2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
<とんでもない レンタカー屋さん!> 身内の若い人達とゴルフに行くことになって、ウイークディに計画したものの、奥さんが仕事で使用するとのことで、それではレンタカーを借りようということになった。小田急沿線の3人なので町田でレンタカーを借りて乗りあいで行くことにして、駅前のORXレンタカーに頼むことにした。
最近は、レンタカーもインターネットで申し込みができる。行く先は近場(大井松田)だし、3人だから軽自動車で安く行こうと予約をした。予約をした当日の夜にたまたまレンタカー屋の前を通ると、手頃の車が駐車していた。思わず店に立ちよって、窓口で、「インターネットで6月に借りる予約したのだが、いま店の前に停まっているような車を借りたいのですが・・・」と申し出た。
ところが、窓口のオッサンは無愛想にこう言う。「軽自動車は、車種は指定できません!、それにその(駐車している)車と言っても、いつお客さんが事故ったりして当日配車できなくなるかもしれないので、お約束できません」と冷たく突っぱねるのです。私も粘って、「乗るのは3人だが、荷物を少し積みたいので軽自動車ならなんでもいいという訳ではなく、あんな(駐車している様な)収納スペースのあるのが欲しいのです」と言ったものの、「どんな車になるかは分かりません!」とケンモホロロの応対である。ムッとしたので、「分かりました。なんでもいいというわけにはいかないので、それでは、ネット予約はキャンセルします」と言って店を出た。
軽自動車はレンタル料も一番安いし、あまりいいお客ではないかもしれない。それに同社では、自動車メーカー系列ではないので、そんなに多くの車種を用意してるわけでもないようだ。 しかし、あの窓口の傲慢ともいえる態度は何だ! にこりともしないで、面倒くさそうに突っぱねる応対は、サービス業の窓口ではない。例え金額が少額でも、客は客である。何が来るか分からぬ・来ないかもしれないようなレンタルだと、アテにできないではないか。もしも大切な用事を抱えてのレンタルなら、(借りられなかったら)大変なことにもなりかねない。 そう考えると、あの態度(そもそも軽自動車を軽視している会社の制度も含め)に抗議をしようと、同社のインターネットへ書き込んだ。
ネットに書き込んだ翌々日、町田店の店長と名乗る人から電話があった。 口上は、お詫びから始まって「当社では、軽自動車のレンタル需要が多いのに、車の配備が遅れているため、お客さまにご不便・ご迷惑をかけていること、今回の件に関しては、出来るだけ、お客様の要望に沿えるような車を準備するようにしたい。応対に出た社員は、どんな容姿・タイプの人間でしたか?」と聞かれたので、これこれのようなタイプでした、と答えたら、店長も納得していた。私は、「せめて店長さんが今お話しあったような「できるだけお客様の要望に近いものを準備するよう努力します」と言ってくれれば、ずばり、あれでなければとは言いませんが・・・。なにしろ彼は、ケンモホロロで客の要望を一切受け付けない態度でしたので・・・。それでもサービス業ですか?と申し上げたかったのです。」
「分かりました。では6月某日に準備させて頂きます」 「それではキャンセルしないでお借りすることにします」
そんな会話で終わりました。 もうひとつ、気になるのは、あの店に3回ほど行っているが、「いらっしゃいませ!」と言われた記憶がない。そもそもその辺から問題(改善する必要)がありそうなレンタカー屋さんです。 <いま時は、官庁に行ってもちゃんと挨拶する時代なのに・・・>
PR <最近のGOLF & あれこれ> ◆ 五十肩が相変わらずの痛みが続く中、3月3ラウンド、4月は4ラウンド、5月も3ラウンド。“よくやるわ-”と女房殿に言われても仕方ないほど続いてはいる。 しかし、スコアはお世辞にもいいとはいえない。100タタキとは言わないが、今年に入って(主に3月以降だが)90を切れない日が続いていた。 やっとのことで5月から80台が出るようになったが、まだ、本調子ではない。おまけに、左肩を庇ったスイングをしているせいか、右手が痺れるときがある。
朝一番のショットでは、始動時に左肩が重く、痛む。3ホールぐらい過ぎてから少し楽になるようだが、準備運動が足りないのか、痛みを忘れてしまうのか・・・、は分からない。ミスショットしてインパクトで芯を外すと、途端に肩に響いてジーンと痛みが走る。ラウンド中、何回かはそんなことが起きて思わず、イテテテッ!ともがくありさま。ショットの正確性のなさを痛感する。5月に入ってスコアがややまとまってきたのは、決して上達したわけではなく、痛み慣れしてきた?のかもしれないが・・・。
整形外科に通いながらのゴルフは気がひける。そろそろ病院通いは止めようと思う。・・・やれやれです。
☆ 先週末は久し振りに結婚式に出席した。身内以外では20年ぶりくらい である。 披露宴の前に結婚式にも参加してくれとのことだったので、早めに出か けたのだが、式場で驚いたのは、式への参列者が多いことだった。ひょっ として、あれは披露宴の参加者のほとんどが式にも参加しているのではな いかと思われた。 人数にして約100人くらいだが、親戚は20人くらい。7~80人 は一般者のようであった。今時はこんなスタイルが多いのかしら?
もう一つ変わったことは、友人・知人のスピーチが少なく、要所要所に 自作自演のスライド(動画)があることだった。これはさすがにいま時はこん ったが、数は意外と少なかった。その分出席者が多かったせいかと思われ た。 後日、当人から聞いた話では、披露宴が終わってからの2次会は披露宴以上の人数が集まり、更に3次会まで続いたと言う。さすがに、身重の新婦は途中で退席したと言うが・・・。いまどきの若い人達のはしゃぎ方は 半端じゃないな、と二度びっくりでした。
<49年ぶりに再会した旧友> 5月21日(木)13:36分頃の話。 突然携帯が鳴って、「YAMです。お久しぶりです!」と名乗った人は、忘れもしない小学校の頃の友人・隣人である。予期しない突然の彼の声に、お久しぶりですと言ったものの次の言葉が出てこない。 彼とは、60年以上前にふるさと秋田・横手で小学校(私は低学年の頃)時代の何年かを一緒に遊んだ中である。私より2年先輩だが、お互いに家族で秋田に疎開していた頃の友人である。彼ら家族は、彼が小学5年の時に再び東京に戻っているが、私の家族は、その後も東京に戻ることはなく、秋田・横手で生活が続いた。だから私のふるさと・生育地は横手なのである。(私は、その後、就職・転職等があって東京に居を移したが・・・)
彼と離れてからは、毎年1回の年賀状のやり取りが続いていた(かれこれ50年以上か?)が、最近5~6年はその年賀状も途絶えていたが・・・、昨年正月に又年賀状が復活したのである(この件に関しては、昨年1月にこのブログに「久し振りに頂いた年賀状」としてアップしたが・・・)。彼に言わせると、私のおふくろが他界してから、何となく出しそびれてしまったと言う。その年賀状の返信に、私は、現在の心境と勤務先・電話番号などを書き込んでおいたのがきっかけで、本日の電話・再会になったものだと言う。
彼は都内の金融機関に約40年くらい勤務、私も一時期・10年ほど秋田の金融機関に勤務したことがあり、この間(10年間)で、地域は違うが、お互いに金融マン同士という認識があった。そんな折、昭和41年には秋田の私の住まいに旅行で立ち寄り、宿泊したことがあると彼は言うのだが・・・、私にはあまり記憶に残っていない。何しろ49年前のこと、半分認知症の気があるのか、私の記憶にないのである。 このての話はもう一つ。彼と49年ぶりの再会をした渋谷・道玄坂で彼は、「やあ、昔とちっとも変わらないね」と言うが(お世辞でもないだろうが)、私から見て、彼の顔は全く覚えていなかった。
それでも、田舎当時の話をするとお互いに記憶がピタリと一致する。 やっぱり60年以上前という年月は、気の遠くなるような昔ではあるが、 戦後の、物資の乏しい中で必死に生きてきた時代を何年か共に過ごした旧友とは気脈の通じる何かがあると感じられた。
「また会おうね」。固い握手を交わし、再会を約した。 ☆ 5月2日から始まった(中には、4月29日から5月10日までの12連休と言う会社もあるようだが)連休は、7日(木)迄の6連休が私のG/Wだった。家内と家内の妹が合流して、1泊で鎌倉のハイキングコース(祇園山)、御成り通り、長谷寺~大仏、と歩きまわる。 |
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