2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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<国道246号線沿いの話>
 毎朝、三軒茶屋又は池尻大橋の駅から国道246号線を渋谷に向かって歩く。だいたいは左側の歩道を歩くが、最近は右側の歩道を歩くことが多い。なぜか? 先週から今週は目黒川沿いの桜(が満開であるの)を見るのが楽しいからだが・・・。

 池尻大橋駅を過ぎて、100メートルくらい歩くと、目黒川が右手にある。ちょっと立ち止まって、今日は5分咲きかな? 8分かな? と素人の判断をする。毎年この時期の1~2週間の朝の楽しみである。

 そこからしばらくは案外キツイ上り坂が続く。やがて数年前にできたS不動産のオフィスビルがあって、そこをすぎて間もなくの歩道上に、1メートルほどのプラスチック製の小奇麗なふた付きの容器で<燃える、燃えない、びん・缶>のごとく分別したものが3個設置されている。その蓋には、『これは近隣の住人専用のごみ箱です。通行の人は使用しないでください』と張り紙がしてある。しかし、この場所は、歩道とはいえ公道上ではないか? こんなものを置いて近所の人だけのごみ箱です、と主張できるの? ここは天下の国道246号線の歩道です! 近くに住んでいるからといって、自分たちだけが使うものを置く(あたかも占有面積のごとく)のはおかしいんじゃない? 自分たちだけ使用するのなら、自分達の土地に設置すべきではありませんか? 勝手に私有地にしないでよ! それとも使用料でも払っているのでしょうか? 目黒区役所はどう取り扱っているの?

 そこから約500メートルくらい行って、国道246号線と新山手通りの交差点(神泉町)を通り過ぎて、道玄坂上交差点を渋谷・桜ケ丘方向にやや降りた辺りにY宅急便やS急便とやらがある。この2社の前で気になるのは、歩道の上を作業場にして(?)、荷物の積み下ろしを頻繁に行っていて、通行人に迷惑をかけている。時には、運搬・積み上げ・降ろしの機材が歩道上に置いてあって、通行人の邪魔になる。また、近所の集配の時には、歩道の上を台車で走り回る。「そこのけそこのけ台車が通る」と云わんばかりである。危険であり、通行人は避けざるを得ない。まるで、走って仕事をする元気な会社、とこれ見よがしにだが・・・、はた迷惑な話だ。 これが日本の大会社のやることですか?
こんな街なかで荷物のデポは所詮ムリなのです!


 道玄坂上の246号線の反対車線側にも歩道に、毎日、ごみを置いている企業?商店? がある。年中・朝晩、常に絶えることがない! この話は前にもブログったが・・・。ごみのほぼ真ん前にサッカーを中継しているドイツビアガーデンがある。そこが出しているかどうかは知らないが、いやしくも飲食店の真ん前に毎日ごみ袋が山積みとなっているのはどう思っているのか? だいいち不潔に思わないだろうか? 自店のものでなかったら然るべきところに抗議したら?、渋谷区役所は知っているのかしら?


 渋谷、といえば東京でも代表的な街でしょう?。でも、あっちこっちに非常識な
モノ、場所が見えて恥ずかしい限りだ。

 一人ひとりが自覚して公衆道徳を守る、守らせる。そして来るべき東京オリンピックには、世界の街の模範になるような、成熟した都市、をアピールしたいものである。

 3月も終わりに近づいた水曜日の午後、しばらく音沙汰のなかったTM氏から会社に電話があった。取り次いでくれた女性社員が、「確かTMさんとか、あまりよく聞き取れなかったのですが…」と言って取り次いでくれた。
 「ほうーっ」と急いで受話器を取る。
『久しぶりです。お元気ですか?』と出たものの、受話器越しの本人の声がよく聞き取れない。何かモグモグと言っているのだが、言葉が体をなさなようだ。

 やっとお互いに相手を確かめられる状況になって、会話が少し進む。
 一生懸命しゃべろうとするようだが、言葉が思うように出てこないようだ。ようやくその状況が分かったので、こちらから少しづつ聞いては相手の反応を確かめるように…。

 それによると、彼は、1月15日の突然病魔に襲われて、それ以来入院していた。そして本日(3月26日)にいったん退院し、「会社に行き退任のあいさつをしてきました」と言う。明日からは、自宅の近くに転院し、治療・リハビリを行うという。体が思うように動かない。どうやら足が思うようにならない。言語も苦しそうで、思った言葉が出てこないようだ。とすると・・・、脳梗塞関連か? 病名は聞かなかった(聞けなかった)。自分の気持ちを一生懸命話そうとしているみたいだが、思うに任せず可哀そうだった。あまり時間をとらせてもと思い、頃合いを見計らって、電話してくれたことに感謝しながら、『これからリハビリをしっかり頑張ってください。また電話がかけられるときは、連絡下さい』と告げて電話を終えた。不自由な体調の中で、必死に伝えようとする電話の向こうでの彼の様子を思い浮かべて、しばらく自席でボーっとしていた。


 彼との出会いは、今から2年半前(2011年11月)のことだ。仕事の関係で、業界団体の実務部会と称する月1回の会合の席上である。「実務部会」とは、幹事役数名が中心になって、毎回のテーマ・担当者を決め、事例発表や持論等を発表する。いわゆる勉強の場だ。そして、終わってから情報交換と称して軽い懇親会を任意参加で行う。
 ある日、めったに参加しない彼と懇親会で隣り合わせたことがあった。生真面目な彼は、会合では控えめで、決して積極的に人前で意見を言い、また議論する人ではなかった。静かで、温厚な紳士であった。何となく気ごころがあったのは、お互いにアルコールが好きだったせいもあるかもしれない。隣り合わせが縁で私たちはすっかり溶け込んで語り合う仲になった。
 それから度々、彼は私の会社に来ることがあって、二人で議論したり、情報交換したり、資料交換したり、時には一献交わしたりという良き友人関係が続いていた。
 2年前に、私がある専門誌を私的な勉強用にパワーポイント化(アレンジ化)をしていたことがある。ところが専門誌にある法令条文等に古いものが多く見られ、その後の改定条文となっていない個所が散見されていたので、これをアップデートしながら作成するということで、結構な時間を要していた。(結果としては、索引に出てくる法令条文を1件1件チェックしながらの作業だったので、約半年かかってしまった)
 彼が以前に出版の校正関係の仕事をしていたことがあると聞いていたので、私がこんなことをしていると話したところ、『添削』して上げますと快く引き受けてくれた。それから数カ月の間、私が原稿を作った都度、彼にデータを流して添削してもらうという原稿のキャッチボールが続いた。ようやく本体が出来上がって、目次がダサイ! ということで彼がアレンジしてくれたものを付け加えて完成した。
内容は、監査役に関連した事項を「question & answer」方式で解説した全278項目、339ページに亘るパワーポイントの資料である。オリジナル専門書の著者や出版社には許可を受けていないので、あくまで個人的な学習資料とするに止めるものだが・・・、出来栄えとしては、満足している。これも彼が指導してくれたお蔭なのだが・・・。

 彼とは、その後も時々コミュニケーションが続いていて、特に彼の会社がIPOを目指していた頃は、諸問題や、個人的悩みや実務の情報交換等を頻繁に行った。
 彼の活躍は、(話を聞いて想像するに)一監査役にとどまらず、それはCFOの役割ではないか?と思われるような案件まで背負っていたような気がする。それは、彼の経験からくる指導力と人の良さ、人格のなせる技かもしれないが・・・。

 2013年12月13日彼の活躍で、めでたく東証マザーズに上場を果たした。
その直後に行われた監査役協会「実務部会」の席上で、そのことが紹介され、彼は、ちょっとはにかみながらご挨拶し、拍手喝さいを浴びた。

 それから1週間後、もうすぐ年末だったが、彼と二人でささやかな祝杯を菊名の居酒屋で挙げた。相変わらず控え目な彼の顔にも「やり遂げた」という安ど感がうかがえた。

 それ以来、3か月会えなかった。そして・・・、電話があった。

 彼の早期回復を祈っている。

 がんばれTMさん!



 

<朝からとんだ非常ベル騒ぎがありました>
 火曜日の朝・7時15分過ぎのこと。
 突然マンション中の非常ベルが鳴った!
 玄関を出てみると、階段脇に設置されている非常ベルがジリジリ鳴っている・・・当家・隣家で非常ベルを押した人はいない。数分すると、マンションのあちこちで廊下・階段に出て、皆んな不安そうに見つめ合っているが、火災や煙らしきものは見当たらない。非常ベルは全館に設置されているが、すべて鳴りっぱなしだからもうマンション中で非常ベルの合唱をしているみたい。

 急いで出勤支度を整えて階下に下りていく。
 1階に降りたら、「ワインセラーから冷却用のアンモニアが漏れたようなので、私が非常ベルのボタンを押しました。消防署にも連絡しました」・・・というおっさんがいた。
 ワインセラーからアンモニアが漏れた?! なんだそれ?と思ったが、そのうちに次々に大きいのや小さい消防車や救急車がサイレン鳴らして到着。マンションの周りは騒然となった。

 ガスマスクを被り、ヨロイ兜みたいな防護服を着た消防士が数名走り回るなか、隊長らしき人が火元(ガス元?)のおっさんに確かめる。【えっ、ワインセラーのアンモニアか?】と納得しながら10Fの現場へ直行した。・・・そこまで見届けて駅へ急ぐ。その間約30分、出勤前のロスタイムです。とんだ道草でした。横浜線の町田駅ホームまで非常ベルの合唱が聞こえました。

 この日は、スイミングの日でした。会社の帰り道にスポーツクラブに寄って、帰宅したのは22時近く。マンション入り口の脇の掲示板に、本日のガス漏れの顛末が、【かなり簡単に】張り紙されていました。それは管理会社の簡単な報告書にすぎませんでした。

「なにこれ!あれだけの大騒ぎがあったのにこんな報告だけ?」
  
  朝から突然の非常ベル騒ぎ(30分以上も鳴りっぱなし)
  消防車も数台、救急車も2台がマンションを取り囲む。
  サイレンは鳴り響き、非常ベルも鳴りっぱなし。
  おりしも通勤・通学の朝のラッシュ時間帯、通る人も不安げに見ていく。
  朝の駅前に消防車や救急車が非常灯を点滅させ、サイレンを鳴らしていること自体
  物々しい光景だ。
  家族の話によると、
  ややあって、消防士が各戸を回って「窓を閉めるように」との指示があったようだ。
  やがて、原因を処理してチョン・・・だったようだ。

それにしても、あれだけの騒ぎを起こしたのに、張本人からのご挨拶・お詫びの言葉も何にもないのですか?!・・・せめて名前を名乗らなくても、たとえ掲示板ででも一言お詫び位は欲しいものです。
 マンション住民が、どれだけ恐怖と不安にかられ、迷惑したか、考えてみないのですか?

 そういえば、4か月前にマンション専用(立体)駐車場の入り口近くの壁に(ハンドルの切りそこない?で)車をぶつけて約1メートル四方の大穴を開けた人がいる。年末近くだったせいか、それとも業者が見つからなかったのか、1カ月以上補修がなく、みっともない破れ姿のままであった。加害者はマンション住人で申し出はあった(と掲示板にあったが)ようであるが、2カ月近く醜態をさらけ出したままであった。
 この時も、本人からのご挨拶・お詫びがなかった!


 時々感じることだが・・・、マンション内で顔を合わせても挨拶する人が少ない。明らかに昔からの住人と思える人でも・・・。毎朝のように子供を見送る親が、エレベーター内で会っても、親が挨拶しないから、子供も挨拶しようとしない。(多分そういう躾をしていないのでしょう)
 残念ながら、マンション住まいの人は、出来ればとなり近所とは付き合いたくないと思う人が多いようだ。何か素性を知られたくない?のかもしれない。それはある面仕方がないのだが…。

 それにしても、今回の人騒がせな事件は、一言「すみませんでした」とあってもよさそうなものである。人に迷惑をかけてお詫びもできない人は・・・「あなたは共同生活できない人です! 人里離れた山奥で生活したらどうですか?」・・・と言ったら言い過ぎですか?
 

<いずれも遊びのお誘いですが・・・>
 このところ連日・連夜、「遊び」のお誘いが続いて、ウワーッ! えーっ?と嬉しいやら、悩んだりしているこの頃・・・デス。
 その1つ。仕事仲間から、「4月××日(ウイークディ)、都内の旧蹟を訪ねよう」と興味をそそられたが、残念!先約のゴルフがあった。
 2つ目。「5月××日に那須岳へ登山&温泉めぐりに行きませんか?」・・・昨年の秋に「高尾~陣馬山縦走と紅葉・おそばの旅」を一緒に行ったメンバーたちである。
 なにしろ、前日に末娘の祝い事が予定されているスケジュールだ。ウーン・・どうしようか?と迷っている。

 日曜日の午後、ウオーキング中に突然電話のベルが鳴って、「急な話ですが、20日に埼玉・高◎カントリーに行きませんか? 一人欠員ができちゃったのです」 
 前々職で入社以来40年以上お世話になってきた先輩からの、切羽詰まった電話のようだ。これはなんとかしてやらねば・・・と会社のスケジュールをやり繰りして・・行くことにしました。

 金曜日の夜。中学の時の同級生から電話があって、4月××日上野でお花見同級会をやろうという話。昨年は当日、大嵐があって中止になった。ウイークディだし、翌日も木曜会ゴルフと連日のお休みは・・・行ければ行きますというあいまいな態度でともかく返事してある。 
 ところが翌週月曜日。社内メールがあって、4月××日に全社コミュ会があります、出欠を・・・出席にしました(会社行事優先です)。というわけで、同級会参加は取りやめとなります。

 同じ月曜日のメール。「突然ですが、19日にゴルフ(筑波)に行きませんか?一人欠員ができちゃったのです」と仕事仲間の監査役からの誘い。・・・連ちゃんになるし、会社もあまり休めない、だいいちこの日は実務部会もあって出席しなけらば、「残念! 実務部会出席の約束事があって、あいにく不可です」と、体よくお断りです。

 いやはや、どうしてこう急な話やら、同じ日に重なったり、連ちゃんになったりするのでしょうか?
 できたら、「もっと早めに・・・」、「もう少し計画的に・・・」、「もっと余裕を持って・・・」とか言いたいのですが、彼らにしてみれば、早めから計画的だったのかもしれない。何のことはない当初は私の出番がなかったのだ。私宛てには切羽詰まって、代打で話が来たものでしょう。
 やれやれ最初からレギュラーで参加したいものです。
 それでも声をかけられるうちが華ですか・・・?

 もっとヒドイ人がいて・・・。
 今朝、パソコンを開いたらメールが来ていて、
「ちょっと教えてもらいたいことがあって、今日14時半にお邪魔していいか?」
というもの。ほかにも、今日ダメなら24日、4月7日と候補日がある。これはまだいい方である。こんな時は、出来るだけ早めにお応えすることにしている。もうこの年なれば、明日をも知れぬ命だ。先のことは約束できないから・・・。
 ということで、「本日来訪を待つ」としました。

 ハイ! 頼られるうちが存在価値か?・・・一人ぶつぶつです。
 


 先週は、水曜日を挟んで前後にゴルフ休暇(?)を頂き、今シーズンのゴルフ幕開けとしました。
 4日(火)は、多摩地区では名門の「桜ケ丘CC」ではじめてプレーすることができました。基本的には、すべてキャデイ付きのようでした。開場して50年以上とのことだが、コースもよく整備されており、まだ桜の季節には早過ぎましたが、コースに沿って両側に太い桜並木があって、さぞかし満開の時は気持ちがいいだろうと想像しました。ところどころのホールで、工事中の場所があって、土丸出しでチョッピリ減点でした。
 シーズン初戦ですべてに調子が上がらず、特にフェアウエイウッドは全く当たらずという惨劇でした。何とか100切りしましたが、恥ずかしいラウンドとなりました。

 
 翌日(3月5日)は朝から雨が降り続き寒い1日でした。いつもなら水曜日は会社の帰りは、下北沢までのウオーキング日なのだが、雨が強かったので中止し、最寄りの神泉迄歩こうと、R246を渡って駅へ向かいました。下り勾配の歩道から車道にいったん降りようとしたその時、「ツルーン!」と足をすくわれ、前のめりにバッタリ倒れてセメント舗装に両手・両ひざ・四つん這い着地となりました。瞬間に両ひざがギーン!と、痛みがあったので、おもわず上半身・顔が地面につきそうになりましたが、かろうじて両手で支えて、顔が地球(セメント)に衝突することが避けられました・・・、何ともぶざまな転び方でした。さしていた傘は7~8メートル飛んで、外側にめくりあがっていました。膝の痛みが激しくてすぐには立ち上がれませんでした。やっと腰を伸ばせる状態になって、(この間10秒位か?)立ち上がったら、若いサラリーマン風の男性が、傘を拾って持ってきてくれました。
 「大丈夫ですか?」、
 「ありがとう、大丈夫です」。
そんな会話がありました。それでも車が通っていなかったのが幸いしました。

 家に帰って、風呂に入る時にはじめて両膝(の膝小僧)が赤メロに腫れているのに気がつきました。風呂ではとても石鹸付けて洗えないほどヒリヒリでした。
 右手首を上に曲げると鈍痛がして、あれ?右手だけか?と思いましたが、昨年秋以来治療している左手はそれほどの痛みがなく、右手首のみが痛いのです。倒れた時、厚手の手袋をしていたので外傷はありませんが、何となくここ1週間痛みが続いています。
 それにしてもなぜ滑ったのか?・・・翌々日、あの場所を通ってみたが、滑りそうなものがない。
 なぜ足が滑ったのに、尻もちをつくのではなく、前のめりに転んだのか?この2つの疑問は、とうとう、この週にはわからなかった。

 そんな翌日(3月6日)、相模野でのラウンドは、一人欠席者が出て3人打ちでした。欠けた人は、新年以来の腰痛がなかなか治らないとのことでした。
 私の前職場の仲間を誘いました。心配した、前日の転倒の後遺症はあまり感じないまま、天候にもまずまず恵まれて、
和気藹藹の楽しいラウンドとなりました。


 <アッ財布を落としていった!>
 3月11日、夕方から、2カ月に1回の前職場の有志OB会があった。
 ちょっと早めに会場に向かう。下北沢から唐木田行きの急行に乗り、経堂で下車して各駅で座って行こうと、ホーム反対側に停車している本厚木行きの車両に乗り込んだら、すれ違いに、急行に乗り換えようと、中年のご婦人が、急いで各駅車両から急行車両へ向かっていった。私が各駅の車両に座ろうとしたら、そこに財布が落ちている。近くの人がそれを見つけて、「今降りたあのご婦人のものだろう」と拾おうとしたが、私が近かったので、さっと拾って急いでまた急行の車両に飛び込む。入った途端にドアが閉まる。そしてそのご婦人が座っている席に行って、「これ、落としませんか?」と財布を差し出す。「わー!すみません」「あなたはあの各駅に乗ろうとしたのではありませんか?(私のために戻ってきてくれたのね、すみません…)」とかなんとか言っていたようだ。
 私は、ちょっと離れた席に行って座りなおした。(何となくおばさんの近くには座りたくなかった・・・照れ屋です)
 間もなく急行は発車した。仕方なくまた急行に乗って次の各駅連絡駅まで行くことにした。
 そのご婦人は、電車が登戸の近くまで来て停まりかけたとき、私の席までわざわざ来て、「本当にありがとうございました。おかげさまで助かりました。」と礼を言って下車した。
 
 なんとなく、気分のいい帰り道でした。


≪スキーで骨折した人がいる・・・≫
 会社から帰って、着替えしていると珍しく家内がしゃべり始めた。
「××子(家内の妹)がスキーで腕を骨折したらしい。全治3カ月と言われているので、△△△(彼女の姪っ子)の結婚式に出られないと連絡があった」と言う。
 いまどき、(3月になってから)スキーに行ったのもちょっとシーズンからそれていると思われるが、それくらい今年の秋田は雪が多いらしい。それよりも、60歳を過ぎた女性がまだスキーをやっていることの方が驚かされる。
今年の正月に彼女が上京した折に、私が昨年70歳を過ぎて久し振りに蔵王にスキーに行ったことを話したことが刺激になった?・・・のかしら・・・。
 元気な彼女のことだから、全治3カ月と言われても、きっと2ヶ月くらいで回復し、姪の結婚式に出席するかもしれない。そんな期待・願望を込めて励ましのメールを送りました。











 






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