2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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「“敬老”の秋の元気情報」です
 敬老の日を過ぎて、ようやく秋らしくなって、今日(9/23)の最高気温は、東京で20°ちょっとという。先週までは確かに30度以上が続いていたので、夏には強い、と自慢する私も(涼しさ)まだかなーと思っていたら、いきなり20度である。この土・日は祝日含みの連休で、ゴルフの予定もなく久し振りにゆっくり読書の休日である。
 
<郷里の大先輩の話>
 毎月読んでいる文芸春秋10月号に、私の母校(秋田県立横手高校)の大先輩M氏が執筆した記事が掲載されていた。題して、『人生を変えた伝説の名授業』とある。
M氏は、旧制中学(現横手高校)3年生の時、(のちの作家)石坂洋次郎先生が国語教師として昭和4年に赴任した時、卒業までの3年間、教えを受けたのだという。以下は氏の思い出話の一部である。
 
「石坂先生は、体が細く、声もまた夜飛ぶ蚊の羽根音のような小さい声だったから、あだ名は「夜蚊」(ヨガ)。
「当時の席は成績順となっていて、一番後ろが優秀者。壁に近いから連中は、『壁アタマ』と呼ばれていた。成績の悪い生徒は先生の近く、前の席に座らされている。彼らは(先生の質問に)当てられないように、居心地悪そうに下を向いているのが常なのですが、石坂先生の授業の時だけは、顔を上げるようになり、直に『当ててくれ』と言わんばかりの明るい表情になって行きました」。
「先生が作り出した威圧感の無い、開放ムードだったと思う」
 
 「当時、週末になると、5年生が下級生を体育館に集め、風紀指導という名のもとに、態のいい『下級生いじめ』をやっておりました。ある時、下級生を糾弾している最中に、監視役として現れた石坂先生。「ヨガの出る幕じゃねー」という罵声。先生は、怒りを全身で表わしながら2歩、3歩と風紀委員に近づいて行きました。理(ことわり)を入れなかった。けれどその無言の迫力で睨みつけ、ついに悪童らを黙らせてしまったのです」。
 
 「先生の指定した題で書いた作文には、(自分の手元に残っているものには)すべてに先生の評価と感想が書き添えられています。・・・生徒たちが、皆はりきって頑張るように、実は石坂先生、どの生徒の作文にも、高い評点を与えて褒めていたのではないか・・・そうにらんでおります」
 
 「石坂先生が86歳で亡くなってからもう四半世紀。この教え子(M氏)は、今年97歳になりました」
 
石坂洋二郎先生が母校を去って、・・20年後に私は同校に入学しました。
先輩や教師から、時々石坂先生の話を聞きました。「夜蚊」(ヨガ)のあだ名のこと、そして痩せているので、「ハッタギ」(イナゴの方言です)とも言われたと聞いています。・・・晩年は少し太られていたと聞きますが。
 先生のベストセラー小説、『若い人』、『青い山脈』、『山と川のある街』などは、あの頃の横手地方をモデルにしたとも言われ、青春小説として私も愛読しました。
 大先輩M氏は、私の実家から100メートル位の場所に住まわれており、私が小学校4年生から現在まで(およそ60年)、この地方で週刊新聞《たいまつ》を発行し続けているジャーナリストとして活躍中である≫
 
 
<前々職場の先輩からの便り>
 突然携帯に、長―――いメールが到着した。経理部時代の先輩である。
 あれは確か今年の春頃、30年振りに再会した。その折には、仕事(自営業)の合間に、釣りと畑(園芸)をやっていて忙しく立ち回っているとの話であった。そういう動きまわっている人は健康そうで生命力を感じさせる。
 
 メールによると、「今日は、久し振りに朝から雨なので屋外仕事(最近は、園芸のほか、土木や木工も趣味でやっているとか)はお休みして、近況報告をします」という。
 「今、温室小屋を制作中です。市販のものは少し小さいので、自作でもう少し大きめのものをと考え、扉をどうするか、壁はどうしようか、通風は、温度コントロールはどうするか・・・・・・等々思案中である」と長々と苦心談を紹介。
ともかく研究熱心、行動派、元気溌剌に動きまわっている様子がうかがえる。
 
 こういう家庭回り、農作業、土木作業等が全く苦手な私には、・・・よくやるよ―――と脱帽するしかない。
 間もなく75歳の後期高齢予備軍の先輩だが、仕事+趣味を見事に調和して、
溌剌の人生を送っている。・・・・ウーン参った―である。
 
 
<敬老の日連休はゴルフ三昧>
 久し振りに連チャンでゴルフしました。
 1日目(土)は、いつものメンバーコースで会員さん達とのラウンド。朝から曇りがちの天気であったが、後半の5ホール目でついに雷と突然の豪雨に見舞われて、しばしカートの中で傘をさしながら待つこと15分。やっと小降りになりプレー再開。谷越えのショートホールのグリーンには大きな水たまりが・・・。
それでも構わずショット。これが見事にフックして哀れ、ボールは林の中に消えた。他のメンバーでワンオンした人もいたが、パット不能。もう私は戦意喪失状態。その後、雨も上がったので残りホールをプレーしたが、スコアはドロー。
 この日、同組でラウンドしたご婦人で、80歳のお姉さん(Kさん)がいた。
 最初のホールこそダブルパーを叩いていたが、その後は安定してほとんどダボペースで廻る。80歳、しかも2カ月ぶりのラウンドというが、なんの何の、落ち着いてショット、フェアウエイウッドも正確である。何と言っても、お年に似合わず(失礼)キビキビした動きとリズムが大変によろしいのです。
 圧巻は、160ヤードのショートをドライバーでナイスオンのパー。その後も正確なショットが続く。確かハーフ50そこそこで上がったようだ。
 失礼だが、80歳の女性であれだけ安定したゴルフをする人に出会ったことがない!・・・『Kさん、元気をもらいました』です。
 
 ドローに終わってロスタイムが多かったので、風呂に入る間もなく(汗臭いままで失礼!)、メンバーコースを後にして、伊豆に向かう。
 本日の宿泊地「伊豆高原」には19時までに到着目標として、小田原厚木道路から箱根ターンパイク経由、伊豆スカイラインを走る。高速に入ってからはあまり渋滞もなく順調。予定より約30分前に到着。(所要時間約3時間の行程だった)
 
 翌日、伊東カントリークラブでプレー。半年前にもプレーしたが、このときはパットが入らず、ボロボロのスコアだったと記憶している。
 この日もスタートホールではダボ。やっぱりこのコースは俺には向かない!
と思っていたが、3ホール目のロングでバーディが来た。そして5ホール目も長いパットが入ってバーディ。あれあれと思いながらもパーとボギーで凌ぐ。
 9番ホールに来て、第2打が砲台グリーンからこぼれて谷底から40ヤードの打ち上げがピン2メートルに3オン。これを入れるとパーで、ひょっとして30台かなと思いながらパットするも惜しくも入らずボギー。あーア40かと思っていたら、同行のF氏から、「39でない?」という。改めてホール毎に確認すると間違いない。単なる足し算違いだった。・・・年です。
 後半もあまり大きなミスもなく43でホールアウト。苦手と思っていたコースでの“82”は、まずまずと満足。このところ敬老の日を挟んで先輩諸氏から頂いた“元気”の御利益に預かったかも‥・・・勝手な納得です。
 帰路は、伊豆の山々の方角が曇っていたので、海岸線を走ることにした。連休の真ん中の日曜日だから、ひょっとしてそんなに混まないかも・・・という淡い期待は見事はずれ、やっぱり各所で渋滞です。特に酷い所は、網代、真鶴道路の前後、小田原の高速入口手前と東名厚木ICから町田ICまで。東名厚木からは圏央道で海老名ICで降り、行幸道路&裏道街道で町田着19時30分過ぎ、伊豆高原から4時間であった。<休日の帰り道は、伊豆スカイライン経由のほうが確実に早いと思われる>
 
何となく、“元気”をもらった1週間でした。



 
 


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