2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
≪私であることの証明?≫
毎日(ほとんど)昼休みに近くのコーヒーショップに行くことにしている。 わずか30分足らずの時間だが、コーヒーブレークしながらのこの時間は1日のハーフターンとして気分転換することにしている。もう4年近く通っているコーヒーショップでオーダーするのは、夏でも冬でもアメリカンである。そして“ダイエット・シュガー”を添えてもらうのであるが、何回となく通っていると、時々「ダイエットシュガーですね?」といってくれる店員さんがこれまで何人かいた。(この話は以前にもブログったが・・・) 数か月前までいた店員さん(多分店長らしき人だったが)がいつの間にかいなくなって、また新しいメンバーとなった。 昨日の昼休みのこと、なんの気なしにいつもの注文をしたのだが、“ダイエット・シュガーでよろしかったですか?”と言ってくれた人がいて、「ありがとう覚えてくれたんですね?」(私がどこの誰かは知らないはずだが)・・・何となくいい気分の30分でした。 同じ日。退社時間になって、エレベーターで一緒になった会社のKOB君と久し振りに神泉駅までゴルフの話となった。・・・・数ヶ月前のラウンドの時の話。今週末に先輩と出かける話。先輩は体育会系で、飛ばし屋であるが時々大たたきする話。そもそもゴルフのマナーの話。都内ではなかなか練習場がないので苦労する話等々・・・。 井の頭線下北沢までの約10分足らずのゴルフ談議となった。会社では仕事の話をすることはまずない私とはゴルフのみで繋がっているような、でもゴルフの話をするとなぜか尽きないようだ。好青年である。 夜。今日は水泳の日だ。7時半過ぎにスポーツクラブに入る。 受け付けが終わってロッカ―ルームに向かうと、その途中(女子ロッカー入口)に何やら手を振る人がいて、「間違っちゃいけないと思いましたが・・」と彼女がにこっと微笑んでいる。・・・「やーーこんばんわ!」と私。 休日に整形外科でお世話になっている受付・事務員さん。スポーツクラブでは人が変わったようにダンス(エアロビ、バイラバイラ、ヒップ・ホップなど)をしまくっているお嬢さん。どれくらいか分からないが(3時間はいるようだ)プログラムが終わってもまだ好きな人達と躍っているタフなレディである。 そんな一日に出会った人達。名前はどうでもそれが私であることの証明ですか。 PR
<最も短い手紙?>
「?」・・・・「!」 これは、かって『ギネスブック』日本版にも『最も短い手紙』として載ったことがあるという。 フランスの作家ヴィクトル・ユゴー(1802~1885)が1862年『レ・ミゼラブル』を出版した時、売れ行きが気になって出版社に問い合わせた手紙には、ただ・・・「?」 その意味を理解した出版社の返事がまた記号1つ・・・「!」 感嘆符『!』のことを日本の出版界では、いわば業界用語として“びっくりマーク”と呼ぶ。 『レ・ミゼラブル』は世界的なベストセラーになり、いまだに読まれ続けている。 <日本一短い会話?> 「け」・・・・「く」 これは、青森県や秋田県でよく使われている会話(方言)である。 『け』は、「食え」が短くなったもので、「食べなさい」「召し上がってください」 これを受けた、 『く』は、「食う」が縮まった形で、「食べます」「いただきます」 おそらく日本一短いやり取りであろう。 <なお秋田県のある地方では、「け」は「来い」という意味にも使われることがある> <その他の短い会話> 『どさ』・・・「どちらに行きますか?」 『えさ』・・・「家に帰ります」 などもある。 よくある話では、「めし」、「ふろ」、「ねる」などは馴染みの深い会話。 <「読むクスリ」上前淳一郎著(文芸春秋)より一部抜粋です>
≪第2木曜会の楽しみ≫
今年の5月から、毎月第2木曜日にゴルフを楽しむ会が出来た。私は毎回とはいかないが参加することにしている。10月で3回目だ。 4人とも70歳台で私が最年少だ。発起人は前前職場の先輩TAJ氏。他のメンバーは、元三菱GP会社のISM氏、元郵政省官僚のKWN氏。それぞれ一対の知人がつながった仲間だ。即ち、S:T、T:I、I:K・・そんなつながりだ。 不思議なもので、何度か会ううちに慣れ親しみがわいてくる。前回、9月度のプレー後の帰り道、『そのうち一杯飲みましょう』ということになって話はトントンと。『では次回、プレーが終わってから町田で・・』と決まる。 10月はある人の都合で第1週目になって、プレー終了後、4時に町田駅近辺に集合とした。この日は、スタートが8時だったので、プレー後に一汗流してクラブを出たのが2時半頃。予定の4時を繰り上げて3時30分から、『プレーオフ会(飲み会の別称)』が始まる。 プレーオフはせいぜい3時間位と思って、私は次の予定(夜)を入れていたのだが、最近の御年寄(先輩達)は元気がいい。プレーオフも延々と続き勝負付かず(?)。しからばとカラオケで勝負しようということになってホール(?)を移動することとなった。時刻は夕刻6時前。私の行きつけのスナックはまだ開店前だ。マスターに願いこんで、「6時半過ぎなら開けます」という快諾を得てプレーオフ第2ラウンドへ。 もうすっかり出来上がっているのだが、少し飲みながらやがてカラオケ合戦が始まる。お店は貸し切り状態だから次々と回しマイクとなる。それぞれ始めて腕前ならぬ喉(のど)前を披露する。因みに、ISM氏は演歌調だがかなり歌い慣れている。KWN氏は民謡を習っているとかで本格的な民謡調で、声量もあり、沖縄民謡を始め素人はだしだ。そして、TAJ氏は昔からよく知っているが、ハワイアンとカントリーミュージックの名手だ。私は、あまり得意なジャンルがないので、昔、TAJさんとよくハモっていた曲を3曲ばかり披露して・・。 皆盛り上がって、それぞれ褒め合って・・・でもカラオケはやっぱり自己満足の世界みたいだ。歌っている本人が満足するのでなければ楽しくない!。最近あまりカラオケに情熱が湧かなくなってきた私は、・・・・・・なんとなく、元気な年金族にプレーオフで負けたような気分・・でした。 長時間のプレーオフもやがて一人帰り、二人帰りして・・・やっぱり午前様でした。
<時間の使い方は、命の使い方>
「一人前の修道女になるためには、数年の準備期間があり、30歳近くで入会した。・・・20代の若いアメリカ人・百数十名と、ボストン郊外の広大な修練院で修行していた1年間のある日のこと」。 「その日は夏の暑い午後だった。私の割り当てられた配膳の仕事を食堂で果たしていた。百数十の皿、コップ等を長机の上、パイプ椅子の前に一つひとつ並べてゆく仕事を、沈黙のうちに手早く行っていた時だった」。 「突然、『あなたは、何を考えながら仕事をしているのですか』と厳しい顔をした修練長の姿があった」 「『別に何も』と答えた私は、『あなたは時間を無駄にしている!』と叱責された。命ぜられたことを、命ぜられたようにしていたから戸惑いを隠せなかった」。 「修練長は、そんな私に今度は優しく諭すのだった。『時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。同じ仕事をするなら、やがて夕食の席に着く一人ひとりのシスターのために祈りながら並べてゆきなさい』。何も考えないで皿を並べるなら、ロボットの仕事と同じだ。『つまらない』と考えて過ごす時間は、つまらない人生しか残してゆかない。同じ時間を費やすなら、一つ一つの皿を並べる時に、『お幸せに』と、私にしかこめられない愛と祈りを込めて並べて、始めて私は愛と祈りの人生を送れるのだということを、その日、その時、教えられたのだった」。 「時間の使い方は、命の使い方、この世に“雑用”という用はない。用を雑用にした時に、雑用が生まれるのだということを、心に叩き込まれた修練院の一こまであった」。 「仕事を“する”doingも大切だが、どういう自分かというbeingを忘れてはいけないのだ」 【文芸春秋10月号 「雑用はない」(筆者 渡辺和子氏 ノートルダム清心学園理事長)より抜粋】 <毎日のように、法令・定款、責任・義務だとか、監視・検証等々の活字に囲まれている私には、とてもホッとし、心休まる話でした> 平成24年9月26日 土曜会・宿泊コンペ一同(於 塩山CC) ≪土曜会の集まり≫ もうかれこれ7年余りとなるゴルフメンバーコース“相○野CC”に、「土曜会」なる同好会がある。私が入会したのは約3年前だが、発足したのは約30年も前の話だという。 一人で(これをフリーという)ゴルフを楽しみに来る人たちがいて、そのうちそんな人達が相寄って、同好会を作ったのだという。その中には、『シングルを目指す会』なる集団もいたのだそうだ。発足当初はみんな若いサラリーマンが中心だったが、今やその人達もほとんど現役引退・年金生活者がほとんどだ。 毎週日曜日の10時から、3週先の土曜日の予約取りをするのが会員の義務。 予約を取ったら、事務局(会長K氏)に連絡する。K氏より予約取得状況が会員に連絡され、出場希望者がK氏宛に申し出る。やがて組み合わせが皆に連絡される。それを受けて、予約者が、あらためてメンバー登録をし直す。 毎週土曜日の参加者は、3組~7組程度ある。毎週参加の人も何人かいる。その他の曜日にもプレーし、年間100ラウンドを越えてクラブから表彰を受けたメンバーもいる。 年2回は土曜会のコンペが行われる。そういう時は予約取りが10組位となる。 今会員は約50名。コンペの時は30から40人の参加となる。メンバーの顔合わせにはいい機会である。私も積極的に参加することにしている。 今年の夏のこと、『たまには泊りがけの土曜会やりませんか?』という提案があって、一も二もなく賛成!・・・という人達が3組集まった。 日時は、9月下旬のウイークディ。場所は、当クラブの姉妹コースで山梨にある“塩△カントリー”、宿泊はこの地で有名な石和温泉と決定。 「次の日はどうする?」という意味ありげな提案に、勿論ラウンドです。 やりたい人だけは2日目もラウンドする2組と翌日帰宅の1組になった。 山梨遠征の当日朝7時に相○野CCに集合。2台に分乗して出発。ほかに現地直行した人達もいた。このうち1台は高速道路の降り口を通り過ぎて引き返すというハプニングもあったが、無事予定通りの試合開始となった。 11人でミニコンペ方式でのラウンド。狭いフェアウエイとアップダウンの激しい山岳コース。それに超高速グリーンに悩まされた人が多い中で、元このコースのメンバーであるTKK氏が見事優勝。私はというと、42・46、ハンデ12で真ん中くらい。 プレー後は、みんな着のみ着のままで石和温泉に直行(約30分)。温泉で汗を流して宴会は6時30分開始。始めての宿泊土曜会だが、いやが上にも盛り上がり、中にはお銚子10本をお替りする豪のものも・・・。(私もその一人だが) 宴会が終わると三々五々と思いきや、カラオケ組と飲み直し組に分かれて第2ラウンドとなる。約2時間後に再び部屋に合流し、第3ラウンドが始まる。こういう場面は、会社関係ではない、利害関係のないいわば趣味の仲間なのでまったく気兼ねなしで話が弾む。やがて、夜も更けて解散となる。その後自分達の部屋に戻ってひと風呂浴びて、のどが渇いたと4人でビールを飲みながら歓談する。ほぼ12時過ぎの就寝となる。 年寄りの朝は早い。5時過ぎには朝風呂に集合。朝食を元気に食べる人もいるが、食べない(食べれない?)人もいる。ともかく7時30分にいったん全員集合し、帰路の人(3人)と2日目のラウンドに向かう人(8人)とに分かれて解散する。 2日目のラウンドは、近くの“春日ICC”で8時15分スタート。天気晴れ。 トリッキーなコースながら前日のコースよりややフェアウエーが広い。ただしグリーンは前日よりもかなり遅いためショートする人が多い。それと皆さんそれぞれ前日の疲れ・前夜の酔いとが影響してか(?)、思い思いのスコア。中にはグリーン周りで思わず“ゲッ!ゲッ!”・・・苦しそうでした。 私も疲れ・寝不足が祟り、44・46がやっとのあり様。 平均的に、遠慮会釈なく、年甲斐(参加者の平均年齢約68歳)もなく騒ぎ・はしゃぎ合った2日間でした。 元気な老人達! また来年やりましょう! |
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