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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 『晴れ晴れ会』として開設した(2008年7月です)ブログもかれこれ6年近くになりました。ときどき開催していた『晴れ晴れ会』も最近ちょっと湿りがちになっておりました。それは、私を除く他のメンバーの皆さんが、働き盛り、(子供の)成長盛り等々、日本をしっかり支えてくれています。だから、私もみなさんの陰で(あるいは後ろで)世の中を少しでも支えてあげようと、老体に鞭打って働くことにしております。
 そう、今の私にできることは・・・、(間接的ですが)若い皆さんの仕事をしっかり見守ってあげること、皆さんが迷ったり、悩んでいたら、アドバイスしてあげたり、必要により過去の経験を話してあげること、落ち込んでいたら励ましてあげること、そして、時には、いい仕事をしたら褒めてあげ、拍手してあげる。それにチョッピリだけど金銭的に貢献していることは、多少の所得税を納めて、健康保険の自己負担(私の年齢では通常1割負担)を3割負担し、年金受給は12年間一部受給返上してきたことくらい、でしょうか。

 そんな折に、先週は、『晴れ晴れ会』メンバー・チーさんの嬉しいニュースがありました。(4月4日付ブログで紹介済み)
 と思ったら、昨夜、上海のエリーさんから“ブログ見たよ”とばかりのコメントがありました。1年ぶりの便りでしたが、これも何かの縁でしょうか。彼女は、仕事が忙しく(加盟店が中国全土に拡がってきたとか)滅多にブログを見る機会がなかったようだが、たまたまブログをのぞいたらチーさんのニュースに“遭遇”して、嬉しかったとのコメントがありました。
 この数日、チーさん、エリーさん、それぞれ忙しく頑張っていることを知り、大変頼もしく、嬉しく思いました。「晴れ晴れ会は不滅です」と思わずコメントを返しました。

<他の晴れ晴れ会メンバーにも知らせてあげたいと思います>

 

 

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(3月31日 16時頃 目黒橋より中目黒方面を望む)
 今年も桜は目黒川から眺めました。あまり写りは良くありません。夕刻だったのと携帯・それもガラ系の古いやつですから・・・。
 この日はいつも月1回の勉強会の日。渋谷・目黒・港地区の会社の監査仲間の自由討議兼勉強会という、至って気楽な集まりです。
 
 『季節がら、目黒川の桜が見たいですね、その近くにある会社はS氏の会社だから、アレンジしてください』とS氏に半強制的に指名があって・・・、やがて彼からの提案が、3月31日とあと1日の案があった。なぜか? 3月31日ならという声が多くて・・・これがバッチリ当たりました。当日7名がS氏の事務所に集う。
 花曇り、時々陽が射すという天気の中、勉強会は90分で切り上げて、8分咲きの桜を見ながら、18時過ぎに老舗のソバ屋さんに立ち寄る。ソバ屋さんと云うけれど、ちゃんと場所と料理を予約していたので、すぐに会食が始まる。
 
 名前はあまり覚えていないが、料理のフルコースがついて、酒の種類も豊富。そば&料理には日本酒とばかり、日本酒好物の仲間とすっかり熱燗が進む。まるで「池波正太郎」気取りで、すっかり「ソバ屋では日本酒」に浸りきって、かれこれ2合瓶×5本、ざっと1升を2人で頂いてすっかりいい気分。来年も観桜会はここで・・・、と皆で納得して、勉強会?はお開きになりました。

<考えてみると、目黒川の桜を見ながら会食、その近くの会社はS氏だから・・・と前回欠席したS氏を欠席裁判したのは・・・言いだしっぺは私ですが>

 昨夜(4月3日)、前職から封書が来ておりました。いつもの社内報だろうと後で見ることにして、晩酌やりながらの、いつもの行儀の悪い遅い夕食をとってました。手紙は、やはりいつもの社内報が入っていました。ページをめくると・・・!! チーさんの顔写真が出ていました。そこにあった記事は、チーさんが職場内の業務改善を行って数千時間の作業時間短縮(節減)を図った功績により、社長表彰を受けたとのニュースが出ていました。

 今から16年前に入社されて、10年間、私のそばでアシストしてくれた同僚です。
今は、別の部門で活躍されているが、そういえば彼女も“リケ女”なのに、なぜか
一般職を希望した変わり種です。上場準備から上場後の経営企画業務をしっかり守ってくれました。私が職場を離れてから7年近くになります。ときどき、晴れ晴れ会として懇親会を続けてきたのですが、最近は、メンバーが、子育てやら、家庭の事情や、海外進出などの人もいて・・・、ここ数年ご無沙汰です。(もとはと言えば、このブログもそのメンバーの会を記念して始めたものですが)

 そんな中で、その職場で唯一頑張っているのがチーさんです。
ニュースを見て、深夜(確か10時過ぎ)にもかかわらず、思わず電話してしまいました。
その時は、不在でしたが、やがて返信があって・・・、お祝いをすることにしました。もちろん彼女の好きな居酒屋です。拍手・乾杯(喝采)します。

大変うれしいニュースでした!



<国道246号線沿いの話>
 毎朝、三軒茶屋又は池尻大橋の駅から国道246号線を渋谷に向かって歩く。だいたいは左側の歩道を歩くが、最近は右側の歩道を歩くことが多い。なぜか? 先週から今週は目黒川沿いの桜(が満開であるの)を見るのが楽しいからだが・・・。

 池尻大橋駅を過ぎて、100メートルくらい歩くと、目黒川が右手にある。ちょっと立ち止まって、今日は5分咲きかな? 8分かな? と素人の判断をする。毎年この時期の1~2週間の朝の楽しみである。

 そこからしばらくは案外キツイ上り坂が続く。やがて数年前にできたS不動産のオフィスビルがあって、そこをすぎて間もなくの歩道上に、1メートルほどのプラスチック製の小奇麗なふた付きの容器で<燃える、燃えない、びん・缶>のごとく分別したものが3個設置されている。その蓋には、『これは近隣の住人専用のごみ箱です。通行の人は使用しないでください』と張り紙がしてある。しかし、この場所は、歩道とはいえ公道上ではないか? こんなものを置いて近所の人だけのごみ箱です、と主張できるの? ここは天下の国道246号線の歩道です! 近くに住んでいるからといって、自分たちだけが使うものを置く(あたかも占有面積のごとく)のはおかしいんじゃない? 自分たちだけ使用するのなら、自分達の土地に設置すべきではありませんか? 勝手に私有地にしないでよ! それとも使用料でも払っているのでしょうか? 目黒区役所はどう取り扱っているの?

 そこから約500メートルくらい行って、国道246号線と新山手通りの交差点(神泉町)を通り過ぎて、道玄坂上交差点を渋谷・桜ケ丘方向にやや降りた辺りにY宅急便やS急便とやらがある。この2社の前で気になるのは、歩道の上を作業場にして(?)、荷物の積み下ろしを頻繁に行っていて、通行人に迷惑をかけている。時には、運搬・積み上げ・降ろしの機材が歩道上に置いてあって、通行人の邪魔になる。また、近所の集配の時には、歩道の上を台車で走り回る。「そこのけそこのけ台車が通る」と云わんばかりである。危険であり、通行人は避けざるを得ない。まるで、走って仕事をする元気な会社、とこれ見よがしにだが・・・、はた迷惑な話だ。 これが日本の大会社のやることですか?
こんな街なかで荷物のデポは所詮ムリなのです!


 道玄坂上の246号線の反対車線側にも歩道に、毎日、ごみを置いている企業?商店? がある。年中・朝晩、常に絶えることがない! この話は前にもブログったが・・・。ごみのほぼ真ん前にサッカーを中継しているドイツビアガーデンがある。そこが出しているかどうかは知らないが、いやしくも飲食店の真ん前に毎日ごみ袋が山積みとなっているのはどう思っているのか? だいいち不潔に思わないだろうか? 自店のものでなかったら然るべきところに抗議したら?、渋谷区役所は知っているのかしら?


 渋谷、といえば東京でも代表的な街でしょう?。でも、あっちこっちに非常識な
モノ、場所が見えて恥ずかしい限りだ。

 一人ひとりが自覚して公衆道徳を守る、守らせる。そして来るべき東京オリンピックには、世界の街の模範になるような、成熟した都市、をアピールしたいものである。

 3月も終わりに近づいた水曜日の午後、しばらく音沙汰のなかったTM氏から会社に電話があった。取り次いでくれた女性社員が、「確かTMさんとか、あまりよく聞き取れなかったのですが…」と言って取り次いでくれた。
 「ほうーっ」と急いで受話器を取る。
『久しぶりです。お元気ですか?』と出たものの、受話器越しの本人の声がよく聞き取れない。何かモグモグと言っているのだが、言葉が体をなさなようだ。

 やっとお互いに相手を確かめられる状況になって、会話が少し進む。
 一生懸命しゃべろうとするようだが、言葉が思うように出てこないようだ。ようやくその状況が分かったので、こちらから少しづつ聞いては相手の反応を確かめるように…。

 それによると、彼は、1月15日の突然病魔に襲われて、それ以来入院していた。そして本日(3月26日)にいったん退院し、「会社に行き退任のあいさつをしてきました」と言う。明日からは、自宅の近くに転院し、治療・リハビリを行うという。体が思うように動かない。どうやら足が思うようにならない。言語も苦しそうで、思った言葉が出てこないようだ。とすると・・・、脳梗塞関連か? 病名は聞かなかった(聞けなかった)。自分の気持ちを一生懸命話そうとしているみたいだが、思うに任せず可哀そうだった。あまり時間をとらせてもと思い、頃合いを見計らって、電話してくれたことに感謝しながら、『これからリハビリをしっかり頑張ってください。また電話がかけられるときは、連絡下さい』と告げて電話を終えた。不自由な体調の中で、必死に伝えようとする電話の向こうでの彼の様子を思い浮かべて、しばらく自席でボーっとしていた。


 彼との出会いは、今から2年半前(2011年11月)のことだ。仕事の関係で、業界団体の実務部会と称する月1回の会合の席上である。「実務部会」とは、幹事役数名が中心になって、毎回のテーマ・担当者を決め、事例発表や持論等を発表する。いわゆる勉強の場だ。そして、終わってから情報交換と称して軽い懇親会を任意参加で行う。
 ある日、めったに参加しない彼と懇親会で隣り合わせたことがあった。生真面目な彼は、会合では控えめで、決して積極的に人前で意見を言い、また議論する人ではなかった。静かで、温厚な紳士であった。何となく気ごころがあったのは、お互いにアルコールが好きだったせいもあるかもしれない。隣り合わせが縁で私たちはすっかり溶け込んで語り合う仲になった。
 それから度々、彼は私の会社に来ることがあって、二人で議論したり、情報交換したり、資料交換したり、時には一献交わしたりという良き友人関係が続いていた。
 2年前に、私がある専門誌を私的な勉強用にパワーポイント化(アレンジ化)をしていたことがある。ところが専門誌にある法令条文等に古いものが多く見られ、その後の改定条文となっていない個所が散見されていたので、これをアップデートしながら作成するということで、結構な時間を要していた。(結果としては、索引に出てくる法令条文を1件1件チェックしながらの作業だったので、約半年かかってしまった)
 彼が以前に出版の校正関係の仕事をしていたことがあると聞いていたので、私がこんなことをしていると話したところ、『添削』して上げますと快く引き受けてくれた。それから数カ月の間、私が原稿を作った都度、彼にデータを流して添削してもらうという原稿のキャッチボールが続いた。ようやく本体が出来上がって、目次がダサイ! ということで彼がアレンジしてくれたものを付け加えて完成した。
内容は、監査役に関連した事項を「question & answer」方式で解説した全278項目、339ページに亘るパワーポイントの資料である。オリジナル専門書の著者や出版社には許可を受けていないので、あくまで個人的な学習資料とするに止めるものだが・・・、出来栄えとしては、満足している。これも彼が指導してくれたお蔭なのだが・・・。

 彼とは、その後も時々コミュニケーションが続いていて、特に彼の会社がIPOを目指していた頃は、諸問題や、個人的悩みや実務の情報交換等を頻繁に行った。
 彼の活躍は、(話を聞いて想像するに)一監査役にとどまらず、それはCFOの役割ではないか?と思われるような案件まで背負っていたような気がする。それは、彼の経験からくる指導力と人の良さ、人格のなせる技かもしれないが・・・。

 2013年12月13日彼の活躍で、めでたく東証マザーズに上場を果たした。
その直後に行われた監査役協会「実務部会」の席上で、そのことが紹介され、彼は、ちょっとはにかみながらご挨拶し、拍手喝さいを浴びた。

 それから1週間後、もうすぐ年末だったが、彼と二人でささやかな祝杯を菊名の居酒屋で挙げた。相変わらず控え目な彼の顔にも「やり遂げた」という安ど感がうかがえた。

 それ以来、3か月会えなかった。そして・・・、電話があった。

 彼の早期回復を祈っている。

 がんばれTMさん!



 



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