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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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中欧の旅<余韻・・その3>
5.ドイツ&中欧の交通事情を見て
 ①ドイツのアウトバーン(高速道路)は基本的に全線無料。日本の政党のように「高速道路の無料化」をマニュフェストにかかげたはずなのに、政権取ったら値上げしたりするようなことはない。高速道路を走行中の車は昼間でもすべてライトを点灯する。車はエンジンをかけると点灯するように設計されているようだ。暗くなっても点灯しない日本の不注意ドライバーと違って、よく理解、徹底されている。
 ②歩行者の絶対的優先も徹底されている。市街地、観光地に限らず、歩行者がいれば必ず車は停止して歩行者を優先して横断させる。時々観光地で歩行者が道いっぱいに広がって歩いていても、決してクラクションは鳴らさない。運転者はじっと歩行者が渡り切るか、安全に寄るまで待っている。だらだら歩いている歩行者が時には無法者に見える。この辺の運転マナーの良さは中欧5カ国ともほぼ同じ様に思えた。残念ながら日本やアジア諸国の運転はこうはいかない。時には車優先の如くの乱暴・自分よがりの運転がよくあるのは残念である。
 ③ドイツ、オーストリア等では、歩道と自転車道の区分(ライン)がある場合が多い。この場合、歩行者は自転車走行を妨げないように注意する必要がある。当然だが歩行者と自転車は対等でそれぞれ注意しあうことが必要。日本人的には歩行者優先のように思われるが、そうはいかないようだ。
  自動車を出来るだけ減らし、自転車の利用を奨励して、大気汚染や資源の節約をしている。その為に自転車走行コースを設置しているものだ。ヨーロッパ諸国はこうしたことを行政として積極的に取り上げて実施している。
  そういう精神・ルールをよく知らない日本人観光客が、我がもの顔でだらだら統制のとれない歩き方をしているという気がしてならないのだが、彼らにどう映っているだろうか。
 ④停車・駐車の車は必ずエンジンを切る。燃料の節約もあるが、排ガス、騒音防止もある。夏の暑いときも、冬の寒い時も停車したらエンジンは切る。
  エアコンつけっぱなしで社内で昼寝などということはしない。観光バスでも徹底されているから、乗客としては不満に感じる時もあるが、日本人は我慢すべき、見習うべきである。少しでも地球温暖化を防止し、資源の節約と環境維持に企業も個人もみな自覚して実行している姿は立派である。
   日本のように景気刺激策として、ガソリンを無駄使いさせるような“ゴールデンウイークの高速料金の一時無料化”等という政策をとるべきではないと思う。そんな事をしたらヨーロッパの人達に笑われてしまう。<なんと幼稚な施策だと>
 
 
  かくして、中欧の町々では、クラクションの音は聞こえず、バイクの暴走もなく、宣伝カーの騒音もなく、お互いに気配りをしながら規則を守り、環境保全に配慮しながら、静かに、ゆったりと時を刻んでいるように思えた。
   なお、この時期はギリシャの財政問題などでユーロ通貨不安問題がくすぶり続けていたが、少なくとも街の中ではそのような様子(不安)は全く感じられなかった。
 
<中欧の旅:次回は中欧の主な世界遺産を見て・・・・・6月23日記>
 
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「中欧の旅」<余韻・・その2>
 
 
1.[中欧とは?]
 ヨーロッパ大陸の中間に位置しているのが、ポ-ランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・スロベニア・クロアチアなどである。
 これらの国は第2次世界大戦後、社会主義国となって西ヨーロッパ諸国から遮断され、東ヨーロッパ(東欧)と呼ばれていた。
 1989年のベルリンの壁崩壊後、東西の壁がなくなると同時に、政治的な意味での「西ヨーロッパ」、「東ヨーロッパ」という呼び方も消えた。かっては社会主義国を意味していた「東欧」という名前は、現在おもにロシアや黒海に接する地理的に東のヨーロッパ諸国に使われている。そしてかっての西ヨーロッパ諸国と国境を接する国々は、現在は地理的にヨーロッパの中央にあることから、「中欧」と呼ばれている。
 
2.[4国を結ぶつながり]
 ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーは人種も言語も異なるが、共通の文化を持ち、歴史的にも深い結びつきがある。
 これらの国はハプスブルク帝国の領土をなした地域であるため、時代によっては共通の国王や皇帝が存在するなど重なる部分がある。
 チェコのボヘミアは神聖ローマ帝国に属し、カール4世の時代には、プラハが帝国の首都になって繁栄した。
 ハンガリーは近世からオーストリアに支配され、19世紀にはオーストリア=ハンガリー2重帝国が発足。このようにチェコもハンガリーも常にドイツ、オーストリアの影響を受けていたため、ドイツの文化圏に近い国と言われている。
 
3.[ハプスブルク家の歴史]
 スイス・アルプス山中の小貴族であったハプスブルク家が歴史の表舞台に現れたのは、1273年にルドルフ1世がドイツ国王に選出され、さらに1278年にボヘミア王を打ち破ってから。
 15世紀末には[婚姻政策]を打ち出し、戦わずして領土を広げていった。18世紀のマリア・テレジア時代にハプスブルク帝国の文化が花開く。18世紀末にはハンガリーが支配下におかれ、19世紀末のオーストリア=ハンガリー2重帝国にはボヘミアも組み込まれ、ハプスブルクの旗のもとに、オーストリア、ボヘミア、ハンガリーの3国が同じ君主を持った時代となり、20世紀に入ると、第1次世界大戦でハプスブルク帝国は崩壊。その歴史に幕を閉じた。
 
4.[中欧の旅の楽しみ]
 
(1)中欧の旅の楽しみの一つは、ヨーロッパの中でも古都といわれる中世の街並みが各地に残り、保存されていること。
 世界遺産に登録されて保護されているところが多くあり、長い歴史を経て今なお往時の面影をとどめている。そんな街が醸し出す情緒に触れると、日本<木の文化、農耕民
族、仏教>とは異なる文化<主として石の文化、狩猟民族&キリスト教>に一種の新鮮さすら感じられる。
 ヨーロッパのこれらの国は、日本と違って陸続きで隣国と接していること、大河(ライン川、ドナウ川、ヴルタヴァ川など)が各国に跨って流れていることがある。最近では“EU”国間ではパスポートなしでの通行が可能となっているが、スロバキアやチェコの国境では未だ通行自由となっていないところもある。また、各国の事情によって道路事情(特に道路の補修)が多少異なる。ドイツ、オーストリアの道路はどこでもよく整備されている。ハンガリーからスロバキアについては、幹線道路でも整備が不十分と思われる個所が多かった。
 EUに加盟していても通貨はユーロでない国もある(ハンガリー、スロバキア、チェコ)
しかし、その地域でもユーロが使えないわけではないが、釣り銭(硬貨)は現地通貨で返ってくる。小銭程度なら記念にということで多少持ち帰ったが・・・。
 
(2)中欧の食文化にふれる
 旅の楽しみの一つに[料理]がある。
ウイーン料理:ドイツ料理を基本に近隣の国の料理やトルコ軍がもたらした食文化が入り混じり色々な料理がある。その中で今回の出色は、ヴィーナー・シュニッツエルと呼ばれるウイーン風カツレツである。仔牛の肉が大皿にドーンと3人前くらい、皿にあまるほど出てくる。皿から完全に余っているほどの大きさだ。こんなだったらもう少し大きな皿に出せばいいのにと思う。白ワインを飲みながら肉だけでお腹いっぱいとなる。
 オーストリアで魚は川魚。中でも鱒は有名だそうだ。ソテーしたものにバターソースとレモンをかけて・・これもイケる。
チェコ料理:豚肉と牛肉が主体という。煮込んだローストしたものに野菜類が添えられる。ハム、ソーセージ、ジャガイモは庶民の食べ物とか。ハム、ソーセージやサラミは種類が多い。特に朝食(バイキング)ではよく食べた。
ハンガリー料理:パブリカ(甘味唐辛子)を使った料理が多く、ヨーロッパ独特の脂っぽさとしつこさが消され日本人の口に合うのだそうだ。肉や魚の煮込み、フライが多く、具だくさんのスープもメーンになる。鶏肉のパブリカ・チキンが良い味をしていた。有名なグヤーシュというスープに牛肉と野菜の入った料理は少し辛かったが、ビールにはぴったりだった。
ドイツ料理:肉の煮込み料理が多いようだ。ドイツが誇るソーセージは、味・種類ともに世界一と言われている。アスパラガス(白色)やハムもダントツおいしい。ほとんど毎日・毎食にソーセージ、ハム、サラミ等を頂いた。
 
(3)ワインとビールは水代わり?
・ドイツと言えばビールと白ワイン。特にビールは街ごとに醸造所があり、6000種のビールを作り出しているという。紀元98年に書かれた歴史書[ゲルマニア]には、現在のドイツ一帯でビールが作られていたという記述があるそうだ。1516年には[ビール純粋令]が発令され、ビールは大麦とホップ、水だけで作ることが義務付けられ、現在も酵母が加わった形で守られているとのこと。メッカと言えばミュンヘン(2日目の宿泊地)。
 ライン川流域のワインは、生産の約8割は白ワインで、フルーティな甘口(高級なほど甘い)である。
・ウイーンの旧市街にはワインケラーという地下のワイン酒場がたくさんある。食物はおつまみ程度(ハム、ソーセージ、サラダ類)
 新種(11月頃)を飲ませるホイリゲなるものもあるそうだが、今回は季節外れであった。
・ハンガリーはワイン王国。名高いトカイワインは「ワインの王者」と言われている。それになんと言っても安い! グラス一杯3ユーロ(330円)程度。水の方が高い(4ユーロ)から、水代わりにワインを飲むといわれているのも分かる。
・チェコではビールがおいしい。ボヘミアのプルゼニュ(ピルゼン)は、12世紀末にはビール醸造の中心地となって、ここで作られたビールはピルスナーと呼ばれ、ビールの代名詞となって広まった。アルコール度の高い黒ビールも時々頂いた。値段はだいたい中ジョッキで4ユーロ前後であった。
 
 (4)ドイツの古城めぐり
  小高い山の頂に、あるいは眼下に川を望む崖っぷちに聳え立つ中世の城は、理屈なしに我々の心をその時代へと引き込んでいく。
  ドイツ古城協会によると、城は現在ドイツ国内におよそ2万あり、そのうちの1万5千は旧西ドイツに、そして約4650が旧東ドイツに見られるという。
  今回の旅では、前半の“ロマンテック街道”と後半の“古城街道”にて多くの古城を眺めてきた。
  ドイツ語で[古城]を意味する言葉の中で、よく使われるのがブルク「Burg,シュロス「Schlosu」そしてレジデンツ「Residenz」である。ブルクとシュロスの区別は曖昧に使われているが、通常、建造年代が古く、守りの要素が強いものがブルクと呼ばれ、完全に住居用に建てられた城はシュロスと呼ばれている。レジデンツは17,18世紀になって町中に建てられた大きな宮殿のことで、王侯貴族や大司教が住んでいた。
  中世の城は、敵の侵入を防ぐことが第一だったため、まず侵入しにくい場所に建てる必要があった。小山の頂や川に面して建てられ、無防備な箇所には必ず堀と跳ね橋が設けられた。最終避難場所として、ベルクフリートと呼ばれる高い塔が作られた。
  現在は、大きな城はほとんど州が管理しているが、今でも貴族の肩書を持つ人々が所有するプライベートな城はたくさんある。城の維持費は莫大なもので、国の補助費は少なく、ホテルやレストランを経営したり、住居の一部を公開して入場料を得たり、ワインの醸造をしたりと、維持の方法もさまざまである。
  今回の旅で見た主な古城は、ハイデルベルク城、ローテンブルク、ノイシュバンシュタイン城、ブラチスラバ城(スロバキア)、チェスキークルムロフ城(チェコ)、プラハ城(チェコ)、ノイエ・レジデンツ(バンベルク)、カイザーブルク城(ニュルンベルク)である。
  このほか、ライン川沿いに点在する古城にもそれぞれ歴史と文化があり、興味は尽きない。
 
(5)中欧の主な世界遺産めぐり
 今回の中欧5カ国(ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スロバキア、チェコ)の世界遺産は次の12か所である。
 ①ヴィース巡礼教会(ドイツ)
 ②ザルツブルク市街の歴史地区(オーストリア)
 ③ハルシュタットの文化的景観(オーストリア)
 ④メルク修道院・バッハウ渓谷の文化的景観(オーストリア)
 ⑤ウイーン歴史地区(オーストリア)
 ⑥シェーンブルン宮殿と庭園(オーストリア)
 ⑦ブタペスト、ドナウ河岸とブダ城地区(ハンガリー)
 ⑧テルチ歴史地区(チェコ)
 ⑨チェスキークルムロフ歴史地区(チェコ)
 ⑩プラハ歴史地区(チェコ)
 ⑪バンベルクの街(ドイツ)
 ⑫ライン川流域の自然景観(ドイツ)
これらの見学記は後日まとめてみたいと思う。
 
<ドイツ&中欧の旅(余韻)は続く・・・・6月22日記>
 
 

「中欧の旅」<余韻・・その1>
 
「中欧の旅」を思いついた訳は・・・
これまで数少ない海外旅行では、古代文明の遺跡群が残るエジプト、ギリシャ、イタリア等比較的紀元前数千年の世界の遺跡巡りが主であった。それはブルドーザやクレーン・ダンプトラック等、現代文明の利器のない時代に建設された巨大な建築物を単に興味本位に見るのが中心であったと思う。
それでも現地・現物を見て感動しながらも疑問に思った。
 
<どうやって1個数メートル四方・何百トンもある石を四角錐(ピラミッド状)に3百万個も積み上げたのか。その中に通路や部屋をどうやって作り上げていったのか。どうやって四角錐の方角をきっちり東西南北に示すように設置したか>エジプト・ピラミッドの遺跡)。
<直径1メートル余り、長さ20メートル以上の石柱(大理石)をどうやって立て並べたのか。どうやってその上に巨石(大理石)を屋根状に積み上げていったか。>ギリシャ・パルテノン神殿の遺跡)。
<フォロロマーノの宮殿はどうやって作ったか。コロッセオ闘技場の観客席(4階建て)はどうやって積み上げたのか。全長五〇キロメートル・高低差4.8メートルにどうやってポンジュガール水道橋を建設したのか>古代ローマの遺跡群)。
Etc.
 
数千年前の建築技術、設計技術、天文学・数学・幾何学・造形技術、建設パワー、財政・国力等々、想像を絶するものを持ち合わせていたことが推測される。
“なんと凄いことだろう”と驚きと感動の連続であった。
だが、それらの多くは過去のものであり、現代につながっているものがない、いわば遺跡であり観光地でしかない。偉大な遺跡ではあったが現代とはかけ離れ過ぎた存在としか思われなかった。
 
 次なる目標は、古代文明から紀元後の世界。1000年続いて今日に至っている世界(街)、文化、歴史と現代の人たちの暮らしぶりを見ることにより、仮に、“1000年続く会社”(をコーポレートオブジェクティブとしたら)を目指すとした場合のヒントがあるかもしれないという期待もあった。   そんな意味で、とくに中世(10世紀前後から)の文化が残っているヨーロッパの国々をめぐることが必要と考えた。
 考えてみると四年前のイタリアも昨年秋のフランスも考えようによってはそれなりに共通した面があったような気がする。
だが、中世を知るためにはさらにドイツや中欧がどうしても欠かせないことを知った。
 
折も折、某旅行会社で「よくばり、ドイツ・ロマンテック街道と中欧五カ国周遊」(10日間)という企画に触れた。ドイツは10年前に一度行った地域が入っているものの、オーストリア・ハンガリー・スロバキア・チェコを廻る12か所の世界遺産と中世の街並みを見学する内容が気に入ったのである。単に見て歩きの観光でなく、なぜこの街・この地域・この文化(遺産等)が1000年も続いてきたか、を強く意識しながらの旅にしようと決めた。
 
時期は、少し暖かくなってから(天気も安定するであろうと推測)、但し最盛期は避けて(ゴールデンウイークや夏休み時期は避ける)、往復直行便利用で現地滞在時間が有効に使えること(直行便と経由とでは3~5時間短縮される)、会社に出来るだけ迷惑をかけない時期(月次会議を避けて・・結果としてはその後会議日程が変更になり欠席してしまったが)でという前提で、5月18日出発を選択した。期間は10日間であるが、現地8日間がフルに見学できることがこのツアーの特徴でもあった。
 
しばらくは、見たこと、感じたこと、調べたこと等々を私流に勝手に評価したり、反省したりしながら、ひとり“旅の余韻に浸りたいと思う。

<次回:中欧の魅力等・・・・・・・・・6月21日記>
 
 
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 『ご苦労さま。小惑星探査機「はやぶさ」の長い旅が終わった。持ち帰ったカプセルに小惑星の砂粒が入っていれば人類の新たな一歩となる。
 太陽系の月以外の天体に着陸し、物質を持ちかえったのは初めてだ。小惑星は約46億年前の太陽系誕生の時の状態を今に残す。世界の科学者がカプセルの中身に注目する。』(6月15日日経社説)

 多くの困難を乗り越え7年振りに地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。砂ぼこりが入っていると期待されるカプセルも14日、オーストラリアで無事回収された。約60億キロメートルに及ぶ宇宙の旅を支えたのは、NECが開発を主導したイオンエンジンをはじめとする日本企業の技術。それも本来、化学エンジンが担うはずだったが、燃料漏れで使えなくなり、リリーフにはいったのが4基のイオンエンジン。
 そのうち3基も壊れ、限られた機能をうまく組み合わせる「知恵」で乗り切ったものだという。

 地球から小惑星「イトカワ」迄は3億キロメートルもある。地上から指令を送ると、優れた通信技術を使っても約40分かかるという。
 JAXAの橋本教授曰く、[富士通の通信技術の貢献が大きい]。という。
 昔、通信関連企業に籍を置いたことがある私としても、通信技術の大切さ、重要さは理解できる。ゴルフでいう「・・たら、・・れば」ではないが、宇宙技術に[通信技術]は必須ということは素人の私でも分かる。
 
 この他に「はやぶさ」を支えた技術・システムと担当企業は次のとおり。(日経新聞より)
 ・姿勢制御系・・・・・NEC東芝スペースシステム
 ・リチュウムイオン電池・・・・古河電池
 ・軌道制御用の加速度計・・日本航空電子工業
 ・データの蓄積技術・・・・・・・日立製作所、NEC
 ・化学エンジン・・・・・・・・・・・三菱重工業
 ・耐熱性カプセル・・・・・・・・・IHIエアロスペース
 ・カプセル用パラシュート・・・藤倉航装
 ・サンプル採取関連・・・・・・・住友重機械、日油技研工業、日本飛          
                   行機
 ・エックス線分光装置・・・・・・明星電気
 ・地上のアンテナ系・・・・・・・三菱電機
 ・位置計測技術・・・・・・・・・・富士通
 ・イオンエンジン・・・・・・・・・・NEC

  
 今回の「はやぶさ」がもたらしたのは、日本のモノづくりの能力やチームワークがまだ捨てたものではないことを示したとも言われている。7年前の技術でともかく打ち上げ、その後は応用力と知恵とチームワークで乗り切った快挙と言える。

 私が2年前迄勤務していた大学院の役員で、元JAXAの所長だった先生と数回宴席を共にしたことがある。その頃の話題は月探査衛星「かぐや」の話であった。(この関連のブログは昨年2月頃に書いたと思うが) 「はやぶさ」の打ち上げが7年前だとすれば、先生はその頃まだ現役(所長時代?)でいらっしゃったかもしれない。だとすれば改めて「おめでとう」を申し上げたいと思う。

<天体や宇宙開発に関して全くの素人の私だが、ヤッターと叫びたくなるようなニュースでした・・・・・・・・・・・6月15日記> 

   
最近の海外旅行は、インターネットでの申し込みが当たり前のようになり、時々本当にこれで大丈夫かと思う時がある。申し込んだら回答があって、まもなくご案内があって、約款を読まされて、それらを前提に申込書を提出させられて、お金の支払いもカードだと旅行の後になったりする。その間に2回ほどレンタル品のご案内、前泊用ホテルのご案内、空港連絡交通手段のご案内、現地(各国)お土産品の注文取りや見学地の写真(DVD)の売り込みまであって、現地へ行くまでもなくそれなりのものが手に入ったりする。これでもし催行中止なんてなったらどうしようとか考えたりする。
 
そういえば昨年フランスへ行く時にこんなことがあった。出発の日に成田空港に集合したら、運悪く我々の飛行機(エールフランスパリ直行便)がバードストライキングで故障。このため飛行延期になり、1日成田周辺のホテルで足止めとなった時がある。パリから修理部品を取り寄せて修理して飛ぶということだった。そんなとき旅行会社の取った策は、旅程が1日半短縮となるが、それでもよろしかったら宿泊待機してくださいという。結局24人中8人が取りやめた。
その際に聞いた話。「折角お土産も手配してしまったし、短縮されても行くしかない」という人がいて思わず苦笑させられた。
 
[ネット販売]それらはすべて物言わぬ、人間同士の対話もなく進められる。こういう展開で進められると、やっぱり時々不安になる時がある。こちらとしても旅行会社の店頭に行ったわけでなく、誰に聞けばよいかも知らない。全ては物言わぬインターネットと、郵便通話だけある。
やっと人間同士の会話ができたのが出発数日前のこと。添乗員から参加者への確認と注意事項、その他メッセージがある。正直言ってそれまでは少なからず不安があった。
現代はネット社会。何をするにもインターネットの時代だが、人間同士の触れ合いのない商売は味気ない感じがする。それが嫌なら店頭に行くしかないのだが・・・。ただし、この商売ではネット申込みの割引といったものがなく、株式売買のネット取引のように対面営業より手数料が安くて済むようなことがないらしい。この面でも不満が残るのは私だけだろうか。
 
オフィスでも最近は、机を並べている隣同士でネットで挨拶を交わす。「おはようございます」をネットで済ます。そんなに声を出すのが嫌なのですか?と聞きたくなる。
そこには感情もなければ会釈(尊敬の念)もない。「人間は感情の動物」と言われてきたが「ネット社会」はある面で人間社会の本質を変えようとしている。そのうち人間は指先と眼だけが動いて、感情のない動物・声も体も退化してしまうのではないかと思う。
 
 



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