2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 今年もいろいろな年賀状がありました。
毎年自作・自演で版画彫り(?)のもあれば、きっちり近況をお知らせ下さった人、懐かしい字体で顔を思い浮かべた人、相変わらず元気に現役を続けている人、残念ながら今後は辞退させていただくとあったひと・・・、何年振りかで便りを下さった人など、1年に一回の楽しみでもある。

 そんな中で久し振りの便りがあった。
・もうお互いに音信不通になって10年ほどになるY氏から便りがあった。氏とは、60年以上前の秋田・横手で小学校低学年頃迄、隣に住んでいた友達である。その後東京に移住した氏とは、年賀状のやり取りだけは継続(ほぼ50年間)していて、今から10年ほど前で途絶えてしまっていた。私より2学年先輩の彼は、都内の銀行に永らく勤務していたが、その後については定かでない。一度だけ、私が大学のゼミで上京した際に会ったことがあるが、それでも50年は会っていない。

 10年ぶりの年賀状交換で再会する日が近くなったような気がする。今年あたり早い時期に会ってみたいものである。


・前職の同僚であったS氏から何年振りかで便りがあって、都内(五反田)で元気に働いていますという便りがあった。
 勤務地はお互いに近い。返信がついたかどうかのタイミングで、いきなり電話があって・・・。彼からの強い誘いがあって、「では、新宿で飲みましょう」ということになった。
 ひところ体を壊されて退職したと聞いていたが、元気になったようだ。
 明日が楽しみである。

☆年末・年始の曜日回りがよかったせいで、連休が9日間となった企業が多かったと思うが、当社もその口でした。
 そのせいでもないだろうが、休み中に予定してないゴルフが2日も入り、「休み繰り?が窮屈で、あまりゆったり休んだ気がしない」という贅沢な我儘を言うと、罰があたりそうです。

 30日~2日は箱根湯本で温泉三昧と思っていたが、運悪く?鼻風邪を拾ってきたみたいで外出できず、2日の箱根駅伝を見ただけ。後は、飲んで食べてテレビ観戦するのみでした。


☆今年の箱根駅伝では、2区で山梨学院大の選手が疲労骨折でリタイアーするというアクシデントがあって、可哀そうな場面がありました。毎年、何かが起きるという駅伝だが、難しいコンデッションづくり、レースづくりを今年も見せつけられました。それでも、気温が昨年ほど低くなかったので、各校ともまずまずのレースができたのではないかと感じました。いつもながら、若い人たちが頑張る姿を見ては、頼もしく思い、元気を貰います。



☆1月4日ゴルフ初打ち
 11月初旬以降、手首の腱鞘炎もあり、少し早目の「ゴルフは冬休み」を宣言したのですが、K氏からの、「無理を申しますが、参加の可能性はありませんか?」というお誘いに乗って、1月4日に初打ちに参加することとなった。といっても、6日前(12月29日)にもやっぱり別口のお誘いに乗って(これは打ち納めと称したが…)プレーしていたので、あまり新鮮味はないが…。
 
 それでも、数日前までは、この日の天気予報は曇り時々雨となっていたが、当日になったら、曇り時々晴れに変わり、気分良くプレーできました。寒さに弱い私は、この時期は上下完全武装の出で立ちになるので、ゴルフにはあまり向かない服装となる。ともかく来ているものが邪魔でスイングは鈍くなり、パッテングまで影響が出てくる。結局、スコアは2の次の親睦が中心のゴルフとなってしまった。

 そして、左手首腱鞘炎の具合は・・・、手首を2重にテーピングしたほかに、今回は、手の平から腕の内側に引っ張るようにテーピングを施し、さらに用心のため鎮痛剤・ロキソニンも服用するという物々しさでプレーする。これでも、ちょっと打ち損じてボールがスイートスポットを外れると痛むのです。・・・・やれやれです。


☆1月5日 家族新年会
 新しい家族(の予定)を含め市内某所でしゃぶしゃぶ新年会を行う。残念ながらもう1家族は直前になって、インフルエンザにかかり参加できず。

 それぞれの家族で年賀の交換(年賀状でない、手土産)があるようだが、あまり感心しない。そういえば、お歳暮や中元の類もそうだが日本の悪しき慣習ではないか?と思うが…。あまりエスカレートしない範囲でやりたいものである。

 そんな中で、娘婿さんから頂いた品が、「電子書籍」なるもの。
 これで通勤電車の中で持ちにくい(分厚い)雑誌を広げることから解放される。これはありがたいプレゼントだ。すっかり気に入っている。

 今年もみなさん安全で、健康な1年を祈るのみである。


   2014年1月4日 “初打ち” 相模野CC相模コース 9番ティグランド近くで

 


 

<2013年 やり残し・書き残しあれこれ>

 

●12月24日、友人と横浜(菊名)の某所・小料理屋さんで、彼の(会社が上場を果たした)お祝いをしようと、最寄りの駅で待ち合わせして店に向かう。時刻は19時過ぎ、店の前に行って、「アレッ?」と二人で立ちつくす。

 シャッターがおりていて中の電気も消えている。その2階にある関連のスナックへ通ずる階段も閉まっている。「店仕舞いした?」としか思えなかった。本日は世間的にはクリスマスイブだからある意味稼ぎ時ではないか、時間も19時過ぎは早すぎる訳ではないだろう。それにしても閉店することは知らなかった。前回立ち寄ったのが8月だから・・・それ以降の話(閉店)なのでしょう。

 この日の4日前に、旧店主(母親)から、「メールアドレス変更しました」と言うメールをもらっていたので、「12月24日に店によりますので一緒に飲みませんか?」と言うメールをしたばかりであった。しかし、それに対する返信が来なかったまま(多少不審には思ったが)24日に店へ行ってしまったのだ。

 

 それから3日過ぎてメールがありました。

「来年から、昼・夜の仕事をします。還暦すぎて不安があるが頑張ってみます」。

それ以上に詳しいことは語っていませんでしたが、新たな仕事を始めるようだ。どんな事情があったのかは知るよしもないが、ともかく、便りがあって・・・、

ホッとしました。そして、「それぞれの道に向かって頑張って欲しい」と返信しました。

 

 

●JR東日本の社長宛に質問をした手紙(11月にブログにもアップしたが)の回答がきました。もともとの内容は、10月に博多へ出張した際に感じた新幹線に関連した不便・不満を述べた内容だった。回答書は、それぞれについて、必ずしも私の要望を満足するものではなかったが、それなりに丁寧に述べられていましたので、回答書としては誠意のあるものと認められるものでした。

 回答書の発信人は、JR東日本・サービス担当の次長の自署がしてありました。

 

 そもそも、私が社長宛に質問状を発信したキッカケは、11月にT大学で行われたJR東日本・社長の講演を聞いたこと(その場の質疑応答が叶わず)で、後日その関連で質問状を送付したものでありました。だから、回答があるならば社長の言葉で(または社長名で)あることを期待していましたが・・・、残念ながら、一般の投書または苦情に対する回答のごとく、担当部門からの回答でした。

 

 大会社の社長はご多忙で、いちいちこんな細いことに目を通す訳にはいかないのかもしれないが・・・。ちょっぴり残念な思いがしました。

 ひょっとして、「おーい、こんな手紙が来ているから、そっちで回答しておいてくれ!」だったのか、それとも、社長に届くまでもなく、秘書室とか総務部門とかで開封し、内容を確かめた上で担当部門に回してしまったのかもしれない。

 

 何れにしても、社長の講演会に関する質疑応答として考えるならば、たとえ担当部門が作った回答書であっても、担当部門長名ではなく、社長名(自署がなくても)で出すべきではないかと思いましたが、・・・私の思い上がりだろうか。

 なんとなく、大会社の理論・やり方が見え見え・・と思えてなりませんでした。

 

 

●12月29日 本年最終ラウンドでした。

 前職場の先輩S氏とご子息夫妻との懇親でした。9月以来のお手あわせでしたが、天気もまずまずで楽しくラウンドできました。

 心配だった左手首の痛みは・・・、二重にテーピングし、鎮痛剤(ロキソニン)とのダブル効果(?)で、打ち損じたとき以外はそれほど痛みも感じない程度でした。スイングでは、手首のコックをあまりしないように、アドレス時からコックしたままのバックスイングを試みました。この方法だとボールはフック気味となるので、前半はボールが尽く左方向に飛び調整に苦労しました。 

 後半は、出来るだけ力を抜いて、フォローはできるだけ前方を意識(左へ引っ張りこまない)する打ち方で、やや安定しました。

 

 今年のラウンドはこれでおしまい。年間34ラウンドでした。夏は快調でしたが、10月中旬からは、左手首の腱鞘炎に悩まされ、思うようなスコアが出せないまま終わりました。

 年明けは、1月4日初打ちとなります。


≪師走に京都で行われる高校駅伝は楽しみの一つである。若い人たちが母校のため、チームのために必死に頑張る姿をみると頼もしく、思わず力が入る。
 男子では、今年は下馬評に山梨学院高が優勝候補に上っていたが、ふたを開けたら大激戦であった。個人的には、10数年前に10年間住んでいた山梨県の代表だから当然応援したくなる。
 
 勝負は最終区、それもトラック勝負に持ち込まれて、ラスト100メートルのデッドヒートとなり、山梨学院高の西山君の鮮やかなスパートで2位とわずか1秒差で優勝した。劇的な、胸のすくような勝ち方であった。

 後日行われた学校の報告会で述べられた挨拶がいい。
校長先生の「走ったのは選手だが、支えたのはみんな。・・・」、
監督は「・・・優勝は走った選手だけでなく、部員全員でつかんだもの」、
そして最終走者・西山主将は「たくさんの方から頂いた応援に力をもらい、優勝できました。何度お礼を言っても足りないです!」
 実にすがすがしい挨拶に感じた≫

 おめでとう!山梨学院高!


関連記事:

<スポーツ報知 12月24日 配信記事>
 
 22日の全国高校駅伝(京都)で悲願の初優勝を果たした山梨学院高男子駅伝部と、県勢初の6位入賞を決めた女子駅伝部が24日、同校体育館で行われた報告会に参加した。

 ラスト100メートルの接戦を制した男子の最終走者・西山令主将(3年)は「たくさんの方からいただいた応援に力をもらい、優勝できました。何度お礼を 言っても足りないです」と約1500人の同校中・高生徒や保護者に感謝した。ステージ上の男女選手は、古屋忠彦校長の「走ったのは選手だが、支えたのはみ んな。一緒に喜びを分かち合いたい」との言葉に誇らしげに顔をあげた。

 男子・箱崎孝久監督(45)は「昨年8位で初入賞を遂げ、来年は必ず優勝しようと誓い、それを実現できた。優勝は走った選手だけでなく、部員全員でつかんだもの」とたたえ「1度の優勝で満足することなく、さらに躍進したい」と来年以降の活躍を見据えた。

 昨年の12位を大きく上回る6位で県勢最高位を更新した初入賞の女子・高橋真以主将(2年)は「多くの人の助けで入賞できました。次は優勝した男子のようにたくましい走りで1番になりたい」と優勝を誓った。
  



 

秋田のニュース

香港、マカオに続き台北 稲庭うどん店、海外展開に力 湯沢

秋田のうどんを発信する佐藤養助商店の台北店

 秋田県湯沢市の稲庭うどん製造販売会社「佐藤養助商店」(佐藤正明社長)が、う どん店の海外展開に力を入れている。既に営業している香港、マカオ店に続き、ことし7月に台湾に台北店を出店、人気を集めているという。ユネスコの無形文 化遺産に登録される和食が注目を集める中、台湾での2号店や他国への新たな出店を検討している。

 台北店は、世界的な魔法瓶ブランド「サーモス」の台湾現地法人との共同経営で、台北市中心部の繁華街に古民家をイメージした内外装で出店した。今月、現地法人と合弁会社を設立し、連携強化を進めている。
 器は湯沢市の伝統工芸川連漆器を使い、うどんには秋田県産の漬物いぶりがっこを添える。日本酒は秋田の3銘柄をそろえる。
 海外では、複数の讃岐うどんメーカーが現地で生麺を製造し、ファストフード感覚の店舗を展開している。佐藤養助商店は本社で製造した乾麺とつゆを現地に輸送し、本物志向の富裕層から人気を集めているという。
 佐藤社長は「秋田のうどん文化を発信して交流人口を増やすことが目標。乾麺の特長を生かして輸出にも力を入れたい」と意気込む。
 佐藤養助商店は国内では秋田、東京、福岡で計11店を経営。香港店は2009年、マカオ店は10年に開店した。


2013年12月21日土曜日

<ふるさと“秋田”はすっかり冬景色、今年は早めに雪(大雪)がつもっているとか・・・。そんな秋田の名物に、知る人ぞ知る「稲庭うどん」があって、親戚から今年も送られてきました。3連休の昼は稲庭うどんを食べて満足したのですが、その直後にインターネットのニュースでこの記事を読みました。比較的細くて、つるつるのど越しがよく、ソーメン風でもあったかうどんにしても最高です!!  「稲庭うどん」がんばれ!と思わず応援したくなりました>



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