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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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【第1日目】(6月1日)
 午前1155分 成田発エールフランス航空AF275便は定刻に出発した。
行き先はパリ・ドゴール空港。そこから乗り換えてスペインマドリードへと続く。超大型エアバスA380機は2階建である。その2階はビジネスクラスの座席である。JALとの共同運航とのことで、日本人の乗務員も数名いるが、国際線では最近は比較的年配者(ベテラン)が多いようだ。A380機のビジネスクラスの座席は、長さ155CM、幅56CMで、フルフラットが可能であり12時間のフライトは非常に快適であった。
 機内食は2回あった。乗ってしばらくして、新聞が見たかったが在庫がなかったようだ。回ってきた乗務員(フランス人?)に訪ねると、「後ほどお持ちします」という。ハテと思ったがまあいいや、といつの間にかうとうととまどろむ。23時間経ったろうか、目が覚めたら、座席の横にそっと新聞が置いてあった。忘れずに・・・「サンキュウ―」だったが、よく見ると誰かが見たものを持ってきてくれたらしい。新品でなく、回し読みもあるんだと初めての体験だった。
 
 1715分(現地時間)パリ着。ほぼ定刻通り。
約1時間で、入・出国審査を経てAF2000機に乗り換えた。全員エコノミークラスで座席は狭い!・・・私はいいが、外人さんはさぞかし窮屈だろうと思われた。約2時間のフライトでマドリードに到着。夜の8時過ぎだというのにまだ明るい。
 お迎えの現地ガイドさん(日本国籍の人)の案内で、バスに乗り込みホテルへ直行。「AUDITORIUM」(アウディトリウム)ホテルという。英語では「観客席、講堂、ホール」とかの意味があるが、その通りで、確かに催事場とか会議室・ホールのようなスペースがやたらと多いホテルだ。この日は夕食は無し。
(パリまでの飛行中の機内食サービスで終わりだったようだ)スーツケースを確認して、さて小腹が空いたと館内のグリル(バル?)に入り込む。
(ビール&つまみ付を2杯飲んで10ユーロ少々)
 ホテルの階号は、ロビー階がB、その上が0,1,2階となる(ガイドブックの注意書き通りだ)。12時過ぎに寝付くも、時差(マイナス7時間:日本時間では17時頃)の為なかなか寝付かれなかった。
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≪スペインの旅その2≫
【スペインあれこれ】
 ・正式国名    スペイン(SPAIN)、現地ではエスパーニャ
  ・政体      立憲君主国(憲法により規定された君主制)
  ・面積      50.6万平方キロ(日本の約1.3倍)
 ・人口      4,675万人(2011年)
 ・宗教      カトリック92%
 ・通貨      ユーロ(1999年統一通貨ユーロの第1陣に参加)
 
【略史】
  紀元前10世紀頃、フェニキア人の侵入に始まり、以後、カルタゴ、ローマ、西ゴートの領有を経て、8世紀半ばからイスラム教徒のムーア人が長く支配した。
  1479年、カスティーリャとアラゴンが合体してイスパニア王国が発足、国土回復運動(レコンキスタ)によって92年にイスラム教徒を一掃、コロンブスの航海を機に新大陸に広大な植民地を獲得し、16世紀には黄金時代を迎えたが、無敵艦隊の敗走、王位継承戦争、植民地の相次ぐ独立などが重なって、19世紀後半までに国力は急速に衰退した。
  1931年共和制に移行したが、その後「スペイン内乱」、フランコ独裁政権が36年間続いた。1975年王政が復活し、議会制君主国となった。
 
【現況・経済】
  1982年北大西洋条約機構(NATO)に加盟、86年にはヨーロッパ共同体(現EU)へ加盟、99年EU統一通貨ユーロの第1陣に参加。
  2004年、イラク戦争参戦の報復として、イスラム系テロ組織による列車爆破テロが発生(犠牲者191人)。北東部のバスク地方には60年代後半から反政府組織「バスク祖国と自由」を中心に活発なテロ活動がみられる。
  
経済の中心的な役割を果たしているのは、北東部のカタルーニャやバスク地方の自動車、造船、繊維、化学、鉄鋼などの工業。鉱物資源も水銀(世界2位)、マグネシュウム(6位)、鉄鋼、石炭などと比較的恵まれている。中央部のメセタや地中海沿岸では農業も盛んで、オリーブ(世界1位)、ブドウ(4位)、ワイン(3位)、オレンジ(4位)、大麦(6位)、小麦などが栽培され、中でもオレンジ類の輸出は世界一を誇る。GDPは世界8位である。しかし、失業率は21.3%(2011年)とEU内では最悪で、財政赤字の悪化とともに大きな懸念材料となっている。更に最近では、不動産バブルの崩壊等で、金融機関の危機が深刻な状況となっている。
 
【国の特徴など】
  独自の文化と緑の少ない荒涼とした自然景観は、ヨーロッパらしからぬ異質な風土を漂わせている。
 「闘牛」、「フラメンコ」、「ドン=キホーテ」、「カルメン」、「ガウディ」、「ピ
カソ」、「ダリ」、最近では「サッカー」等に代表されるように視覚的で過激なイメージに満ち、情熱と狂気と憂鬱が対照的なコントラストを描くため、“光と影の国”と呼ばれる。
 平均的市民は昼食を家でとり、午後3時過ぎまで昼寝(シェスタ)を含ん
でのんびりと休息を取る生活習慣を楽しむ。本格的なレジャー活動は夜10時以降に始まるという。繁華街はお祭り騒ぎ同然で、夜明けまで続く。(フラメンコの真打ちは深夜から明け方に出演するものらしい)
 
 観光資源も豊富で、古都トレドやイスラム建築の粋を集めたアルハンブラ宮殿、マドリードの絵画やバルセロナの芸術建築、イスラム寺院のヒラルダの塔をはじめ、ヨーロッパ有数の海浜保養地であるコスタ・デル・ソルなどほぼ全国的に見所が点在し、国外から年間5,730万人(08年度、世界第2位 因みに日本は800万人)の観光客が訪れている。
 
 バレンシアの火祭り、パンプロ―ナの牛追い祭りなど各地のフィエスタ(祭り)は情熱的かつ精力的、レアルマドリードやFCバルセロナに代表される国民的スポーツのサッカーへの思いも熱い。
 
 伝統料理のパエリアをはじめ、スペイン料理に欠かせないオリーブ油は世界一の生産高を誇る。
 
 スペインはまた、ポルトガルとともに大航海時代の先陣を切った国として知られる。日本との交流も1549年の宣教師ザビエルの来日に始まり、84年日本から天正遣欧使節が初めてスペインの地を踏み、1614年には支倉常長も通商条約を目的に訪問。現在でもメリヤス、シャボン、カスタネット、プラザ、ポンチョといったスペイン語(ポルトガル語には金平糖、カステラ、パン、タバコなど)を語源とする外来語が日本に採りいれられている。
 
【気候】
  大きな国なので、地方によって傾向が異なる。北部は緑が多く、雨も多いが、暖流の影響で気候は穏やか。マドリード(中央部)は年間降水量が300~600ミリと少なく、乾いた、寒暖の差が厳しい気候。朝晩は冷えるが日中はかなり暖かくなる。因みに、6月上旬で朝晩20度くらい、日中は30度を超えていた。バルセロナからアンダルシアにかけての東部、南部は、地中海性気候で比較的温暖といわれているが、6月上旬でバルセロナは日中で25度から30度。アンダルシア地方は日中35度くらいだったが、湿度が低く日本の気温より凌ぎやすいと感じた。しかし、真夏では40度を超す猛暑(酷暑)が続くという。
 
【その他あれこれ】
 ・水道の蛇口:日本では「C」は水だが、スペインでは「C」はラテン語式でお湯が出る!
 ・ビルの階数:日本式の2階がスペインでは1階。1階はPlanta Bajaとい
い、いわば地下室扱い。
 ・英語は通じない?:ホテルでも観光地でも英語を全く理解しないスタッフ
が少なくない。
 ・チップは? :ホテル(枕銭)は1ユーロ。レストランやタクシーでは1ユ
ーロ程度。有料トイレで0.2~0.5ユーロ。なお、ファーストフードやバル(BAR)ではチップ不要。
 ・物価の目安:ホテル、レストランでは、ミネラルウオーターが1.5~2
ユーロ、ビール(小瓶または小ジョッキで)は3~4ユーロ。
グラスワインは3~4ユーロ。たばこは5ユーロ強(マールボロで)と割高だった。・・自販機はほとんどない。
因みに、BAR(バル)ではこれより1~2ユーロ安い。
 ・BAR(バル):立飲みもテーブルもあり、屋外もあれば屋内もある軽食・飲食もできる大衆食堂。値段も安く、つまみの種類も豊富だ。
朝から深夜まで営業しているところが多い。比較的安心して飲食できる場所である。(心なしか、朝からたむろしている人が多いような気がしたが・・・・失業者が多いのかしらと心配になりました。)
 ・ひまわり畑は? :6月は中西部にかけてひまわりの景観が!・・・・こ
の時期を狙って期待して行ったのですが、さっぱり咲いてない!のです。聞くところによると、ひまわりは連作できないものらしく、今年はお休みのところが多いらしい。そんなニュース(ガイドブックにも)聞いてない! とこればかりは期待外れでした。(事前調査不足でした)


<次回は出発です>
≪スペインの旅 その1
 ヨーロッパでぜひ行ってみたい国の一つがスペインだった。
 その理由は、イタリアの45か所に次いで、スペインの39か所の世界遺産登録数、世界第2位の多さだ。面積では日本の1.3倍程度だが、世界遺産の数では約3! これはさまざまな民族と文化が行き交ったイベリア半島ならではの歴史と、その遺産を積極的にユネスコに申請・登録してきたからだという。
 イベリア半島には、スペインの西側で国境を接してもう1カ国、ポルトガルがある。このイベリア半島の2カ国は実はそれなりに日本とゆかりがある国であることで知られている。だから当初は、どうせ行くなら2カ国をめぐってみたいと強く思っていた。今回の旅を一緒に行くことになったS氏とのプラン検討も、2カ国周遊を主張したのは私のほうであった。
 
 そもそもこの話は、2月頃に、前職のOB会があって歓談の折に、どちらともなく話が出たのがスペインに行ってみたいという(共通の)思いであった。
 それから1カ月後、私たちはそれぞれに希望する・検討した旅行プランを持ち寄った。
 私の提案プランは、勿論、「スペイン&ポルトガル周遊プラン」であったが、
11日間のかなりハードと思われるプランであった。これに対し、S氏は、「スペインオンリーのゆったりプラン」であった。ゆったりプランには理由があった。旅行会社のプランではほとんどホテル帰着が夜の8時~9時頃でそれから夕食というのが多かった。これでは遅過ぎる・ハードで疲れる!というのが彼の言い分だった。
しかし、あとで現地に行って、分かったことだが、スペインではたいていのホテル、レストランの夕食は、8時過ぎから始まる。勿論その前の昼食も2時過ぎからが多い。つまり食事の時間は一般的に日本よりも2時間位遅いのだ。それに、この時期(6月)はサマータイム(夏時間)であるが、確かに、夜の8時、9時でも外は明るい。太陽がまだ沈まないのです。
 日本人が夕食は暗くなってから、をスペインに当てはめると、やっぱり9時過ぎからとなることが頷けます。≪「ローマにいる時はローマ人のするように」という諺どおり・・・・「スペインにいる時はスペイン人のするように」です≫

 プランを決める上で悩ましいのは、私の仕事スケジュールの問題がある。
70を過ぎたが、未だ勤務中である。仕事を無視して行く訳にはいかないので、このスケジューリングには苦心した。ある限定した日程の範囲では旅行会社のプラン(毎日出発ではないので)となかなかマッチングが難しく、出発候補日は少ないものとなった。
 ほとんどこの日の出発だけという私希望のプラン1つと、彼の希望プラン1つに絞った。とにかく申し込みをしたものの、私の希望プランは人数足らず、しばらく様子見の状況、彼の希望プランはすでに満員で、キャンセル待ちの状態だった。ともかく出発1ヶ月前まで待つしかない。
 
 申し込み(3月中旬頃)から1カ月ほど経過したが、状況はあまり変わらない状況にあった。即ち、希望者が増えない(催行不可?)、キャンセルは出ない。
 そんな状況の折、JTB旅物語シリーズで新しいプランの発表があった。
 『ビジネスクラスで行く、感動のスペイン8日間』である。
 日程は6月1日~8日。見学地は大幅に減ったプランだが、主要観光地(マドリード、トレド、コルドバ、ミハス、グラナダ、セビリア、バルセロナ等)をカバーしており、往復ビジネスクラスと途中の空路移動などもあり、その割には低廉であることから納得した。
 待つのもこれまで、と我々は決断した。
 
 
 
≪時差ボケでゴルフは?≫
 前日、スペイン(時差:マイナス7時間)から帰ってきて翌日のラウンド。
 よく聞く、「時差の影響で調子が・・」というのはどんなものか、私には初体験。2週間ぶりのラウンド。日本に帰って来た日は、30度くらいの晴天も、翌日は一転して朝から雨が降り続いて、前日より10度も低い気温というどちらかというとすべてが悪材料のコンディション。
 土曜会のメンバーもエントリーメンバーのうち3組は取りやめて帰った。同組のA氏はわざわざ横浜から駆けつけて、あっさりキャンセルして帰った。もっとも彼らの多くは、ほとんど毎週ラウンドしているので、割り切っている。「どうせ来週もあるさ」といって、諦めも一種の“爽やかさ”を感じるほどだ。
 同組の2人はそんな訳で早々と退散。とはいえ、プレーしたい人もいて・・・。
HARさんはやるよねー」と先に念を押されて、「は、はい」となった。
結局、やりたい人だけ残って組み合わせを変えて、2組だけ決行となった。このため当初の予約時間が繰り上がって、いきなり到着10分後にスタート。しかもじゃんけんオナーだ。屈伸運動と素振り3回でテイショット!・・・ナ・ナント!ボテボテの100ヤード余り。
ガックリ、これが時差ボケショットか!先が思いやられる。
 ずーっと雨は降り続いて、肌寒い。上下雨具着用の土木作業のようだ。それでも中盤盛り返して、フロントナインは何とかボギーペースで廻る。
 一休みして、軽い食事+重いアルコール(焼酎2杯)の後の後半ハーフも何とかボギーペースを維持した。この日の同組メンバーの一人TAM氏は、年間100ラウンド以上出席でクラブから表彰された常連メンバーの一人。年に何回か一緒に回る機会があるが、その都度2人は昼食時のアルコール同好の士だ。今日も昼食時の一献は至福の時間であった。
 ラウンドの反省だが、グロス90はこの天気・体調等からすればまずまず。
バーデー狙いのパットが5~6ホールあって、全部外し、返しのパットも外れてボギーがほとんど(結果3パット)。総パット数40は酷い。グリーンがあちこち水が浸みこんでスピードが変化する。ショットはそれほど悪くなかったようだが。
 という訳で、<時差ボケ+雨中ラウンド>にしてはまずまずというべきか。
 
≪次回から・・「スペイン訪問記」の予定≫
≪現代医療との付き合い方≫
 文芸春秋6月号よりー「最善の医療」・・渡辺淳一(作家)、松木康夫(医師)
                   両氏の対談記事より抜粋
 
 両氏はともに昭和8年生まれの医師。
 「現代医療との付き合い方」というテーマの対談記事で、興味深い内容が多々あった。
 
その1.「米国の医療はカネ次第」という話。
 ・日本では、健康保険制度によって、すべての国民がいつでもどこでも、それなりの水準の医療を受けられるようになっているが、米国ではそうではない。
 
 ・米国では、収入が高い人と低い人では、入る保険が違う。保険にもランクがあって、それによって治療が受けられる病院も決まる。当然、高い保険料を払えば、よりいい医療が受けられる。・・・米国の医療には「資本主義」が導入されている。
 
 ・ある病院で、夕方、大腿のあたりを血だらけにした男性の急患が病院に運ばれてきた。一刻も早い処置が必要に見えたが、医者が、その男性が持っている保険証を見た途端、「ここで診る訳にはいかない」と受け入れなかった。・・・・
患者はあっさりうなずいて去って行った。という。
 その時同じ病院に来ていた米国人に、「ひどいじゃないか」というと、「いや、そんなことはない。当然だ」と。
 「あいつは多分、若い時から飲んだくれて一生懸命働いたことがない。おれは小さい時から懸命に勉強して努力して、現在の地位を築き、高いランクの保険証を持って、この病院に来ているのに、あんな低いランクの保険証しか持てない奴と同じにされては、たまらない。命を左右する病気を治療してもらう時に、あんな飲んだくれとおれが同じ治療を受けるのは許せないよ」という。
 日本人の多くは、人間の命はみな平等と思っているが、本当は違う、若い時からしっかり働いて社会貢献してきた人と働かず飲んだくれてきたものでは命の重さは違う、という考え方がアメリカではゆき渡っている。
 
その2.「主治医の選び方」について
 ・最近はお医者さんのイメージが変わってきて、患者が頭を垂れて教えを乞う「先生」から、人生のよき「伴走者」になってきた。特に60歳からは、親身になって、相談に乗ってくれる医者を見つけておくことが大切。
 松木氏は、そんな思いから、『医者を選ぶのも寿命のうち』(講談社)という本を書き、60歳からの主治医の選び方には、いくつかのコツがあるという。
 
 ・まず第1に[近いこと]。主治医には様々な事を気軽に相談できなければ、意味がない。近くないと、どうしても足が遠のいてしまう。
 第2は「設備が整っていること」。少なくとも心電図がとれて、胸と胃のレントゲンが撮れる設備がある病院を選んだほうがいい。
 第3は「内科医」を主治医にした方がいい。実際の治療は専門医を紹介してもらうにしても、主治医には体全体を診られる医者を選んだほうがいい。
 (でも、最近は「体全体」どころか、患者の顔を見て話さない。体を見ずにパソコンの画面だけ見ている医者が多くて、あれでは信用できません。そういう医者は病気だけを見て、病人を見ていない。それでは主治医は務まらないんじゃないかと思う)・・・医者はまず患者の顔を見て、体に触れ、話をしっかり聞き、患者を安心させてほしい。
 第4は「顔が広いこと」。専門外の病気が発見されたときに気心の知れた専門医を紹介してくれるからです。「顔が広い」医者の多くは、勉強熱心であり、学会で積極的に発表したり、医学の知識を深めるために専門外の医者と交流するうちに自然に顔が広くなる。
 第5は「患者離れがいいこと」。問題の病気を直すのに自分よりもいい専門医がいると思ったら、すぐに紹介してくれて、自分のところで取ったデータを快く貸し出ししてくれないと、大きな病気の時は、それこそ取り返しのつかないことになりかねない。患者の事を第1に考えてくれているわけで、逆に、「僕の事を信用しないのですか、任せてください」と他の病院に行くことに反対するような医者は要注意。
 第6は「脂の乗った35から65ぐらいの年齢」であること。
 第7は威張らなくて、酒が好きで、カラオケやゴルフが好き、というような「人間臭い医者」がいい。主治医には何でも対等に、そして率直に相談できる方がいい。
 最後に大事なことは「自分とウマが合う事」。どんなに名医でもウマが合わないと、自分の体を預ける気になれないから。「この先生にやってもらってダメなら仕方がない」と思わせるぐらいに人間味のある医師が理想である。という。
 ・患者の側も「いい患者」になるよう努力しなければならない。自分なりに勉強し、自分の頭で冷静に考える努力も必要である。
 
・・・・その他、患者にとって理解できる、納得のいく対談内容でした。
 


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