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2007年7月発足以来続いている一期一会の飲み仲間
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<健康の要は“歩く力”>・・・資料:SUNTORY【美感遊創】vol.176

                              監修・渡辺一郎氏 伊能忠敬研究会名誉代表

散歩やウオーキングなど、歩くことは一番手軽な健康法。

しかしこの数年、健康科学の分野では、新たに分かってきたことがあります。

それは、ただ歩くより、力強く、さっさと早く歩ける脚の力が、年を重ねるにつれ、とても重要になってくるということです。

ばねと筋肉のある“脚”こそが、今後の人生の重要なサポーター!

その理由は何? これからでも強い脚をつくる方法は?

・・・登場していただくのは、

知る人ぞ知る歩みの達人、

伊能忠敬です。

 

【先人に学ぶ、歩み

 江戸時代に日本中を歩き回って初めて日本地図を作った人、伊能忠敬。

ご存知の方も多いと思いますが、その総歩行距離はなんと地球1周分、約4kmに及ぶと言います。それも地図作りを目指して歩き始めたのは隠居後の55歳から。平均寿命が3040歳ぐらいともいわれる江戸時代に、71歳になるまでの16年間を歩き続けたその健脚ぶりには、目を見張るものがありますが、実は、もともと体は弱い方だったというのですから、驚きです。

 

55歳時点というと、私が第1回?定年退職の年だ。私の場合は、それから20年間、仕事を継続してきたが、歩いた距離は、せいぜい2km・地球半周分と推計される。計算基礎はこうだ。週20km×52/年×20年≒20,800km・・・1週間に通勤時往復20km歩いた想定である。実際にはもう少しプラスαがありますが…)

 

【まず、からだをよく聞く

 伊能は、自分が虚弱体質であることをよく知っており、健康には細心の注意を払っていたようです。地図づくりは根気も体力もいる長丁場の作業です。しかも当時でいえば高齢、55歳からの挑戦ですから、体をこわせば元も子もありません。

 疲れたときは無理をせずに休む、食事にも気を配り、持病の薬は常に欠かさないなど、様々な記録を見ると、健康管理には人一倍気を使っていた様子がうかがえます。

 食べ物の好みは、豆腐、鶏肉、鰹節、長芋、菜類等で、ぜいたくなものではありません。

 自分の体の声を聞き、何を補給すればよいのかきちんと知っていたんですね。

 

【さらに、広い歩幅歩き続ける】

 当時の資料や書簡から、伊能の歩幅は約6669cmと推計されています。着物の丈などから推測される身長は160cmぐらい。身長から考えればかなり広い歩幅で歩いていたことになります。(私が身長164cmで、早足で70cmである・時速6kmで歩いている)

 おそらくそれは、出来る限り早く地図を作る必要があったため、初めての測量の時からかなり急いで歩いたからだろうと解釈されています。

 急いでいたため、歩幅が自然に広がって歩行速度が上がり、歩く力が高まるという好循環に。その結果、高齢にもかかわらず歩き続けることができたのではないでしょうか。

 歩き続けて完成させた地図という成果のほかに、測量で培った歩行力が当時では歴史に残る長生きにつながったのでしょう。

 

(脚の力って、本当に大切なんですよね。最近は、ゴルフでもめっきり歩かなくなってきて、カート頼み。せめてゴルフの時は歩こう!

伊能忠敬ばりに、55才からもっぱらゴルフで歩くことにすると、

   週2回ゴルフ(約20キロ)×年間52×4040,000km

地球1周するには40年かかり95歳となる勘定だ! )


 ゴルフだけでなくて、その他普段から歩く!できるだけ早足で歩く! 

 早足で歩くほど長生きするという統計がある(例えば65歳では、秒速1.1mで歩ける人は、男性の場合で、予測余命年数:約20年という)

 

 

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 先週からスマホ族の仲間入りをしました(とうとう)。
 あまり気が進まなかったのですが、これまで3年間使用してきたPHSが、契約期限だか更新期限だか意味がチョット不明のメールが来て、「更新するならこのままでもいいが、この先途中で変更等をすると違約金をどっさり払ってもらう?」・・・なんだかよく分からない更新勧誘で、どうしてもらいたいのか商売の意向がわからない、客として続けてほしいのか? 途中でやめたら違約金ですよ!という脅しなのか、それって商売なの? まるで昔の公務員の世界のようだ。 ともかくよく分からない世界である。

 それでも、どうやらPHSのこの先の寿命はそんなに長くはないとの噂もあって、そこまでリスクのある携帯を持ち続ける理由もないので、この際スマホに変えようか、ということにした。
 もともとPHSを持った動機はあまりうれしくない事故が発端である。それは3年前に遡る。
 
 3年前の8月の苦い思い出はこうだ。
 場所は箱根町の「大箱根カントリークラブ」である。場所はゴルフ場だが、プレーをしたわけではなくて、女子プロゴルフのトーナメントを見に行った時のことだ。
 この日(土曜日)は、友人のSAK氏とゴルフ場内にあるプリンスホテルに宿泊して2日間のゴルフ観戦と、ぜいたくな時間を過ごしていた。土曜日は朝から雨模様であった。1番ホールのスタートを2,3組見てから9番ホールまで、当時人気が出てきたイボミ選手の組について回った。
 ハーフの2時間ばかり、雨に濡れながら、歩き回ったが、とうとう諦めてホテルにいったん戻って軽く食事をしたときに、「待てよ、電話はどうなったかな?」とザックを覗いてがっくりした。
 
 ザックの中は既にびしょびしょで、ザックのポケットに入れていた携帯もずぶ濡れだ!

 残念ながらポケットの中は水がたまっていて、携帯は水の中!

 慌てて取り出して、拭いたところで、もう手遅れ・・・。(人工呼吸したがもう手遅れ?)

 そのうち漏電したのか、電話機がジージー鳴り出して止まらない。(バッテリーの断末魔?)

 やむなく、バッテリーを外して、中のSDカードを取り出す。(これも水死!)

 その後、自宅近くの携帯(AU)屋に行って状況を話す。

 店員曰く、「この機種は製造して10年経過、現在製造中止かつ10年前の機種はサービスも

終了のため、メーカーにも送れない、あきらめるしかない」・・・と、ケンモホロロであった。

 
仕方なく、ガラケイの死を認めてデータも写真もあきらめた。
同じ時期、PCもプログラムのサービス完了のタイミングに出くわしたので、タブレット(Nexus7)に代替えし、また携帯は、電話・メール機能があればいいと、PHSとのセットで割安の購入で間に合わせたのだった。

我ながら面白い経験だが、20年間で携帯電話は各社の使用経験がある。
 初代は、 SOFTBANK
 2代目は、NTTーDOCOMO(社用)
 3代目は、AU-携帯
 4代目は、Y-mobile(PHS)
 5代目は、Y-mobile(スマホ)・・・今回始めた。


スマホを初めて1週間が経過した。
いろんな機能が多すぎて覚えるのが大変。いろんなことができるのが楽しいが、下手に触るととんでもない金が請求されそう。
少しずつ、可能性にチャレンジというところ。
ちょっぴり楽しいことが増えたようである。




 




 

◇世界選手権シリーズ◇WGCブリヂストン招待 最終日(6日)◇ファイヤーストーンCC(オハイオ州)◇7400yd(パー70

2打差4位から出た世界ランキング3位の松山英樹が1イーグル7バーディ、ボギーなしの「61」をマークし、通算16アンダーとして逆転優勝した。後続に5打差をつける圧勝。昨年10月「WGC HSBCチャンピオンズ」に続く世界ゴルフ選手権(WGC)シリーズ2勝目を挙げた。

2月「ウェイストマネジメント フェニックスオープン」以来の今季3勝目で、自身の保持する米ツアー日本人最多勝を更新する通算5勝目とした。次週「全米プロゴルフ選手権」での日本人メジャー初制覇へ弾みをつけた。

松山は「1番をしのいで、波に乗ってやれた。大きなミスもなくやれた」と笑顔で語った。

序盤2番(パー5)でグリーン奥からチップインイーグルを奪って首位に並ぶと、前半を「30」(パー35)として単独トップで折り返した。

“モンスター”の異名を持つ667yd(パー5)の16番でバーディを奪って優勝を決定づけると、17番、18番もバーディとして後続を突き放して圧倒した。

通算11アンダーの2位にザック・ジョンソン。

小平智は通算5オーバーの47位、谷原秀人は通算6オーバーの50位で終えた。


<8月7日朝5時45分に起床し、NHK・BS放送を見る。「松山選手、首位!」の活字が躍っている。目を擦り乍ら、順位表の表示されるのを待つ。13アンダーで2位と2打差。あと3ホールが残っている。目が離せないが、出勤時間も迫っている。
 やむなく出勤動作・準備に切り替えて、後ろ髪を引かれる思い?で家を出る。
 通勤電車の途中で、昨日切り替えた(PHSからスマホに切り替えたのだが)ばかりのスマホをのぞき込む。やがて、「松山選手、16アンダーで逆転優勝!」の活字が目に入る。
 やったぞ!松山選手! ・・・・・よくやった!
 買ったばかりのスマホのあちこちの記事を探しながら、通勤時間帯を過ごしたというバカみたいな年寄りだ・・・・>

 

7月のゴルフ>・・・その3

  722日(土)・・・東名富士カントリークラブ(SAK氏家族と)★

 東名『大井松田』I/Cを降りて約30分程度走っただろうか、かなり山の上に来た感じで、ほぼ頂上あたりに古いクラブハウスがあった。木造づくりと思われる建物は、風格すら感じられる。

 開場が19704月というからもう47年になる。しかし随分と山奥にあり、結構な山岳コースのように思えたが、「適度なアップダウンの“丘陵コース”」と謳っている。日ごろから山岳コースには慣れているからあまり驚きはないが、初めての人やビギナーの人達にはちょっと難コースと思えるかもしれない。

 

 私をこのコースに誘ってくれたSAK氏(息子さん夫婦)が曰く。

「このコースで(私が)どれくらいのスコアで回るのか楽しみです」と、まるでぼろぼろのスコアを期待している?様な口ぶりであった。

 前半はいつものように体が硬く、コースになれていない戸惑いもあって、やっと49

 それでも後半は、43だったので、二人とも意外な表情だった。なんだ!このコースで叩かれることを期待していた若夫婦は、私が案外良いスコアでまとめて回ってきたので、えっつ? 43ですか? がっかり?の様子だった。

 他の組で回ってきた人達も、私が意外とまとめたスコアだったので、すっかり驚かれて、急に親しさが増したのか、「今度930日にコンペをやります。是非参加してください」と、ご招待されてしまった。

 このグループは、旧M銀行グループの先輩・後輩仲間のようだった。

 しかし、コースはともかくとして、施設が老朽化していることには驚かされた。特にカートが古いのと、カート道路もかなり傷んでおり、安全性の面でも、また来たいという印象はない。

 

  723日(日)・・・富士エースゴルフ倶楽部・開場40周年記念コンペ★

 当クラブの開場40周年記念行事(コンペ)に参加。

「冬暖かく、夏涼しい。駿河湾を望み、愛鷹山に抱かれた18ホールズ」

というキャッチフレーズのコース案内であったが、当日はあいにくの雨と霧が立ち込め、各ホールは殆ど先が見えず。聞くところによると海からの気流の影響で度々霧が発生する地形のようだ。それが証拠に、各ホールのティグランドには、グリーンの方向指示器?ならぬ方向盤(鳩のマーク)が埋め込まれてあった。この日はあいにくの雨もあって、気温も低く、コースの様子がわからない私にとっては最悪のコンディションであった。まるで真っ暗闇にボールを打ち込むような状態であった。

 ボールを打った跳ね返りがわからない。どこへどの程度飛んだかがわからない。ボールを探すのに一苦労する。これではストレスがたまる! 加えて、

 

 同伴のMIH女が必要以上にピーピーわめく、悲鳴を上げる。叫ぶやら…、それに呼応してダンナ(?)が、彼女をののしる、叱る、叫ぶ。

<アレーッ、私のボールが見えない! どこへ行った?どこよー!どこ!>

<どう打てばいいの? ねーどうするの? ネーネー?>

 

「何でもいいからそのまま打て! 打て! 早くしろ! 早く!」

 

<アレーッ打てないよー! どうすればいいの? ねーったら?>

 

「早くしろ! 早くしろ! 何をやってるんだ!」

 

そんな叫び合いとも怒鳴りあいともつかぬ声がコース中に鳴り響く。

そばにいるものには、喧嘩にも聞こえるし、パワーハラスメントのようにも聞こえる。もう耳をふさぎたくなるような二人の怒鳴りあいであった。

 私もセカンドを打つ方向がわからないから前に進めない。彼に聞くにも聞けない状況の中で立ちすくむ。こんなに叫び合うゴルフは初めてだ。そんなホールの連続で疲れてしまった。もうゴルフはどうでもいい感じだった。

 ゴルフは本来紳士的なスポーツと認識している。大きな声を出すのは、危険球を知らせる、“ファーファー”位のものだ。こんな怒鳴り合い、叫び合いはない。だいいち同伴の我々にも失礼だ。この人達は何十年ゴルフやってきたか知らないが、こんなにゴルフのエチケットを知らない人とは思わなかった。少なくともここのクラブの副理事長という立場の人なのにこれはいただけない!

 すっかり戦意(やる気)を喪失した私は、もう二度と来るまい、二度と彼らとはやるまいと思いながら、ゴルフ場を後にした。

 

  727日(木)・・・木曜会と称する仲間たちとの定期ゴルフ ★

 いつもの木曜会のメンバーでプレー。

 私は、今月これまでで6ラウンド消化。これが今月最後のラウンドである。疲れもたまっていたようで、腰が重かったので、久しぶりに腰痛ベルトを装着する。気の通じた仲間たちとは気楽にラウンドできる。ただ、ここまでやると気力が乗らないようだ。ある部分、もうどうでもいいという気持ちになる。こうなるのは良くないことだ。同伴の皆さんには失礼のないよう気を使ったが、無理な時は無理。やっぱり7ラウンドは多すぎたのだと反省!

 8月はお休みしようと思う。


7月のゴルフはこれでおしまい。

7月のゴルフ>・・・その2

  山梨オープンの余談・・・あの日が梅雨明けだった? ★

76日~7日は、仕事&勉強仲間たち12名での2日間コンペとして開催。

(詳細は、71214日のブログ「初夏の山梨でゴルフと温泉を楽しむ会」で3回シリーズで紹介した)

 

この両日は、季節的には梅雨真っ只中と予想・覚悟していたが、意外も意外! 前日までの雨が上がって、6日、7日は梅雨明けを思わせるような天気となった。後日談だが、先日朝のあるラジオ番組で、「関東地方の梅雨明けは実は、76日ではなかったか? という説がある」との気象予報士の放送を耳にした。素人の私も、実はあの日だったのでは? と思っている。あの日以後の天気具合でもそう思わざるを得ないのである。

 

  717日(月曜日・海の日)・・・ラッキーマンデイというゴルフの集い ★

 【近所の飲み友達】が年に数回集まってゴルフを楽しむグループがある。

 主役は、スナックを経営して30年余りのママさんだ。休日は日曜だが、月曜日が祭日に当たる日は、みんなでゴルフに行くことにしている。ゴルフの好きなママさんは、昔70台でラウンドしたこともある実力者だ。

 

 今年のカレンダーでは、320日・春分の日と717日・海の日があって、「ラッキーマンデイゴルフ」が実行された。私も常連メンバーとしてほとんど参加している。この中には、ママをはじめ5人の相模野メンバーがいる。

(みんな私が加入を勧めた人達だ)この人達がW会員でビジターを連れていくと、10人はメンバーフィでプレーできる。

 

 “ガン”を2度も手術をして、もう5年以上になるママさんが、元気にナイスショットする。昔ほどの鋭さ・力強さはないが、正確なショットはさすがである。本日もしっかり100切ってくるのは立派!の一言である。

 

  719日(水)・・・B1グループコンペ ★

 仕事仲間のコンペとして年2回行われているが、ここ数年欠場気味だった。理由は、スケジュールが合わなかったり、会場が千葉方面に多いからだ。

 今回は久しぶりに東京湾の埋め立て地・若洲ゴルフリンクスで、2回目の参加であった。

前回は3年前、グロス89で準優勝だった。比較的相性がいい?と思われた。コースは、アップダウンがそれほど多くないが、四方が海であり、常に風があって、右か左側が海に面しているのでプレッシャーとなっているが、比較的広いフェアウエイがあり、私の印象ではやりやすいコースとの記憶が残っている。

 2020年の東京オリンピックのゴルフ会場に候補地として注目されたこともあったが、残念ながら埼玉の霞が関CCに負けてしまったようだ。

 原因は、狭い!ことらしいが、多分に政治的な匂いがするようだ(とマスコミで噂があるようだ)。

 この日も天気に恵まれて気持ちの良いゴルフ日和だったが、参加者の一人が会場に向かう途中で追突事故に巻き込まれ心配されたが、運よく無事会場に到着。1ホールだけ遅れたものの、その後は元気よく参加(同組)されたので安堵した。KATさん良かった、良かった。

コンペでの今回のスコアは不満足な結果であった(グロス94)。


<以下:次回>



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