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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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 クラブ活動以外の競技大会に、市内(3校)中学校クラス対抗運動会というイベントがあった。主として徒競争とリレーなのだが、3校の学年別クラス対抗という合同運動会みたいなものだった。3校で1学年20クラスほどあったと思うが、なかなか見ごたえのある運動会だったと記憶している。1クラスから男女20人ほど(クラスの約半数位)選手が出て、各組ごとの順位で得点を争うものだが、1組10人×20クラス×3学年×男・女=1200人が徒競争で走る。他に、学年ごとのリレー:4人×20クラス×3学年×男・女=480人
という具合。各組毎の順位を合計してクラス順位を決めるクラス対抗だからクラスの総合力が問われる大会であった。
 
 当時の私の学校は、農山村地区の子供が多く、普段から余りスポーツの盛んな地域ではなかった。どちらかというと学校の授業が終わると、家事手伝(農業等)などをする人が多かった。高校への進学率も他校に比べて低い方で、中卒で就職という人も多かったようである。したがって、クラブ活動も参加者はあまり多くなく、対外成績もほとんどが低位に甘んじていた。
 
 そんな中学校生活の中で、(私の学校で)大変盛り上がったスポーツ大会、それは、前述した市内中学校(3校)の学年別クラス対抗運動会である。クラブ活動などで学年に関係なく競う個人競技ではなく、いわば学年別のクラス対抗の団体戦というのが特徴である。
 この大会には学校でも大変力を入れたイベントであった。校内で大会準備をけん引したのは、私の3年間クラス担任であったK先生であった。
 毎年秋に行われる大会に備え、参加できる生徒は夏休みを返上して練習に明け暮れた。夏休みが終わり2学期が始まる頃、クラス対抗運動会の選手選考会が行われた。
 その日、私は何組目かの200メートル徒競争を走った。練習してきた成果が問われる選手選考レースである。その頃は誰が自分より早いかだいたい分かっていた。スタートして100メートル過ぎまでトップを走っていたが、その後は力を落として、まるで流すように・・・、3番手でゴールした。各組2位までが代表になる筈であった。明らかに力をセーブしたことは誰の目にも分かるほどであった。選手になりたくない・・・という気持ちがあって力を抜いたという走りであった。
 選考会が終わって、皆が教室に戻ったところで、先生が、「Harenv!、前に出て来い!」と鋭い、厳しい声で呼んだ。
 先生の前に出ると、いきなり、【バシッ、バシッ!】と往復ビンタが来た。
 それは生まれて初めての経験だった。とたんに目から火花が出たと思われるほど強烈だった。そして先生は言った。「いいか、男はどんな時でも全力を尽くせ!」という教育的指導・愛のムチであった。
 中2の生意気盛りの私は、この時、ハッと目が覚めた思いだった。
 
 そんな夏が終わり、秋空の下で“市内中学校クラス対抗運動会”が行われた。
 その日の我が校の生徒の活躍は素晴らしかった。各学年とも、2クラスしかない我が校の選手たちは、紅白いずれかの鉢巻き姿であったが、各組のレースで、紅白いずれかの選手がほとんど上位(1位か2位)で走って来る各レースに興奮しながら声の限り応援した。最後は嬉しさのあまり泣き声と悲鳴に近い応援であった。
 結果として、我が校は、各学年ともクラス優勝を勝ち得たのだった。農山村の小さな中学校が、町部(市内)の中学校を圧倒した成績であった。
 このことは、我々に、“努力すれば出来る”ことを教えてくれた。青春時代の忘れることができない、汗と涙の一ページであった。
 
 そんな青春時代の汗と涙の一コマから45年が過ぎて・・・、還暦の同級会が故郷であった。その席上で私は、恩師と話をする機会があった。
 「先生、私はあれ以来、どんな場面でも全力疾走を心がけてここまで生きてきました。今でも私の座右の銘にしております。有難うございました」
 先生は、私の両手を強く握りしめ、「そうか・・・」と目を潤ませながら、あとは言葉にならないほど、顔を皺くちゃにしながら喜んでおりました。
 
 「どんな時でも全力疾走」こそは、私が恩師から頂いた“わたくし遺産”なのです。
 
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<クラス対抗運動会の思い出>
 先日、ある雑誌の募集作文(短編)に応募した。未発表のものという前提なのでここに紹介することはできないが、文字数が400字内ということだったので、内容的には限られたものとなってしまった。(いずれ紹介する機会があると思うが)
 
 今から約半世紀余り前のことなので時代が大分ずれてしまっており、興味深いものは何もないと思われるが、私にとっては忘れられない青春の1ページ?でもあり、あえて取り上げてみた。
 
 昭和30年に入って、日本全体がやっと敗戦の痛手から立ち直りかけてきた頃、私は、東北・秋田県の横手市で中学生として元気に生活していました。
 私が通っていた市立第3中学校は、市内からやや郊外にあって、通学区・生徒はかなり広い地域の農村と山村から集まっていた。中には片道4キロ以上の山道や農道を、雨の日も雪の日も徒歩(自転車通学は出来なかった)で通学していた。これに対し、第1・第2中学校は市内中心部の生徒が主だった。そういう通学区だったので、同じ市内の中学校とはいえ、生徒の家庭環境は、都会の子と農村の子というほど異なっていた。私たちの学校は、どちらかというと“田舎っぺ”と言われ、今で言うといじめにも似た言い方をされることがあった。
 
 学校の規模も、各学年2クラスで、1クラス40人ほどの小さな学校であった。
これに対して他の2校は1学年10クラス程あり、マンモス中学校であった。このため、後になって第2・第3中学校は統合されて鳳中学校となっている。
 当時は、3年前に移転新築された小さな校舎には体育館もなく、校庭は地ならしされただけであったが、やがてバスケットコートとバレーボールコート(いずれも屋外コート)が設置された。
 なんとかグランド(トラック)を作りたいと、みんなで片道30分ほどの川(旭川)まで玉石を拾いに行って、それをコーナーに敷き詰めてトラックにした。今ではとても考えられないことだが、当時は誰も文句を言わず黙々と作業した。
 また、トラックの周りの通学路に桜の木を植えたのも当時の職業家庭科の時間の実習を兼ねて行ったものだった。この桜並木は50数年を過ぎた今も残っているという。
 そんな恵まれない環境だったが、先生達は明るく、生徒は誰も文句を言わず、いじめもなく、落ちこぼれもなく、余り受験戦争も経験せず、男女関係も至って純粋・純情で変な噂も全くなかった。当時の中学生は皆、オクテであったのかもしれない。みんな和気藹藹と今思うと平和でのどかな学校生活を送っていた。そんな中で唯一盛り上がるのは体育会・クラブ活動等であった。特に対外試合には燃えた。
 バスケットボール、バレーボール、駅伝競走は市内中学校の人気競技であり、全校を挙げて応援に行った。この頃、各部の応援歌までつくられたのを記憶している。対抗試合にはみんなで大声で歌った。ただ、生徒数が少なかったので、野球部と陸上部はなかった。今ならサッカーだろうが、もちろん当時はそれほど人気のある競技ではなかった。
 冬には雪が多く、体育館の無い悲しさ、室内での運動は出来ず、もっぱら雪の積もっている校庭でサッカーもどきで走り回ったり、雪合戦をしたりした他、体育の授業では2時限通しで近くの(ミニ)スキー場に行った。まだまだ物資の乏しい時代で、ろくなスキー用具を持っている人はいなくて、古い木製のスキーと竹のストック、それも兄弟同士で共用したり、借りものが多かった。
 まだまだ日本中が戦後の貧しい生活の中で、皆、必死に生きようともがいていた時代である。・・・・・・・<以下次回へ>

 
6月は・・・株主総会の月?>
 6月は圧倒的に株主総会を開催する会社が多い。(3月末が決算と言う会社が多いからだが)それにつれて動きがあるのが役員の選任(新任・再任)、任期満了、辞任等である。まれに解任もあるが・・・。
 もう知人の役員も少なくなってきたが、今年も3人の現役(役員)引退があった。
 
(その1)監査役仲間で、実務部会の役員をやって来たYAGさん。
社内の評価は知る由もないが、少なくとも監査役仲間では誰とでも気さくに話し、いろんな人に自ら話しかけ、困っている仲間に助け船を出してあげるなど大変面倒見の良い人であった。私もいつからか親しく話をするようになって、時折、情報交換会(?)と称する会食等でも飲み・語りあう仲になった。私に多くの仲間を紹介してくれて、協会内で仲間がたくさん増えることになった恩人である。
 今年の総会で任期満了とのことで、612日 東京国際フォーラムにて、
氏の「監査役ご卒業お祝い会」が行われた。65歳で引退とは誠に惜しい気がする。
 
(その2)前々職場の後輩ももう63歳というNAYさん。
管理部門出身では異例(?)の出世頭であったが、常務執行役員を引退することとなった。
 氏はスポーツマン。若い頃はスキー部で活躍していた男。脂の乗り切っていた頃に突然発症(心臓病?)し、その後スキーは断念し仕事に専念した。経理部・予算課で私の後継者であった。販売会社の社長を歴任し、数年前から販売担当常務執行役員の任にあたる。まだまだ若いと思っていたが、大分頭も薄くなっていた・・・。 619日 渋谷・宮益坂のSANKAIにて有志(5人)によるささやかな慰労会を行った。
 「神戸に帰ってゆっくりしたい」と言い残して。・・・お疲れさまでした。
 
(その3)前職場の後継者MURさんも63歳の若さだが・・・。
元々は財務が専門の人。他社から移籍してもう6年が過ぎた。該社ではまだ任期が残されていたが・・・。(役員としてけじめをとのことで辞任)惜しい存在である。
 私の後継役員であったが、一緒に仕事をしたのはほんの1カ月程度(引き継ぎ程度)だが、時々アフターファイブでは6年間の付き合いがある。カラオケが得意?で、よく二人で深夜まで歌った仲だ。たまにしか行かない私と偶然が重なって某所でばったり・・・というのが数回あった。よっぽど縁があったのだろうと思う。
 625日 株主総会で、彼の最初で最後の「監査報告」を見届け、夜は二人でいつものように市内某所をはしごする。いつものように“午前様”でお別れした。
 「四国八十八か所を旅したい」とか、・・・ゆっくりと行ってきてください!
 
 
 3人ともまだ若いのに、・・・惜しいなあと思う。ともあれお疲れ様でした。
                  
<彼らより年食った「送りびと」となりました。ちょっぴり寂しい気分でした>

                     
20年振りの元気な先輩>
 過日。渋谷・宮益坂のスナックにて、大変懐かしい先輩との出会いがあった。
 この人、TONさんと言う愛称の元職場の先輩。もうかれこれ20年振りかもという程、過去の人だが・・・。
 近くで一次会を終わって、5人で乗り込んだスナック。そこに先客が一人いた。白髪だが顔色も艶々した健康そうな老人(失礼!)であった。
 その店は、旧職場の人達が行きつけの店だが、私は年に12回訪ねる程度。だいいちママさんもあまり知らない(お互いに)。
 
 店に入ったとき、T氏は入口を背にしたカウンターに向かって座っていたので、我々が入ってもすぐには分からなかったようだが、彼を知っている人が、我々のグループに2人いて、カウンターに座った途端に、「あら、TONさんじゃないの!」となって、こちらの2人と挨拶が始まった。
 私は、TONさんという愛称(失礼だが)に「え?」と思わず覗き込んだ。
 20年間のブランクはあるが、じっと見るとようやく面影が思い出されてきた。
 
 カウンターの端に座りかけた私は、思い切ってもう一方の端に座っている彼に近づいて行って、「私は16年前まで甲信でお世話になった・・・です」と挨拶した。ようやくそれでお互いを確認できたのだ。
 
 1987年から10年間勤務した甲信地区で、彼は松本地区の責任者として活躍していた。謹厳実直、曲がったことの嫌いな性格で親分肌の性格は、お客様にも好かれていた。反面、社内、特に本社の方はあまり向かず、ために時々ぎくしゃくもあったようである。
 そんな性格・主義があまり理解されない面もあって、サラリーマンとしては損をしていたような気がするが、我々下には理解をしてくれていたように思う。
 
 もう後期高齢者に入っているが、体もスマート、顔色も良く、酒も良く飲む!
歯切れの良い会話は、昔のまま。
2時間余り昔話に花が咲く。偶然の出会いとはいえ、渋谷のど真ん中。
興奮しました・・・・。改めて先輩に乾杯! してきました。
 
 
<携帯・スマホ等のナガラ歩行・運転等について>
 最近、携帯、スマホ等の情報端末類の普及は凄まじいものがあるが、いつも気になっていることがある。それは歩きながらとか、自転車に乗りながらとか、怖いのは車を運転しながらというのも見かける。
 
 先月、都内では、駅ホームでスマホをしながらホームから転げ落ちてけがをしたニュースもあった。よく見かけるのは、階段の上り下りをスマホを見ながらとか、構内を歩きながらというのも結構ある。だいたいそんな人達は、歩くのが遅いのとふらついて歩いているので迷惑する。“まじめに歩かんかい!”と
どやしたくなる時もある。
 
 自転車に乗りながらスマホを見ている人、極端なのはメールをしながらという曲芸張りの人もいる。これも運転がふらついて歩行者は危険を感じるのだ。
 携帯電話が出始めのころは、車の運転も通話がほとんどだったが、最近では画面を見ながらだから危険極まりない。
 
 いつだったか、電車の中で座りながらスマホ・携帯を操作していた人(若い女性だったが)、熟年のおばさんから食い下がられていた光景があった。その時の一言がこうだ。「あなたはそこに座る資格がありません。どうしてか分かりますね?」その席は、老人・体の不自由な人達の優先席だったのです。
 
文明の利器も常識をわきまえて・・・気をつけよう。


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