「谷村新司さんを悼む」・・音楽評論家スージー鈴木さん
貫いた 大衆性とシンプルさ
歌謡史に残る数多くの楽曲を残し、8日に74歳でなくなったシンガー・ソングライターの谷村新司さん。その生涯で貫いた哲学について、音楽評論家のスージー鈴木さんが語った。
常に大衆に開かれた人だった。「わかるやつに分かればいい」みたいなことをしない。それが谷村新司が貫いた哲学だったように思います。
彼が率いた3人組・アリスは、シンプルな音楽の気持ちよさを提示しました。
1970年代後半に頭角を現した当初は「フォークというジャンルでくくられた。フォークは60年代後半~70年代初頭に反体制を歌って広がり、その後は貧しい生活の中の私的な出来事を歌う「四畳半フォーク」が流行していました。また当時、レコード会社の同じレーベルには、ポップス寄りで音楽的に高度な試みをするオフコースやチューリップ、ユーミンらのニューミュージック勢がいた。
アリスはそうした既存のミュージシャンとは別の道を歩みました。
当時の日本には、複雑な音作りをするほうが偉いんだという風潮があった。ある意味ではとても日本的なマニアックさが、作り手にも聴き手にもありました。
痛快で斬新 わかりやすさを大事に
それに対して彼らは、たとえば「今はもう誰も」や「冬の稲妻」など、とにかくシンプルなコードをギターで力強くジャンジャンと鳴らす。既存のニューミュージックとも四畳半フォークとも違う。突き抜けたシンプルさと明るさがありました。
わかりやすさを大事にする大衆性、エンターテイメント精神は、長い下積み時代に培ったものだと思います。デパートなどの営業も含め、年間何百本もライブをこなした。音響設備がろくに整っていないときもあったでしょう。厳しい環境で、いかに目の前の人に振り向いてもらえるか。それにはとにかくパワーとキャッチーさが大事です。
小難しく頭で考えるのではなく、現場で鍛えられたフィジカルの強さがあった。「なに難しいことしてんねん」という思いがあったんじゃないかな。
痛快で斬新、でもシンプルなサウンドにひかれ、多くの若者がアコースティックギターを手にした。小学5年生だった私もその一人でした。ラジオから流れてきた「冬の稲妻」のイントロに衝撃を受けてギターを始めました。
谷村さんは、自らの曲がどう普遍性を持ちうるかについても意識していたと思います。母親が長唄の三味線をやっていたこともあったのか、伝統的な文化や言葉に向き合ってきた。
詞作でも日本語を大事にしたうえで「もののあわれ」の世界ともいうべき情景や寂しさを描いた。でも小難しい言葉は使わないから嫌みがない。「いい日旅立ち」あたりはそうした特徴がよく表れていると思います。
彼の目指した普遍性の真骨頂ともいえるのが、アジア各国でヒットした「昴-すばる―」だと思います。この曲では、日本や韓国の民謡をはじめ、スコットランド民謡の「蛍の光」など世界中の土着的な民族音楽にみられる「ヨナ抜き音階」を使った。時を超えて残っていくものはシンプルである、という意識の最たるものかもしれない。土着的な音楽こそ、国境を越えて多くの人の心を震わす普遍性や大衆性が宿ると彼は信じていたんでしょう。
「資料:朝日新聞 2023年10月31日(火) 朝刊」
<恥ずかしながら・・・、一杯飲んで、カラオケ寄ると、谷村さん、堀内さん、アリスの歌をお借りしていた時代がありました。谷村さん、いい歌をありがとう・・・HS>