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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 ☆ ホール・イン・ワンにまつわるはなし
 
 ① あの時の感動が今でも忘れられないのだが、ちょっぴり悔しい思いもありました。
  当時、私は2件(社)の保険に加入しておりました。早速手続きのため、2社から申請書を 
  取り寄せ、ゴルフ場で証明手続きしてもらいました。ゴルフ場では、快く証明・捺印してく
  れましたが、よく見ると、2社の用紙のそれぞれに、「本件に関し、他の会社に証明をした
  会社」として書き込みがありました。つまり、A社の用紙にはB社、B社の用紙にはA社が
  記入されていました。
 
 ② この意味は、保険には、最高保障限度額があって、加入会社が何社あっても、このうちの   
  最高保障額の範囲内で支払うのです。(このケースでは30万円でした)トータルの保険額
  ではなく、このうちの最高額の範囲で支払うのです。たとえば、私の場合、A社:30万
  円、B社:20万円でした。支払額は、30万円です。30+20=50万円ではないので
  す。残念ながら、20万の保険は無駄でした。保険会社同士では、両社で、20対30の割
  合で支払額の負担をするようです。みすみす保険料を損したのは私です。20万円相当の保
  険料は無駄!でした。今さら返せ!と云っても無理です。

 
 ③ ホール・イン・ワンやっても、もらえない保険
   ホール・イン・ワンをやったのは確かだけれど、それはキャディがいて、ゴルフ場が証明
  してくれないと保険は払われません。下記写真のように、キャディがいて、ゴルフ場が認め
  て、申請書に証明印を押してもらう必要があります。私は、同組の人がホール・イン・ワン
  をしたのを見たことが2人います。何れも付保していたものの、キャディが同伴していな
  かったため、泣く泣くあきらめていました。キャディフィーは、そういう意味では、保険料
  の一部かもしれません。
 


 ④ ホール・イン・ワン保険のああ勘違い!
  ホールインワンをやって、しばらくして、保険の使い方を考えた。2口で合計50万円あるか
 ら、記念品に半分、残りは新しいクラブセットでも買おうと決めた。
 まずは、あの日、一緒にプレーした3人にはちょっと高めのゴルフ用品。会社のゴルフ同好会と
 その他ゴルフ友達10人位、併せて30人分については、名前入りの記念品。自分にはちょっと奮
 発してクラブセット。あれ?予算オーバーだ。でも少し奮発だ、と納得。

  ところが、保険の申し込みをしてから知ったことだが、加入保険は合計では支払われないこ
 とが判明した。(前記②のとおり、複数加入している場合はどっちか高い金額限度でしか支払
 われない)いけねーこりゃ大変! すぐさま、予約した店に取消のお願いに飛び込んで、やっ
 と了承してもらった。とんだぬか喜びであった。

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 <四つの偶然が重なった奇跡のゴルフ>

 
 
今から18年前のはなし。四つの偶然は平成12年12月9日の同じ日に、信じられないことが一日で同時に発生したのである。
 あの日、私はある会社の招待でゴルフ場にいた。いわゆる接待ゴルフである。
 場所は、「戸塚カントリー倶楽部」・言わずと知れた神奈川県の名門ゴルフ場の一つである。


一つ目の偶然
 それはスタート前にレストランへ行く途中であった。ホスト側のM氏から、「取り敢えず、コーヒーでも飲みましょう」との一言で、2階のレストランに向かう階段の途中で、上から来た上品なご夫婦が、「あらっ! HARさんじゃない?」と声をかけて頂いたのは、前職場で、十数年間お世話になった弁護士のI氏(故人)と奥さんであった。ほんの二言三言のあいさつを交わしたのち、「やっぱり縁があるんですね」とお互いに偶然の出会いを喜びながらその場を後にした。ゴルフとウイスキーの好きな先生とは、仕事関連の時間よりも、圧倒的にゴルフとお酒での付き合い時間が多かった。
 しかし、この出会いの1時間後に、よもや私がホールイン・ワンをしようなどとは、先生も・奥さんも、私も、予想だにしなかったのである。


二つ目の偶然
 これこそが偶然中の偶然の出来事、我がゴルフ人生の中で、たった一回(最初で最後?)のホールイン・ワンを達成したことである。
 本日のコースは、距離のたっぷりある・プロのトーナメントも使用するチャンピオンコースと呼ばれている“西コース”・6429ヤードである。
 私は、いつもの様に前半は安定せず、スタート直後はボロボロの状態で、特に4番ホールではトリプルを叩き、5番ホールの打順は不名誉な4番バッターであった。
 5番ホールは143ヤードのショートホール。3人が打ち終わって、残念ながら誰もオンしてない。私の番だ。この当時は、よく練習していた。当時は、インドア練習場で、カワナミゴルフスクールに通っていた。そのインストラクターの佐藤氏・小沢氏からいつも言われていたことは、
ゆっくりテークバックと上下動に気を付けよということだった。テイグランドに立って、ピンまでの方向を確認し、グリーン周りの状況、地形、風向きなどを確認して、狙いどころと距離を想定する。風が若干上げており、距離は147~8ヤードとみて、思い切って6番アイアンを持つ。
 スタンスを決めて、ストレートボールをイメージして、後はスイングの注意事項である、ゆっくりテイクバック・上下動に気を付けて、後はしっかりボールを捉えるしかない。エイッ!!
 
 打った感触が良かった。打球がまっすぐに上昇カーブを描いて行ったので、グリーンには乗るだろうと思い、ティを探して打球から目をそらしていたら、後ろにいたOMT氏が、ちょっと大げさな声で、
「入った――!!」 とびっくりするような声で叫んだ。「えっ、入った?ほんと?」私はみんなに向かって聞いた。キャデイさんが【入りましたよ! ホールイン・ワンです】その声で私は我に返った。

 皆さんに遅れてグリーンに向かった。他の3人は、グリーンに近づくにつれ、サンドウエッジとか、アプローチとかをキャデイに告げるのを尻目に、私はまっすぐピンに向かって行った。
ピンそばまで来て、そっとホールを覗いたら、あるある俺のボールだ!。そしてとっさにこう告げた。「キャディさん、僕パター要らないよ!」・・・後日談だが、友人に時々この話をすると、「あたりめーだろう、コノヤロー、ふざけやがって」と悔し紛れに云う。

 (写真)あの時のスコアカードである。5番ホールのスコアカードの右側のブランクがまるでパット数が書き忘れたようになっている。一生に一度の書き忘れ?もいいもんだ。

  
 



 6番以降は、気持がふわふわしてゴルフにならない。正直言って、今日はもういいや、という気持ちでとてもその気にならなかった。本日のゴルフは5番で終わり!そんなゴルフでした。
 あれから18年ですが、あの年は、12月20日に、会社が上場を果たすなど、ホールイン・ワンとともに忘れられない年になりました。
 

三つ目の偶然
 ホールアウトして、クラブハウスに戻って「ホールイン・ワン証明書」をつくってもらう。そして、キャディさんにお礼を申し上げ(ちょっとだけチップ)、皆さんにもしっかりとお礼申し上げ(記念品は後日渡す約束をして)現地解散となった。
 自宅に戻り、家内に詳細の報告をしたが、もともとゴルフにはあまり興味のない人なのであっさり程度の理解を示すのみ。

 それより驚いたことを聞かされた。それは、本日届いた宅急便(中身は、伏見の清酒・月桂冠大吟醸2升)であるが、なんと、送付先が本日、ゴルフ場でお会いしたあの弁護士先生I氏であること。
 まさか本日のお祝いでもあるまいし、だいいち、今日の今日だからホールイン・ワンは知らないはずであるから・・・。こんなことはあり得ない。これは、(先生が)たまたま、取引している造り酒屋で新酒が出たのでご厚意の意味?で送付頂いたもの(後日談)としか思えない。それが偶然に重なって、あたかもホールイン・ワン記念になったとしか思えないのでした。

四つ目の偶然
 家内と、偶然の祝い酒?を見ながら、ホールイン・ワン保険の話をした。たまたま、保険は2口加入しており、この先、保険代理店に手続の話やらをしているうちに、本日が家内の誕生日であることにハッと気が付いた。そうだ、今日はお前の誕生日であった!!
 早速その晩の夕食時には、お祝い?に頂いた月桂冠で乾杯!!となったのは勿論である。

 平成12年12月9日に我が家に起きた四つの偶然
    ☆ 戸塚カントリー倶楽部でのI先生ご夫妻と偶然の出会い
    ☆ 西コース5番ホールでのホールイン・ワン
    ☆ I先生からの(お祝いと信じた祝い酒)月桂冠贈呈
    ☆ 家内の誕生日にホールイン・ワン達成

 わが生涯、最初で最後(?)のホールイン・ワンは、四つの偶然が重なった“奇跡”でした。

 






 <あの頃の熱戦>
 
 10年前頃の話だが、月に3~4回相模野に通っていた。そもそも相模野に入会して13年くらいしかたっていない。それまでは、御殿場の方の某カントリークラブに10年ほど加入していた。その当時で、クラブハンデが12であった。

 御殿場までの足取りが面倒になってきたころに、ある会員権業者の紹介があって、相模野に移ったのだが、最初のうちは、勤務先(相模原・田名)の友人が数人会員でいたが、そのうちの一人であるO氏(故人)とは仕事の関係も間接的にあって、時折話をしたりする程度の仲であった。それでもある日、ひょんなことから同じ相模野の会員仲間であることを知った。
 そんなことから彼が、相模野に土曜会という非公式なゴルフ仲間の会があることを知った。そして、彼は、時折私をその土曜会に誘ってくれるようになった。

 しばらくは月1回位の誘いであったが、回数を重ねるたびに、すっかり会員顔してプレーするようになった。数年して、正式に土曜会メンバーとして紹介された時には、「エッ?土曜会メンバーじゃなかったの?」ナントずうずうしい人だと言いたそな雰囲気だった。

 W会員として来ていた最初の頃は、O氏とは同じ組で回ることが多かったが、しばらくして、私が仲間が増えたのもあってそんなに同じ組とはいかなかったが、たまに同組となったときは、お互いのスコアを気にしながらのプレーが多かった。彼には、このコースの先輩は俺だぞ! と云わんばかりの闘争心があった。二人とも、お世辞にもきれいなフォームとは言えないが、張り合っていたことは事実である。その頃は、彼もヘビースモーカー、私も喫煙者だから、ある意味で気を許せる仲だったかもしれない。(何よりも、同じ会社出身ということで仲間意識が強かったのだと思う)

 今から6~7年前になるが、土曜会で、山梨・石和温泉1泊2プレーのツアーをやったことがある。20人位で自家用車乗合で、第1日目は塩山カントリークラブ、第2日目は春日居カントリークラブだった。1日目が終わって、温泉に入り宴会が賑やかに行われた。席上、飲み放題では、O氏は日本酒【冷酒】、私は【熱燗】2人で合計20本であった。そのほかはだれが何をどれだけ飲んだか不明。ただ、翌日のラウンドでは、グリーン回りで思わず、Ge-!とやっている人もいて・・・苦しそうだった。帰りには、勝沼のブドウ園に寄り道という楽しい思い出もある。

 そんな頃の土曜会のある日。彼(O氏)とラウンドした時に、珍しく彼が気合が入っていたのを思い出す。前半(相模)は私があまり大けががなく、39で回れた。(彼は43)後半になって私は、ダボこそないが、ボギーゴルフで推移。彼は後半(城山)になって、2番の長いショートでバーディを取ってスコアが安定。私を意識してか、どうしても30台が欲しかったようだ。安定したいいゴルフをしていた。結果は1ストロークの差だった。珍しく闘争心を出していた彼が懐かしい。・・・合掌



<ゴルフ三昧(3枚?)のはなし>

 

 むかしむかしその昔、私がかなりゴルフに凝っていた頃(10~20年前?)のはなしだが・・・、そのうち記念にスコアカードを残している3枚の思い出話である。・・・これを称して、「三昧の中の3枚」(ざんまいのなかのさんまい?)である。

 

 その1 児玉カントリークラブでの思い出。

 今から15年くらい前の話だが、埼玉県の北の方角にある児玉カントリークラブは、埼玉県でもゴルフ銀座のようなところにある。東京からはちょっと遠いけれど、あの頃は、片道3時間くらいまではそれほど遠いとは思わなかった。

(当時は、北は福島県・片道4時間、西は浜松・片道3.5時間を日帰りで行っていた)

 

 春先だったと思うが、町田から八王子を抜けて、関越を走って藤岡のあたりからゴルフ場へと向かう。前々職場のOB連中が集まったコンペだった。

 中には知らない人も多かったが、同じ組に3人の知り合いが入っていたので、気楽にプレーできた。前半は、全くの不調?で50という情けないスコアであった。ここでもハーフが終わって食前酒を頂いてリラックスした(と思う)。

 

 午後のスタートからなんとなくリズムをつかんだのか(それともお酒のパワーか?)連続5ホールパーときた。15番Hでボギーとなったが、16,17番とパーが続く。ここまでで1ボギーということを意識した。あれ?それじゃ、ここでバーデーならパープレイも可能か!! ギンギンに意識した!

 

18番Hは145ヤードのショートホール。145ヤードという数字には縁があって、数年前に横浜(この話は後日ご披露したい)でホールインワンをした縁起の良い長さだ。ただ、グリーンの左側半分は、池が囲んでいて、ピンは、そのグリーンの左側にセットされている。まるでプロ並みのピンセッティングである。

 

こんな時は、下手に手加減すると左に引っ掛けることがよくある。かといって安全に真ん中~右狙いだとバーデーは難しくなる。あまり意識して、迷っても仕方がない。それに、千載一遇のチャンスじゃないか! なんかダメもとで割り切れた。7番アイアンでえーい! 男の子! と思い切りピン狙いで行った。

 

打球はピン奥1.5mにナイスオン! よし、あとはパット次第だ。

ラインは、ややスライスに見えた。下りラインだ。ビビりながらスライスラインを狙って軽くヒット。カップインまでの時間の長かったこと! トロトロとスライスラインを描いて、入った! ナイスバーデー!!!

3人が祝福してくれた。 やったぜハーフ・パープレー36!

 

 結局のところ、前半50、後半36 反省会では、あっちこちから苦笑と冷やかしが・・・。【あの50は何なのだ!】、「どっちがあんたの実力だ?」等々ひとしきり話題の主だった。

それでも「大波賞」だけはGETというおまけがあった。本人にとっては、そんな賞よりも何よりも、生涯初のハーフ36・パープレーの方が嬉しかったのだ。






<平成15年 児玉カントリークラブ 西コース>
































<ご機嫌な人ほど長生きできる>明日から幸せになれる方法教えます
     ー上を向くだけで幸福感はアップするー
             執筆者:坪田一男氏(眼科医)、前野隆司氏(慶応大学教授)

★ なぜ幸せだと健康になるのか

 健康長寿だと幸せ、とこれまで考えられてきましたが、ご機嫌で幸せな人が長生きすることが、近年の研究によって明らかになってきました。では、どうすれば、ご機嫌で幸せでいられるか。
 医学的には大きく分けて三つの仮説が考えられています。
 
 第一は、幸せを感じている人は、健康長寿になる遺伝子が働くから。幸福感が遺伝子の働き方に影響を与えるのではないか、と考えられているのです。
 
 第二は、幸せだと副交感神経がよく働くから。交感神経と副交感神経は全身に張り巡らされていて、交感神経は筋肉を緊張させ、血管を収縮させるなどの働きをし、副交感神経は逆に筋肉を弛緩させ、血管を拡張させるなどの働きをします。どんな時にそれぞれが働くかというと、交感神経は、命の危険を感じるようなとき、機敏に反応できるように身構えます。瞳孔は拡大し、心拍数は上がり、筋肉も固くなり、全身は緊張します。それらはすべて交感神経のなせる業です。
 それに対して副交感神経は、生命の危険がなく、安心しているときに働きます。瞳孔が収縮し、心拍数は下がり、筋肉は弛緩し、リラックスした状態になります。「ご機嫌」とか「幸せ」は、要はこのような状態のことです。腹八分目、適度の運動と云った長寿の秘訣は、豊かな現代社会にあっては、副交感神経をうまく働かせないと実行できません。
 
 第三は、幸せな人は友達が多いから。友達の数が多いほど幸福感が増すことは、様々な研究が明らかにしています。なぜ、友達が多いと健康長寿なのかと云えば、長期的な生存確率を高める情報を摂取しやすいからだと考えられています。「いいお医者さんがいるわよ」とか「困ったらあの人を頼りなさい」と云った生存を左右する情報が手に入りやすいのです。


★ 失業は幸福度を著しく下げる
 お金、家族、友人が、本当に幸せにつながるか、を検討していくことにする。
 
 お金については、幸福には「生活評価(生活満足度)」と「感情的幸福」の二つがあると考える。「生活評価」は、日々の暮らしに支障がなく、嬉しい、気持ちいいなどの瞬間的な感情も含めた満足感で、「享楽的幸福」に近い幸せです。もう一方の「感情的幸福」は、自分の人生は成功している、人生に満足しているという「安寧的幸福」に近い幸せです。
 お金について、重要なことは、失業すると幸福感が著しく低下することです。イギリスの経済誌の調査によると、幸福度に最も大きなダメージを与えるのは「長期にわたる失業」でした。この調査では、結婚や離婚、配偶者の死といった大きなイベントについて質問し、幸福度が下がって、元に戻るまでの時間なども分析されています。そこからわかったのは、「配偶者の死より、失業の方が精神的ダメージは大きい」ということでした。

 家族については、家族がいるだけで幸福感が得られるのは当然で、たとえ家族がいても、本人の立場や関係性によって異なるという結果があります。家庭内で孤立して『自分は一人ぼっちだ』と感じていれば、一人でいるのと同様のリスクを健康にもたらします。私(前野氏)の研究では、同居家族数は、幸福度とあまり関係がないという結果が出ました。一方で意外だったのは、年賀状をやり取りする程度の付き合いの親戚であっても、付き合いのある親戚が多いほど幸福度が高いことです。また、知人友人の数が多いほど幸福度が高いこともわかりました。知人友人の種類が多様だとさらに幸福度が上がります。


 
★ 睡眠と上司が幸せを左右する
 私たちの幸せに強く影響しているのは、何と「睡眠」と「上司」だというのです。睡眠がしっかりとれない人、上司が仕事に逐一介入し、自分の自由裁量の範囲が狭い人ほど幸福度が低いことがわかりました。
 日本人の平均睡眠時間が少なく、睡眠障害で悩んでいる人が多いのは、夜が明るすぎるせいではないでしょうか。日本の家はベッドに入る直前まで室内の明かりが煌々とついています。これは日中が明るく、夜は暗いという自然のリズムに反しています。そのうえ、寝る直前までスマホやパソコンの画面を見ている人が多い。IT機器の画面から出るブルーライトは脳を活性化させて、眠りに入ることを妨げます。眠りの質も低下させます。

 ノーベル賞受賞者のカーネマン氏の研究によると、「結婚」よりも「上司」の方が幸福度に影響を与えるという。部下は上司を選べません。そこで諦めるのではなく、苦手な上司でも思い切って、よりコミュニケーションをとることを私(前野氏)はお勧めします。上司との関係がうまくいかない原因は、コミュニケーション不足であることが多いからです。


★ 幸福感をもたらす四つの因子
 私(前野氏)は、幸福感をもたらす源泉として、「四つの因子」を見出しました。
 それは、「やってみよう!」「ありがとう!」「何とかなる!」「ありのままに!」です。

 第一の「やってみよう!」因子は、自分が夢や目標に向かって成長していることを実感しているときに働きます。この因子を高めるための方法の一つは、自分の夢、目標、強味の三つを書き出すことです。夢や目標を考える時間は、幸福感を生み出すもとになります。夢や目標に少しでも近づき、自分が成長していると実感できることは幸福感をもたらすからです。

<昔、ゴルフを始めた頃にスコアを伸ばすために練習をして、少しづつスコアアップした頃が幸せでした>


 第二の「ありがとう!」因子は、人を喜ばせたり、人に親切にしたり、人に感謝したりするときに働きます。人のために何かをすることや感謝を表すことは、周囲の人とのつながりを深めるので、そのことが結果として幸福感をもたらしてくれるのです。

 第三の「何とかなる!」因子は、今ここにいる自分を受け入れることができ、前向きに楽観的でいられるときに働きます。この因子を高める方法の一つは、今の自分を承認し、認めてあげることです。そのためには、「自分はダメだ」と落ち込んだら、「自分はダメだと思った」と云う風に[思った]を付けてあげましょう。そうすると、俯瞰的な視点を持つことができ、「自分はダメだ」という認識から離れやすくなります。

 第四の「ありのままに!」因子は、他人と比較せず、人目を気にせずに自分らしくいられる時に働きます。
 この因子を高める方法の一つは、あえて自分らしく行動できないことを書き出すことです。たとえば「人目が気になって会議でうまく発言できない」とまず書いてみる。それをポジテブな方向に反転させて「自分の考えを思い切って発言してみよう」と考えてみるのです。

 この四つの因子の中で、日本人の幸福感を容易に高められると私が考えるのは、「ありがとう!」因子です。日本人はやはりチームや集団のために自分が貢献し、それに対して感謝され、自分が確かなつながりの中にいると実感できるときにより大きな幸福感を感じる傾向があるからです。毎朝ハイタッチする、同僚と互いの良い面を誉め合うといった単純なことですが、習慣化することで組織の幸福度は確実に高まります。そういう活動が広まれば、日本人がもっとポジテブになって幸福度が高まり、健康長寿の人が増えていくはずです。

<「健康長寿を実践する」シリーズは、以上で終了>


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