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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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≪拾得物のお返しです・・≫
1月中旬の寒い朝です。
 長津田から準急に乗り、読書に耽る・・と思いきや、次の停車駅(青葉台)からドカドカと乗客が乗ってくる。座っている私にはあまり影響がないと思っていたが、そのうち目の前に大きな手提げバッグが2つ、ゆらゆらとして時折私の持っている本にぶつかる。とてもまともに本を持っていられない。読書どころではない。こんな大きな手提げを通勤に2つも毎日持って歩くのかしら?と思わず持ち主の顔を見上げる。(2度と見たい顔ではなかったが)
 仕方なく読書は中止。目を閉じると、それまで気が付かなかったが、隣のおっさんがいびきをかいている。それも風邪をひいているのか鼻が半詰まりでのいびきだから、不協和音、不定期発生音(発鼻音?)そして汚い!・・・だから聞いている方はたまらない。体がむずむずするのを必死になってこらえるしかない。・・・・やがて、三軒茶屋に着く。いびきのおっさんも駅に近くなって、ハタっといびきは止み下車する(すごい目覚まし・習慣だと思う)。やれやれ一緒か・・・。今日は乗客運が悪かったなーと思う。
 
三軒茶屋で下車し、R246を渋谷に向かう。本日は南側の道路を歩いていくことにした。
いつもどちらと決めている訳ではないが、北側(上り線)の歩道の方が比較的狭くて人通りが多く、車も朝のラッシュで反対側より多いが、その分スピードが遅くなり、騒音がやや低い。ラジオを聞きながら歩くのにはこちらの方がいい。南側(下り線)は、三茶駅より昭和女子大生が多く下車する。学生達と競合となり歩き難い面があるが、大学を過ぎるとその先からは人通りも少なく歩きやすいものの、車道(下り線)では車が少ないせいかバンバン飛ばしてくるので騒音が結構うるさい。時にはラジオが聞こえないほどである。だからどちらかというと北側(上り線)を歩く方が多いようだ。本日は、三茶駅改札を出るときに学生達が少なかったので、何となく南側に出ただけである。
 
昭和女子大を過ぎて5分ぐらい歩くとやがて「池尻大橋」駅にたどり着く。
その南口地下入り口附近に来た時に、歩道に定期券らしきものが落ちているのを発見した。
拾ってみると、写真入りの有名出版社の社員証であった。会社の住所、電話番号は勿論、氏名、社員番号まで記載し、カバーまでかかっている立派なカード(社員証)である。カードにはセキュリティ磁気もついていることから、会社入退場に必要なものと想像できる。
ほんの数メートルで駅の地下入り口でもあり、人通りもないため、落とした人はそのまま電車に乗って行ったかな・・・。こういう場合、駅に届けるべきか、公道だから警察かな?と考えた。????駅構内ではないのでやっぱり警察と判断した。
その警察(交番)はどこにあるか?少なくとも会社まで行く間にR246の右側にはない。そういえば、左側に交番があったことを思い出しあそこに届けてあげようと急ぐ。
交番にて、拾った場所、時刻を告げてそのまま会社へ急ごうとしたが、どうしても住所と名前、電話を教えてくれという。仕方なく記載して交番を出た。
 
昨年のちょうど今頃(2月)、私は、下北沢駅でスイカカードを紛失し、数日して警察から届けがあったと連絡を受けたことがある。スイカカードにクレジット機能が付いたものなのでちょっと心配したが、奇特な人が届けてくれた。日本には親切な人が多いなあとつくづく感じたものである。(この時の様子は当時のブログに記載しているが・・)
 
今日はその時の「善意」に対し少しはお返しが出来たかなと・・・何となく気分のいい朝になりました。
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 <年末年始あれこれ>
 年末年始は、箱根で温泉・お酒・スポーツ観戦三昧でした。
 温泉はあまり入り過ぎると“湯当たり”があるという。湯につかり過ぎて
なのか?、ごろごろ寝そべっているためか?、必ず腰が痛くなるのである。
 だから1日3回以内と決めている。それでも腰が重い!
 
 正月休みは日本酒に限る、とばかり毎日“熱燗”を頂いた。だいたいどこでもそうだが、おかんする酒は銘柄が指定できないことが多い。それでも遮二無二注文する。たまには許せ・正月だ!・・と、消費者の我儘を言うのである。
 
年末から年始にかけてのスポーツ観戦。
年末は、“なでしこジャパン”勝利の軌跡をじっくりテレビ観戦した。結果が分かっていてもハラハラ・ドキドキ、そして感激する。あの優勝は、よく頑張った! はもちろんであるが、それ以上に各試合とも、あのとき、あの動作、あれが入っていたら、あれがなかったらの連続であり、頑張りもさることながらその運の強さは奇跡に近い。勝敗も実力・頑張りが必要だが、運も必要と再認識した。(人生も然り)
 
正月3が日は駅伝観戦が忙しい。
元旦は、ニューイヤー駅伝と称する、“実業団日本一”を決める大会だ。
数十年前の絶対的なヒーローこそ少なくなったが、箱根駅伝などで活躍した選手が社会人で登場する。駅伝は、一人だけスーパーヒーローがいてもなかなか勝てない。やはり総合力とチームワークが大切だ。絶対的な強いチームがないだけに、また来年が楽しみだ。
 
2日、3日は“箱根駅伝”である。
今年の下馬評では“三つ巴”といわれ、早稲田、東洋、駒沢の争いと予想されたが、ふたを開けたら東洋大学のダントツ圧勝に終わった。“山の神”と言われた柏原君という絶対的な切り札を持っていることもあるが、他の選手の活躍も素晴らしいものがあり、総合力は一頭地を抜いていた感があった。
 その第5区5キロ地点(箱根湯本駅近く)で柏原君の元気な姿を見た。もうその時点で東洋大学の優勝が確定的な予感がしたが、やはり圧勝でした。
<<<東洋大学の強さに脱帽>>>!
 
13日にいきなり、明日(4日)ゴルフどう?の誘いあったが・・・・、明日から仕事始め!を理由に丁重にお断りしました。すみません「TAJさん」。

 <「老進気鋭」で年金返上!?>
 ・作家森村誠一氏が年金制度についてこんな提起をしている。(文藝春秋2012.1月号)
以下はその抜粋である。
 
「50数年前、ようやく就職した大阪のホテルの初任給は8,000円であった」
という。・・・・私も、52年前に就職した秋田の銀行の初任給は8,250円でした
 
「その薄給の中から厚生年金や、各種積立金などを天引きされると、手取りは、7,000円以下になってしまう。・・家賃5,000円を差し引かれると、残りは2,000円になってしまう。・・中略・・給料日が近くなると無一文となり、親しくなったボーイから500円借りてしのいだ。そんな酷給(?)でも、厚生年金は支払い続けた」・・・・昭和35年当時同じくらいの給料で私の厚生年金保険料は、月当たり300円程度でした
 
「平均寿命 男79歳、女86歳を突破した。平均的に60歳でリタイアしたとしても、あと20年ある。・・一口に余生といっても、60代は年少組、70代は年中組、そして80以上のスーパーオールドがシニアの年長組となる。」
「60代年少組は、まだ『おじいさん(おばあさん)』には早すぎる。年金をあてにする前に働くことを考えるべきであろう。定年は会社の仕事のライン上、便宜的に付けた区分に過ぎない。・・まだ十分に使える能力の社会的活用を考えるべきであろう。」・・・・という。考え方は理解できるが、現実にはなかなか希望どおり「能力の社会的活用」の場が無いようだ
 

「高齢化社会に移行すればするほど、現役、それも若者の負担が重くなる・・
。保険料不払いを決め込む若者も増えている。事実、20代の若者に70歳の年金支給など、現実味がない。たとえその年代まで生きたとしても・・将来の保証もないのに、何で自分が縁もゆかりもないじいさんや婆さんの年金を負担しなければならないのかと、率直に思うであろう」・・・・若者の言い分もある程度理解できる。
 
「だいたい保険や年金は相互扶助の精神を踏まえている。これまでせっせと身を削るようにして働いてきた老人が働けなくなった時、次の世代がこれを支えるのは、時の流れに乗って生き、そしてこの世を去っていく人間の歴史が編み出した輪番制である。若者は老人が作った社会をリレーランナーのバトンのように引き継いだ事を忘れてはならない。」
 
「人間は先達から時代を引き継いだ時、過去の石器時代からやり直す必要はない。先達から引き継いだ時点から走り出せばよいのである。・・自から次の世代に引き渡すとき、先達から引き継いだ時代に、わが時代の付加価値を積み重ねていかなければ人類は衰亡する。このように考えるとき、保険料は老人(先達)の生活を支える義務ではなく、人類歴代の輪番である。」・・・・というが老人の言い分のように思えてならない。が、次のように提起もしている。
 
「年金の受け取り側の老人も、認識を改める必要がある。」
「老いに甘える人と、老いを拒む人との違いは、人生第3期を文字通り余った生(余生)にするか、誉れある生(誉生)にするかの分岐点となる。ならば、どうすれば人生の総決算期でもある第3期を誉生にすることができるか。現役を退いても、人生の先達として、社会や家庭において求められ、尊敬されるためにどうすればよいか。
1.健康であること・・日頃の心がけによって健康は保てる。
 2.多少の経済力があること・・定年までに多少の蓄えを残しておくこと
 3.配偶者の存在・・・特に男にとっては大きい
 4.生産性・・・・・・どんなことでもいいが、社会的な活動に参加して、
社会に貢献する
 5.趣味を持つ・・・・仲間ができ、社会的な活動にもつながっていく
 6.お洒落をする・・・身だしなみを忘れたものは速やかに老化していく
 新進気鋭という言葉があるが、【老進気鋭】もありうる。」・・・・この意見には全面的に賛成。一部を除きほぼ実践・該当と自負している
 
「年金制度は自力で泳げなく(働けなく)なった高齢者を支える浮き袋であり、社会保障の重要な機能である。この制度の崩壊は、文化の崩壊につながる。
 若者は未知の未来に戸惑うことなく、無限の可能性に挑み、自力で働けるシニアは働けなくなるまで年金をあてにしない」・・・・と結論付けている。
 
因みに、昨年満70歳まで保険料を払い続け、70歳を過ぎて今なお年金受給を返上(停止)して働いている私のような老人(自称「老進気鋭」)もいることを、「保険料不払いを決め込む若者や老いに甘えた横町のご隠居さん達」に知ってもらいたいものである。
 
 
 

 <今シーズンのGOLF終了>
 今年のゴルフは、1224日をもって終わりました。
 最終日のこと。寒い1日でしたが、日が照っていて何とか凌げました。
 2週間ぶりのホームコースでしたが、クラブに到着すると知った顔が何人かいて、「この間は大変でしたね」と慰めの声がちらほら・・。(先々週の「バッグ誘拐事件」の話です)朝の出会い時もそんな感じでしたが、昼のレストランでも、また数人とそんな話題に引き廻されました。みんな心配してくれていたんだ、とつくづく・・いい人達だなーと思わず感激しました。
 この日は、土曜会メンバーには入らずに“飲み友達&ゴルフ友達”の組み合わせ。和気藹藹の雰囲気の中でのんびりと本年最終ラウンドを楽しんだ。
 
<本年度のスコア一覧>
 ①04/16  相模野CC   44+40 84
 ②05/02    相模野CC      42+44 86
 ③05/04  相模野CC   45+49 94
 ④05/07  相模野CC   47+46 93
 ⑤05/15    相模野CC   47+46 93
 ⑥05/21    相模野CC   45+45 90(土曜会コンペ 15位)
 ⑦05/28    相模野CC      44+43 87
 ⑧06/08  座間 CC     44+46 90
 ⑨06/18  相模野CC   45+47 92
 ⑩07/02  相模野CC   47+49 96
   <前半10戦平均      4545.5  90.5
 ⑪07/09    相模野CC   42+42 84
 ⑫07/16    相模野CC   43+45 88
 ⑬08/06    相模野CC   41+38 79(今年のベストスコア)
 ⑭08/15    相模野CC   44+39 83
 ⑮08/29    東京国際    48+47 95
 ⑯09/10    相模野CC   43+40 83
 ⑰09/17    長竹 CC     43+46 89(昭和会コンペ 4位)
 ⑱09/19    相模野CC   46+46 92
 ⑲10/03    相模野CC   42+45 87(クラブハンディ 14で認定)
 ⑳10/08    相模野CC   44+42 86
   <中盤10戦平均    43.643.0 86.6
・平成2310月より、ゴルフ場利用税が免除となりました。(70歳到達!)
 
 #21 10/29  相模野CC  43+44 87
 #22 11/05  相模野CC  40+41 81(土曜会コンペ 準優勝)
 #23  11/12  相模野CC  46+47 93
 #24  11/23  東名御殿場  42+43 85(商店会コンペ 優勝、BG
 #25  11/26  相模野CC  45+47 92
 #26  12/07  読売GC   44+49 93(商店会コンペ 3位)
 #27  12/10  相模野CC  46+43 89
 #28  12/17 大相模CC  43+47 90(監査役コンペ 優勝、BG
 #29 12/24  相模野CC  42+45 87
    <後半9戦平均    43.445.1 88.5
    ≪年間29戦 平均  44.044.5 88.5
 
<今シーズンの反省>
・前半は、東北大震災に対する自粛もあって少し開始時期が遅れた。また、前年からの右肘痛の影響が少し残っていたため、あまり無理できなかった。
6月頃より、持ち球をフックからスライスに替えるスイングと高いボールを打つことに挑戦した。これは、米田博レッスンプロの理論に取り組んだのであるが、教科書どうりにはなかなかいかなくて迷った時期が2カ月ほど続いた。スライスに替えようとした動機は、所属コースにスライスでの攻めが必要と感じたからであるが、思うようにいかなかった。
・ある日、通信販売でデカヘッドのドライバーが目についた。比較的安かったので、ダメ元で購入した。これを使っているうちに結果が少しづつ出てきた。
ロフトが11.5度であり、長さも45.5インチとやや長いことが幸いしたのか、ボールが上がること、また振り遅れ気味なのかそこそこスライスすることが分かった。
・夏以降、ボールの位置(やや左目)、スタンス(オープン)、スケアグリップ、テイクバック(真後ろに引く)を微妙に組み合わせるとスライス系の高いボールが出るようになった。時に曲がり過ぎる時もあるが、ドフックもOBも少なくなった。距離が若干不足気味になるも安定してきたと確信している。
 
・今年はコンペが多かったが、
    優勝  2
    準優勝 1
    3位  1
    4位  1
とまずまずのシーズンであった。GOLFはしばらく冬眠デス。

 <また優勝しちゃった!・・GOLF
 
 1217日 大相模CC 各社監査役有志の懇親ミニコンペ開催。
天気晴れ。最高気温7度と、今冬最寒の日。
例年ならば、12月はシーズンオフとしているのだが、今回、欠員が出て参加して欲しいとの誘いがあって急遽エントリー。
 
 このコースは2回目だが、前回は10年以上前の話。コースの印象は私の記憶からは全く消えている。全長6,255ヤード、パー72。ただ、いつもの所属コースに近いので、地理的条件等はあまり差がないのが幸い。周りの景色にもどことなく似た景色が多い。
 それにしても寒い。だいぶ着込んだせいで体の回転が不十分となることも予想はしていたものの、やっぱりこの時期はゴルフには適さないと改めて思う。
 
 前半(東コース)43、後半(中コース)47、グロス90 HDC(新ぺリア)16.3  ネット73.7  ・・・可もなく不可もなく平凡なスコアに終わる。
 それでも優勝、べスグロ、ニアピン・ドラコン(各1つ)とほとんど賞を一人占めとなった。終わった後の表彰式・反省会の席で、私のテーブルにだけ賞品が積み上がって・・・。私も含め、ちょっとレベルが低かったようだ。
 
 昔、連戦連勝した時に仲間からこんなことを言われたことがある。以下は、ある会社での同好会コンペでの話
(私の戦績)
・初出場初優勝した時・・・・(友達)→無言(・・悔しい!)
・次回も優勝・・・・・・・・(友達)→無言(・・こいつ上手くなったナ)
・今回も優勝・・・・・・(友達)→無言(・・「もうハレとはやらない」と思
っている?)
 有頂天(?)になっている私に、親友の一人がそっと言ってくれた。
「ハレさん、そんなにいつも自分だけ勝っていると、友達失うよ!」
「貿易収支だって一方的になると、各国から為替レートの変更を強要されるじゃないか」と、貿易収支とゴルフの成績とは次元が違う話だが、負けた側の気持ちも何となく分かる気がする。
 
 それ以来、私は、連勝しないことにしている(決して手を抜く訳ではないが)。そしてもらった賞品はできるだけ何ももらえなかった人にお裾分けすることにしている。それが親睦・友情を深め、友達の絆を長く続けるコツだなと思うから。
 
 反省会を終わって、別れ際に、隣の仲間にそっと賞品のお裾分けを・・・・【またやろうね】・・・彼は上機嫌で帰って行った。
寒い1日でしたが、私の気持ちはホッと(hot)した初冬のGOLFでした。



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