2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
先日、久し振りに“高橋真梨子コンサート”に行った。かれこれ27年以上前に見た時は、未だ30才台の歌手で、ユーミンとか中島みゆきなんかと主としてステージ中心(テレビにはあまり出ない)でありました。ただし、最近ではそれぞれたまにテレビでも登場するようになりましたが。
変わらないことが一つだけあります。それは、高橋真梨子コンサートはチケットが取れないことで有名な事。「プラチナ・チケット」と呼ばれているらしい。 そんなある時、珍しくNHKで特集があって、彼女のステージの1場面を見たのがきっかけ。 全国ツアーの最終ステージが東京(国際フォーラム)であるとの新聞記事。そのチケットの先行販売のメール申し込みがあって、ダメ元のつもりが・・なぜか当たったのです。ラッキーと言えばラッキーだったのですが・・・。 当日、席について驚いた。なんとその位置は、2階席の1番後ろから2列目。ド近眼の私には顔も形も見えないほどの米粒大の姿でした。これが先行販売の当たりくじか・・・・とがっくりしました。それでも両側にスクリーンがあって様子は見られたのですが、それではテレビ見てると一緒だ・・・とちょっぴり不満でした。(1カ月ほど前に行った“井上陽水コンサート”はステージから2列目でした・・・神様は公平です) さてステージ。 28年程前のステージでは当時爆発的にヒットした “桃色吐息”が売り物でした。 最近のヒット曲は余り知りませんが、私の好きな曲は、“フレンズ”。この曲が彼女の持つ大人の雰囲気としっとりムードがぴったりと思う。詩もなかなかいい。 今では彼女のコンサートマスター(?)を務める夫のヘンリーさんと夫婦でのステージも息があってなかなかいいものです。 昔体調を崩した(更年期障害とか)彼女をしっかり支えてくれた夫、そのヘンリーさんに捧げた曲“海色の風”も紹介されました。 もう御年60歳を過ぎてもあの澄んだ声で切々と歌う高橋真梨子さんは健在でした。 <11月21日東京国際フォーラムのコンサートより>
もう3カ月あまりになりますが、右手の肘痛が治りません。
11月の27日をもってゴルフも中断しました。 何が原因といって考えると、どうやったら痛いかを考えてみると、ゴル フ・筋トレ・パソコン・水泳等々がありますが、どれもそんなにやり過ぎ るほどではないと、原因不明で悩んでいます。 これまで整骨院に週1回通いましたが症状は変わりません。 という訳で先日から整形外科に行って治療を受けています。 病名は、右上腕骨上顆炎という。通称“テニス肘”だという。 治療は、低周波照射と電気針の照射である。週3回以上と言われて いるが、2回で何とか祈る気持ちで通っている。 先日パソコンを2時間ほどやったらとても苦しい痛みがあって、先生 にそのことを言ったら、即座に禁止されてしまった。といっても全くや らないわけにいかない。今は左手でキイ操作している現状。勿論ゴ ルフもご法度。ヤレヤレ・・・・。 11月は、私に限って言えば師走が1カ月早めに来たようなバタバタした月でした。 忙しいのか、雑用が多かったのか、遊び過ぎたのか(どれもそれなりに)、毎日何かがあって・・・・・でした。 主な行動は、 ・社内会議(定期・不定期合わせて) 9回 ・研修会・セミナー・監査役会議等 10回 ・会食等 4回 ・ゴルフ 5回 ・通院 2回 ・勉強会等 3回 ・コンサート 1回 等々がありました。ほとんど毎日何かがあったという事になります。
久し振りにハーフ30台が出ました。
10月~11月は、1年を通して2回目のトップシーズンと思っています。 1回目は、4月~5月です。新緑がまぶしくて、周りが生き生きとして、芝もしっかりついてゴルファーにとっては最高の季節です。 2回目は、10月~11月です。紅葉と秋空のコントラストがよくて、寒くもなく、暑くもなく気温的にも最高の時期です。 そんな10月。4ラウンドをすでに消化しました。 11月もすでに4ラウンドの予約が入っています。 先週土曜日は、メンバーコースの土曜会に参加しました。 メンバーは、会長のK氏他なじみの皆さんとのラウンドでした。 気楽にプレーできたこともある(まさにゴルフの挨拶にある、“メンバーに恵まれまして・・・”ということ)が、ツキも、ラッキーも重なって、ハーフ39が出た。 パットも比較的よく入った(14パット)が、この要因は、いつもより強め(オーバー目)に打つことを心がけたのが良かったようだ。 特に最終9番ホール。390ヤードが7メートルに2オン。上りのスライスラインと読んだ。 「斉藤さん、それを入れてバーデ―・39だ。ボギー覚悟で狙うしかないね」と会長のK氏。この念押しがきいた。 スライスラインを多少強めにヒットした。 真中から気持ちよくカップインでした。 久し振りのハーフ39で、「斉藤さん、バーディーの数だけ飲むんだね」とこれまた会長さんのささやき。そういえば、前回、氏と回った時もバーディー2個だったようだ。 さて後半のハーフ。ロック2杯飲んだ割には大叩きもなく、7ホール終わって5オーバー。あと2ホールをパーでしのげば久し振りの70台と色気が出る。しかし8番は、このコースの難関ホール。上り600ヤードパー5.ボギーオンならずの3パットで痛恨のダボ。だが、このコースはパー35なので、最終ホールにバーディーを取れば何とか80で行けるかも。 最終ホールは下りの330ヤード。上手くいけばバーディも可能なホール。1打目は右からフックをかけてまずまずのショット、と思った。 が、落下点に行って唖然とした。ナント!このコースの真中にある名物の木の真後ろ10センチにボールがある。万事休す。 仕方なく2打目は横に出すだけ。そして3打目は乗らず、パットは入らずでダボ。 久し振りの70台も夢と消えた。ああ、素人のゴルフでした。 <ゴルフは楽し、70台は遠し・・の1日でした・・・10/23>
久し振りに、陽水のコンサートと出会いがあった。
スーパースターと呼ばれた陽水サンも今年で、6X歳(同期生?) いきなりの、 “ミスキャスト”は好きな曲だ。いや私にとっては意味のある懐かしい曲である。見よう見まねでカラオケで歌っていた頃、この曲は店の歌詞カードにはまずない。だからカラオケで歌った記憶がない。なのになぜ懐かしいか。この曲を昔よくきいた頃の職場に、まさに“ミスキャスト”と言える張本人がいた。(あくまでも私の勝手な思いであるが) 彼の主義主張、言動が、私のそれと全く合わないというか、そりが合わないのである。だから彼がその職場(役員であったが)にいることは、まさに“ミスキャスト“だと密かに思ったものだ。 以後、25年余りになるが、この曲を聴くたびに彼を思い出す。そして「あれはミスキャスト!」と今でも思う。 “少年時代”・・この曲の思い出は、何と言っても7年前に故人になられた弁護士のIKD先生である。 私が先生とお付き合い頂くようになったのは、私が前々職場のいわば終番の頃からである。仕事でのお付き合いもさることながら、仕事以外のお付き合いが多かったような気がする。先生はゴルフが好きで、公私ともお供させて頂いた。(特に先生が主宰するIKD杯の常連として3回程優勝させて頂いた) 私が前職場で上場の仕事で苦戦していた頃は、時折声をかけて頂き、激励して頂いた。 7年前の4月早々、私の常務昇格祝いを丸の内の某クラブで開催して頂いた。宴席が終わり2次会で6本木の先生の行きつけのお店に寄った。皆で(4人)一曲ずつカラオケを歌う事になった。 先生が披露された歌が“少年時代”であった。 同席したM氏が、この時の様子を当時性能のイマイチ(画素数が低かった)だった携帯カメラで撮ってくれた。ピントはずれでしたが、輪郭がそれとなく先生をしっかり捉えている。貴重なラスト・シーンである。・・・先生はこの翌月、グリーン上で帰らぬ人となった。 <私のために歌ってくれた“少年時代”を大切にしておこうと思う。> コンサートでその他に歌った曲(私の知っている曲) ・ジャスト・フィット ・リバーサイド・ホテル ・傘がない ・いっそセレナーデ 等でした。 昔はギターの弾き語りだった筈だが、今は伴奏もすっかり変わってしまった。 ・キーボード担当が二人(ピアノ・オルガン系とリズムバンド系) ・パーカッション担当一人(ドラム・ティンパニ―・ボンゴ等打楽器の 他、小物の類を織り交ぜて・・・・女性が担当でした) ・ギター担当一人(エレキ・ベース・アコースチックギターなど) そして本人が時々ギターで伴奏していました。 フォーク・ニューミュウジックというよりも、軽快なリズム、重厚なパーカッション、アコースチック、キーボード演奏とそしてフォークギター を織り交ぜたスタイルに変わっていました。 6X才になって、流石に声量が落ちたかな?と思われる場面もチラッとあったが、さすがは、スーパースターは死なず。あのハイトーンで2時間を歌いっぱなし。拍手喝さいでした。 「人は、人を見ることが、一番の娯(たの)しみですね。その為に芸術があるのですが、出来れば、なまの人を見ているのがいちばん人を弾ませることです」とどなたかが言っている言葉を思い出しました。 <10月17日 厚木文化会館公演より> |
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