併合した時、チェコは軍事力があるのに戦わなかった。それは美しいプラハを戦場にしたくない気持ちによるものでなかったろうか。
1968年、ソ連軍による軍事介入の時も無抵抗だった。何事にも慎重で思慮深い民族性が、千年の歴史を誇るこの美しい古都を守った、といわれている。
(そんな歴史の場面に立つと、往時の人々の苦悩が偲ばれ感慨ひとしおだった・・・プラハは今回の旅で一番印象深い街だったと思う)
感動といささかの興奮を抑えながら、再びチェコ国境を越えてドイツ・バンベルクに向かう。
<バンベルク・・・世界遺産・バンベルク歴史地区と街並み>
多くの中世都市は、教会と市庁舎のたつマルクト広場が中心にあり、それを民家が取り巻くように出来上がっている。

しかしこの街ではレグニッツ川左岸の丘陵地帯に大聖堂や市況の館であるノイエ・レジデンツ、教会(写真右下)、修道院が立ち並び、市民が築き上げた旧市街(写真下)は川の右岸に広がっている。そして市庁舎は川の真ん中(写真右)に立っているという、大変珍しい街である
(バンベルクの街並み)
(聖ミヒャエル教会遠望)
7日目(5月25日)プラハからチェコ国境を越えてドイツ・バンベルクを見学し、宿泊地ニュルンベルクに到着した。
<次回は最終日、ニュルンベルクから古城街道を西へ・・・・7月8日記>