<「日本郵船130周年!」だそうですが・・・>
「日本郵船は今年10月1日で創業130周年を迎えます。日本の近代化が始まった1885年(明治18年)に船出した日本郵船。いくつもの荒波にもまれながら世界有数の海運会社に成長しました。そして今、地球環境にやさしい未来型エコシップの開発に加え、物を運ぶだけでなく、海洋資源の開発にも目を向けるなど未知の世界にも挑戦しています。」(以下略)
と言う同社・案内書の特別展を見学してきました。
見学場所は、横浜港・海岸通りにある「日本郵船歴史博物館」とそこから海岸通りを歩いて10分ほどの山下公園の海岸に係留されている「氷川丸」である。
正直言って、船にそれほど興味があった訳ではなく、日本郵船の歴史に興味があった訳でもない。仕事柄、加盟している団体の月例勉強会・行事の一つに参加したにすぎないのだが・・・。
博物館での案内・説明者は同社が所有する船舶の船長さんだったというのも
船会社らしい。
・日本郵船は、旧九十九商会(つくもしょうかい・岩崎弥太郎氏が創設した)から始まったいわゆる旧三菱グル―プ会社である。
・戦前には、700艘以上の船を抱えて7つの海(世界中の海)を航海する海運業を行っていたが、第2次大戦で、船が悉く沈められたものの、徐々に復活してきた。
・「氷川丸」は、戦前の船で現存する唯一の船。1930年(昭和5年)貨客船として、横浜港からアメリカ・シアトルに処女航海。その後、定期航路船として活躍。戦時中は、政府の御用船になり、海軍病院船、戦地からの引揚船等で活躍。戦後、再びシアトル定期航路に復帰。1960年(昭和35年)に現役を引退。
・引退後、横浜港に係留され、ユースホステルや結婚式場、レストランなどで利用されている。
氷川丸の話を聞きながら、自分には氷川丸に関連した二つの縁があったことを思い起こした。
一つは、約半世紀前(正確には52年前だが)の出来事である。
昭和38年当時、世田谷に下宿しながらK大に通っていた。その下宿屋さんのお母さんが急病となり、私たち学生は下宿屋を出ざるを得なくなってしまった。
誰からの情報だったかは定かでないが、横浜港・氷川丸に宿泊できる(ユースホステルとなっていた)事を聞いて、数日間宿泊したことがある。どんな状況だったかはもう記憶にないが、ともかく急場しのぎのいわゆる“渡りに船”といった感じであった。今回、船室を案内されながら、50年前を思い起こすと懐かしさが・・・。
もう一つは、5年前に会社の研修旅行に行った先が“シアトル”だったこと!
行く先を選定したのは会社なので、事前調査はあまりしていなかったのであるが、現地に行って初めて、日本との交易が戦前からあって、その橋渡ししたのが日本郵船の“氷川丸”であったことを知らされたのである。
(シアトル旅行記は5年前のブログにアップしているが・・・)
現存する氷川丸とアメリカで2番目に住みたいと言われている都市・シアトルの古き良き関係を見聞しながら、あの時の思い出(氷川丸)、上品な都市シアトルの印象に一人思い耽る、それほどの思いをもつ人は今回の見学会(76名参加)では私以上の人はいないだろうと思いつつ氷川丸を後にした。
(2015.6.5 横浜港・山下公園地先、日本郵船氷川丸にて)