2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
【第5日目】(6月5日)
≪セビーリャの歴史≫ ・“アンダルシアの華”と呼ばれるセビーリャの歴史はローマ時代以前に遡り、タルテシアン人によって建設されたと伝えられている。その後、ローマ人や西ゴートの支配を受け、711~1248年までイスラム支配時代を過ごした。セビーリャの転機となったのは、1492年コロンブスの新大陸発見。スペインと新大陸を結ぶ重要な拠点となると同時に、この街に富が流れ込んできた。 17世紀には芸術が開花し、1992年の万博開催で世界にその名を知られるようになった。 <カテドラル(大聖堂)> ・イスラム時代に建てられたモスクを基礎に、1402年から約1世紀もの歳月をかけて建造。 奥行116m、幅76m、ゴシックとルネッサンスの混合様式。規模はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール寺院に次いで世界第3位。内部は93枚のステンドグラスが飾られ、堂内に美しい色の光が射し込んでいる。カテドラル内にコロンブスの墓がある。 ・「ヒエルダの塔」は、高さ98m,イスラム支配時代はミナレットだったが、16世紀にカテドラルの鐘楼塔の改築。スロープと会談で約70mまで昇れる。セビーリャを征服したフェルナンドが馬で駆け上がったことでも知られている。 ・スペインギフトショップ(免税店)に立ち寄り、1時間ほど自由時間を取ったのち、市内のレストランで、「ガスパッチョ」の昼食をとる。 その後、セビリアの空港へ向かう。バルセロナ行きの国内航空に乗って、1時間30分ほど。空港からは、旅行会社社員(ベテランのオジサンでした)の軽妙なご案内を聞きながら約1時間後、19時頃バルセロナのホテルに到着。 連日、暑いアンダルシア地域に比べ、バルセロナは(夕方という事もあるが)涼しい感じがした。朝晩は20度前後とのこと。久し振りに今夜は涼しく過ごせそうだ。 ・夕食(20:15~)はホテルで魚料理。このツアーの特徴(ウリでもある)の一つは全食事付という事がある。たいして食通でもなく、またスペイン語に疎い私には、食事の心配がないのが助かる。(ガイドさんは大変だろうが、旅行会社としては付加価値を高められるはずだし・・・) 夕食後、涼しさに誘われて散歩に出た。振り返ってホテルの方を見ると、10階辺りの屋上にカラフルな明かりが見えて、人影も見える。ホテルに戻り早速探索。やはりあった。屋上プールとバル[BAR]であった。これはいいもの見つけたと、S氏を誘いビアガーデンへ。1時間ほどビールを飲みながら、バルセロナの夜景を楽しむ。 PR
<白い村・・ミハス>
・グラナダから南下し、やがて地中海に出る。海岸沿いをしばらく西下し、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の街。少し内陸に入った小高い町にミハスがある。白壁の家が続く美しい街並みに魅せられた外国からの観光客で賑わっている。 海抜420mの斜面の街からは地中海と、すそ野に広がる街を一望できる。天気の条件が良ければ、ジブラルタル海峡から北アフリカの半島が望めるかも!という場所。・・・・残念ながら、遠くが霞んで見えなかった。 (写真はミハスの「白い家」) <ミハスからセビリアに向かう> ・ミハスから海岸線に出ていったん東へ戻り、マラガから北西へ、セルビアに向かう。 「年間を通して温暖で、降水量の少ないアンダルシアでは様々な風景を目にする。特に内陸の地域に多い、「ひまわり畑」や「オリーブ畑」が大地を包み込む景色は壮観!」・・・とガイドブックや旅行計画書にもあった。その時期は6月とも書いていた。6月を選んだ理由の一つでもある。 ところが、行けども行けども褐色の大地とオリーブ畑のみ。 「ひまわり畑はどこにあるの?」 <ひまわりの話> ・ひまわり畑は観賞用ではなく農産物として生産されている。その為、必ずしも同じ場所に咲いているとは限らない。農家の人が毎年どこに種をまくか決めているのだ。それは主としてひまわりが連作が難しいからだとのこと。 今年は作付しない年のようでした。所々にチラッとあるだけ。それもまだ小さくて時期が(6月上旬では)早いようでした。・・・・事前調査・研究不足でした。残念! <フラメンコデナーショウ> ・18時頃セビリヤに到着。19時30分予約の夕食は、タブラオでの「フラメンコデナーショー」であった。 着席して食事がすぐに出され、間もなくショーが始まった。 フラメンコギターの演奏と歌と踊りが軽快に始まると、食べる間もなく、ビデオ撮りに忙しい。それも休みなく続くから、ほとんどカメラを構えっ放しだ。観客はおよそ200人位か、かなり日本人が多いようだ。 1時間半ほど休みなくショーが続けられて、とうとうろくに食べる時間がなかった。 久し振りに心躍る時間が過ごせた。 主演と思しき立派な体格(失礼!)の踊り手さんが、声を張り上げながら体をゆすって踊り狂う(?)のには度肝を抜かされた。いやはやフラメンコ・・オーレイ!でした。
【第4日目】(6月4日)
・朝1番でアルハンブラ宮殿に向かう。宮殿の周辺には木々が多く植えられていて、早々から打ち水をしている。そういえばこの辺は極端に降水量の少ないところである。宮殿前を歩きながら打ち水の霧状の粒が顔にあたって気持ちがいい。(朝から30度以上の天気でした) ≪アルハンブラ宮殿≫ ・紀元前5世紀頃、ローマ帝国支配下の都市として歴史上に初めて姿を現したグラナダは、イスラムの支配下に入った8世紀以降も発展を続け、やがて13世紀、ナスル朝グラナダ王国によってその繁栄は絶頂期を迎える。アルハンブラの建築が始められたのもこの頃だ。 その後、15世紀末までの250年間、グラナダ王国は経済・文化・芸術など多くの分野で隆盛を極めた。1492年、キリスト教徒の手に落ちるが、781年に亘ったイスラム支配の影響が色濃く残されている。(写真は、アラヤネスの中庭) <へネラリーフェ> ・14世紀初期に整備されたグラナダ王の夏の離宮。王宮の東、徒歩10分の場所にある。水をふんだんに利用した庭園「アセキアの中庭」(アセキアとは水路のこと)は、全長50m程の縦長の庭の中央に細長い水路が設けられ、左右に並ぶたくさんの噴水から水が絶え間なく降り注いでいる。 ・アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェの庭園を見学して、グラナダを後にしミハスに向けて出発した。 昼食は、途中のサービスエリアにあるレストランで、“イカの炭焼き”であった。
≪コルドバ≫
・コルドバは、紀元前のローマ植民地時代からアンダルシアの中心だった。8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、後ウマイヤ朝が成立すると、コルドバは、ヨーロッパ・北アフリカのイスラム教国の中心として大きく発展した。929年ラフマーン3世の時代にコルドバは最盛期を迎え、当時の人口は100万、モスクの数は300を数えたという。文化的にもイスラム、キリスト、ユダヤの3つの文化が共存し、世界の中心と言えるほどの隆盛を迎えた。 イスラム圏からは貴重な文献が持ち込まれ、アリストテレスの名はこの街の資料によって、ヨーロッパ世界に知られるようになったと言われている。 <メスキータ>(スペイン語で「モスク」の意味) ・メスキータはイスラム教徒が建てた(780年)建物で、メスキータを背にして、その前がユダヤ人街。小路が入り組み、その両側に白壁の家が並び、「花の小路」と言われている。 重量を分散して、天井をより高くするために2槽式にしたアーチの赤白の模様(写真上)は、白色の石と、赤色のレンガを交互に組み合わせて作られている。 ・コルドバでは現地ガイドが案内してくれた。 最盛期には約1000本余りあったと言われる、アーチ状の柱には、所々に建築に携わった職人のサインが彫られている。約800年前の跡には驚かされた。ともかくイスラム建築の偉大さには脱帽です。 メスキータ見学の後、旧市街の“花の小路“と言われる狭い通りを歩く。長い歴史の中で、イスラムとキリストとユダヤとの共存していた街並みには、歴史の重みが感じられる通りでもあった。 ・コルドバから約200K余り走って、本日の宿泊地グラナダに到着したのは、夜の8時半過ぎであった。 9時より夕食。間もなく飛び入りがあって、地元のグラナダ大学の学生バンド5人が登場。「1曲いかがですか?」と・・・YESともNOともいわぬうちに早速歌い始める。どこかで聞いたような曲を立て続けに3曲歌いまくる。演奏が終わったところで、マネージャーらしき学生が、自分たちの曲が入ったDVDを売りつける。聞いてしまった手前買って上げるしかない。ハイ10ユーロでーす。でも、とっても明るくて若々しくて気持ちのいい学生達でした。
【第3日目】(6月3日)
・トレドからコルドバに向かう。コルドバから更にグラナダまで約550キロの長丁場である。 トレドから約65キロ(1時間半)、どこまでも続く褐色の大地の中に、小さな丘にあるコンスエグラという街に着く。「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方の街だ。丘の上までバスが行ける。周りは地平線まで褐色の大地だが、この丘だけは盛り上がるように、そしてその頂上に白い風車群がまるで作られた観光地のように立っていた。この地域の主要農産物は“サフラン”という。 ・そのあと、約1時間ほど走って、とある町でオリーブ工場を見学する。今日は日曜日だったので、工場はお休み・・・でしたが、それでも開けてもらう日本の観光団? やがて女性の社員(家族かも?)が来て、工場の中で、ビデオで簡単な説明をしてくれる。ついでに、売店に連れて行き、お土産のオリーブ油などを販売する。 その足でレストランへご案内・・・・行ってみると同じ経営者(家族経営?)です。 日曜日だけど、工場の簡単な説明して~お土産販売して~併営のレストランで食事・・・とシッカリしている。食事は、出来たてのオリーブを贅沢に使った、肉と野菜のミックス(名前は不明)であった。 |
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