<2013年 やり残し・書き残しあれこれ>
●12月24日、友人と横浜(菊名)の某所・小料理屋さんで、彼の(会社が上場を果たした)お祝いをしようと、最寄りの駅で待ち合わせして店に向かう。時刻は19時過ぎ、店の前に行って、「アレッ?」と二人で立ちつくす。
シャッターがおりていて中の電気も消えている。その2階にある関連のスナックへ通ずる階段も閉まっている。「店仕舞いした?」としか思えなかった。本日は世間的にはクリスマスイブだからある意味稼ぎ時ではないか、時間も19時過ぎは早すぎる訳ではないだろう。それにしても閉店することは知らなかった。前回立ち寄ったのが8月だから・・・それ以降の話(閉店)なのでしょう。
この日の4日前に、旧店主(母親)から、「メールアドレス変更しました」と言うメールをもらっていたので、「12月24日に店によりますので一緒に飲みませんか?」と言うメールをしたばかりであった。しかし、それに対する返信が来なかったまま(多少不審には思ったが)24日に店へ行ってしまったのだ。
それから3日過ぎてメールがありました。
「来年から、昼・夜の仕事をします。還暦すぎて不安があるが頑張ってみます」。
それ以上に詳しいことは語っていませんでしたが、新たな仕事を始めるようだ。どんな事情があったのかは知るよしもないが、ともかく、便りがあって・・・、
ホッとしました。そして、「それぞれの道に向かって頑張って欲しい」と返信しました。
●JR東日本の社長宛に質問をした手紙(11月にブログにもアップしたが)の回答がきました。もともとの内容は、10月に博多へ出張した際に感じた新幹線に関連した不便・不満を述べた内容だった。回答書は、それぞれについて、必ずしも私の要望を満足するものではなかったが、それなりに丁寧に述べられていましたので、回答書としては誠意のあるものと認められるものでした。
回答書の発信人は、JR東日本・サービス担当の次長の自署がしてありました。
そもそも、私が社長宛に質問状を発信したキッカケは、11月にT大学で行われたJR東日本・社長の講演を聞いたこと(その場の質疑応答が叶わず)で、後日その関連で質問状を送付したものでありました。だから、回答があるならば社長の言葉で(または社長名で)あることを期待していましたが・・・、残念ながら、一般の投書または苦情に対する回答のごとく、担当部門からの回答でした。
大会社の社長はご多忙で、いちいちこんな細いことに目を通す訳にはいかないのかもしれないが・・・。ちょっぴり残念な思いがしました。
ひょっとして、「おーい、こんな手紙が来ているから、そっちで回答しておいてくれ!」だったのか、それとも、社長に届くまでもなく、秘書室とか総務部門とかで開封し、内容を確かめた上で担当部門に回してしまったのかもしれない。
何れにしても、社長の講演会に関する質疑応答として考えるならば、たとえ担当部門が作った回答書であっても、担当部門長名ではなく、社長名(自署がなくても)で出すべきではないかと思いましたが、・・・私の思い上がりだろうか。
なんとなく、大会社の理論・やり方が見え見え・・と思えてなりませんでした。
●12月29日 本年最終ラウンドでした。
前職場の先輩S氏とご子息夫妻との懇親でした。9月以来のお手あわせでしたが、天気もまずまずで楽しくラウンドできました。
心配だった左手首の痛みは・・・、二重にテーピングし、鎮痛剤(ロキソニン)とのダブル効果(?)で、打ち損じたとき以外はそれほど痛みも感じない程度でした。スイングでは、手首のコックをあまりしないように、アドレス時からコックしたままのバックスイングを試みました。この方法だとボールはフック気味となるので、前半はボールが尽く左方向に飛び調整に苦労しました。
後半は、出来るだけ力を抜いて、フォローはできるだけ前方を意識(左へ引っ張りこまない)する打ち方で、やや安定しました。
今年のラウンドはこれでおしまい。年間34ラウンドでした。夏は快調でしたが、10月中旬からは、左手首の腱鞘炎に悩まされ、思うようなスコアが出せないまま終わりました。
年明けは、1月4日初打ちとなります。